◆8 令嬢仲間の本音と、状況をひっくり返す提案 ーー貴女を味方につけるためなら、あんなオトコ、熨斗をつけてくれてやるわ!
ランブルト王国の筆頭公爵家の令嬢チチェローネが、監獄塔から脱走して、行方不明になった。
処刑される日の前日のことであった。
その情報は緘口令が敷かれていたにもかかわらず、即座に辺境伯令嬢カスティリオーネ・バッファのもとに届けられた。
バッファ家ゆかりの者が、監獄塔の管理者になっていたからである。
(どうして、こんなことになったのかしら……)
カスティリオーネ嬢は昼食後、自邸でお茶を飲みながら、眉間に皺を寄せていた。
チチェローネ嬢の脱走に続いて、新たに起こった「凶事」についても耳にしていた。
監獄には、黒い羽ーー「悪魔の羽」と称される奇怪な羽が大量に撒き散らされ、これに触れた者はみなおかしくなって暴れ始めたとのこと。
夜には黒い稲妻ーー「黒き雷」が王都に落下したともいう。
伝説では、「黒き雷」は、悪魔の時代が再来する前兆と言われている。
以前のカスティリオーネなら、そんな荒唐無稽な伝説など一笑に付していた。
でも、今は違った。
あのチチェローネ嬢の行方が知れないからだ。
彼女は、何かと秘密の多いサットヴァ公爵家の令嬢ーーそれも唯一正統の血筋を継承する女性だと、今になって、ようやく思い出したからだ。
(チチェローネ様は、私を怨んでいるに違いないわ……まさか、死刑判決が下るまでになるなんて。やりすぎたとは思っていたのよ……)
チチェローネ公爵令嬢が、卒業後の舞踏会で断罪された。
そのとき、罪状のひとつに、彼女が平民出身のリリアーナ嬢に嫌がらせをしていたことも挙げられていた。
が、それは真っ赤な嘘である。
なぜなら、リリアーナをいじめたのは、カスティリオーネ辺境伯令嬢と、その取り巻き令嬢たちだったのだから。
カスティリオーネ嬢はオネスト王太子が好きだった。
政治的な思惑抜きで、本気で憧れていたのだ。
王太子殿下の爽やかな笑顔、堂々とした振る舞いに、理想の恋人像を重ね合わせていた。
幼少の頃から、筆頭公爵家の令嬢チチェローネが婚約者になっていたことは重々承知していた。
それでも、恋心は抑えられず、十五歳になって、成人してすぐに王宮で開かれたお披露目パーティーで挨拶されたとき以来、ずっと恋心を抱いていた。
学園に通うようになって、同学年になったのを密かに喜んでいた。
ところが、よりにもよって、粗暴な振る舞いに終始する平民あがりの少女リリアーナがオネスト王太子の心を掴んだとを知って、激発した。
今でも、リリアーナがオネスト王太子の胸元にしなだれかかる姿を思い起こしては、頬を膨らませる。
(ったく、あんな小娘のどこが良いのよ?
作法はなってない、王国の成り立ちも知らない、第一、殿下に対する敬意に欠けている!
それに、殿下のみならず、ほかの男性とも浮き名を流して……まさに淫売婦じゃないの!?)
オネスト王太子殿下に一途なら、まだ許せた。
ところが、彼女は来る男性すべてを拒まず、廊下を共に歩く男性をコロコロと変えて恥じるところがなかった。
貴族の婦女子に必須の扇子も手にしない。
女性同士の付き合いをおざなりにし、いつも男性に取り囲まれていた。
だから、仲間たちーーパレット侯爵令嬢、ドルビー伯爵令嬢、ミラン子爵令嬢、ダイモス男爵令嬢らと共謀して、毎日、嫌がらせをした。
教科書をゴミ箱に捨て、試験前に筆記用具をトイレに捨てた。
友達を誘って、みんなで面白がって、リリアーナのドレスを切り裂いた。
リリアーナ……あいつは、ほんとうにいけ好かない。
クラスの男子どもはすべて言いなり。
そして、何人もの男どもを引き連れて、平気で手を繋いで歩き、ベタベタくっつく。
男性だけの歓談の輪の中心に居座るーー。
そんなの、マナー違反もいいところだ。
男は男同士、女は女同士で輪になって会話するのが普通じゃなくて?
家族以外の異性と親密にできるのは子供のうちだけ。
それが貴族の嗜み。
それなのに、あのリリアーナは!
