雷神様の割と大きくて、ちっさい悩み
雷公姫に全神経を集中させた和真。
とりあえず腕力で抑えるのは無理だ、と女相手に男として少々、いや、かなり情けない即断をした彼は、自分の直感を信じて両手を挙げた。
勿論、応戦するためではない。
降参の意思を示すためである。
気分は猛獣と絡まなくては明日がない、若干飽きられ気味のお笑い芸人といったところか。
「まあ何だ。と、とにかく、落ち着こう」
頼りない笑みを顔に貼り付け、自分は敵ではないですよー、と必死にアピールしてみる。
「私は十分落ち着いている……胸が小さくたってっっ!!」
効果は抜群だった――逆の方向に。
雷公姫がぐっと拳を握り締めれば、更に増していく危険な金の光。
(ら、雷公……って確か、かみなり様って意味だったよな。なるほど、言い得て妙じゃねぇか。つーか凄ぇな、ジジイの翻訳魔法。文字まで勝手に頭の中で変換していやがる)
さっきより格段に近くなった死の気配に、どうでもいいことを思った和真は、逃避しがちな頭を勢い良く振ると、しっかりしろ俺! と自分を叱咤する。
反面、このまま殴り飛ばされれば夢から醒められるかも、という淡い期待が脳裏を過ぎってしまった。
この期に及んで、いや、こんなファンタジックでエキサイティングな展開が目の前にあるからこそ、夢であって欲しい和真、それでも葛藤は続き。
(しかしよ。もしも、もしも仮にこれが本当に現実だとしたら……間違いなく死ぬよな、俺。で、だ。もし夢だったとしても、こんだけ現実味のある夢なら、全く痛くないってのも無理な相談じゃね?)
過去、夢で自分の頬を抓った憶えのある和真は、それが普通に痛かったことを思い出していた。
脈絡もなく高いところから落ちる時には、必ずといって良いほど目覚めが訪れ、もしくは視点が急に別の場所に移っている。
それは傷つく場面だったとしても変わらず。
(そうだよ。さっきあの怖い奴に刃を当てられた時だって、嫌な感じがしたじゃないか)
脳裏に過ぎる、「ひひっ」と笑う不気味な老人の、刃を持つ姿。
ひやっとする怖気に、和真は再び胸に恐れを抱くと、そこを軽く握り締めて唾を飲み込んだ。
(痛かったから夢じゃない、なんて思いたくもないが、どっちにしろ、喰らえばひとたまりもない事に変わりはない)
夢か現実かよりも、生きるか死ぬかの瀬戸際――。
そう思い定めた和真は、けぶる金髪の中に暗い顔を隠した雷公姫へ、もう一度声を掛けてみた。
死ぬのも痛いのも御免だ、そんな感情に背景付けられた最初の第一声は。
「ち、小さかったら駄目なのか?」
(何言ってんの、俺!?)
いきなりストレートに、相手が問題としている部分を否定しに掛かった自分。
頭を抱えて壁にぶつける、または即座に訂正を加えたいところだったが、金の翳りの中から紫の瞳が覗くのを見ては、もう遅いと知った。
「貴方に……最初から胸のない男に何が判る」
(ご尤も!)
低い声に滲む苦悩。
即座に首を縦に振って賛同したい和真だったが、そんなことをすれば命はない。
和真は背後にびっしり冷や汗を掻きつつ、持てる気力の全てで声の変化を抑えると、至極真面目そうに言った。
「いや、俺には――」
「ふん。判る、とでも申されるか? 平均より大きめだという貴方に。小さい者の気持ちなどっ」
「…………」
被せられた雷公姫の言葉に、押し黙ってしまった和真。
そうだよな、俺には判るはずもない――などと思ったからではない。
(……そうだ、そうだよ。この女はジジイと一緒に、人の裸を無断で見やがって)
甲冑が女だったという衝撃ですっかり抜け落ちていたが、ジジイは確かに言っていた。
これなる兵士も視ていた、と。
そして甲冑――雷公姫もぎこちなくではあるが、頷いていたのだ。
これまでの流れの全てが和真の脳裏を過ぎっていく。
特に湯殿での、間の抜けた自分の行動が事細かに、鮮やかに再生されていったなら――。
「黙れ、この痴女!」
「なっ!?」
勝手に視られた羞恥と、それを味わう羽目になった理不尽さ。
全身を茹蛸のように真っ赤に染める、様々な激情から和真が叫べば、突然の反撃に雷公姫が言葉を詰まらせた。
まさか自分を宥めようとしていた相手から、いきなり痴女呼ばわりされるとは思っていなかったのだろう。
変に動揺する雷公姫が我を取り戻す前に、和真は畳み掛けるが如く、堪っていた鬱憤を吐き出した。
「んだよ!? 否定すんのか、覗き魔が! 平均より大きい? 知るか、んなもん! 何だ? てめぇは大きけりゃ何でもイイってか? それなら馬の股座にでも潜り込んで、でけぇの咥えていやがれ、このクソアマの色情魔!」
「し、色情……」
