【4】
「お部屋、案内させていただきますね」と言って立ち上がったハルに続き、事務所を出る。斜め右――小さな飲食ブースの横に、ガラス製のドアがあることに気付いた。中には本棚が並んでいる。
「あちらは図書室です。隣の飲食ブースは、住人同士でお茶をするのにもお使いいただけますよ」
そんな説明を受けながらエレベーターへ。向かった先は三階フロア。ハルは《301》と書かれた部屋の前で立ち止まり、ドアのロックを解除した。八畳のワンルーム、家賃は破格の三万円。
「現在、空室はここだけです。この真下――二〇一号室は僕の部屋ですが、自室にいるのは就寝時くらいですね」
「……ここに住んでる人たち、異分子だらけのマンションだと理解した上で入居したんですよね。似た者同士ってことでベタベタしてるんですか?」
「そのあたりは人に寄りけり、ですよ。とはいえ皆さん似た境遇をお持ちで、自然と親近感が湧くとおっしゃる方が多いですね。『ここに住んで初めて友人ができた』とおっしゃっていた方もいます」
友人――あたしには縁のない存在だと思ってきた。今もそう考えているし、友人がほしいわけでもない。ただ……自分と似た境遇の人々が集まってどんな生活を送っているのか、知りたい気持ちはある。入居を検討するつもりで話を進めてみるか。
「どのみち、あたし一人で勝手に決めるわけにもいかないんですけど。このマンションの実情、母親に話しても大丈夫ですか?」
「律子さんの異彩をご存じで、あなたが『信頼できる』と思う方であれば」
「じゃあ問題ないですね。話は保留ってことでお願いします」
アパートに帰宅したのは夕方。
母さんに電話して顛末を説明すると、『全部律子に任せるよ』と返ってきた。最終的な判断は自分でしなさいという意味だろう。ハルに渡されたファミリアの資料を読み、丸一日じっくり考え、入居を決意した。
これがあたしの人生の転機になるかもしれない。
* * *
ハルと電話で相談し、引っ越しは六月二十六日(月)に決まった。
準備を行いつつ迎えた転居三日前。手続きのためファミリアの事務所へ出向くと、爽やかな営業スマイルに出迎えられた。必要事項を記入した契約書と住民票をハルに提出する。
「お仕事はどうされる予定ですか?」
「引っ越しを決めてすぐバイト先に退職相談して、昨日付で終わりました。この近くで新しいバイトを探すつもり」
「それならば、こちらでも協力できますよ」
異彩を隠して日常生活を送っている者もいれば、外での生活に支障をきたすタイプの異彩もある――後者の場合、一般企業では働きにくい場合が多い。そのため、住人向けに仕事の仲介を行っているそうだ。
「じゃあ適当にピックアップしてもらえますか? 接客業以外で」
「ではのちほど印刷しますね。それから、入居者様向けの相談窓口もお伝えしておきます」
電話番号とメールアドレスの記されたハガキを受け取る。《相談事などはこちらへ》と書かれているが、管理側の人間はハルしか知らない。
「全住人相手に管理人さん一人で対応してるんですか?」
「基本的には。妹が対応する場合もあります」
「へぇ、妹がいるんだ」
「はい。妹の名は唯花。僕の部屋の隣、二〇二号室に住んでいます。二〇三号室には叔父が」
「二人にも挨拶した方がいいですか?」
「他の住人の皆さまと同じく、あえて顔を合わせる必要はないですよ。ただ、相談窓口用のスマホ――皆さまの連絡先と異彩情報は三人で共有しておりますのでご了承ください」
ガチャ、とドアの開く音が響く。
事務所の入口に白衣姿の男性が立っていた。まるで医者のようだが、白髪交じりの髪はぼさぼさで無精ひげを生やしている。四十代後半くらいだろうか。ハルは「ちょうどいいところに」と呟いた。
「こちらが僕の叔父、月下信行です」
「……えっ、そうなんですか?」
白衣の男性――信行は「やぁ」と右手を挙げた。失礼ながら、美麗なハルとはあまりにも雰囲気が違う。こんなだらしない風貌のおじさんがハルの縁者だなんて、説明されなければ絶対に分からない。
信行は白い紙袋を手にしている。
病院で処方される薬のようだ。
それをハルに手渡した信行は、こちらに向かって微笑した。
「俺はファミリアじゃ〝ノブおじさん〟で通っている。そう呼んでね」
「分かりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ。色々話したいところだが今は忙しくてね。またの機会に」