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9/25

◆9 女を軽く見る、舐めた弟に報いを! ーー貴方はその外見に相応しく、可愛くなさい!

 王城から一台の馬車が走り出ていた。

 青い花に蔦が絡まる紋章ーーサットヴァ公爵家の馬車だ。


 チチェローネの弟メルク・サットヴァ公爵子息は、実家に帰る馬車に座っていた。


 彼は口をへの字に曲げている。

 オネスト王太子に呼ばれ、王宮奥深くの内廷に来た際の会話を、思い出していた。


「それでは、王様もお妃様も倒れられたのですか!?」


 黒い稲妻が走ってしばらくした後、国王陛下夫妻が突然、昏倒されたという。

 自分の家で起こった凶事とまったく同じだった。

 メルクの動揺を察して、オネスト王太子は尋ね返した。


「そちらはどうなのだ?」


「わ、私の両親も倒れました」


「サットヴァ公爵閣下も!?」


 オネスト王太子は腕を組む。

 たしかに、チチェローネが悪魔を召喚したのは本当らしい。

 婚約破棄を決定するうえで必要不可欠の人物が、立て続けに意識を失っている。

 意図的になされたものとしか思えなかった。


「それで、本当に姉上はーーチチェローネは監獄塔から逃げたのですか」


 メルクの問いに、オネスト王太子は監獄に残された品を取り出す。


「ああ。この羽を残してな」


 瓶の中で、一本の羽がまっすぐ立っている。

 魔法で封印されたものだ。


 メルクは少し腰を浮かせて身を寄せ、瓶の中を覗き込む。


「それは?」


 オネスト王太子は、苦虫を噛み殺すように顔を歪める。


「わが母ーー王妃によれば、悪魔の羽だと言う」


「悪魔!?」


「おまえの姉は悪魔を召喚したのだ」


 驚くメルク。

 でも、その表情は意外というものではなく、やはり、といったものだ。

 そう察した王太子は、ガシッと公爵子息の両肩を掴んだ。

 オネスト王太子はメルクに詰め寄る。


「そこで俺は母上から詰問された。

 チチェローネを断罪するに際して、虚偽があったのではないか、と。

 断罪に虚偽さえなければ、この度の悪魔召喚はなかったはずだ、と言うのだ」


「……」


「まさか貴様、虚言を吐いたのではあるまいな?」


「め、滅相もございません。

 わ、わが姉を弾劾するのに、どうして嘘などをつけましょうか!」


「なら良いが……」


 王太子は疑いの目を向け続けている。

 それを承知しながら、「で、王太子殿下。僕を呼びつけたわけをお話しください」と話題を変えた。


「ああ、まずチチェローネーーおまえの姉の居所を知ったら、俺に知らせて欲しい。

 そして、サットヴァ公爵家には『悪魔の羽』や、悪魔関連の知識を記した門外不出の文献が多くあると聞く。

 それらを持ち出して来て欲しい。

 それからーー」


 早口で、オネスト王太子は喋る。

 が、メルクの頭には何も入らない。


「門外不出の文献」?

 知らないよ、そんなの。

 おそらくお父様だって知らないはず。


 とにかく、ヤバい。

 姉のチチェローネは、いつも自分に優しかった。

 その姉が怒る姿を想像したでけで、背筋に冷たいものが走る。


 王太子が話し続ける最中だったのを承知で、メルクは背を向けて駆け出したーー。



 馬車がサットヴァ公爵邸に到着する。


 玄関に足を踏み入れるだけで、心臓がドキドキする。

 邸内の雰囲気がいつもと違っていた。

 いや、お父様とお母様がお倒れになった後、王城に出かけるときとも、違っている気がする。

 空気が重いのだ。


 侍女と執事の態度が暗い。

 いつも迎えに来る執事ヴァサーリが姿を現わさない。

 その一方で、本来は姉のチチェローネ付きの侍女であるドルチェが顔を出す。

 震える手で僕の手を取り、「こちらへ」と誘導する。


(どうしたというのだ?)


