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「役立たずの養蜂令嬢は追放だ」と言われたので、この国の蜂蜜、全部連れて出ていきますわ~妖精は、裏切り者に微笑みません~

作者: uta
掲載日:2026/08/23

「ミレーユ、お前との婚約を破棄する」


煌びやかなシャンデリアの下、王太子ロランの声が夜会の広間に響いた。


「役立たずの養蜂地ごと、我が国から出て行け」


周囲から、くすくすと嘲笑が漏れる。


わたくし――ミレーユ・ファンティアは、その言葉を静かに受け止めた。


ロランの隣には、着飾った義妹セレーヌが勝ち誇った笑みを浮かべて立っている。銀の髪を揺らし、扇の陰でわざとらしく口元を隠していた。


「まあ、お姉様。土いじりばかりのあなたに、王太子妃なんて務まりませんもの」


くすくす、くすくす。


広間の貴族たちも同調して笑う。


わたくしの父、ファンティア公爵でさえ、目を伏せて何も言わない。


――ああ、そう。


これが、わたくしが十年かけて辺境の痩せた土地を守ってきたことへの、報いなのね。


その瞬間だった。


ずきん、と頭の奥が疼いた。


堰を切ったように、記憶が流れ込んでくる。


――白衣。実験室。ずらりと並んだ蜂の巣箱。発酵させた蜜の、とろりと甘い香り。


(……そうだ。わたし、前世で――養蜂と発酵食品の研究者だった)


現代日本。ミツバチを愛し、蜂蜜酒を仕込み、そして過労で倒れた、あの人生。


記憶が、ぱちりと繋がる。


そして、わたくしは思い出した。


この世界の『蜂蜜』が――ただの甘味などではないということを。


魔力を宿す、国家の生命線であるということを。


それを支えていたのが、他でもない、わたくし自身であるということを。


わたくしは、そっと顔を上げた。


口元に、微笑みが浮かぶのを止められなかった。


(役立たず? ふふ。ではその役立たずが支えていたものを――全部、お返しいたしますわ)


