第一部 第4章: 近づく心と再びの距離
浩之の足音が静かな夜の街に響く。その音は他の人々の足音とは違い、どこか孤独に感じられた。周りの灯りがぼんやりと広がり、風がひんやりと彼の顔に触れる。冷たい空気が肌に刺さり、その感覚が心の中の隙間を埋めるように思えた。自分が何を感じているのか、どうして今ここにいるのか、浩之にはうまく言葉にできなかった。ただ一つ言えることは、周りのどんな音も、どんな喧騒も、彼には届いていないということだけだった。
歩く度に、足元の石畳が微かな音を立てる。その音にすら、深い孤独感を覚えながら、浩之は一歩一歩を踏みしめていく。目の前の景色がぼんやりと見え、周囲の温かな灯りが心の中で冷たさと対比しているような気がした。
その静かな夜空を見上げ、浩之は目を閉じた。星がかすかに光り、空気は凛と冷たかった。その冷たさが、心に染み込んでいくようで、無意識に肩をすくめた。けれど、心の中で何かが渦巻いているのを感じた。その渦は、いつもの孤独感とは違うものだということに気づく。何かしらの不安と、少しの希望が入り混じった感覚だった。
その時、後ろから足音が近づいてくる。静かな夜の中で、足音だけがはっきりと響く。すぐにその足音が彼の隣で止まり、何も言わずに並んだ。浩之は振り返らず、歩みを止めずに歩き続ける。その背後に、莉奈の存在を感じながら。
「浩之さん。」
その声が、浩之の背中に届いた瞬間、彼は微かに立ち止まった。歩く足が無意識に速くなる。だが、次の瞬間には、莉奈の足音がぴったりと彼の歩みに合わせてきた。何の前触れもなく、彼の隣にぴったりと並ぶ彼女の気配が、彼の周囲の空気を少しだけ変える。
「どうしてそんなに壁を作るんですか?」莉奈の言葉は、浩之の肩に軽く触れるように響いた。
その言葉が彼の心に直接届く。浩之は言葉を飲み込みながら、少しだけ顔を上げる。莉奈は前を見ながら歩き続けており、彼に向けてはわずかに視線を投げかけたのみだった。しかし、その一瞬が、浩之にとっては十分だった。
「壁?」浩之は視線を避けるように、足元に目を落とした。夜の街灯が彼の顔を照らし、その影が長く伸びていくのを感じた。
「壁。」莉奈は、何気なく言葉を続けた。その言葉に少し驚きながらも、浩之は何も答えず、ただ歩みを続けた。何を言っても無駄だと分かっているようだった。壁を作ること、それが彼の生き方だった。誰にも頼らず、傷つかないようにするために、心の中に壁を築いてきたのだ。
「信じることって、怖いですよね。」莉奈の声が再び彼の耳に届く。
浩之はその言葉に、またもや一歩歩みを止め、少しだけ顔を上げた。その目には、彼が自分に隠していた心の闇が見透かされているような気がした。
「信じることが怖いから、壁を作るんだ。」浩之は、無意識にその言葉をつぶやいた。
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるように響いた。けれど、その直後、莉奈が何も言わずに歩き続ける様子を見て、浩之はまた一歩を踏み出した。彼の足元の石畳が、また静かに音を立てる。
「怖いのは当然だと思います。」莉奈の声は、優しく、そして少しだけ力強く響いた。「でも、怖がってばかりじゃ何も変わらないですよ。」
その言葉が、浩之の胸にどんどんと響いていくのを感じた。彼の心は、莉奈が無理にでも前に進もうとするその姿勢に引き寄せられていた。どうしてそんなに簡単に、自分を信じることができるのだろうか。どうしてそんなに簡単に、他者を受け入れることができるのだろうか。
「俺は…」浩之は、息を吐きながらゆっくりと続けた。「俺は信じることができない。過去に、信じて裏切られたから。」
莉奈はその言葉に、少しだけ目を見開き、そしてふっと笑った。
「裏切られることを恐れているから、信じないんですよね。でも、信じることで失うものだけじゃなくて、得られるものもあると思います。」
その言葉に、浩之は再び無言で歩き続けた。けれど、その言葉がどこか心の中で広がっていくのを感じた。信じることで得られるもの――それが何か、浩之には分からない。けれど、何かが少しずつ変わっていく予感がした。
「信じて、傷つくのが怖いんだ。」浩之は再び口を開いた。
「傷つくことを恐れているんですね。」莉奈が静かに答える。その言葉には、優しさと同時に、浩之を少しでも前に進めたいという思いが込められていた。
二人は歩き続けた。その歩みは、まるでお互いの距離を少しずつ縮めていくような気がした。言葉がない時間が流れていく中で、浩之は今まで感じたことのない感情を抱えていた。それは恐れだったが、同時に期待という新しい感情も混じっているようだった。
夜の静けさの中で、二人は一歩一歩、未来へと歩みを進めていった。その先に何が待っているのかは分からない。ただ、今この瞬間だけが確かに存在しているように感じられた。
第四章終




