第二話 オルランドと窓辺の乙女
ギィ、ギィ
さあ始まるよ。
見世物小屋が始まるよ。
お代は見てのお帰り
喝采、喝采
オルランドは荷馬車を見上げてほう、とため息をついた。
旅芸人の見世物が街にきていた。
恋人に誘われやってきたものの、見世物そのものは彼にとって退屈だった。
動物の芸やらピエロやら、何の興味もわかなかった。
ただ恋人のご機嫌を取りたいだけであった。
その恋人キアラはひとつひとつの芸に「すごい、すごい」と手をたたき、興奮し、目をキラキラ輝かせていたのだからよしとしよう。
出し物がおわりさて、と帰ろうとしたがキアラはサービスで動物に触れるのだと知って向こうへ駆けていってしまった。
ぶらぶらと手持ち無沙汰になったオルランドはテントを出てぶらぶらと歩いていた。
そんなおり、動物らが入れられているであろう荷馬車の窓がかたんと開いたのであった。
なにとはなしに目線を向けるとそこに、深緑の帽子をかぶった亜麻色の髪の乙女が見えた。
ジッとこちらを見ている。
荷馬車は車輪が大きく車高も高いしつらえであり、高い位置にあるその窓は小さかったため、オルランドの位置からはかなり見えにくかったが、オルラントは手を振ってみた。
乙女の瞳がまたたいたように見えた。
心が射抜かれたような気がした。
声をかけようと近寄ったがその拍子に窓がスッと閉じられてしまい、それきり姿は見えなくなった。
オルランドは革職人である。
注文が入れば皮をなめし、ブーツやらベルトやらかばんを作る。
この時期はそう注文も多くなく、作業を終えてしまえば昼をまたず帰る者もいた。
オルランドはそそくさと自分の作業分を終えると、見世物小屋を目指して速足で向かった。
ちょうど上演が終了したのか、テントの中から人がわらわらと出てくる。
それをかき分けるようにしてオルランドは歩いていった。
テントの裏側にまわると、芸人らはまだ誰も出てきていないようで人気はなかった。
荷馬車をいくつか見て回る。
外見が同じであったためどれが目的のものかわからなかった。
うろうろとしていると「おや」と声がした。
仮面の男であった。
中で残っている客の相手をしているものと思っていたオルランドは「いや」とか「あの」とか口にしたが、うまい言い訳はでてこなかった。
「どうされました」
「ああ、なんでもないんです。迷ってしまって」
早々に立ち去ろうとした時、かたんと音がした。
オルランドは期待を胸に振り返った。
あの乙女であった。
また自分を見ている。
ほう、と立ち尽くした。
仮面の男はじっと見ていたが状況を悟ったのかそっと離れていった。
夢見心地のようであった。
ふわふわと歩きながらオルランドは視線を交わしたあの乙女のことを思い出していた。
「そうだ、芸に感動したとでもいって何か贈ろう」
正直彼女が何に出ていたかは思い出せないが、何もせずに旅一座に加わっているということはないだろう。
オルランドは仕事場に戻り、驚く同僚をよそにせっせと何かを作り始めた。
キアラが訪ねてきた。
「家にいったらいないというから。ねえ」
作業しているオルランドの耳には届かない。
キアラは返事をしない彼を不審に思い、作業台を覗き込んだ。
かわいらしい皮の小物入れをせっせと作っているところであった。
器用に兎の姿が彫り込まれている。
「あら、かわいい」
キアラは声をあげた。
その声にオルランドはハッと我に返ったようだった。道具をわきに置いたのを見て、キアラは手を伸ばした。
「私によね。ありがとう!」
小物入れをまじまじと見ようとするキアラの手からオルランドはそれを取り返した。
「君にじゃない」
「え」
キアラの顔がみるみるうちに曇っていく。
「誰に!」
「あの娘にあげるんだ」
オルランドは小物入れにフッと息をふきかけ、屑をはらった。
「なによ!」
目を吊り上げたキアラは「あんたなんかもう知らない!」と叫んで飛び出していった。
入れ替わりに同僚が驚いた顔で中に入ってきたが、オルランドはもう関心をなくしていた。
「やあ、先日もお越しでしたね」
仮面の男がオルランドに声をかけてきた。
この日のすべての上演が終了し、テントの中では老若男女が片付けに忙しく動き回っていた。
「あの、すいません、ちょっとお願いが」
「はい、なんでしょうか」