「畏まりました、ロラン殿下」


わたくしは、優雅にドレスの裾をつまんで礼をした。


「では、失礼いたします。――養蜂地ごと、この国から」


喜色満面のセレーヌ。満足げなロラン。


誰一人、気づいていない。


わたくしが今、何を持って去ろうとしているのかを。


* * *


夜会の帰り道。


馬車の中で、わたくしは懐から小さな小瓶を取り出した。


とろりと光る、琥珀色の蜂蜜が詰まっている。夜会にも、いつも持ち歩いていたもの。


「お嬢様……本当に、よろしかったのですか」


向かいに座る侍女のリゼットが、静かに口を開いた。栗色の髪をきっちりと結い上げた、幼い頃からわたくしに仕える有能な女性。


「あんな侮辱を受けて。わたくし、悔しくて仕方ございません」


「リゼット」


わたくしは小瓶を撫でながら微笑んだ。


「悔しがることなんて、何もないの。むしろ――ちょうどいいわ」


「ちょうどいい……?」


馬車が、辺境の養蜂地に着く。


月明かりの下、無数の巣箱が並ぶ、痩せた土地。社交界の者たちが『田舎娘の土いじり』と嘲る、わたくしの城。


わたくしが小瓶の蓋を開けると――


ふわり。


蜂蜜色に発光する、手のひらほどの毛玉たちが、暗闇からいくつも湧き出てきた。


『ミレーユ! ミレーユ!』


『みつ! みつ、くれるの!?』


もふもふとした蜜妖精――ミエルたちが、嬉しそうにわたくしの肩や頭にちょこんと乗ってくる。


リゼットには見えない。


この子たちの姿は、前世の記憶を持つわたくしにしか見えないのだ。


この国で、彼らと心を通わせられるのは――わたくし、ただ一人。


「ふふ、ただいま。良い子にしてた?」


小瓶の蜜を差し出すと、ミエルたちが夢中で群がる。


そう。彼らは蜂蜜を捧げる契約者にだけ、魔力を宿した花蜜を集めてくれる。


王家の魔法治療。聖水。豊穣の儀式。


そのすべてを根底で支えていたのが――この子たちが集めた、魔力の蜜なのだ。


そしてその契約者は、わたくし。


社交界で沈黙し、田舎娘を演じていたのも――この契約と、国家の生命線を守るための、計算された処世だった。


「聞いてちょうだい、みんな」


わたくしは膝をつき、光る妖精たちに囁いた。


「わたくしたち、この国を出ることになったの」


『でていく?』


『ミレーユと、いっしょ!?』


「ええ。あなたたちも、一緒に来てくれる?」


『いく! いく!』


『ミレーユのいるところ、いく!』


わたくしは立ち上がり、月に照らされた王都の方角を振り返った。


「では――契約を、回収いたしますわ」


その瞬間から。


この国のすべての蜂蜜が、ゆっくりと結晶化を始めることを。


誰も、まだ知らない。


* * *


ミレーユお嬢様が去って、七日。


わたくし――リゼットの視点から、あの国のその後を、冷ややかに語らせていただきましょう。


異変は、静かに始まりました。


王城の厨房で、蜂蜜の壺がひとつ、またひとつと結晶化していく。


とろりと流れるはずの蜜が、白く固まり、やがて――どす黒く腐敗した。


「な、なんだこれは!? 蜜が、腐っている!」


最初に悲鳴を上げたのは、魔法医たちだったといいます。


魔力を宿した蜂蜜がなければ、治療魔法が発動しない。傷病者たちが次々と運び込まれるが、施す術がない。


豊穣の儀式も、失敗した。


聖水は、ただの水に戻った。


王国中の蜂蜜という蜂蜜が、示し合わせたように、その甘さと魔力を失っていったのです。


「どういうことだ!? なぜ蜜が使えない! 治療魔法も、豊穣の儀式も、聖水も――なぜだ!」


玉座の間で、王太子ロランが喚いていたそうです。


(愚かな男。自分が何を捨てたのか、まだ分かっていない)


家臣の一人が、青ざめた顔で進言したといいます。


「殿下……もしや、蜂蜜地を管理しておられたミレーユ様が去られたことと、関係が……」


「馬鹿を言え! あんな田舎娘の土いじりが、国家に何の関係がある!」


そう吐き捨てた、まさにその時。


義妹セレーヌが、扇を鳴らして進み出た。


「あら、心配いりませんわ、殿下」


勝ち誇った、いつもの笑み。


「あんな養蜂地、わたくしが管理すればいいだけのこと。お姉様にできて、わたくしにできないはずがありませんもの」


馬車を仕立て、セレーヌは意気揚々と辺境の養蜂地へと向かった。


ずらりと並ぶ巣箱。誰もいなくなった、静かな土地。


「さあ、蜜をお出しなさい。この国で一番美しいわたくしが、新しい主人よ」


彼女は巣箱に手をかざし、命じた。


――しかし。


何も、起こらなかった。


妖精たちは、姿すら見せなかった。


「な……なぜ? なぜ出てこないの!? 出てきなさいよ! わたくしが命じているのよ!」


巣箱を蹴り、叫び、泣きわめいても。


蜂蜜色の光は、二度と、この土地に灯らなかった。


(契約者を裏切った国に、妖精は決して微笑まない。そんな真実など、彼女は知る由もなかったのです)


* * *


一方、その頃。


わたくしミレーユは、隣国――竜人領にいた。


国境を越えたわたくしとリゼット、そしてもふもふのミエルたちは、竜人領の辺境で新しい養蜂工房を構えていた。


痩せていた王国の土地とは違う。竜人領の大地は魔力に満ち、ミエルたちは喜んで、これまで以上に上質な魔力の花蜜を集めてくれた。


『ここ、すき!』


『みつ、いっぱいとれる!』


「ふふ、よかったわね」


穏やかな日々。前世で夢見た、蜂蜜と共にある暮らし。


そんなある日のことだった。


工房の視察にと、竜人領の将軍がやってくるという。


『不敗の黒竜』ジーク・ヴォルガング。


戦場では恐れられる、無表情で寡黙な偉丈夫。額から漆黒の角を生やし、鋭い金の竜眼を持つ強面の男。


「粗相のないように……と言いたいところですが。お嬢様、あちらを――」


リゼットが、工房の隅を指さして、珍しく言葉を失っていた。


わたくしも、そちらを見た。


――巨躯を、精一杯縮めて。


黒竜将軍ジークが、蜜壺に指を突っ込んで、こっそりと蜂蜜を舐めていた。


背後で、漆黒の尻尾がぱたぱたと揺れている。


「……」


「……」


目が、合った。


ジークの顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まる。


慌てて指を引き抜き、咳払いをして威厳を取り繕おうとするが――口元には、まだ蜜がついている。


「……こ、これはだな」


「はい」


「品質の、確認だ。将軍として、当然の務め――」


「はい。それで、いかがでしたか?」


わたくしが微笑みかけると、彼はぐっと言葉に詰まった。


そして、そっぽを向いたまま、ぼそりと呟いた。


「……この蜜は、悪くない」


真っ赤な顔で。ぱたぱたと揺れる尻尾で。


この強面の将軍が、大の甘党であることを――全身で証明しながら。


(あら。……なんて、可愛らしい方かしら)