お茶会をご一緒した際には、チチェローネ様も同様に、リリアーナのマナー違反にお怒りになっていた。
仲間うちだけじゃない。
何人の令嬢方を泣かせたことか。
私の指示で嫌がらせをした仲間、ドルビー伯爵令嬢やダイモス男爵令嬢などは実際に、婚約者がリリアーナに惚れ込んで、いつも彼女の話ばかりするようになって、相手にされなくなった、と怨んでいた。
だから彼女たちは、積極的に教科書を捨て、ドレスを引き裂いた。
私たち貴族は、家の事情で、幼少の頃から許嫁が決まっている人も多い。
それゆえ、複数の男性から好意を寄せられながらも、平気で受け止めるということは、幾つもの婚約を破棄させる危険を伴う。
純朴な殿方ほど、別の女性に好意を寄せてしまうことは許婚者に不実だと思い、すぐに婚約破棄しがちなのだ。
たしかに、男性側はそれで気がおさまるかもしれない。
だが、大変になるのは、女性側の元許婚者とその家族だ。
元許婚者は傷物扱いになって、新たな縁談を結びにくくなるし、その家族も男性側家族から今後の関係維持を拒否されたと見られてしまう。
もとより、婚約は家同士の結びつきを深めるためのものが多く、たいがいは片方が寄親、片方が寄子の関係だ。
その寄親寄子関係の破棄も意味しかねない。
婚約破棄とは、それほど重い事態なのだ。
それを承知で、オネスト王太子は筆頭公爵家の令嬢チチェローネとの婚約を破棄した。
王家として、良いはずがない。
(それほどにまで、オネスト王太子殿下はあのリリアーナを?
信じられない……)
まるで、あの、素敵なオネスト王太子殿下が、魅了魔法にでもかけられたみたいだった。
王家と筆頭公爵家の関係破綻は、今後の国家運営を毀損しかねない。
王家に嫁ぎ、将来、王妃となるべき女性だったら、あの泥棒猫を許してはいけない。
それなのに、チチェローネ公爵令嬢は保護者ぶって、リリアーナを助け続けた。
嫌がらせをする私たちを窘め、リリアーナに筆記用具を貸したり、自分のドレスを下げ渡したりしていた。
(ほんと、偽善者ぶって。
チチェローネ様なんか、大嫌い!)
カスティリオーネ辺境伯令嬢は、往時を思い出しては、吐き捨てる。
そもそも、筆頭貴族たるサットヴァ公爵家は、ランブルト王国を内側から守る『王国の盾』と称されてきた。
国境守備に徹して王国を守り続けてきた、我がバッファ辺境伯家が『王国の剣』と称されてきたのと対をなす存在だった。
実際、サットヴァ公爵家は、王家にも手出しできない秘密の任務が託された重要な家柄だと聞いてきた。
だから、私、カスティリオーネは王太子殿下が主導する〈断罪イベント〉に参加したのだ。
たしかに、私たちは酷いことをした。
私たちがしてきた、リリアーナに対する嫌がらせを、すべてチチェローネ公爵令嬢のせいにした。
私の仲間たち、パレット侯爵令嬢、ドルビー伯爵令嬢、ミラン子爵令嬢、ダイモス男爵令嬢らも、みんな、その案に乗ってくれた。
いじめの実行犯たちがよってたかって、無関係だったチチェローネ公爵令嬢に、まったくの濡れ衣を着せたのだ。
それなのに、彼女は毅然としていた。
チチェローネ様も、私たちが罪をなすりつけていることを重々、承知していたはず。
それなのに、私たちが自ら嘘の「告発」を撤回するよう促す発言だけで非難をとどめてくださった。
あのような状況でも、私たちの立場を慮ってくださったのだろう。
やはり、あの方は気高かったのだ。
あの後、幾つもの罪が「暴露」されて、断罪されてたけど、チチェローネ様は胸を張って抗議なさっていた。
おそらく、私たちがしたように、他の連中も濡れ衣を着せたのだろう。
それも、わかる。
だって、みんな、次期国王たる王太子殿下には逆らえない。
嫌われたくない。
オネスト王太子が「チチェローネが悪い」と言えば、どれだけ彼女が善人であっても「悪女」に認定されてしまうのだ。
実際、私、カスティリオーネは、学園入学以来の、チチェローネ公爵令嬢の煮え切らない態度が大嫌いだった。
リリアーナがベタベタと王太子殿下に擦り寄るさまを見るたびに、チチェローネ公爵令嬢の方を睨みつけて、舌打ちしたものだった。
(自分の婚約者を、平民女なんかに取られてるのに、馬鹿じゃん、こいつ!?
