目覚めの自覚
のぼせに酸欠に電撃――
二度ある事は三度ある。
そして三度目に来ることといえば、正直。
だから和真は三度目の目覚めに当たり、ようやく認めることにした。
(夢でも悪夢でもなく……現実なのか)
ぼんやりした眼が捉えるのは、知らない白い天井。
差し込む朝日と思しき陽光は、右側に柔らかく暖かい熱を伝えてくる。
どうやら一夜は既に明けたらしい。
布団の上に乗った手に伝わるのは、包まっている寝具の上質な感触。
(やっぱり異世界ってやつか)
認めれば、何となくで上がる口角。
あれだけ否定し続けていたのが、今となっては馬鹿らしかった。
「くっ」
零れた笑いに溜息が続く。
――と。
「お気づきになられましたか、姫?」
掛けられたのは、初めて聞く穏やかな女の声。
寝起きを引き摺る頭でそちらを見やれば、青い光沢の黒髪の下で、声そのままに、穏やかな藍色の目が、優しげな微笑を浮かべていた。
露出の少ない濃紺のワンピースを来てはいるものの、やたらと広い寝台の上で、四つん這いになった状態で。
「……あんたは?」
色々つっこみたい要素はあったが、とりあえず一番重要と思える部分を問う。
すると女は微笑みを携えたまま、答えることなく和真の額に手を置いてきた。
心地良い冷たさに自然と目が細くなれば、身を起こした女がふんわり笑う。
「熱はないようですね。どこかお加減が悪いところはございますか?」
医者か何かなのだろうか。
落ち着いた物言いに息をついた和真は、ゆっくり身を起こすと、軽い柔軟をしてみた。
(……ん? 何だ? 妙に身体が軽いような)
肩こりや腰痛に悩まされた憶えはないが、身体が随分と軽く、柔らかくなっている。
今ならどんな無茶なヨガでも出来そうな気がした。
最後に手を置いた肩をぐるぐる回し、首を捻っては、ああもしかして、と思い当たった。
(雷公姫のアレのせいか? 衝撃はかなりのモンだったが、痛くはなかったし)
意識が途切れる直前の、光を纏った雷公姫の姿。
あの抱擁でこの効能、ヘタなマッサージも裸足で逃げ出す爽快さだ。
一通り、自身の身軽さを確認し終えた和真は、彼の答えを待つ女へ、首を横に振って答えた。
「いや。見ての通り、悪いどころかすこぶるいい」
「そうですか。それはようございました。では、お着替えをお持ち致します」
手を合わせてにっこり微笑んだ女は身を捩ると、四つん這いになって寝台の端まで這っていく。
和真は不安定な寝台の上を行く、形の良い尻を何とも為しに眺めながら、先程まで頭が埋まっていた枕へ上体を倒した。
寝台から降りた女が、寝台以外何もない部屋から出て行くのを見送っては、伸び一つ、欠伸一つ。
「……にしても、どーしたもんかなー?」
のん気な声とは裏腹に、その顔は酷く憂鬱だ。
それもそのはず、現在の状況を現実と認めたところで、和真には億劫な思いしかない。
「張り合いねぇもんなー。王道に世界を救うったって、方法が一夜に四人と。帰る方法にしても、その四人に子ども生んで貰うしかねぇとか。ったく、マジで人選可笑しくね?」
苦い思いでしかめっ面をした和真は、次いでもっと顔をしかめると、今にも舌打ちしそうな声で一人ごつ。
「しかも、あのクソジジイ……説明の時には託宣だとか尤もらしく言ったくせに、真面目にした話では、無作為に選んだって言ってたよな? ぜってぇ後でしめてやる」
知りたくもない性癖を知ってしまったとはいえ、和真の中に生まれた暴力的な鬱憤は、吐き出す場所を求めて止まなかった。
結果的にあのクソジジイを喜ばせることになっても、構わないと思えるくらいに。
たぶんきっと、和真が帰るその日まで、あのクソジジイを伸さない日はないだろう。
と、ここで和真の脳裏に、あのクソジジイの娘だという双子が再生された。
長く接していたのがその格好だったせいか、ほぼ全裸の肢体を互いに絡ませ合う形で。
「~~~~っ」
和真は脳内のオプション機能に顔を赤くすると、これを払うように頭を振って、忌々しげに舌打ちをした。
それでも取れない赤みは、髪をぐしゃぐしゃかき乱すことによって誤魔化す。
「あーくそっ! そうだよ。夢じゃないってんなら、あれだって現実だろ!? 女四人ってだけでも頭痛いってのに、プラス双子。……ああでも、あいつらは惚れ薬のせいだっていうし、問題ない、よな?」
誰に向けてでもないが、振って湧き続ける女関係の一部に、和真は強引に終止符を打った。
惚れ薬がなければあの双子は除外していい――
一抹の不安は妙に残るものの、それは未練として切って捨てる。
和真だって健康的な青少年である。
双子の美少女によってたかってちやほやされて、嬉しくない訳はないのだ。
だからこそ、残る不安は未練。
それ以外の理由は受け付けない。
「ふぅ」
深呼吸することで頭を切り替えた和真は、かといって明るい顔をするでもなく、ずりずりと身体を布団に潜り込ませていった。
「つっても、やっぱ四人は残るんだよなぁ。しかも一人はジジイの孫…………………………ん? あれ?」
ここに来て感じる既視感。
昨日、同じ話題に触れた時、同じように何か大事なことを忘れていると思った和真は、今一度それが何か考え。
「あっ!!」
思い当たったなら、和真からさーっと血の気が引いていった。
はっきり思い出したのは昨日、その話題に触れる前、湯殿に行くよりもずっと前の、忌まわしい出来事。
長よりも腰の曲がった、男だとばかり思っていた、姿形・雰囲気共に不気味な老人が刃を持つ画。
(何で俺、今の今まで忘れてたんだ? そーだよ。昨日ジジイが言ってたじゃねぇか。あの怖いやつが自分の妻だって! しかも麗しいだのなんだのって!!)
