第10章 ティタニアの迷い
聖乳教会本部。
その一室、ティタニア・ホーリーブレストの私室は、彼女の高潔さを映すかのように、華美な装飾こそ少ないものの、一点の曇りもなく磨き上げられ、厳粛な空気に満ちていた。
しかし、今の彼女の心の内は、その整然とした部屋とは裏腹に、激しい嵐に見舞われているかのようだった。
「魔乳王、マサル様……」
窓辺に立ち、夜空に浮かぶ月を見上げながら、ティタニアは無意識にその名を呟いていた。
あの日、「中道の館」で別れてから数日。
教会に戻った彼女は、表向きは忠実な聖騎士として振る舞いながらも、内心ではかつてないほどの混乱と葛藤に苛まれていた。
「乳の価値に貴賎なし、か……」
あの男――マサルの言葉が、まるで呪いのように彼女の脳裏にこびりついて離れない。
聖乳教会の教え、爆乳こそが絶対的な正義であり、神の恩寵の証であるという、彼女が幼い頃から叩き込まれてきた価値観。
それを、あの男は、いともたやすく、あっけらかんと否定してみせた。
しかも、その瞳は、どこまでも真摯で、揺るぎない信念に輝いていた。
コンコン。
控えめなノックの音に、ティタニアはハッと我に返る。
「……入りなさい」
入ってきたのは、大司教だった。
相変わらず胡散臭い笑みを浮かべているが、その目の奥は少しも笑っていない。
「ティタニア殿。その後、魔乳王様の足取りは掴めましたかな?」
「……いえ。依然として行方知れず、でございます」
ティタニアは、内心の動揺を押し殺し、冷静を装って答える。
あの日以来、彼女は何度か「中道の館」の周辺を探ってはいたが、それは魔乳王を捕らえるためというよりは、むしろ……。
「そうですか。それは残念。しかし、ご安心くだされ。まもなく執り行われる『乳審判の儀』によって、全ての異端は浄化され、魔乳王様も自ずと我らが正義の前にひれ伏すことになりましょうぞ。フォッフォッフォ……」
大司教の不気味な笑い声が、部屋に響き渡る。
ティタニアは、その笑い声に言いようのない不快感を覚えた。
以前の彼女ならば、この言葉に何の疑問も抱かなかっただろう。
だが、今は違う。
マサルの言葉、そしてミルフィーユとかいう女が語った『乳天律機関』の存在。
それらが、彼女の中で無視できない疑念の種となっていた。
「大司教様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「ほう、何ですかな?」
「『乳天律機関』について……何かご存知のことがおありなのでは?」
ティタニアの言葉に、大司教の顔から笑みが消えた。
その細められた瞳が、値踏みするように彼女を見据える。
「……どこでそれを? ティタニア殿、あまり深入りなさらぬ方が、ご自身のためかと存じますぞ」
その声は低く、威圧的だった。
まるで、これ以上嗅ぎ回るな、という無言の警告のようだ。
大司教が退出した後、ティタニアは深いため息をついた。
やはり、何かを隠している。
教会の奥深くには、自分たち下々の者には知らされていない、暗い秘密が渦巻いているに違いない。
彼女は、自分の胸にそっと手を当てる。
そこには、あのマサルという男と「魔乳合体」した時の、不思議な感覚がまだ微かに残っているようだった。
彼の魂が流れ込んできたあの瞬間、彼女は初めて、自分とは異なる価値観、異なる苦しみ、そして……異なるおっぱいへの愛を感じたのだ。
「わたくしは……14歳まで、貧乳でした」
部屋に誰もいないことを確認し、ティタニアはぽつりと呟く。
それは、彼女が誰にも明かしたことのない秘密。
聖乳教会のエリートである彼女にとって、それは最大の汚点であり、隠し通さねばならない過去だった。
貧乳であるというだけで、どれほどの屈辱と蔑みを味わってきたことか。
それが、ある日突然、乳力が覚醒し、この誰もが羨むA+ランクの爆乳へと成長した。
周囲の態度は一変した。
手のひらを返したように称賛し、かしずいてくる人々。
その時、彼女は歓喜よりもむしろ、言いようのない虚しさを感じたのだ。
結局、人は乳の大きさでしか他人を判断できないのか、と。
だが、聖騎士としての地位、爆乳十二将筆頭という栄誉、そして何よりも、教会への揺るぎない信仰が、その小さな疑問を心の奥底に封じ込めてきた。
「マサル様……あなたは、あの頃のわたくしを見ても、同じように『価値がある』と仰ってくださるのでしょうか……」
彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、聖騎士ティタニアとしてではなく、一人の女性としての、素直な心の叫びだった。
ふと、机の上に置かれた一枚の報告書が目に入る。
それは、数日前に貧乳派の隠れアジトを急襲した際の戦闘記録。
そこに、コレット・スレンダーラインという名が記されていた。
「……彼女もまた、何かを背負って戦っているのかもしれない」
ティタニアは、無意識のうちに聖剣の柄を握りしめていた。
教会への忠誠か、それとも、心の奥底で芽生え始めた新たな信念か。
『乳審判の儀』まで、あと数日。彼女の迷いは、ますます深まるばかりだった。
窓の外では、二つの月が、まるで彼女の揺れる心を見透かすかのように、静かに地上を照らしていた。




