ホントのところ その1
どれだけ無体な仕打ちを受けようとも、次の瞬間にはぴんぴんしている、永遠の起き上がり小法師こと長。
タネを明かせば、こんなでも一応リジェレイシカ屈指の術師、すかんぴんの魔力の、ないに等しい絞りカスでも、和真ぐらいの暴力は防げる結界を張っている――らしい。
その割には「ぴぎゃっ」だの「うぎょろっ」だの、妙な悲鳴を上げては苦痛に呻いているのだが。
とはいえ、元々だるかった身体で暴挙に出た和真が息を切らす頃には、長はけろりとした表情で先頭に立ち、湯殿へ向う時に使ったのとは違う廊下を杖で指してきた。
「さて。それでは参りましょうぞ、姫。いざゆかん、めくるめく官能の世界へ!」
(このジジイ……何だってこんなに、無駄に元気なんだ?)
ぜぇはぁ、肩で息をしつつ、折角流した――というか流された背中に疲労の汗を滲ませた和真は、再び壁に身体を押し付けながら、小躍りでもしそうな緑のジジイを睨みつけた。
(つーか、俺の腕も、何で動かない?)
蹴り転がしたり、頭突きをかましたり、思いつく限りの攻撃をジジイに試みたが、和真の腕は動きに合わせて振ることはできても、自分から動こうとはしなかった。
特に右腕が酷い。
少しずつ整えられる息に、和真の中で腕への疑問が膨らんでいけば、くるりとこちらを向いたジジイが、「むふふ」とまたしてもいやらしい笑いをしてきた。
「とはいえ、姫はもう、堪能しておりましたなぁ?」
「ああ?」
「ロドフィーク・ラダドリシュア姉妹にございますことですじゃよ! 前後に左右に上下、隈なく双子に埋め尽くされていたではありませぬか」
「…………」
改めて思い出す、湯殿での自分。
女が苦手と言いつつ、実際怯えながらも、触れたり、揉んだり、舐めたりした感覚は、和真に押し黙ることを強要してきた。
恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だ。
もしも、これをそのまま口にしたなら「おお、それはそれは。何とタイムリーな。穴ならほら、この先に四つ、いや、姫さえ望めばその三倍はありますぞ!」と、長がナチュラルに下ネタに走るのは明らか。
ゆえにからかう声音には、溜息を使って応えた和真。
ついでに付き合っていられないと、壁伝いに歩みを進めれば、ふと引っ掛りを覚えて長に尋ねた。
「前後に上下ってのは、まあ、いいけどよ……左右ってのは?」
「おや? 憶えておられない? 双子を強引に脱衣所へ戻されたではありませぬか。だからこそ、腕が動かぬのでしょう?」
「腕……そうか、それで重く」
和真がようやく合点がいったと頷けば、訳知り顔で長が頷いた。
「然様。いわゆる、火事場の馬鹿力、というヤツですな。あれは人間が本来出して良い範囲にない力を、一時放出するわけですから、どうしたって疲労等の反動は大きくなるのでしょう」
しみじみした長の語りを聞き、「へえ」と和真は声を上げた。
(このじーさん、難点はあるが、やっぱり長と呼ばれるだけあって、洞察力は鋭いんだな――)
そう、和真が感心したのも束の間。
「それにしても、湯殿の全てに媚薬が使われていたというのに、気軽に手を出せないほど、女へ苦手意識をお持ちとは。ロドフィーク・ラダドリシュア姉妹にも予め惚れ薬を仕込んでおりましたが、ほとんど無駄でしたな」
「おいこらちょい待てこのジジイ」
女嫌いではなく、苦手と判じた洞察力はさすがだった。
だがしかし。
「はて? 何か姫を怒らせることをしましたか?」
惚けているというよりかは、本気で判っていない首の傾げっぷりに、長の進行方向へと立ち塞がった和真は頭の痛い顔をした。
「び、媚薬に惚れ薬だと? 何だってそんなもん!」
「はあ。それは勿論、事をスムーズに運ぶためですとも。萎縮している姫を奮い立たせ、手始めに二人をお手つきして頂く為」
