第八話の3 しばしのお別れ
馬車が到着し、うやうやしく扉があけられると、子猫はすとんと座席からおり、仮面の男の足をつたい、服をつたい、するりと懐に入ってきた。
そのまま一人と一匹はとりどりの花が咲く庭園に通された。
テーブルには領主と思しき男とその妻であろう人間が座っていた。
そのわきには魔物が出たときにやってきた兵二人が立っている。
「どうもどうも」
ぺこりと頭を下げた仮面の男は指示された椅子に座った。
領主は自分と妻の自己紹介を簡単に済ませてから「魔物を追い払ってくれたそうだな」と切り出した。
その目はギラギラと光り、お礼を述べるというよりはいかにも不躾な視線で仮面の男を上から下まで眺めまわしていた。
妻は視界に入れるのも汚らわしいという表情を広げた扇の向こうに隠していたが、露骨に同じテーブルにいるのを嫌がっているようであった。
「見た者の話によれば、急に兵隊が出てきたとか」
「はあ、まあ」
「魔法か何かかね」
「いえ、実は私こういう者でして」
臆した風もなく仮面の男は懐から木札を取り出した。
くるりと裏返しユスタンの紋章を見せる。
領主の目が見開かれた。
「おお、これが…持つ者の願いは何でもかなえられるという伝説の…やはり…!」
「えっ」
その言葉に領主の妻が反応した。初めて、目の前の下賤な男が持つお宝の価値に気づいたようであった。
「兵士の報告通りであった。あれを手に入れれば思うまま」
「何としても手に入れましょう」
「うむ。手段は問わん」
領主夫婦の会話は仮面の男の耳には届いていた。
「はは、まあ大したものでは」
サッと仮面の男はそれを懐にしまった。
「やはりユスタンの使者が世界を旅しているというのは本当だったのですな」
領主は興奮気味に言った。
仮面の男は「まあ好き勝手に旅をさせていただいているだけです」とけろりとして語った。
しばし無言の時が流れた。
「お、おう、そうだった」
領主はあわてたように、少し離れたところに立っていた使用人に合図を送った。
茶器が乗ったトローリーワゴンをメイドの一人が運んできた。
保温のためかけていた布のポットウォーマーを取り除き、セットされているティーカップにポットから紅茶を注いでいく。
「どうぞ」
「こりゃどうも!」
仮面の男はにこにことお礼を言った。
別のメイドが「茶菓子でございます」と皿にもられた焼き菓子を持ってきた。
メイドの手が震えていた。
「さあ、どうぞ」
領主が勧めた。
仮面の男はひょいと焼き菓子を手に取り口に運ぼうとした。
「にゃっ!」
懐から子猫が飛び出した。
勢いそのままに仮面の男の手から菓子をくわえ、地面にすたっと降り立つ。
止める間もなく子猫はそれを噛み、飲み込んだ。
「お、おい!」
領主が焦ったように立ち上がる。
「ギャァァ!!」
ほどなく子猫は口から血を吐き、のたうちまわり、仮面の男を見上げ小さく「にゃあ」と鳴いたあと、ぼとりと頭を地面に倒し動かなくなった。
「毒、が入っていたようですねえ…」
その声は冷たく、うららかな日差しさえ凍りつきそうなものであった。
「いや、何かの間違いだ!おい、そこのメイドをとらえよ!」
「はっ!」
先ほどのメイドが「私は!命じられたままに!」と叫びながら連れ去られていった。
「食べる前でようございましたわね」
「そこの意地汚い猫に救われましたな」
領主夫妻があわてて取りそうとするも、仮面の男は耳を貸さなかった。
優しく、力尽きた子猫の体を抱き上げ、懐にかき抱いた。
「動物でさえ、助けてもらった恩を忘れぬというのに…」
冷たくなっていく子猫の体をやさしくなでたその手は懐から横笛を取り出し、器用に片手で穴を押さえ旋律を吹いた。
ザアッと領主夫婦の体が砂となり、衣服を残して消えた。
目撃した使用人らから悲鳴があがる。
「あなた方には何もしません。あなた方はただ、したがっていただけ」
仮面の男はそう告げると静かにその場を歩き去った。
「お前は星になり、この村を守るといい」
仮面の男が両手に掲げた子猫の体が光り輝き、一筋の光となって空に上った。月の近くに到達したそれは、まるで応えるかのようにちかちかと光輝いた。
村人達は戻ってこない子猫を心配していたが、誰からともなく「いい場所を見つけてそちらに移ったのかもしれないな」という話になった。
心優しい村人たちはそれを信じることにした。
それからこの村は魔物の侵入を一切許すことはなかったという。
低い柵であるのに魔物は決してそれを超えて畑を荒らすことはなかった。
また、どこからか時折気まぐれに猫が迷い込んでは住みつき、それが増えたり家族をつれてきたりして、村人たちの心を和ませた。