わたくしは、思わず声を上げて笑ってしまった。


身分でも、外見でもなく。


わたくしの作る蜜そのものを、こんなにも真っ直ぐに味わってくれた人は――彼が、初めてだった。


* * *


「ミレーユ殿。頼みがある」


数日後、再び工房を訪れたジークが、真剣な面持ちで切り出した。


今度は蜜壺を舐めていない。多分。


「竜人領の民に、あなたの蜜を届けたい。魔力を宿した蜂蜜は、我が領の治療にも豊穣にも欠かせぬものだ。……無論、正当な対価を払う」


わたくしの技術を、価値を、正面から認める言葉。


それが、どれほど嬉しかったことか。


「喜んで。ですが将軍、わたくし――もう一つ、興したいものがございますの」


「もう一つ?」


わたくしは、前世の記憶を辿りながら、ある液体の入った杯を差し出した。


とろりと黄金に輝き、芳醇な香りを放つそれを。


「蜂蜜酒――ミードと申します。蜂蜜を発酵させて造る、古き良きお酒ですわ。どうぞ、一口」


リゼットが、心得たように微笑む。前世知識に基づくわたくしの構想を、彼女はすでに理解し、事業として動き始めていた。


ジークが、恐る恐る杯を口に運ぶ。


こくり、と喉が鳴った。


次の瞬間。


彼の尻尾が、これまでにない勢いでぶんぶんと振れた。


「……!! ……う、うまい。うまいぞ、これは! ミレーユ殿、これを竜人領の名産に――いや、これは、その……」


威厳を取り繕おうとして、失敗して。


また耳まで真っ赤になる将軍を見て、わたくしは確信した。


この地でなら、わたくしは生きていける。


蜜妖精たちに愛され、有能なリゼットに支えられ、そして――甘いものに目のないポンコツな将軍に、大切にされながら。


いつしか竜人領の民は、わたくしをこう呼ぶようになった。


『蜜の聖女』と。


王国で『華のない女』と蔑まれたわたくしが。


ここでは、花蜜を操る、唯一無二の存在として迎えられている。


夜。工房の窓辺で、わたくしの肩にミエルがちょこんと乗った。


『ミレーユ、しあわせ?』


「ええ、とっても」


ミードの杯を傾けながら、わたくしは月を見上げた。


遠い、あの国の空を。


(さて。そろそろかしら)


* * *


「戻ってきてくれ、ミレーユ!」


竜人領の工房の前で、みっともなく膝をついているのは――かつての婚約者、王太子ロランだった。


蜂蜜を失って、数か月。


王国は、見る影もなく衰退したという。


魔法治療は崩壊し、豊穣は途絶え、民は飢え、王家の威信は地に落ちた。


かつて煌びやかだった王太子は、今や憔悴しきり、みすぼらしい旅装で隣国まで縋りついてきたのだ。


「あの時は、私が間違っていた! お前が――お前の蜂蜜が、国を支えていたなど、知らなかったのだ!」


「あら」


わたくしは、扇を口元に当てて、静かに彼を見下ろした。


喚かない。声も荒げない。


ただ、淡々と。


「知らなかった、で済むと思っていらっしゃるの?」


「た、頼む! 国が滅びてしまう! お前になら、もう一度――」


「ロラン殿下」


わたくしは、彼の言葉を静かに遮った。


「わたくしを『役立たず』と呼び、養蜂地ごと国から追い出したのは、あなた自身ですわ。周りが笑う中で。父も、誰も、庇わなかった」


ロランの顔が、蒼白になっていく。


「あの時わたくしがどんな気持ちだったか――今のあなたなら、少しはお分かりになるかしら」


背後で、リゼットが冷ややかに、かつての主家の男を見つめている。


わたくしの肩には、もふもふのミエルたちが、ずらりと並んでロランを見下ろしていた。もちろん、彼にその姿は見えない。


「お願いだ、ミレーユ! なんでもする! だから――」


わたくしは、ふっと微笑んだ。


蜜のように甘く。


そして、氷のように冷たく。


「――だが、断りますわ」


ロランが、息を呑む。


「妖精は、裏切り者に微笑みません」


『そうだ、そうだ!』


『ミレーユ、いじめたやつ、きらい!』


見えない妖精たちが、わたくしの言葉に同調して、ぷんぷんと怒っている。可愛らしいこと。


「あなたが失ったものは、二度と戻りませんわ。それは蜂蜜ではなく――信頼というものです」


その時、工房の奥から大きな影が現れた。


黒竜将軍ジーク。


無言のまま、わたくしの隣に立ち、ロランを見下ろす。その威圧感に、ロランはひっと喉を鳴らして後ずさった。


「この方は、もう我が竜人領の宝だ」


ジークの低い声が響く。


「二度と、蜜の聖女の前に薄汚い顔を見せるな」


……ちなみに、この威厳ある将軍が、昨夜わたくしのミードを飲みすぎて尻尾をぱたぱたさせていたことは、内緒にしておいてさしあげよう。


ロランは、崩れ落ちるように地に伏し、やがて力なく去っていった。


わたくしは、その背中を見送ることもせず、くるりと踵を返した。


「さあ、みんな。お茶にしましょう。今日は新しいミードが仕上がる日よ」


『やった!』『みつ! みつ!』


肩の上で跳ねる妖精たち。


隣で、こっそり期待に尻尾を揺らす将軍。


呆れたように、けれど嬉しそうに微笑む侍女。


――役立たずの養蜂令嬢は、こうして。


この国の蜂蜜を、全部連れて。


誰よりも甘く、幸せな日々を手に入れたのでした。


ふふ。ざまぁ、というものですわね。

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