「だから、何でだ!? 百歩譲って、媚薬は判るとしても、だ。お手つきだの、ほ、惚れ薬なんてっ!」
「これは異なことを申される。あの双子をお気遣い為さる姫ともあろうお方が、お判りになられませんか?」
「何を――」
「失礼ながら、いえ、当然の事ながら、ワシらは姫をよく存じませぬ。我が妻により使用可のお墨付きを頂いた媚薬とはいえ、高ぶった姫がどんな行動に出られるのかさえ判らぬのです。抑えられぬ猛りをぶつける場所が必要でありましょう。そしてその相手となる娘に求められるのは、姫に殉ずる愛」
「だからって、それなら最初っから、媚薬を使わなきゃいいだけの話じゃねぇか! 二人だってあんな格好で俺の――姫の世話をする必要はないはずだろ!?」
「……はあ」
和真が理解できないと声高に叫べば、恐ろしく静かな溜息を吐いた長は、ふざける口調もなく言った。
それまでのひょうきんさを打ち消す、厳かな雰囲気を纏いながら。
「異世界から訪いし春告の姫よ……恐れながら、貴方は酷い勘違いを為されている」
「勘違い、だと?」
「然り。我が言により少なからず語弊が生じた事は認めましょう。しかしそれは、無作為に選ばれた姫が、無用の責を自ら負われぬ為。先に申しました四人を貫く法、それが伴う重責まで、姫に与えてはならぬゆえに。……姫におかれましては、法を達成することにのみ、尽力して頂きたかった」
再び溜息をついた長、しかしそれは極度の疲労を感じさせるほど深い。
転じて長は口元に笑みを浮かべると、眉毛をハの字にして続けた。
「此度の姫は些かお節介ですのぉ。否、お優しいというべきか。四人の女を自由にしていいと言われれば、大抵の男は喜ぶでしょうに。姫はまず女を案じ、これを厭われる。誰ぞ意中の方がおいでかな?」
「いや全く。単に周りにいる女が録でもない奴らだっただけだ。アロマとアルエ……あの二人みたいのばっかだったら、俺も他の奴らと大差なかったんだろうけど」
(っつっても、あの二人のアレも、惚れ薬のせいだったんだよな。段々大胆になって可笑しいとは思っていたし、それなら納得できるが……なんだか、夢を壊された気分だ。いや、勿論これは悪夢には違いないんだが)
世辞とも取れる長の言葉に軽く応えた和真は、その反面で、思った以上に落胆している自分を知った。
甲斐甲斐しい双子へ不用意にドキドキしてしまったのが、余計に拍車を掛けていた。
和真はそんな思いを首振りにて払うと、「で?」と話を元に戻すことを要求した。
「俺がしている勘違い、姫には無用の責ってのは何だ?」
「それは……」
言いかけた長は、止めていた歩みを再開すると、和真を追い越して先を歩き始める。
語りを止めたというよりも、歩きながらでも話せるだろうと言いたげな背中。
和真はこれを追いかけ、身体の向きを立ちはだかる位置から、歩き出す方へと変えた。
「うおっ!?」
しかし、幾らかマシになっても本調子ではない身体に加え、履き慣れないサンダルのような靴、裾を引き摺るゆったりした衣に、バランスを崩してしまう。
と、その身体を掬い上げるようにして、控えていた甲冑が和真の左腕を下から担いできた。
「わ、悪い……ありがとう」
「…………」
礼を言えば、無言で振られる頭。
距離が縮まっても、甲冑の重さに息を切れさせない相手は、和真に肩を貸したまま歩き始めた。
このまま支えていてくれるらしい。
(どうせなら、もっと早くやって欲しかった……いや、それは贅沢か)
頭を振って自分の中の甘えを取り除いた和真は、もう一度、甲冑に向って言った。
「すまねえ、助かる」
「……いえ」
すると返ってきたのは、くぐもった声。
幼くも感じられるそれに少しだけ目を見張った和真は、ふっと小さく笑うと、そろそろ話を再開し出すであろう長へ視線を投じた。