私だったら、家の誇りにかけても、そんなことは許さない)
と腹が立っていた。
私たち、女性陣では、リリアーナなどはとうに「性悪女」に認定されていた。
そもそも、私たちが嫌がらせをしていたことを、誰よりも知っているはずのリリアーナが、どうしてチチェローネ様を庇おうとしなかったのか。
「ワタシをいじめたのはチチェローネ様じゃない。
カスティリオーネ様と、その仲間たちです!」
と、なぜ言わないのか。
決まっている。
チチェローネ様を「悪女」に貶めて婚約破棄に持ち込み、自分が王太子の許婚者に成り上がろうと狙っているからだ。
カスティリオーネは、ギリッと歯軋りをする。
ティーカップを皿に置き、焼き菓子をバリバリ噛み砕く。
(あの、小娘ーーリリアーナこそ、王国にとっての内患よ!
それをみすみす手助けするのは、将来の王妃がなすべきことじゃない。
実際、無実の罪で、自分が追い落とされちゃったじゃないの。
やはりチチェローネ様は他人に甘いだけで、王妃のーー国母の器ではなかった!)
そう、カスティリオーネ辺境伯令嬢は改めて思った。
我が家の領土は辺境にある。
長年、紛争の絶えない蛮国と国境を接する領土だ。
そうした王国辺境地を守護する家柄に生まれた私からすれば、外患を払うのがバッファ辺境伯家、内患を払うのがサットヴァ公爵家と思っていた。
だから、バッファ家の辺境伯令嬢としては、平民女のリリアーナより、チチェローネ公爵令嬢の方が憎らしかった。
「チチェローネ公爵令嬢は、辺境伯家令嬢の自分よりも身分が上。
だからこそオネスト王太子と婚約するのを当然視し、恋心を抑え込み、我慢してきた。
それなのに、平民女ごときに、オネスト王太子殿下を奪われるなんて。なんて、不甲斐ない!」
思わず声に出して、ダンと、テーブルを叩いた。
すると、背後からいきなり、「それが本心だったのね」という溜息混じりの声が聞こえた。
「ーーでも、だからって、濡れ衣を着せるのは、どうかと思うけど?」
聞き覚えのある声に、カスティリオーネは振り返った。
お茶席の背後に、今、脱獄したと噂されるチチェローネ公爵令嬢が立っていた。
背後に、メイド服を着た侍女を二人、従えて。
「……いつの間に?」
我が家にも侍女はいる。
それも、蛮族との実戦経験豊富な猛者が。
それなのに、彼女たちは私にチチェローネ嬢の来訪も告げず、取り継ぎもしなかった。
自慢の侍女が何人も、チチェローネ嬢の足下で横たわっていた。
「ああ、彼女たちを責めないで。
貴女を護ろうと、しつこく追い縋って来た者たちです。
他のは廊下や扉の後ろで眠ってもらってますから」
さすがは筆頭公爵サットヴァ家だ。
彼女に仕える者も優秀なのだろう。
王家以上に秘密を抱えた家柄との噂は伊達じゃない。
(それにしても、恐ろしい……)
辺境伯家に仕える侍女はすべて実戦経験がある。
それを殺すではなく、眠らせるとは。
圧倒的実力差がないと出来ない所業ーー。
カスティリオーネは椅子から少し腰を浮かせて身構える。
その一方で、チチェローネ公爵令嬢は悠然と歩を進めて、カスティリオーネの対面の椅子に腰掛ける。
「あら、そんなに緊張なさらなくても。
お茶を頂ければ、ありがたいわ」
「でもーー」
お茶を淹れようにも、お付きの侍女たちは眠ってしまっている。
でも、公爵令嬢はお構いなしだ。
「もちろん、入れてくださるわね」
「私にーーこの辺境伯令嬢にお茶を入れろ、と?」
「そうですよ」
「やったこと、ありません」
「それが?」
椅子に深く座り直して、脚を組む。
以前より、眼光が鋭い。
よく見たら、身長も伸びてる?
(うん? 彼女の頭の両脇に何か気配が……?)
