覗きは相手が誰でも犯罪です。
双子と別れ、湯殿を出た和真。
待っていたのは和真を湯殿に押し込んだ、口元に揃えた指を押し当て「ぐふふふふ」と笑う長と、相変わらずちぐはぐな感じのする甲冑の二人だった。
「……んだよ、じーさん。つーか、今までここにいたのか、あんたら?」
ややぐったり気味の身体を壁へ預けながら問えば、癪に障る笑い姿のまま、長が首を振って答える。
「いやいや。まさかまさか。そんな野暮な事はできませぬよ、なあ?」
「…………」
長がやらしい目で目配せしても、甲冑は微動だにせず。
それでも構わない長は、一人で「そうじゃろうそうじゃろう」と頷くと、今一度、和真へ向けて「ぐふふ」と笑った。
「ワシらは姫が長湯をされている間、近くの小部屋にて待機しておりました。いやあ、大変でしたなぁ? のぼせてしまうわ、酸欠で倒れるわ」
「おい、何でんなこと知って……」
訳知り顔の長に青筋を立てた和真。
しかし、自分が気を失っている内にあの二人が報告したのかもしれない、との考えに行き当たれば、気まずい顔を逸らすに留めた。
何せ自分には、この悪夢内の設定で姫という付加価値がついているのだ。
のぼせたり酸欠したりすれば、今までの話の流れから、召喚の総合責任者っぽい目の前のジジイに報告するのは当然だろう。
夢から悪夢へ。
完全にシフトさせた和真はそう判じ、対するジジイこと長はそんな彼をあざ笑う顔で、枯れた胸を大きく逸らして言った。
「それは勿論、覗いておりましたからな!」
「…………」
長ことジジイの言葉を理解するまで、数秒――後。
「ほぐぁっ!?」
壁に身体を預けつつ、問答無用で緑の物体を蹴りつけた和真は、尻餅をついた頭へくらくらする額を押し付けた。
「い、痛いですじゃ、姫! グリグリはお止め下され! ワシの、ワシの残り少ない頭髪がっ!」
「あーもー、うるせー。頭が重いんだから仕方ねぇだろ? つーか、安心しろ。さっきあんたが盛大に倒れた時、ずり落ちた帽子の中身は綺麗につるっつるだったからよ。それ以上減りようがねぇ――って、そんなことよりだっ……!」
二度の気絶を経て、すっかりだるくなってしまった身体は、相手にも自分にも大声を許さない。
それでも高ぶった気持ちから、凄みのある目でジジイを睨みつけた和真は、う○こ座りの膝に頭より重い両手を預けつつ、額をグリグリ押し付けていく。
「覗いてたってのは、いただけねぇな、ああ? どこで、どうやって、どんなふうにして覗いたって? とっとと吐かねぇと、この、ふっさふさの眉毛を片っ端から抜いてくぞ」
「おお、お止め下され! 眉毛を失くしたら、ワシは、ワシは……特にどうともなりませんが」
「あの双子は知ってんのか? てめえがこの眉毛の下で、どんな目で覗いていたのかをよ?」
「ひ、姫……若干性格変わっていませぬか?」
ジジイの長い眉毛を抓んで引っ張る和真は、眉毛下の余計な声を一切認めず、少しばかり血走った視線を注ぎ続ける。
これにビクビクしていたジジイ、さすがにふざけ続けるのは不味いと思ったのか、嘆息すると首を縦に振った。
「……ええ。双子は知っておりましたとも。いえ、あの双子こそが、覗き穴と申しますか、何と申しますか」
「知っていた……そうか」
双子公認の覗きだと聞き、ふらっと離れる和真。
再び壁に背中を預けると、埃を払いつつ立ち上がった長へ、億劫そうに質問を重ねた。
「アイツらが知ってんなら、まだ良いとしても。アイツらが覗き穴ってのは?」
「はあ。それはロドフィーク・ラダドリシュア姉妹の目にございます。あの双子の目には特殊な魔法を掛けておりまして、湯殿での姫の行動は――」
「ろどふぃー……? 何だそれ? アイツらの苗字か?」
「はい、然ようにございます……じゃ? と、お尋ねになられるということは、もしやあの二人、姫に挨拶もなく?」
眉毛の下に隠されているため、詳しい表情は判らないものの、きょとんとした様子で長が問うてくる。
どうやら長の覗きは、視力に頼っただけのものらしい。
