夢
どうやら私はまた入院したらしい。
目を開けると、真っ白な四角い天井と自分の周囲を取り囲むカーテン、窓からの強い日差しはブラインドに遮られながらも細くなって部屋へ飛び込み、壁に模様を作りだしていた。
私は疲れていた。
まだ視界は、少しだけぼんやりとしてはいるものの、かなり、いつものそれに近くなっていた。ふと気配を感じて首を動かしてみると、夫が座ったまま、私を見つめている。
視線が温かかった。
「またか。本当に君は……。気は強いが体は弱い、困った奴だなぁ」
と笑いながら言う。
またか...と夫に言われても私には、まだはっきりとした自覚がない。
何が起こったというのだろう?
以前、倒れた時には過呼吸を起こし、全身がしびれて動けなくなったけれど、意識をなくした訳ではなかった。今回は、どうやら意識をなくしてしまったらしい。
それにしてもこの体のだるさは何だろう?
そう口にして言った訳でもないのだけれど、夫は、いつものように私の気持ちを察したのか、話しかけて来る。
「貧血らしいぞ。ちゃんと栄養のバランスを考えて食べていたんじゃないのか?」
気分は悪くなかった。
だから貧血はおさまりかけていて、倒れたのは、もっと別の原因だろうと思った。
私は夫に頼んでカーテンを開いてもらうと、空間が広がり、同じ部屋にもう一つのベッドがある事に気が付いた。
でも、そこには人がいなかったから、この部屋にいるのは、夫と私の二人きりなのだ。それが妙に嬉しく安心できて、私は夫に微笑みかけた。
こんな気持ちを長い間忘れていた。
愛されるというのは、こんなにあたたかい感じのすることだったかしら?
もう一度感覚を確かめてみる。
確かに、全身を痺れに似た快感が走り抜けて行った。
ふと気が付くと、私はまた眠ってしまっていたらしい。
もうひとつのベッドには、男性がパイプ椅子に座ったまま、ベッドにうつ伏せていた。
ベッドに戻って来るべき誰かを待っているうちに、疲れてしまったのだろうか。
そこに私の夫はいない。
不安を感じ始めた時に、別の女性がベッドへ戻って来て、私に挨拶をしてくれる。
さっきまで隣のベッドにうつ伏せていた男性の髪は、くしゃくしゃに潰れたまま。その後頭部の印象が残像としてまだ見えている絵に顔が重なったという感じで、表情までは見えないが、なぜか笑っているということが感じられた。
私の横には、いつの間に戻ったのか夫がいて、私の分も挨拶を返してくれる。
そう……、全て夫に任せていれば、何もかも安心だ。
私が考えるようなことは、夫がもうとっくに考えたことで、私自身が何かを考えるよりは、夫の考えに従う方が二重にならずに無駄がない。
私が倍の時間を使って考えたとしても夫と同じが精々で、それ以上に及ぶことはないのだ。
これが愛しているということなのかな?
いや、これは信頼しているということで愛とは少し違うかも?
じゃあ、愛してはいないのかしら?
ううん、そんなことはない。
いつまでも一緒にいたいと思うし、これまでずっと育んで来た気持ちは愛だと思うもの。
ね?そうでしょ?
夫の方を見やると、穏やかに微笑みながら私だけを見つめてくれている。
その眼差しがなぜか懐かしいと思った。
それからまた数日が過ぎた。
私と、私と同じ部屋に入院していた女性は、順調に回復していた。
ちょうど、病院の前が海だったので、4人で一緒に散歩に出てみた。
海は凪ぎ、水温はずいぶん上がっている。
まだ日の暮れまでには数時間の余裕があって、泳ぐにも問題はなさそうだった。
ちょうど水着を売るお店もあるし、私よりも軽症の女性は、彼女の夫と一緒に泳ぐと言う。
どうしようかな?
迷っていると、夫が「見ていてあげるから泳いでみてごらん」と言った。
着替えてから、表面は滑らかだけど岩の多い浜辺に戻ると、足を浸してみる。
小さな海草の切れ端が、たくさん浮遊していて、足に触れてから流れて行く。
振り返ると夫は岩の上に座って、約束通り、じっと私の様子を見ていた。
私が着替えている間に買ったものだろうか、浮き輪に空気を入れて笑いながら投げてくれた。
これなら安心だ。
少しだけ沖に向かって泳いでは戻る事を繰り返していると、空と海の色が変わり始めた。
それでも、まだ海は温かい。
目を閉じて、波間に漂っていると、気持ちが良くて安らかな気分になれた。
また、元気になれるかな?
そう思って、夫を振り返ると夫は、もうそこにはいなかった。
同室の女性とご主人は、まだ仲睦まじく泳いでいる。
また、いつものように、私の夫は消えてしまったのだ。
私には、小さな娘がいて責任があるのだから頑張らなければ……。
そうして、今度こそ目がさめた。
淡いグレイと桜色の入り混じったベッドの天蓋と、白いコットンのカーテンが見える。
また、逢えた。
いつまでも見守られている幸せに酔いながら、そっと涙を拭った。