 彼女とは、共に姉上を断罪した仲間だが、それほど懇意ではなかった。

 彼女、侍女ドルチェは、いつも姉上に傅いていた。

 それなのに、今、僕の手を引いている。


 廊下を歩く間、往時を思い出し、心臓が痛いほど鳴った。


 メルクは実弟でありながら、姉を断罪するイベントに参加した。

「姉に頼まれて暴漢を雇い、リリアーナ様を襲った」と証言した。

 だが、それは真っ赤な嘘だ。


 メルクは自分の胸を強く押さえつける。

 罪悪感で胸が締め付けられる思いだった。


(夜陰に紛れて、リリアーナ嬢を襲ったのは僕ーー僕自身だ。

 あの偉そうな王太子殿下から、恋仲の女を奪ってやりたかった。

 それに、婚約者なのに、捨てられそうな姉上を助けてやりたい、という思いも、当時はあった……)


 ところが失敗した。

 人気のない所ーー裏街で襲いかかったのに、いきなり王太子殿下が姿を現わし、僕を殴ったのだ。

 喧嘩で王太子に勝てるはずがない。

 僕は非力なのだ。

 地面で伸びている僕に、リリアーナがしゃがんで、ささやいた。


「メルクさん。貴方がワタシを襲ったのは、お姉様に頼まれてのことですよね!?」と。


 僕は目を丸くした。

 意外な言葉に驚いた。

 が、リリアーナ嬢、そしてその後ろで立つオネスト王太子の姿を、地面から見上げて、観念した。

 素筋書きに乗るしかない。

 乗らなければ、僕の所業として断罪され、サットヴァ公爵家の家督が継げなくなる。

 そうなれば、どれほど母が嘆くか知れない。


「ーーそうです。

 僕がしたくてやったんじゃない。姉上に頼まれたんだ!」


 うわずった声で、嘘をついた。


 そのとき、リリアーナ嬢は、にっこりと微笑んだような気がした。


 でも、今になって思う。

 僕はとんでもない間違いを犯したのではないか。

 僕の「告発」もあって、あれよあれよという間に、姉上は「大罪人」に仕立て上げられてしまった。

 その結果、姉上は監獄から逃げ出し、大悪魔を召喚したという……。


 胸が痛い。


 お父様からずっと以前、聞いたことがあった。

 かつてこの国を滅ぼす寸前まで行った大悪魔の所業を。

 なんでも、何日にも渡って、国中を闇の中に封じ込めたという。

 人間の軍隊がどれだけ攻撃しようとも、その悪魔を倒すことはできなかった、と。

 その大悪魔を封印し、管理するのが我らサットヴァ家の務めだと。


 でも、そうした逸話を語る際、お父様は半分、おかしげに笑っていた。

 じつは、信じていなかったのだ。


「俺はこの家の生まれじゃないからな。実感が湧かない。

 でも、我がサットヴァ公爵家の所領地にある森に、その大悪魔が封印されてるらしくてな。

 次期当主であるおまえにも、その伝統業務(?)を引き継いでもらわねばならんのだ。

 最低、俺から、そういった話を聞いた、という事実があったことにせねば、俺の立つ瀬がないーー」


 お父様も、おそらく半信半疑だったのだろう。

 でも、あの瓶の中にあった黒い羽はホンモノだ。

 そう感じられた。

 異様な雰囲気があったのだ。


 ということはーー。


(僕がきっかけを作って、姉上に大悪魔を召喚せしめたというのか?

 僕が、伝説級の凶事に、王国全体を陥れてしまった!?)


 メルクの全身に、脂汗が浮き立つ。


「まさに、その通りね」


 聞き慣れた声を耳にして、メルクは現在、正面にいる存在に目を向けた。

 侍女に連れられた先は、サットヴァ公爵家の執務室。

 普段はお父様がお仕事をなさる部屋だ。

 その大きな机に肘をついて、姉上、チチェローネが座っていたのだ。

 今現在、両親は隣の寝室で寝かせられているが、あたかも遥か昔からこの公爵家の主人であったかのような、堂々とした態度だった。


 姉、チチェローネは、以前にも威厳が増していた。


「あ、姉上ーー。

 現在、我がサットヴァ公爵家の当主を務めるのは嫡男である僕、メルクであって、女の貴女では……」


「お黙りなさい!」


 チチェローネは一喝する。

 メルクは思わずひれ伏す。

 反射的に這いつくばる弟のさまを見て、姉は満足げな笑みを浮かべる。


「まったく、犬にも劣る躾のなさね。

 相手が女性となると、キャンキャンと良く吠える。

 そんな貴方も、オトコを相手にすると途端に萎縮して、情けない。

 貴方、リリアーナに欲情していたのでしょう?

 それなのに、彼女を王太子に譲ったのですか?

 寝取られたも同然じゃない? ダッサ」


 姉上は知っていたのだ。

 僕がリリアーナを王太子殿下に紹介したことを。

 生徒会の縁で、生徒会長の王太子に、街中で知り合ったリリアーナ嬢を紹介した。


「ネトラレ?……ゴホン。

 何のことかサッパリですがーー、僕がリリアーナ嬢をオネスト王太子殿下にご紹介したことをご存知だったのですね、姉上。

 でも、仕方ないじゃないですか。

 先輩ですよ!?

