第一部 第3章: 誇りと孤独
浩之は無意識に足を速め、街の静かな夜景を背に歩いていた。夜風が冷たく、彼の頬をひんやりと撫でる。その冷たさが、彼の心に微かな不安を引き起こすような気がした。心の中では、まだ自分の中に引き寄せられた不安や恐れが渦巻いている。自分の誇り――それが今も彼を支えている。しかし、その誇りが時に、他者との関係を遠ざける原因になっていることを、彼は痛感していた。
「信じること…」
莉奈の言葉が頭の中に繰り返される。彼女の優しさ、そして信じて支え合おうとするその意志が、浩之の心を掴んで離さない。だが、同時に、浩之はその気持ちを受け入れることができない自分がいることを知っていた。彼の中には、誰かを信じて裏切られることへの恐れと、それを乗り越える力がなかった。
街灯が並ぶ道を歩きながら、浩之は足元に目を落とした。静かな夜の中で、他の歩行者が少し離れた場所に見えるだけで、街全体がまるで眠っているかのように静まり返っていた。そんな中、彼の胸には一種の孤独感が押し寄せてくる。それは、他者と関わることを避けることで、自分を守ってきた結果のものだった。
「自分が間違っているのか…?」
その疑問が心の中で膨らみ、彼は立ち止まった。夜空を見上げると、わずかに輝く星々が彼の心を少しだけ和ませた。けれども、その星々が照らすのは広い空だけで、浩之の心の中にある暗闇を解き放つことはできなかった。
「もっと強くならなきゃ…」
浩之は、ふと独り言のように呟いた。自分に言い聞かせるように、その言葉を心に刻んだ。しかし、心の奥底でその言葉がどこか空虚に響くのを感じた。自分が何を求めているのか、そして何を恐れているのか、まだうまく言葉にできない。心の中で葛藤が続いている。
そのとき、ふと後ろから軽やかな足音が響いた。振り返ると、そこには莉奈が歩いてきていた。彼女は少し遅れを取ったように、浩之の横に並ぶ。そして、何も言わずに歩みを続けた。
浩之は、莉奈がまた自分に近づいてきたことを感じ、無意識に歩幅を少し速めた。しかし、莉奈はその歩幅に合わせるように、自然と歩みを合わせていった。
「歩くのが遅いんですね。」莉奈が穏やかな声で言った。
その声が浩之の耳に届いたとき、彼は驚いたように目を見開いた。しかし、すぐにその驚きを隠すように、無理に笑顔を作り、少しだけ言葉を返す。
「早く歩けと言うわけじゃないけど、なんだか無駄に時間をかけている気がして。」
莉奈は微笑んだ。
「急いでいるわけでもないんですよ。」彼女は柔らかな笑みを浮かべて言った。
浩之は少しだけ莉奈を見つめ、その顔に浮かぶ笑顔を見て、胸の中で何かが温かくなるのを感じた。だが、それと同時に、また一瞬だけ心の中で不安が湧き上がるのを感じる。
「でも、俺みたいなやつに構うな。」
浩之は急に言葉を発した。何気なく、そして強く言ったその言葉に、莉奈は少しだけ目を見開き、その後に続く沈黙が二人の間に流れた。
「そうやって、すぐに壁を作ってしまうんですね。」莉奈の声は静かだったが、確かな強さが感じられた。
その言葉に、浩之は反応しなかった。しばらくの間、二人はただ歩き続け、街の明かりがぼんやりと二人を照らしているだけだった。浩之は心の中で、どこかその沈黙が心地よいと感じていた。
だが、同時に、その心地よさがどこか不安を呼び覚ましていることを、彼は理解していた。自分が壁を作り、他者を遠ざけることで、自分を守ってきた。そして、その壁が彼にとっては「誇り」だった。どんなに傷つけられても、その誇りが自分を強くさせ、心の中で孤独を抱え続けることができた。
だが、莉奈はその「誇り」を、少しずつ壊そうとしている。
「お前は、俺に構いすぎだ。」浩之は再び口を開いた。
莉奈は、その言葉に少し驚きの表情を浮かべたが、すぐに落ち着いて、優しく言った。
「誰かを気にするのは、当たり前のことです。それが嫌なら、最初から関わらなければいいだけですから。」
その言葉に、浩之は言葉を失った。確かにその通りだ。もし、自分が最初から誰にも関わらなければ、今この場にいることもなかっただろう。
だが、それでも何かが心に残る。彼は再び顔を伏せ、足元を見つめた。心の中で、何かが崩れかけているような気がしていた。
「構わないでくれ。」
その言葉を口にしたとき、浩之はそれが本当の気持ちだと思っていた。しかし、言った後にその感情が少しだけ虚しく感じることに気づき、胸が少し痛んだ。
莉奈はその言葉にどう反応するだろうかと思っていたが、彼女は静かに答えた。
「構いますよ。」
その一言に、浩之は驚き、そして何かが自分の中で崩れ落ちる音を感じた。
「お前…」
「はい、構います。だって、あなたがどうしてそんなに壁を作っているのか、私は知りたいんですから。」
その言葉が、浩之の心に響き、彼はその瞬間に、初めて莉奈に心を開くかもしれないという予感を覚えた。
第三章終




