◆12 宰相館で開かれた、二つの面会
夜更けになった。
このランブルト王国には、不夜城と称される館があった。
宰相ガッブルリ・クルニーの邸宅である。
三階建ての巨館で、王城に隣接しており、護衛管理上も王宮と同等扱いになっている。
貴族街の中心に位置した場所であった。
政治の中枢を担っている政務館といっても良い。
その巨館の二階南東の隅に、学園を卒業したばかりの子息ハイデンライヒ・クルニーの居室がある。
今宵も広い個室で独り椅子に座ったまま、親指の爪を噛んでいた。
ハイデンライヒは、チチェローネ公爵令嬢が監獄塔を脱出し、大悪魔を召喚したと耳にしていた。
今現在、国王夫妻も気絶したままというが、大悪魔召喚と無縁ではあるまい。
父のガッブルリは宰相職にあって王国一の事情通なのに、相変わらず詳しいことを教えてくれない。
国王夫妻の昏倒にしても、オネスト王太子から内々に伝えられた情報で、父からではない。
それでも、『大悪魔は清い心の持主でなければ召喚できない』という噂ぐらいは知っていた。
「心の清い者」ーーあの、高慢ちきなチチェローネ公爵令嬢が!?
信じたくない。
オネスト王太子のように、「どうせ小悪魔を呼びつけただけだろう」とうそぶきたい。
が、ハイデンライヒには、大悪魔召喚に疑念を抱くことはできなかった。
ハイデンライヒは親指を噛む。血が出るほどに。
(今度は、僕自身が裁かれる立場にーー?
冗談じゃない!)
例の舞踏会ーー〈チチェローネ公爵令嬢の断罪イベント〉が開かれるよりも、ずっと前の出来事を、彼は想起する。
かつて、生徒会副会長ハイデンライヒは、チチェローネ公爵令嬢を生徒会室に呼びつけて、提案したことがある。
彼女の弟メルクに頼み込んでも、埒が明かなかったからだ。
「チチェローネ嬢。
貴女を、僕に代わって生徒会の副会長にしてあげます。
そうすれば、貴女はオネスト王太子と会長・副会長の仲になれるんだ。
良い案だろ?
大手を振るって会長と会う機会が増えれば、リリアーナ嬢とばかり付き合おうとする会長を牽制することができる。
その代わり、貴女が母親から受け継いだ青い羽が欲しい。
弟に尋ねても『姉上しか決められない』と言うばかりだったし、僕の父ーー宰相閣下に問うたら、鼻で笑われた」
「なぜ、これが欲しいと?」
自分の左胸に挿した青い羽に手をやりながら、チチェローネ嬢は小首をかしげる。
ハイデンライヒは椅子から腰を浮かせて甲高い声をあげた。
「なんでも、その羽は国宝以上の価値があるそうじゃないか。
魔力が凄いし、その力には謎が多いんだろ?
でも、そんな危険なモノは、本来なら王国の管理下に置くべきだと思うんだ。
いくら筆頭公爵家だといっても、一貴族が私有すべきモノじゃない。
オネスト王太子も、僕の父上も、本音ではそう思ってるはずだ。
だから、さ。
君の一存で決められないなら、お父上に口添えを頼むからーー」
と依頼した。
が、あっさり断られた。
チチェローネ嬢はスカートの裾をたくし上げ、頭を下げる。
が、しっかりとした強い瞳で断言した。
「この羽は我がサットヴァ公爵家に連なる女性が代々受け継ぐもの。
婿養子であったお父様ですら、手出しできない決まりなんです。
そして、私自身も、興味本位なだけの貴方にこの青い羽を譲るつもりはありません。
しかもーー副会長になるための見返り?
国宝級の羽も、ずいぶん安く見られたものですね。
それに、学園の役職はそのようにやり取りすることなど、あってはならないことです。
さすがは手練手管の宰相閣下のご子息。
その政治手法ーーお父様に学ばれたのですか?」
王太子をリリアーナ嬢に取られたから、許婚として立場を挽回したいでしょう、と足下を見たのが気に入らなかったのか。
キッパリと断られた。
しかも、政治手腕が悪辣と噂される父のことまであげつらわれた挙句の拒否であった。
チチェローネは銀髪をなびかせて踵を返し、生徒会室から立ち去った。
その後姿を見ながら、ハイデンライヒは奥歯をギリリと噛み締めた。
(成り上がりの辛さを、まるで知らないお嬢さん育ちが!)
