【2】
電車とバスを乗り継ぎ約二時間。
市街地から少し離れた場所にファミリアは建っていた。田畑の向こうに見える賑やかそうな地区と違って、マンション周辺は穏やかだ。他に目立つ建物もない。
正面入口は曇りガラス製のドアで塞がれており、中を窺うことはできなかった。ひとつ深呼吸し、思い切って足を踏み入れる。
外からはごく一般的なマンションに見えたが、内部は少し変わっていた。入ってすぐ左側に、駅構内で見られるようなコンビニがある。その向こうには自動販売機、テーブルが二卓設置された飲食ブース。
通路を挟んで反対側の壁には、部屋番号の書かれたポストがずらりと並んでいた。
付近には誰もいないが、コンビニが無人ということはないはずだ。菓子パンの並ぶ棚の間から踏み込んでみると、レジカウンターの中で男性が雑誌をめくっていた。茶色の短髪、黒いTシャツに青いエプロン。二十代後半くらいに見える。
目が合うと、男性の表情が一変した。「なになに?」と興味深そうに身を乗り出してくる。
「もしかしてキミ、新しい住人?」
「いや……。月下ハルって人から手紙をもらったんだけど、どこに行けばいいんですか?」
「入居案内かな? ここを出て正面に見えるドア、ちっちゃく《Office》って書いてあるから。テキトーに入っちゃってオッケーって感じだよ」
男はニッと歯を覗かせた。
随分と軽薄そうな雰囲気だ。
お礼を述べてコンビニを出ると、《Office》と書かれたドアをノックした。中から「どうぞ」と声がする。ドアを開けた先は殺風景な事務室だった。目の前にローテーブルとソファ、その奥にデスクが二台ある。
戸棚の前にはスーツ姿の男性が立っていた。身長は百八十センチ前後だろうか。手紙に載っていた写真の人物――月下ハルで間違いない。彼は柔和な笑みを浮かべた。
「藍沢律子さんでいらっしゃいますか?」
「そうですけど……」
「お越しいただきありがとうございます。お茶を淹れますので、そちらのソファでお待ちください」
彼は部屋の奥に見える給湯スペースへ向かった。お茶が用意されるのを待ち、応接テーブルでハルと向かい合う。
「改めまして。ファミリア管理人、月下ハルと申します」
差し出された名刺を受け取り、グラスの横に置く。代わりに手紙を、ハルの前に置いた。
「この手紙のことなんだけど……あたしが〝普通と違う異分子〟だと思って招待状をくれたんですよね?」
「そのとおりです」
「やっぱりあたしの秘密を知ってるんですね? 誰に聞いたんですか?」
「他者から聞いたわけではなく、あなたの〝心の声〟を聞いたそうです」
「……心の声?」
「ファミリアには〝心を読む力〟を持つ女性がいるのです」
「……ジョークか何か?」
「いえ、事実です」
「そんな話を信じろと言われても……」
「お気持ちは理解できますよ。しかし〝心を読むことのできる女性〟が律子さんの秘密を見抜き、ファミリアへお誘いした――というのが紛れもない事実です。不躾な勧誘方法であることは重々承知ですが、現状こうした方法を取るしかなくて。申し訳ありません」
「……ホント、何の嫌がらせかと思いましたよ」
「僕たちの秘密に関しては、大袈裟なくらい慎重に扱わなければならないのです。ファミリアに住む方は多かれ少なかれ〝他人と違う〟ことに生きづらさを感じ、〝普通〟という枠組みを恨めしく思いながらも、同時に〝普通でいたい〟と考えてしまう歯がゆさをお持ちになっている。律子さんも『誰かに知られたらおしまいだ』と思っていらっしゃるのでは?」
ハルの言うとおりだ。
特殊コンタクトで眼を隠し、見知らぬ街に引っ越してから、あたしは過去を消したつもりで生きてきた。もう二度と、あんな苦しい思いはしたくない。