「違うってのか? お前、さっき言ってたじゃねぇか。俺が経験ないってぇのを聞いて、え? とか何とか。男と見たら、すぐそういう発想に向う、てめぇの腐れ外道な考えに俺を当て嵌めんな! 経験なくて何が悪い? トランポリン宜しく、騎乗でヒィヒィ喘ぐあばずれよか、遥かにマシだろうが!!」
「とらんぽりん……? きじょうで……って!? わ、私はそんな、あばずれでは」
「じゃあ何か、カウガール気取りか? はいよーシルバー、ってそりゃ馬か」
自分の言葉をへっと鼻で笑った和真は、「ま、馬並みがお好きならお似合いだな」と雷公姫へ吐き捨てた。
この頃にはもう、彼女の光る拳で殴られても構わないとさえ思い始めていた。
言い過ぎた後悔からではない。
言ってやったという満足感からだ。
言い返す暇もなく、わななく雷公姫の拳ににやにやした笑みまで浮かんでくる。
思えば和真のこれまでの人生、女にはしてやられてばかりだった。
夢だろうが現実だろうが、正面きってここまで言ってやったのは初めてだった。
しかもこんな、在り得ないくらいの美人に向って、だ。
だからこそ、すかっとした胸の内そのままに、同じ背丈の雷公姫を見下す和真。
すると、和真の暴言が余程効いたのか、目を潤ませた雷公姫が言った。
「……つまり、春告の君は、胸の大きさにはこだわりがないと?」
「あ?……うん、まあ、特にはねぇけど」
てっきり何かしらの反論が来ると思っていただけに、肩透かしを食らった和真は、優越感を削がれて普通に返事をした。
何か違うという思いのまま、頭を掻いて眉間に皺を寄せれば更に、
「ですが、あの双子に挟まれた時は」
「あーもー、うっせぇな! お前はアレか? 俺が心底愉しんでたとでも言うのか? そりゃ、気持ち良くなかったって言ったら嘘になるが……別に望んでああなったわけでもねぇし? アロマとアルエにしたって、惚れ薬のせいでああなってただけ。大体、あの胸のせいで俺は窒息寸前だったんだぞ? トラウマになっていないのが奇跡だろ」
ややうんざりした気分で思い出すのは、胸責めに陥落した意識が、取り戻された後の事。
しっかり着込んで和真を介抱していた双子は、彼の目覚めを知ると同時に、涙ながらに許しを乞うてきた。
自分たちを嫌いにならないで欲しい、と。
正直、和真は女の涙に弱い性質だった。
勿論彼の経験上、弱いというのは庇護欲をくすぐられる意味ではなく、恐怖心を揺さぶられるという意味でだ。
和真にとって、女の涙は文字通りの武器いや凶器、もしくは嵐の前兆。
女の涙に関わる事柄は、多少の無茶でも折れておかないと碌な目に合わない――それが和真の持論であった。
そんな和真の許しを得た途端、手に手を取り合って喜ぶ双子に、涙を回避できた彼は安堵しつつも一言だけ釘を刺していた。
この悪夢が続くとして、と心の中で前置きながら、どうしても湯浴みの世話をしなければいけないなら、今度はしっかり着込んできて欲しい、と。
惚れ薬を盛られていたせいだろう、双子は渋々といった調子ながら了承してくれた。
和真はこれで胸責めは回避できたとほっとした。
だというのに、そんな自分が胸にこだわる訳がない、そんな思いで雷公姫を胡乱げに見やれば。
「? どうしたんだ、お前?」
暴言で潤んでいたはずの紫の瞳が、妙に艶かしく煌き揺れていた。
怪しいその気配にたじろぎ、和真の足が逃げを開始すべく動きかけたなら、雷公姫が恥かしそうに顔を俯かせた。
まごつく唇の動きに注意した和真が、逃げの体勢を整えた矢先。
「で、では……春告の君は、私の胸が小さくても構わないと?」
「あ、ああ。つーか、お前の胸ってそんな、言うほど小さいか? 触ってから言うのも難だが、そこそこあるし、丁度良い大きさだと――」
「っ、本当にっ!?」
正直な感想を口にしながらも、よし今だ!と逃げに入ろうとした和真。
だがその前に、雷公姫のいる方から殊更眩い光が届いたなら、そちらをちらりと見て、
「げっ」
絶句した。
「良かった……」
そう発した声は確かに雷公姫のものなのだが。
(ちっとも良くねぇ!!)
逃げる足さえなくして、その場に尻餅をついた和真の眼前。
そこには人の形をした電気の塊があり――いや、微かにだが、光の先には雷公姫の嬉しそうな表情がちらほら見えていたため、拳に纏っていた光が全身を覆った結果なのは判る。
判るが――判らないのはここから。
(ちょ、ちょっと待て? 俺はついさっき、あんたを罵倒したはずだよな? それなのに、何をそんな嬉しそうにして)
十字架の如く広げられた両腕。
近寄る足に、下がる腰は重く。
「待っ――」
言えたのは、それだけ。
「小さくても良いんだ!!」
その言葉を合図に、光る雷公姫に抱きつかれた和真は、全身を駆け巡る衝撃に、声にならない悲鳴を上げると、本日何度目かの強制終了を体験するのだった。