 しかも生徒会長で、王太子殿下!

 僕に敵うはずが……」


 チチェローネは手を組んで顎を乗せ、ふう、と溜息をつく。

 弟は王太子に目が行き過ぎて、現実を見ていない。

 姉はゆっくりと諭すような口調で、弟に説き聞かせた。


「公爵家子息の貴方が王太子殿下に媚びるのは構いません。

 みっともないだけのこと。

 問題はリリアーナの方です。

 彼女は子爵令嬢という建前ですが、実質、卑しい平民の出です。

 それなのに、殿下の傍らに立ち続けているのですよ。

 彼女が将来、ほんとうに王妃になれるとお思い?」


「それこそ、僕が決められることじゃない。

 次期国王たる王太子殿下が妻に迎え入れたとなれば、それは当然ーー」


「これを、ご覧くださいな」


 姉は投げるように書面を弟に渡す。

 弟は拾い上げて、書面を広げる。


「!? これは……」


「オネスト王太子殿下をお諌めする弾劾文です。

 そして、何人もの令嬢方による同意書ーー」


「!?」


「書面をご覧なさいな。

 カスティリオーネ辺境伯令嬢をはじめとして、パレット侯爵令嬢、ドルビー伯爵令嬢、ミラン子爵令嬢、ダイモス男爵令嬢、ラーナ伯爵令嬢、その他諸々ーーほとんどの令嬢方は、リリアーナが王太子と婚約なさるのは反対のご様子」


 メルクは何枚もの書面を広げて、食い入るように見詰める。


「そ、そんな、馬鹿な。

 彼女たちはーーあれほど一致団結していたのに……」


 チチェローネは、足を組み替え、フンと息を吐く。


「令嬢方は貴方と同じ。

 強いオトコに靡いただけよ。

 王太子の手前、あなたがた殿方に歩調を合わせたのですよ。表向きはね。

 でも、本音は違う。

 令嬢方は、私を断罪するのには同意しても、平民女のリリアーナを将来、王妃様として崇めることはできない、というご判断です。

 今頃は、それぞれの家の令嬢方の訴えによって、彼女たちのお父上やお母上が動いておられるでしょう。

 家督を担う大人たちが。

 この流れでは、王太子はリリアーナを娶ることはできません」


「……」


 メルクは俯く。

 すると、いきなり耳元で姉の声がした。

 いつの間にか、姉上が自分の傍で立っていた。


「知っていますよ。

 ほんとうは、貴方自身が、あの娘を襲ったのでしょう?」


 メルクはギクッとする。


(どうして、知っている?)


 顔が真っ赤になり、とても姉の顔を見返せない。

 が、姉の顔が目の前に来た。彼女自身が回り込んできたのだ。


「そんなに犯したかったの?

 ほんと、ケダモノみたいねえ。こんな可愛い顔して。

 オトコって怖ぁい」


 クスクス笑いながら、メルクの顎を手に取り、チチェローネはクイッと押し上げた。


「だったら、ケダモノらしく、あの小娘を、王太子から掻っ攫いなさいな」


「は!?」


 姉上は冷酷な笑みを浮かべる。


「貴方もオトコだったら、堂々と思いの丈を晴らしなさいな。

 王太子ごときに遠慮は要りません。

 いずれ場所を設けてあげますから、貴方自身の腕で、あの娘ーーリリアーナを手籠にするのです。

 ただ、これだけは姉として、申し渡しておきます。

 これでもウチは筆頭公爵家。

 平民女を正室になどできません。

 せいぜい側女として可愛がっておやりなさいな」


 しばし、ポカンとした後、弟は頭をブンブン横に振った。


「で、出来ませんよ、そんなこと!

 会長をーー王太子殿下を裏切るような真似は……」


「姉は裏切って平気なくせに?」


「う、うるさい!……本当に、貴女は姉さんなのか!?」


 弟からの突然の問いかけに答えることなく、チチェローネは冷然と言い放った。


「姉の言いつけを守れない、愚かな弟には、罰が必要ね」


「ああ!?」


 赤い光がメルクの周りを包んだかと思うと、身体が変化し始める。

 背が縮み、胸やお尻は出てくる。

 特に、下半身に異変を感じた。

 奇妙さを感じたメルク自身が、無作法にも手を股ぐらに突っ込む。


「な、ない!?」


 一方で、姉の方は扇子を大きく広げて口許を隠した。


「あらあら、すっかり可愛くなっちゃって。

 私、生意気な弟より、可愛い妹が欲しかったのよね」


「そ、そんな……」


 メルクはしゃがみ込む。

 そこへ、チチェローネがツカツカと歩いて詰め寄る。


「メルクは、あのリリアーナを犯したいと思ったのでしょう?

