第一話 仮面の男
ギィ、ギィ
さあ始まるよ。
見世物小屋が始まるよ。
お代は見てのお帰り
喝采、喝采
仮面をつけた男が先頭に立って歩く、数台の荷馬車が大きな門の前で止められた。
「身分証を」
鎧の兵士がそう声をかけた。
仮面の男は首にかけた紐につながった木札を取り出し提示した。
その仮面は銀色に輝いており、額から鼻の下までを覆っている。表情はうかがえないが口元はにっこりと口角があがっていた。
「やあこれなるは世界を旅して歩く見世物小屋でございます。ほれこのとおり、ユスタン国の証明書も」
木札をひっくり返すと、仮面の男がいったユスタン国の紋章が刻まれているのがわかった。
「おお、ユスタンの紋章が。それならば信用できるな。よし、荷物検査はしないで通ってよろしい」
「ありがとうございます」
仮面の男はおおぎょうに頭を下げながら歩いていく。
荷馬車もそれに続いた。
何が入っているのか、驚くほどに静かであった。
「ユスタンの紋章を持った者を初めて見ました」
先ほど声をかけた兵士の後ろに立っていた兵士が声をかけてきた。ちょうど交代のために訪れていて、先ほどのやり取りを口出しもせず見守っていたのであった。
「君はユスタンの紋章を見たことがなかったか」
「ええ、対応訓練では聞いたことがありますが、こうして実際に持った人間を見たのは任務について初めてです」
「私も20年門兵をやっているが本物を見たのは初めてだな。俺の先輩にあたる人が若いころ見たことがあるとかで、その時はユスタンの王族がここを訪れた時だったらしい」
「そんなに少ないのですか」
「そもそも認定されることが難しいと聞いたぞ」
先輩兵士の言葉に、新人兵士は驚く。
「つまりあの行商人はそれだけ信頼が厚いということですね」
「見世物と言っていたか…。慈善活動が認められたのかもしれんな。諜報活動でないのは確かだろう。そんなことをしていれば通達が回ってくる」
「ですね。どれくらい滞在するのかな。非番になったら見てみたいです」
先輩兵士は黙ってうなずいた。
ギルドから出てきた仮面の男は大きな広場に荷馬車を移動させた。
何事かと道行く者たちがちらちらと視線を送る。
「やあやあこれなるは」
男が声を張り上げた。よく通る、青年のような、それでいて中性的な、人々の耳をくすぐる声であった。
「世界を旅する見世物小屋でござい」
どこから出てきたのか小柄の少女二人がビラをまき始めた。長い黒髪を両サイドでくるりと輪のように丸め、赤いドレスに身を包んで飛び跳ねながら集まった人間にビラを渡してゆく。
「明後日よりここで見世物小屋を開きます。お代は見てのお帰り」
サアサア、と仮面の男もビラをまき始めた。
「隣の町で話を聞いたことがあるよ」
「たいそう面白いんですってね」
人々がささやきあう。
宣伝は人々の心をつかんだようであった。
見世物小屋は初日から大盛況だった。
大きな、人々がみたこともないようなテントが張られ、中にはこうこうとした明かりがともり、やってきた人たちは天候を気にすることなく朝から晩まで行われるショーをかわるがわる楽しんだ。
火を噴く芸人、宙を舞うマントの怪人、オオトカゲが大きく口を広げその中に頭を突っ込んでひやひやさせるピエロ、玉乗りのへたくそなクマ。
火の輪をくぐれずもじもじするライオンの後ろから、さっと走り出た犬が輪をくぐったのへは、どっとテントが揺れるほどの笑いが巻き起こった。
人々は拍手したりはらはらしたりドキドキしながら眺めたのであった。
数日も過ぎようかという頃。
次の開園時間を待つ人々の列を「どけどけ」と言いながらやってきた一行があった。
「これなるは」
ひげをたくわえ、でっぷりと太った男が文句を言いたげにみている民を値踏みするよう見渡した後、「領主様のお出ましであるぞ。きさまら、道をあけい」とダミ声をはりあげた。
「おやおや」
仮面の男が飛び出してきた。
へこへこと頭を下げながら「どうも、どうも」と言った。
「領主様とあればなんなりと」
その態度に満足したかのように男は仮面の男を眺めた。
「なんだいあれ」
