【1】
【Episode1】
六月二十三日、正午過ぎ。
引っ越し作業が完了した。
まずは冷蔵庫の中身を確保しなければならない。最寄りのバス停までは徒歩五分、そこからバスで十分ほどの場所にあるスーパーへ。帰宅後、購入した品を片付けたところでインターフォンが鳴った。住人だろうか。
ドアスコープから外を窺うと、青いエプロン姿の俊介が立っていた。面倒に思いながらもドアを開ける。
「やっほー、律子ちゃん」
「何してるの? コンビニは?」
「トイレ休憩用のプレートを出してきたから大丈夫。それより、今夜一緒に飲まない? 律子ちゃんの入居祝いってことで」
「一人暮らしの女の部屋に押し掛けてきて、いきなりそれ?」
「まぁそう固いこと言わずに。今日はオレの異彩をバーンと大公開しちゃうよ!」
「……そんなノリでいいわけ?」
「オレ、ファミリアの住人はみんな友達だと思ってるからね。律子ちゃんは隣人だからさらに特別って感じ? がっつり仲良くしちゃおう!」
「……あなた、ここの住人から『うるさい』とか『鬱陶しい』とか言われたことない?」
「さすが律子ちゃん、ナイス推理!」
俊介はハイタッチを求めるように手を掲げたが、もちろん無視した。
本来ならこんな誘いなど一蹴するが、ハルは俊介のことを「何かと力になってくれる人」と言っていた。それに、異彩を聞かせてくれると言うなら聞きたい。
「ちょっとだけなら付き合ってもいいよ」
「ありがと! 八時でコンビニを閉めるから、また来るね。今日は全部オレがおごるよ」
こちらの返事も聞かず、俊介は階段の方へ走り去った。溜め息をつきつつ部屋へ戻り、段ボール箱の荷ほどき開始。あっという間に時間が過ぎ、キリをつけたときには午後七時半を回っていた。
俊介が来たら出掛けられるよう支度を整えたが――あたしを呼びに来たはずの彼はコンビニの袋を携えていた。袋には缶チューハイやお総菜が詰め込まれている。
「もしかして、あたしの部屋で飲もうと思ってる?」
「律子ちゃんは引っ越したばかりだもん、段ボール箱とか山積みなんじゃない? オレの部屋に行こ」
「バッカじゃない? 無理に決まってるでしょ」
「そんな警戒しなくて大丈夫。女の子は大好きだけど、オレは合意なく手を出す男じゃない。そこはマジ安心してオッケーって感じだから」
「お酒に酔わせて……とか企んでるんじゃないの?」
「そんなことしたら犯罪だよ! 犯罪者に堕ちるなんて絶対嫌だ。オレには大事な人たちがいるからね」
「……大事な人たち?」
「異彩を……オレみたいなバケモノを受け入れてくれた家族、ファミリアの友達だよ。みんなの優しさを絶対に裏切りたくない」
「……そう」
「酒に酔って女の子に手を出すことはないと断言できるけど、異彩のことをポロッと喋っちゃう可能性はゼロじゃないから。残念だけど、外では酒を飲めないんだ」
大好きなのにね、と彼は自嘲気味に呟いた。お酒を嗜まない自分には感覚が分からないが、酔うと本音が出るタイプの人間もいると聞く。俊介は周囲に異彩が漏れるのを恐れ、外でお酒を飲まないようにしてきたのだろう。
あたしは人付き合いが苦手なくせに、悲しげにされると弱い一面があると自覚している。おそらく自分の過去に起因するものだ。いじめに遭って泣いていた記憶と重なり、放っておけなくなる――そんなところだと思う。我ながら厄介な性格だ。
「……まったく、仕方ないね」
「オレんちに来てくれる?」
「いや、ウチに上がって。あなたのテリトリーに閉じ込められるよりいい」
「なーんて警戒しつつ、オレを信じてくれたんだね。ありがと」
「勘違いしないでよ? ちょっとでも妙な真似をしたら、即管理人さんに通報するから」
「分かってるって。お邪魔しまーす」
足取り軽く上がり込んできた俊介をローテーブルの前に促す。向かい合って座ると、彼は袋の中身を取り出し始めた。ビールやチューハイばかりだ。
「あたし、お酒は飲めないからね?」
「まだ二十歳前?」
「ちょうど二十歳だけど。お酒は嫌いなの」
「じゃあ一緒にジュースで乾杯しよっか」