和真はこれへ「いや」と前置くと、アロマとアルエ、二人の名を紡ぐべく口を開きかけた。
すると。
「ほひはあああああああああああああっっ!!」
「っ!? るせっ……」
突如、素っ頓狂な声を上げ、その場で飛び跳ね出した長。
頭どころか全身に響く大音量を受け、和真が顔を顰めたなら、興奮状態の長がぶんぶん首を横に振ってきた。
「も、申し訳ございませぬが、それだけは勘弁して下され!」
「それだけって……二人の名前のことか?」
見事な慌てっぷりに推測した事柄が和真の口を出、今度は縦にぶんぶん首を振った長は、どんな時でも離さない杖でトンッと床を突いた。
「勿の論にございますじゃ! ロドフィーク・ラダドリシュア姉妹がロドフィーク・ラダドリシュア以外の名を口にしたということはっ!」
「いうことは?」
「ロドフィーク・ラダドリシュア姉妹が、姫にその名をお許しになったということなのですじゃ!!」
ばばーんっ、と後ろに効果音が張り出されそうな勢いで、長がもう一度床を突いた。
しかし――
「…………………………だから?」
和真にはいまいち伝わるものがなく、浮かぶのは怪訝な顔のみ。
これへ「ふむ」と我に返った様子でヒゲ――ではなく、眉毛の先を擦った長は、はしゃぎ過ぎた反省をするように、杖で自分の頭をぽりぽり掻いた。
「確かに。姫の反応は至極当然ですな。ロドフィーク・ラダドリシュア姉妹――アロマとアルエ、二人の名前はワシの知るところでもございます。先程のはその、言うなれば迷信なのです」
「迷信?」
「ええ。リジェレイシカに古くから伝わる迷信……女から名を許された男は、その女のいないところで、他の男より先にその女の名を告げてはならない。もし告げたなら、その女は風霊・シエンナデルテにかどわかされ、二度と男の前には現れなくなる、という」
「へえ?」
これまでの長の言動から、迷信に振り回されるタイプではない、逆に迷信すら振り回してしまいそうだと思っていのだが、違うらしい。
(案外繊細なんだな、じーさん)
和真が意外だと目を見張ったなら、また杖を突いた長が、中断していた覗き話を再開させた。
「それは兎も角として。双子の目を通して姫の行動を視ていたのは、不測の事態に備えるため。やましい気持ちは一切ございませぬ。それが証拠に、双子の目を通していながらも、映す姿は姫だけに絞っておりました。これなる兵士も視ておりましたので、ワシをお疑いになられるのでしたら是非、この兵士にも確認して頂きたく」
「…………」
長が杖を向ければ、それまで直立不動だった甲冑が、ぎこちない動きで頷いてきた。
(って言われてもなぁ。コイツには助けられた憶えはあっても、そっちの面で信用できるかって言ったら、正直判んねぇし。……いや、そもそもアイツらの裸見てる俺が、とやかく言える立場でもないよな。あの双子が覗かれてるって判ってたなら尚更だ)
反応を待つ長と甲冑を前にしてそんな結論に達したなら、和真は幾らかマシになった頭を壁から離すと、ふらふらした背を伸ばして溜息をついた。
「ふぅ。判ったよ。あんたらの覗きは俺の行動を監視するためであって、双子の、女の裸目当てじゃないって。……勘違いして悪かったな」
最後の謝罪は、具合悪さも手伝って、先程より理不尽に接してしまった長へ向けて。
すると長は広い心を示すように、「いやいや」と笑い混じりに手を振った。
そして間髪入れずに言った。
「裸目当ては勘違いではありませぬぞ? 尤も、対象はあの双子ではございませんが」
「…………」
長の言葉が指し示す「対象」とは誰か。
即座に理解し、否定したい和真へ、長は更なる言葉を重ねてきた。
春のほがらかな笑みから一転、クセ者紛いの黒い笑顔を貼り付けて。
「いやー、身体つきは軟弱でしたが、なかなかどうして、いやはや立派なモノをお持ちで。そのひょろさで、まさかリジェレイシカでの平均よりやや大きめとは思いませなんだわ。ワシャてっきり、シガレットが良いところだとばかり――」
その後の長の言葉が続かなかったのは、言うまでもない。