辺境伯令嬢は、チチェローネに次いで魔力が豊富だ。
大悪魔が融合した証ーー「透明な角」に勘付いた。
が、それが何を意味するのかわからなかった。
カスティリオーネ辺境伯令嬢は、気圧されて立ち上がった。
「……わかりました」
侍女がお茶を入れるさまを何度も見てきた。
見よう見まねでできないわけではない。
茶葉をカップに設えた鉄網に山のように盛って、そこへお湯をドボドボと注ぐ。
赤く色づいた。
どうやら「紅茶」にはなったようだ。
チチェローネにカップを差し出した。
「どうかしら?」
上品にカップを手にして、一口当ててから、チチェローネはニッコリ微笑んだ。
「美味しくないわ」
自分も口にする。
思わず唇に手を当てる。
「あら。ほんと。
水っぽいし、お湯もぬるいわ。
やっぱり、見よう見まねじゃダメね」
カスティリオーネが舌を出してカップを置くと、即座にチチェローネ公爵令嬢は身を乗り出した。
「さて、お口を少し湿らせたところで、単刀直入に言うわ」
突然、カスティリオーネに対して、取引を持ちかけてきたのだ。
「カスティリオーネ様。貴女がリリアーナに対しての嫌がらせを扇動した真犯人であったこと、黙っておきましょう。
ですから、せめて、お願いします。
私の汚名を濯ぐお手伝いをしてください。
リリアーナに対する嫌がらせは、私、チチェローネが扇動したのではない、
『一連のいじめは、じつはリリアーナさんが自ら自作自演をなさったことです。私たちは、チチェローネのせいにして欲しい、とリリアーナ嬢から頼まれてしまったのです』
と証言なさい。
そして、リリアーナについての弾劾文を書いてください。
ああ、それだけじゃ駄目ね。
あの男ーー王太子殿下にも責任を取ってもらわないと。
あのような女に懸想したことを弾劾してやりましょう。
オネスト王太子に対する弾劾文を作成して、それに賛同する署名を令嬢方から集めなさいな。
貴女が令嬢方に声をかければ、あっという間に署名が集まるはず」
チチェローネ嬢は表面上はにこやかに微笑んでいるが、目がまったく笑っていない。
もはや怒りの矛先は、元婚約者にまで向かっている。
カスティリオーネ辺境伯令嬢は、背筋が凍る思いがした。
でもーー。
「そ、そんなこと、できないわ」
カスティリオーネは首を横に振る。
愛する王太子を非難したくなかった。
「あら、意外ですね。
明敏なカスティリオーネ様なら、当然、お気づきかと思っておりましたが」
「なにを……」
「令嬢方は言うに及ばず、殿方連中ーー特に大人の方々が、この度の、若い私たちが行なったいざこざを、どう思っているか、ということを、です。
良いですか。
貴族ならーーいえ、平民ですら、あのリリアーナが王妃となることを望んでなどいないはずですよ。
そこをお忘れなく。
誰もが王太子に対して遠慮してるだけであって、捏造された罪によって、私、チチェローネが婚約破棄され、死刑になるのは構わないにしても、あの平民女に王太子を取られるのは我慢できないし、王妃になるなんて納得できると思いますか?
そうでしょう?
ですから、たとえ王太子を弾劾したとしても、それはリリアーナごときに懸想したことを非難しているだけで、その弾劾が周知されても、王太子殿下の地位も、貴女自身の身も安泰です。
結局、あのリリアーナが追い込まれ、責任をかぶって別れるだけでしょう?」
辺境伯令嬢は、ポカンとする。
「あの平民女が、王太子殿下と別れる?」
「ええ。
あの王太子殿下が、王位継承権第一位の座を誰かに渡すはずはないでしょう?
どうしても、あのリリアーナを手に入れたければ、王位を継いだあとに側室にでもすれば良いだけなんですから。
もちろん、そのとき正室の座にあって、国母たる王妃になっているのは貴女ーーカスティリオーネ様ですわ」
チチェローネは当たり前のように、涼しい顔をして紅茶を口に含みながら言う。
顔を真っ赤にしたのは、カスティリオーネの方だった。
「ええ!? わ、私!?
貴女ーーチチェローネ様じゃなく?」
「はい。オネスト王太子殿下をお譲りしましょう。
貴女こそが王妃となるのです。
そのために、未来の夫の女遊びを、少し懲らしめてやるだけですわ」
たしかに、多くの貴族令嬢から弾劾されれば、リリアーナ嬢は身を退くしかないだろう。
王太子殿下も、王位継承権を捨ててまでは、彼女に固執すまい。
(まさか、そんな手があるとは!)
