観測者
「ねえ、トイレの花子さんがいるかどうか確認しに行こうよ。」
放課後の生物準備室に入ってくりなり、莉華子はそう言った。
「先週も莉華子の我儘に付き合ったじゃん。今月何度目だよ、莉華子の心霊調査。」
ゆりねは面倒くさそうに言う。
「先週は誰もいないはずの音楽室から聞こえてるピアノの調査だったよね。」
そう私は二人に向かって言った。
「だってゆりねがいると心強いんだよ。あんな大きな神社の娘じゃん。」
「神社の娘の皆が皆、霊感ある訳じゃないんだからね。それに私、最近つかれてるんだけど。」
いつもと変わらない放課後の文芸部の風景。
佐藤莉華子はミルクティーの様に明るい髪色にボブカット、小動物を彷彿させる愛らしい見た目の少女である。そして、入学してまだ数ヶ月しか経っていないにも関わらず、我が校では知らない人はいないくらい男女問わず人気者である。
彼女は六月の文化祭で軽音部の先輩たちと一緒にバンドを組んで出演した。その小柄な身体からは想像もできない程のパワフルな歌声と、圧巻のギターテクニックを披露したことが莉華子の人気の理由の一因である。ライブ中の姿と普段とのギャップが現在進行形で大勢の信者を生み出している。
「本当に莉華子はオカルト好きだよね。」
私はそう言いながらゆりねを見た。
「私は今、読書に忙しんだけど。」
文句を言いながらも栞を挟んで本を閉じるあたり、ゆりねは本当に莉華子に甘い。
大森ゆりねは赤みがかった茶髪をツインテールにし、欧米の血でも入っているのかと疑いたくなるような端正な顔立をした美人。確かに美人ではあるのだが、基本気怠そうな雰囲気を醸し出している無気力人間。しかし、中学三年生の時に数学オリンピックで金賞を取るという偉業を成し遂げた経歴を持ち、県内屈指の進学校である我が校においても唯一無二の天才である。
「ゆりねは今何読んでたの?」
旧校舎の三階にある今は使われていない女子トイレに向かう道すがら莉華子がゆりねに質問した。
「『メリーさんの電話』って怪談あるじゃん。そのメリーさんがターゲットの場所に行く途中で事件に巻き込まれて、その事件の謎を解こうとするんだけど、全然謎が解けないの。それで、メリーさんはターゲットである少女に電話して謎を解明してもらうっていう推理小説。」
「何、その未だ嘗て聞いたこともないような特殊設定ミステリーは?」
私は思わず突っ込んでしまった。
「安楽椅子探偵ものの推理小説って言えばいいのかな。ターゲットにされている少女の推理力が凄んいんだよ。この少女、元々怪異になる前のメリーさんである人形の持ち主なんだけどね。」
ゆりねは笑顔で語り続ける。
「ちょっと持って。メリーさんは人形?怪異?なのにどうやったら事件に巻き込まれることができるの?」
莉華子が至極真っ当な疑問をぶつける。
「それがね、メリーさんがっていうよりもね、移動中のメリーさんを捕まえたゴスロリの霊感少女が巻き込まれ体質なんだよね。」
「特殊設定にさらに特殊設定盛り込んできたね。」
私はこの設定にもうついていけなくなっていた。
「面白そうな本だね、私も今度読んでみようかな。」
どうやら莉華子はこの超絶特殊設定に納得したらしい。
そんな理解し難い超絶特殊設定ミステリーの話をしていると、気付いた時にはもう私たちは旧校舎三階の女子トイレの前まで来ていた。
「確か三つある個室の一番奥のドアを三回ノックしてから『花子さん、遊びましょう』って言えば良いだよね?」
そう莉華子は聞いてくる。
「多分、あってるんじゃない。」
ゆりねはあまり興味なさそうに莉華子に返答した。
「じゃあ、やるね。」
莉華子はそう言って一番奥のドアをノックした。
「花子さん、遊びましょう。」
次の瞬間、ギィーという音と共に一番手前のドアがゆっくりと開いた。
「え、一番奥の個室じゃないの?」
莉華子は少し動揺しながらそう言った。
「とりあえず、中を確認してみよう。」
ゆりねはドアが勝手に開いたという現象に全く動じることもなく歩き出す。
「ちょっと待って。だいぶ老朽化が進んでいるからノックの振動で開いただけだって。」
私はそう言いながらゆりねの後を追った。
「中には誰もいないよ。」
ゆりねは一番手前の個室の中を確認しながら莉華子にそう告げる。
「ハズレか。」
少し落胆しながら莉華子はそう言った。いつの間にか莉華子はゆりねの後ろから個室の中を覗き込んでいた。
「やっぱり、花子さんは奥の個室なんだよ。もう一回やってみようか。」
莉華子はそう言って、また奥まで歩き出した。
「莉華子、ちょっと待って。さっき言ったこともう一度言って。」
急にゆりねがそう言ってきた。
「どうかしたの?」
私はそう尋ねた。
