第三部 第5章: 茂雄の変化
茂雄はいつも冷静だった。どんな場面でも感情を表に出すことなく、内面でだけ自分を表現してきた。その姿は、職場でも、日常でも、彼がどれだけ感情を抑えてきたかを物語っているようだった。外見は高潔で、誠実な人物だと思われているが、実際には心の中に多くの感情を抱えていた。それらは、彼自身がそれらに触れることを避けてきたものだった。
しかし、芽維子と出会ってから、彼の心には少しずつ変化が訪れていた。芽維子は彼にとって、予想外の存在だった。感情を抑えることに慣れきった茂雄にとって、彼女のような感情豊かな人物は新鮮であり、同時に少しばかり戸惑いを感じさせる存在でもあった。
芽維子との初めてのデートの日、茂雄は自分の心をどこか遠くに追いやりながらも、彼女に合わせて振る舞おうとしていた。しかし、その努力も虚しく、茂雄は何度も言葉に詰まり、感情を伝えることができない自分に苛立ちを覚えていた。
「どうしたの?」芽維子が不安そうに聞いた。
「え?」茂雄は少し驚いたように顔を上げた。芽維子の優しげな瞳が彼を見つめていた。
「何か言いたいことがあるなら、遠慮しないで。」芽維子は微笑んで、そう言った。その一言で、茂雄はさらに自分の内面を閉じ込めてしまった。
デートの後、茂雄は自分を責めた。「どうしてあんなふうに言葉にできなかったんだろう。」その夜、眠れぬまま、何度も自分の振る舞いを反芻した。
「もし、彼女に嫌われたら?」そんな不安が胸を締めつける。でも、芽維子は違った。彼女は茂雄が自分を素直に表現できないことを責めることはなく、逆にそのことを理解しようとしてくれていた。最初のデートが終わった後、彼女からの一通のメッセージが彼の心を少しだけ軽くした。
「次、もっとリラックスして話そうね。楽しみにしてるよ。」
その言葉が、彼にとって大きな支えとなった。次のデートまでに、茂雄は少しずつ自分の感情を言葉にしてみることを決心した。しかし、それは簡単なことではなかった。心の中で何度も葛藤し、思いを言葉にすることがどれだけ難しいことかを痛感していたからだ。
その後の数週間、茂雄は芽維子との関係を深めるために、少しずつ感情を表現する練習を始めた。まずは仕事の合間に、些細な会話を交わすことから始め、徐々に彼女の前で自分を見せることに慣れていった。しかし、その過程でも彼はまだ多くの躊躇を感じていた。
ある日のこと、茂雄が職場から帰ると、芽維子からのメッセージが届いていた。
「今日は、どうしても言いたいことがあったんだけど、勇気が出なくて伝えられなかったんだ。自分が不器用でごめんね。でも、どうしても君に伝えたかったんだ。」
そのメッセージを読んで、茂雄は驚きと同時に、芽維子の優しさを感じた。彼女も自分と同じように、感情を抑えていたのだ。しかし、その後のメッセージのやり取りで、芽維子はどんどん自分を開いていき、少しずつ茂雄も自分の気持ちを伝えようとするようになった。
「僕も、君に言いたいことがあったんだ。でも、どうしても言えなくて。」
その瞬間、芽維子から返ってきたのは、茂雄が思っていた以上に穏やかな反応だった。
「それでいいんだよ、茂雄さん。急がなくていいから、少しずつで。」
その一言で、茂雄は自分がどれだけ感情を抑えてきたのか、そしてそのことがどれだけ自分を孤独にさせてきたのかを実感した。芽維子のように、感情を素直に表現できる人との関係が、どれほど大切であるかを感じ取ったのだった。
「僕は、君にもっと素直になりたい。」茂雄はその後、ようやく自分の気持ちを口にした。
その言葉に、芽維子は微笑んだ。「それが聞けて嬉しいよ。」
その後、二人はさらにお互いの感情を共有するようになり、関係が深まっていった。茂雄は、感情を表に出すことが決して悪いことではないと理解するようになり、そのことが他人との絆を深めるために必要なことだと学んでいった。
そして、茂雄は芽維子との関係を通じて、初めて自分を素直に表現することの大切さに気づき、人間関係における信頼の重要性を実感した。感情を抑えることが必ずしも良いことではないと気づき、彼は新たな一歩を踏み出す覚悟を決めた。
第5章終