「シッ、文句を言っちゃダメだよ」
「捕まえられる」
「王様の晩さん会に呼ばれたことがあるって、威張り散らしてさ」
そんな声が漏れ聞こえてくるのもお構いなく、馬車が広場に入ってきた。
その中から目つきの鋭い男と、派手なドレスを身にまとった女性、そしてバラのように光り輝くドレスを身にまとった少女が下りてきた。
「アヴェロン領主様とそのご家族様である」
太った男が声を張り上げた。
仮面の男はさらに頭を何度も下げながらテントの中へ導いた。
領主らの席は一番見やすい席に設けられ、その周辺は人払いがされた。
入れなかった民衆は文句を言っていたが、次の公演時間のための無料チケットを手におとなしく帰っていった。
ステージが始まると少女は目を輝かせて見入っていた。
すべての公演が終わったあとも興奮冷めやらぬ顔でどれがよかった、あれがよかったと口々にまくしたて、アヴェロンはうんうんと聞いていた。
「あれが欲しいわお父様」
それが聞こえた観衆達はギョッとして彼女を見た。
ああ、また悪い癖が出たのだ。
彼女が欲しいといえばそれは何でもかなえられる。
とある少女が身に着けた、母親手製の髪飾りも、少年が大事にしていた親の形見の絵本も、つつましい家族が大事に育てていたペットも。
少女が指さすのは、キラキラと光り輝くトカゲだった。口に輪をはめられテントの外に連れ出されていくところだった。
アヴェロンは使用人に目配せをした。
使用人が素早く出ていく。
他の客たちは公演が終わりぞろぞろと出ていき、領主らだけが残っている形になった。
仮面の男があわてたように走ってきた。
また、ぺこぺこと頭を下げながら「うちのトカゲを買い取りたいとお聞きしたのですが」と言った。
「そうだ。この子が欲しいと言ってな。いくらだ」
「いえ、あの、そう簡単には」
「言い値で買おう」
使用人がうやうやしく書類をアヴェロンに差し出した。小切手であった。
「困ります。まだ公演は残っております」
「では公演がすべて終わったら買い取ろう」
「……」
仮面の男は思案している様子であった。
「あれはなかなか気難しくて、見世物にしない時には口輪をかませておかねばうるさいのです」
「それくらい気にしないわ。むしろずっと口輪ってかわいそう!」
少女が言った。
「また別のトカゲを捕まえてきて芸を仕込めばいい話でしょ」
夫人が口を出してきた。
「そうよ。私が欲しいと言ってあげているのよ」
少女も加勢する。
「参ったなあ…。公演が終わるまで考えさせていただけませんか」
「よかろう」
どうせこの男は売り渡すだろう、そんな顔でアヴェロンはうなずいた。
公演の終了はそれから1週間ののちであった。
少女はよほどトカゲが気に入ったのか毎日通った。
トカゲが出てくるたびに「あれは私のよ!」「私が飼うのだから」と声をあげ、周りをうんざりさせた。
最終日。
日も暮れてすべての公演が終了し、テントは手早くたたまれていた。
荷馬車には動物たちが順番に入れられていく。
「トカゲを買いに来た」
仮面の男が振り向けばアヴェロンとその娘が立っていた。
そして黒いマントを頭からかぶった連中も数人。
「いえ、やっぱりお売りするのはやめようかと」
仮面の男がそう言った時だった。
黒いマントの人影がさっと近づいたかと思うと、仮面の男の胸にナイフを突き立てた。
「何、を…」
「お前たちのような連中が、旅の途中で荒くれものに襲われるのはよくあることだ。町の外に荷馬車を出して捨て置けば問題ない」
アヴェロンが右手をあげると、サッと人影が散った。
残りの団員を襲いにいったのであった。
「さて、トカゲは」
荒事には慣れているのかおびえた様子も見せず、少女は荷馬車の一つに近寄った。
「いたわ」
喜びの声をあげる。
黒いマントの人物が二人がかりでトカゲの檻を下した。
「これが私のものになるのね!」
ランタンを近づけると、その体は光でキラキラと七色に光った。
少女は目を輝かせる。
「檻から出してみてもいいでしょう、お父様」
「ああ」
トカゲはおとなしい性格のようで、檻をあけて外に出されてもじっと動かずにいた。