「さっき言ったことって、『もう一回やってみよう』ってこと?」
「もう少し前。」
「花子さんは奥の個室?」
「もう少し前。」
「何か言ったっけ?」
「言ったよ、個室の中見たとき。」
「『ハズレか』ってやつ?」
「そう、それ。」
「ハズレって言葉が何か意味あるの?」
私は疑問に思ってゆりねにそう問いかけた。
「手前の個室はハズレなんだよ。ということは花子さんは真ん中の個室にいるってことだよ。」
ゆりねは興奮気味にそう言う。
「いやいやいや、花子さんは奥にいるんじゃなくて?」
莉華子のこの疑問に対して
「これはモンティ・ホール問題なんだよ。」
ゆりねの興奮はなかなか治りそうになかった。
「これは有名な確率の問題でね。」
そう言ってゆりねは語り出した。
ゆりね曰く、モンティ・ホール問題という数学史上とても有名な確率の問題があるらしい。ことの発端はアメリカのとあるテレビ番組の三つ扉の中から当たりの扉を選んだら高級車がもらえるというクイズにある。挑戦者が一度扉を選択した後、残った二つの扉から正解を知っている司会者がハズレの扉を一つ開ける。その後、もう一度挑戦者には扉を選び直す権利が与えられる。この際、最初に選んだ扉を選んだままにする方が良いのか?それとも扉を変更した方が良いのか?扉を変更しようがしまいが当たる確率は変わらないのか?これが数学者までをも巻き込んで全米で議論の対象になったらしい。因みにこのテレビ番組の司会者の名前こそがモンティ・ホールである。
結果としては、扉を変更した方が当たる確率が変更前の二倍に上がるということがわかった。確率論におけるベイズの定理でこれは証明できるらしい。
「だからね、数学的には真ん中の扉の向こうに花子さんがいる確率が高いんだよ。」
ゆりねは目を輝かせながら意気揚々に真ん中の扉をノックし始めた。
「花子さん、遊びましょう。」
そう言うと同時にゆりねは真ん中の個室の扉を開ける。
「え、花子さんいないじゃん。」
わかりやすくゆりねは落胆していた。
「花子さんはきっと数学が得意じゃないんだよ。」
そう言いながら莉華子はゆりねの肩に手を置いた。
「花子さんの怪談は一番奥の個室でしょ。勝手に数学の理論を当てはめて落ち込まないでよ。勝手に数学が苦手なことにしないでよ。」
あたかも真ん中の個室にいない花子さんが悪いとばかりに落ち込んでいる二人に向かって私はそう言った。
「じゃあやっぱり奥の個室にいるのかな?」
莉華子はそうゆりねに聞いた。
「そう言えばまだ奥の個室だけ中を確認してなかったね。」
ゆりねはそう返す。
「そうだよ。奥の個室を確認しに行こうよ。」
私はそう言いながら、やっと二人は奥の個室を確認してくれるのかホッとする。
「中を見るまでは、そこに花子さんがいるのかいないのか確定しない状態ってことだよね。なんだかシュレディンガーの猫みたい。」
つい先程まで落胆していたとは思えないくらい目を輝かせながらゆりねが言った。
「トイレの花子さんの調査は、さながら量子力学の思考実験だね。」
シュレディンガーの花子さんだ、と莉華子が嬉しそうにそうに返す。
「早く奥の個室を確認しようよ。」
そう私は言った。
「それを言うと、花子さんに限らず怪異というものの存在自体に同じようなことが言えるかもね。観測されない限り、そこにいるのかいないのか不確定な状態にいる訳で、その量子力学における重ね合わせの状態が、実は怪異現象の一端を担ってるのかもしれない。」
さらにゆりねは言葉を続ける。
「そう考えると、やはり大切なのは観測の役割であり…」
奥の個室の扉の前で話込み始めそうな二人に対して、私はもう待っていられなかった。
「観測が大切なら、早く私を観測してよ。」
そう叫びながら、私は二人の前に回り込み奥の個室の扉を勢い良く開けた。
ずっと二人の後ろにいた私が初めて二人の前に立つ。
個室の中から扉を開ける形で。
二人と向き合う形で。
「「花子…さん…?」」
奥の個室の中に立つ私の姿を見て、二人の声が重なり合った。
「やっと観測してくれた。」
私ことトイレの花子さんは、二人の観測者にそう言った。
「花子さん、何して遊ぶ?」
ゆりねがこの状況に全く動じずそう言った。
「コックリさんの調査でもしよっか?」
莉華子がそう答える。
「怪異の私が怪異の調査とか、それはありなの?」
「どうせ今までだって、背後霊よろしく私たちの後についてきてたんでしょ?」
ゆりねはそう言って笑った。
「え、なんでそんなことわかるの?」
莉華子は驚いている。
「だって花子さん、『やっと観測してくれた』って言ってたじゃん。それに私、最近憑かれてるって言ったよね。」
ゆりねは小悪魔的な笑みを浮かべながらそう言った。