 女性の意思も問わずに、強引に。

 そんなイケナイ()には切っちゃうしかないでしょ?

 肝心なモノが勃たないんじゃあ、女を襲うことはできないわね」


「うわああああ!」


 メルクは突っ伏して、泣き崩れる。

 チチェローネは椅子に座り直すと、泣き喚くメルクを冷然と見下ろしながら断言した。


「あなたが男に戻る方法はただひとつ。

 リリアーナを襲うこと。

 アレに抱きついたら、その瞬間、男に戻れるよう、設定しておいたわ。

 それも精力絶倫の獣のような(オトコ)にね!」


 コンコンと、ドアがノックされる。


 チチェローネが振り向くと、元飼犬の執事がやってきていた。

 馬車の用意が整ったようだ。


 いまや〈妹〉に変貌したメルクが、涙目で訴える。


「あ、姉上! どこへ!?

 僕はこれからどうなるんですか!

 こんなふうになったのを、お父様やお母様に知られてはーー」


 チチェローネは、はあ、と深く溜息をついた。


「ほんと、メルクはお子様ね。

 自分の性別が変わるっていう大変な事態になっても、気になるのは親の目なの?

 ほんと、か弱い女の子になって良かったじゃない?

 ああ、貴女には、もうそんなズボンなんて似合わない。

 いずれメイドに申し付けて、ヒラヒラのドレスを着せてあげるわ」


 チチェローネはクルリと背を向ける。

 元飼犬だった執事が控えている。


「貴方、この私の可愛い妹を良く面倒見てやってね。

 本来の執事ヴァサーリは犬になってしまってるから、代わりにこの屋敷のこと、貴方に任せるわ。

 ああ、そうだ。

 どうせ、この妹は恥ずかしがって表に出たがらなくなるだろうから、執事はなにをすべきか、妹から直にじっくり聞いてね。

 妹が怯えるようだったら、ベッドで添い寝してあげるのも良いわね。

 ほほほほ」


 そのままチチェローネは馬車に乗り込み、御者に行先を告げる。


「貴族街を出て、練兵場へと出向いてください」


 主人の命を受け、御者が馬を鞭打つ。


 馬車の中で、チチェローネが腕を組んでいると、脳内で男性の声が響く。


「ご不満のようだな」


「ええ、そうよ」


 独りになると、大悪魔がチチェローネに話しかけてくる。

 本来のチチェローネと、脳内で会議をするような感じだった。

 チチェローネにしてみれば、表に出るときには、自分なのか悪魔なのかよくわからない、合わさったような人格になっている感覚だ。

 でも、脳内会議の際は、本来の自分に戻った気分になる。

 今も不機嫌なとき、子供の時からするように、チチェローネは頬を膨らませた。


「ちょっと弟に罰が甘くない?

 仮にも、姉である私を裏切ったのよ。

 自分が暴漢だったくせに!」


「案ずるな。

 真の復讐は、今しばらくのお預けだ。

 今の其方は、自分の意に叶う最高の舞台を整えるために努めるだけで良い」


 そう言われて、改めてチチェローネは今後の展望に想いを馳せる。

 たしかに、王太子とリリアーナに対して〈断罪イベント〉をやり返す下準備は出来つつある。

 けど、まだ足りない。


 結局、この世界は封建社会。

 権力者の態度が、弱者の罪を決定する。


「やはり、外堀から埋めていくしかない、と思うの」


 しばらく考え込んだあと、チチェローネがそう言うと、大悪魔は笑った。


「ははは。人間社会はいろいろと面倒なことだ。

 いっそ滅ぼした方が手っ取り早い」


「そうでしょうけど、私、あの王太子とリリアーナに〈断罪返し〉をしてやりたくって仕方ないのよ」


「ああ、もちろん、その願いを叶えてやる。

 それが契約条件なのだからな」


 馬車はそのまま貴族街から出て、騎士たちが住む地域へと入っていった。

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― 新着の感想 ―
普段はお父様がお仕事をなさる部屋だ。 その大きな机に膝をついて、姉上、チチェローネが座っていたのだ。 膝(ヒザ)? 机の上に正座で座ってたってこと? 多分肘(ヒジ)の間違いでは?
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