琥珀色の瞳が少女を見上げていた。
「きれいね」
そっとなでる。
「コレデ」
何かの声がした。
「コレデカエレル」
ぐわ、とトカゲの口が開いた。
そのまま誰が止める間もなく、首を大きく真横に振り、少女の腕にかみついた。
悲鳴が上がった。
「こいつ!」
マントの人物が素早くトカゲをナイフで刺す。
「エレン、エレンはどこだ」
少女の姿は消えていた。
それどころか、いつの間に現れたのか、ボロボロになったスーツをまとった少年が立っていたのだ。もとはそれなりに上質であっただろう布はすっかり輝きを失っていた。
「誰だ貴様は」
アヴェロンは右手の杖でその少年を打ち据えた。
「やめろ、やめろ!俺はタロナン国の王子ニコラ様だぞ!」
「貴様のようなやつが王子のわけはない!」
少年は殴られながらも這うようにして逃れようとした。
「こいつを捕まえろ」
アヴェロンはそう命じようとしたが、黒いマントの男が数人あわてたように戻ってくるのを見てそちらに視線を向けた。
「他に、人間がいません」
「荷馬車の中にいたのは見世物の動物達と、服を着た人形しかいません」
「なんだと」
では見世物小屋に出ていたほかの連中はどこにいったのか。
彼が思案している隙にニコラと名乗った少年は悲鳴をあげながら走り去っていった。
「追いますか」
「良い。それよりエレンを探せ」
「は」
何か声が聞こえた気がした。
足元にはナイフで刺され息絶えようとしているトカゲがいた。
「いまいましい」
アヴェロンはトカゲから離れた。
エレンが言うから購入の交渉をしたがそもそもアヴェロンはこのような爬虫類は好きではなかった。
「おやあ、殺してしまわれたんで」
仮面の男が立っていた。
胸にささったはずのナイフはない。それどころか血の一つすら、服にはついてなかった。
「貴様」
「せっかく新しいトカゲが手に入ると思ったのに。いやあ、あのトカゲもそろそろ寿命でね」
「なんのことだ」
仮面の男はトカゲをちら…と見て「もったいない」と言った。
「そんなことより貴様、エレンをどこにやった。返せ」
「返せって…最初からどこにもやってませんけど」
「ふざけるな!」
仮面の男は、はあ、とため息をついた。
「ですからそこに」
指さしたのは息絶えたトカゲ。話している間に命がつきたようだった。
「何を言っている」
つられてトカゲを見たアヴェロンは暴言を仮面の男にぶつけようとしたが、ふと気づいてもう一度トカゲを見た。
トカゲの右前足の指に、見覚えのある指輪がはまっていた。
一か月前、娘が欲しいとだだをこねて、通りすがりの少女から巻き上げた指輪だった。母親の遺品だとわめいていたので他に同じものが存在しようはずもない。
アヴェロンは震えながらトカゲに近づいた。
エレンがお気に入りでよく使っている香水の匂いがした。
がたがたと震えだしたアヴェロンを後目に仮面の男は、「どうしましょうかねえ」とつぶやいていた。
「仕方ない、定員オーバーだがここで調達していくか」
腰につけていた横笛を取り出すと、仮面の男はひょろひょろと吹きだした。
かろやかな音色。
アヴェロン、黒いマントの連中の耳に届いた。
「やあ、もう出ていくのかい」
仮面の男にそう声をかけたのは新人の兵士。
「数日前に見世物小屋を見に行ったけど面白かったよ。家族も喜んでいた」
「それはそれは」
仮面の男はうやうやしく頭を下げた。
「入る時におられた兵士さんは」
「それがな、領主様が行方をくらましたとかで王令によって捜索に加わっているよ。おかげで俺のような下っ端がしばらく休みなしに門の監視さ」
「お疲れ様でございます」
仮面の男はふと思いついたように懐から何かを取り出した。
兵士の手にそれを握らせる。白い小さな袋であった。
「大したものではありませんが、お疲れの時にでも」
飴がいくつか入っていた。
「ありがとう。大事に食べるよ」
「それでは失礼いたします」
仮面の男は頭を下げて歩き出した。
荷馬車がそれに続く。
「あんなに荷馬車あったっけな」
兵士は首を傾げた。
だがそれも、別の商人の対応に追われ、記憶のかなたに追いやられた。