カスティリオーネは内心、膝を打つ思いだった。
正直、考えあぐねていた。
内患を討てないチチェローネ様を排除したは良い。
が、これからリリアーナという内患を、どのようにしたら王国中枢から排除できるか、さっぱりわからなかった。
それがあっさり、わかったのだ。
それも、長年、密かに恋い慕っていたオネスト王太子と結ばれ、自分が国母たる王妃になる道が拓けようとしているーー?
カスティリオーネ辺境伯令嬢は、勢い良く席を立った。
「たしかに! わかりましたわ。
今すぐ、用意させます」
パンパンと手を叩き、執事を呼び込む。
革鎧をまとった青年だ。
剣を腰にさげてはいるが、彼は、カスティリオーネの生命が危機に及ばない限り、姿を現わさないよう命じられた執事であった。
蛮族相手に戦い続けた歴戦の勇者でもある。
「これから指示する言葉で書をしたためなさい。
加えて、パレット侯爵令嬢、ドルビー伯爵令嬢、ミラン子爵令嬢、ダイモス男爵令嬢らの同意署名も添えるのです」
若い執事は、お辞儀して立ち去る。
彼を見送ってから、カスティリオーネは鼻を高くして語った。
「じつは、ほとんどの令嬢方の署名が入った同意書を、いつでも用意できるよう、手配しておりますの。
どんな文言の書類であれ、私の提言に際しては無条件で同意を頂けるのです。
もちろん、事後説明はいたしますが。
チチェローネ様がお帰りになる頃には、王太子殿下に対しての苦言書と、数々の令嬢方による賛同書をお渡しできますわ」
さすがは、同世代において、最も政治力がある女性ーーカスティリオーネ辺境伯令嬢だ。
チチェローネも笑みを浮かべて頭を下げる。
「よろしくお願いします。
真の断罪イベントを行なうのは私、チチェローネです。
裁くのも私、チチェローネです。
そうすれば貴女が王太子と恋仲になれるのですよ。
よろしく頼みますわ。
未来の王妃様」
「ええ。チチェローネ様こそ、ほんとうに、ありがとうございます。
私に王妃の座を譲ってくださって!」
カスティリオーネはチチェローネの手を強く握り締める。
(さすがはチチェローネ様! 王国の盾は健在だった)と、彼女は感激していた。
帰りの馬車で、チチェローネは用意された書面を確かめる。
一枚は、オネスト王太子がリリアーナ嬢と婚約することを弾劾する文書だ。
そして、あとは、パレット侯爵令嬢、ドルビー伯爵令嬢、ミラン子爵令嬢、ダイモス男爵令嬢などの令嬢方による同意書が何枚もーー。
チチェローネは書面に目を通した後、感嘆の息を漏らした。
(仕事が早くて、驚くほどだわ。
ほんと、私なんかより、彼女こそ、王妃に相応しかったかも……)
チチェローネは馬車に揺られながら目を閉じる。
すると、即座に、体内の悪魔と脳内会議が開かれる。
大悪魔は込み上げる笑いを堪えるのに苦労しているようだった。
「それにしても、其方を『王国の盾』と賞賛するとは。
思わず笑ってしまいそうになったぞ」
「彼女は生真面目なのよ。
でもーーよかったわ。何事もなくて。
これほど協力的だったもの。
彼女にはなにもしなかったようね」
「意外なことを言うものだ。
其方を陥れた者のすべてに復讐するのだろう?」
でも、彼女の内心がわかった今となっては、許したい気持ちになる。
たしかに、『王国の盾』たるサットヴァ公爵家の令嬢として、私は不甲斐なかった。
他の令嬢方を、これほど苦しめていたとは。
王太子の許婚者として、もっと明確にリリアーナを処断すべきだった。
そうしたチチェローネの想いが、心身を共にする大悪魔に通じていたようだ。
大悪魔の低い声が脳内で響き渡った。
「自らの行いを顧みて、反省するーーじつに、人間らしい考えだ。
だが、余のような『神の眷属』に反省はない。
余との契約は絶対だ。
其方に濡れ衣を着せた者に、代償はつきものだ」
カスティリオーネ辺境伯令嬢にも、復讐の手が伸びるらしい。
「大悪魔と知らずに契約してるの、可哀想なんですけどーーで、どういった代償が?」
チチェローネの問いに、大悪魔は答えなかった。
「ふん。それは秘密だ。
が、すでにあの女には暗示をかけてある。
いずれ、其方にもわかるであろう」