でもってその審美眼で、長ははっきり口にしていた。
四人の姫はどれも極上の女だと。
「……逃げるか」
即決だった。
長の娘だというあの双子の容姿ならば、ともすれば希望を持って良いかもしれない。
しかし、長は彼女たちに対して、美しいも麗しいも一言も口にしていないのだ。
和真の「可愛い」という評価には喜んでいたものの、娘を褒められて嬉しくない父親はいない――そんな発想から来る喜びであれば、一考にも値しなかった。
四人の姫に関しては、王だと思われるオッサンも絶賛していたらしいが、召喚の人選を託宣と偽っていたジジイの言葉に信憑性は皆無だ。
もし仮に、四人の女の容姿が普通だと聞かされていたら、和真もここで逃げようとは思わなかったに違いない。
会うくらいはしていただろう。
それが極上の女だと聞いて逃げる逃げる理由は唯一つ。
長が「麗しい」という彼の妻を基準にして、うっかり想像していた四人の容姿がどれも、ゾンビめいた造りをしていたせいだった。
逞しい想像力の為せる業である。
思うなり、まずはこの寝台から抜け出そうと布団を蹴り剥がした和真。
だがしかし。
「……え?」
途端に触れる部屋の空気は、遮ることを知らず。
「お着替えお持ち致しました」
「ぎゃあっ!!?」
出て行った女が戻ってくるのを知るなり、布団を被り直した和真は、そのまま寝台を転がると、芋虫状態で落下。
「ぐはっ」
「姫!?」
受身も満足に取れない身体ながら、痛む声を上げた足は、女の接近に壁際まで移動。
「く、来るな!」
疑心暗鬼に陥った人間が出すような、そんな怯えた叫びが和真の喉を通れば、女がビクッと足を止めた。
その姿にほっとする傍ら、芋虫和真は手負いの獣よろしく続けて叫ぶ。
「俺の服は!?」
「それならこちらに只今」
「じゃなくて!! 何で俺、真っ裸なんだよ!?」
そう、柔軟をした時は、いつも上半身はシャツ一枚か裸で寝る和真、大して気に留めなかったのだが、布団を剥げばビックリ、はいコンニチハ。
湯殿でのぼせて以降の再開に、感動よりも怖気が先立った彼は、答えを知るであろう女を睨みつけた。
情けなくも、ちょっぴり涙目になりつつ。
すると、ぽっと顔を赤らめた女は、迷う素振りで視線を逸らしてもじもじ。
「それはその、長が姫に寝巻きは必要ないからと」
「またあのジジイか、クソッたれ!!」
大方、四人相手にすんのに服なんて邪魔邪魔~と、軽いノリで人の服を剥いでいったのだろう。
「があっ、マジでどうなんだ、アレ! 何が悲しくて、ジジイの一存で服を剥ぎ取られなきゃならねぇんだ!!?」
芋虫の身体をバタバタ激しく悶えさせながら、ここにはいないジジイへの恨みつらみを叫ぶ。
ぜってぇブッ殺す!、とは今まで介抱していたと思しき女の手前、口に出せないものの。
そんな和真の怒り具合をどう思ったのか、女が慌てた様子で言ってきた。
「ああ姫、どうぞお怒りをお鎮め下さいませ! 姫の服を脱がせたのは長ではなくわたくしでございますゆえ!」
「え…………………………マジで?」
「はい。マジにございます」
「ジジイじゃなく、あんたが?」
「はい。長ではなく、わたくしが」
「…………」
至極真剣な表情で頷く女に、怒りで奮起していた赤い顔が段々白くなっていく。
(双子にジジイに雷公姫に……それだけに留まらず、この女にまで?)
和真が女であったなら、確実に「お嫁に行けない!」だのなんだの、のたまわれる場面だろう。
しかして女の告白はこれに留まらず続き。
「白状して申し上げますと、姫の裸体はわたくしの他二名も拝見済みでございます」
「…………」
終わった。
和真の中で何かが終わった瞬間だった。
女の静かな告白に、和真はただただ、芋虫になる無意味さを思い知る。