仮面の男は腕を後ろに回し、首を傾けてオルランドの言葉を待っているようであった。
「芸人の方に差し入れをしても許されるものでしょうか」
「おやおや」
オルランドが手に乗せている包みを見て、仮面の男は体を左右にゆすり、感嘆の声をあげた。
「ありがとうございます。それはそれは。うちのものも喜ぶでしょう。──で、どの者に?」
「ええっと、あのう、荷馬車の窓からよく外を見ている…」
何しろ名を知らない。
オルランドは一生懸命容貌を伝えた。
「ああ…あれですか……」
仮面の男は少し困ったように頭を傾げ、オルランドを案内した。
裏手にいくつも止まった荷馬車が見えてきた。
そのうちのいくつかに荷物を持った人間が忙しく出入りしている。
「こちらです」
一つの荷馬車に踏み台を引き寄せ、仮面の男はオルランドへ中に入るよう促した。
恐る恐る階段を上る。
開いた窓から乙女の顔が見え、オルランドの心臓が跳ね上がった。
目の前の扉を開くと、そこにはいくつもテーブルが置かれ、なにかショーに使うのであろうか、金貨や宝石が載せられておりそれらのテーブルの奥に乙女が見えた。
豪華なしつらえのどっしりとした椅子に腰かけていたのであった。
その様はまるで宮殿で女王が訪問者を出迎えるかのごとくであった。
「……え」
オルランドはぎょっとしたように後ずさった。
座っていた、否、座らされていたのは、果たして、人形であった。
そよそよと風に大きな帽子がそよいでいる。
その手はいまにも髪の毛をすくい上げそうなほどであるのに。
「見世物用にねえ、使うのですよ」
「でも、俺と目があった時瞬きをして」
「ええ、ええ。そういう仕掛けがあるのです」
下から仮面の男が答える。
頭から水をかぶせられたようであった。
オルランドはとぼとぼと失意のまま階段を下りた。
そこからどこをどうしたのか、気づけばオルランドは自宅に帰り着いていた。
とっぷりと日も暮れ、いつまでも帰らない息子を心配していた両親がおろおろと外に立っていた。
「どうしたの」
「何かあったのかい」
その問いには答えず、疲れたとだけ告げてオルランドは自分のベッドに倒れこんだ。
手から包みが転がる。
目を閉じれば先ほどの光景が脳裏によみがえった。
うたかたの夢と片付けるにはあまりにも心奪われてしまっていた。
その夜、オルランドは寝静まった自宅を静かに抜け出した。
荷馬車の前にオルランドは立っていた。
今宵は月も出ておらず真っ暗であった。
もう芸人らは眠っているのか、物音ひとつ聞こえない。
持ってきた梯子をかけて荷馬車によじ登った。
鍵はかかっておらず、扉は簡単に開いた。
オルランドは暗闇の中目が慣れるのを待った。
そうしてうすぼんやりと見えてきたテーブルの上に袋を置いた。
がさ、がさ、と音を立てながら少しずつ進んでいく。
そして奥の椅子に座る乙女を見た。
彼女は数刻前見た姿と変わらずにいた。
そっと近寄り触れてみる。
薄暗い中なら人と言われてもわからぬほど頬は柔らかく、うっすらと体温を持っているようであった。
震える手で服をずらした。
服の下も人間同様に作られていた。
手を伸ばし乳房に触れる。
と、乙女の口がカッと開いた。
何かが額に突き刺さった、と思う間もなくオルランドは昏倒した。
「どうしようもない不届きものですねえ」
仮面の男がひょっこりと梯子を上ってきた。
乙女の服を戻す。
倒れたオルランドを足で転がし、彼が手に持っていた袋の中をざあ、と横のテーブルにあけた。
中からはざくざくと金貨や宝石が出てきた。
昼間、ここのテーブルの上にのせられていたものであった。
「人形に惚れたくらいならよかったんですけねえ。数日でもお貸しして回収するつもりだったのに」
色恋沙汰も金の前には無意味…などとつぶやきながら仮面の男は横笛を取り出し、吹いた。
乙女の体が前に投げ出され、そのまま、サァ…と砂になって消えた。服や帽子だけがその場に残された。
そしてオルランドの体が持ち上げられ、座るものがいなくなった椅子にどさり、と置かれると、服装がきらびやかなものにかわった。まるでどこかの国の王子のようであった。
仮面の男は笛を吹くのをやめ、テーブルの上にあった王冠をかぶせた。ちょうど額の穴も隠れ、男は満足げに何度かうなずいた。
この人形はまたどこかの町で通りすがりの女性を魅了するかもしれない。