ハイデンライヒにとって、屈辱的な出来事となった。
だから、後日になって、出鱈目を吹き込んで、生徒会役員たちを扇動した。
役員のみなに、手に入れていた怪文書を配って切り出した。
「先日、僕はチチェローネ公爵令嬢をお招きして、副会長にしようとしたんだが、やめた。
この怪文書ーー誰かが悪戯で勝手に書いたものと思っていたんだが、違ったんだ。
彼女が『副会長になるなら、以下の施策を行なう』と主張した内容が、まさに、このチラシに書き連ねてある内容と一致していた。
これを見てくれ」
みな、怪文書を一目見て、ギョッとする。
「身分によるクラス分け!?」
「身分による点数の操作!」
「ーーそして、平民の追放!?」
「そんな、チチェローネ様が!?」
みな、びっくり。
チチェローネ公爵令嬢は筆頭貴族の淑女にふさわしく、聖女のように思われていたからよけいに、生徒会役員の面々は驚愕した。
怪文書をバラ撒いているのは「不良」連中だと生徒会はすでに把握していた。当然、妬みによるデマ文書として問題視していなかった。
ところが、ほんとうにチチェローネ公爵令嬢が、怪文書で指弾されるような思想の持主だったとは!
もちろん、この場に、チチェローネの個人的な知り合いがいたら、すぐに否定されていただろう。
でも、現在は、副会長ハイデンライヒの目の前に居並ぶ生徒会役員たちは一学年、二学年下の者たちだった。
彼ら後輩から見たら、年齢が一、二歳上なだけでも、敬意を払われる〈雲の上の存在〉として扱ってくれる。
だから、生徒会副会長として、なおかつ先輩としての立場で、このように報告すると、信憑性が増したかのようであった。
次期生徒会長となる、ペルール伯爵子息が挙手をして発言をしたのを皮切りに、後輩役員たちが次々と声をあげた。
「私は、チチェローネ様を生徒会に入れるのには反対です。
たとえ副会長にしたとしても、もう半年も任期がありません。
ですから、ハイデンライヒ様も彼女を推挙したのでしょうが、そのような危険思想を生徒会の中枢に招くわけにはいきません」
「私も。このような言動が事実とすれば……」
「僕も。『博愛の精神に則るべし』という学則は大切なものと思います」
「生徒会長ーー王太子殿下にも、お伝えしないと。
婚約者が過激思想の持主だと」
〈断罪イベント〉の際に指摘した、
『チチェローネ嬢が、生徒会の募金を着服した』
というのは、サットヴァ公爵家のメルクと執事ヴァサーリの二人に相談して決めたことだった。
チチェローネの心証を少しでも悪くするための一助になれば、という程度の発案であった。
でもーー。
ハイデンライヒは、ガリガリと親指の爪を噛む。
(僕が彼女を陥れたのは明らかだ。
しかも、あの〈断罪イベント〉に参加しなかった者であったら、彼女が濡れ衣を着せられたと、誰もが思うに違いない。
何も知らない平民どもならいざ知らず、事情通の者なら、国王夫妻がお倒れになって、黒い稲妻が落下したという事実によって、チチェローネ公爵令嬢が大悪魔を召喚したこと、そして彼女の心が清く、潔白であった、と証明されたことを察するはず……)
つまり、今度は、僕ら、断罪した側が断罪されることになる。
となれば、父上も黙っていないだろう。
僕なんか、あっさり捨てられるに違いない。
我が家の家督は二歳下の弟に奪われてしまう。
弟の方が成績は悪く、自分の方が生徒会副会長で、成績も良い。
このまま自然と、僕が家督を継ぐと思っていた。
でも、父上は弟をいつも贔屓する。
まるで勉強もせず、遊んでばかりの弟を、「末頼もしいヤツだ」と評価しているのを知っている。
そこへ、僕が、チチェローネ公爵令嬢に濡れ衣を着せるための大役を果たしたと、父上が知ったら、どうなるか。
火を見るよりも明らかではないか。
ハイデンライヒは頭を抱えた。
本当に愚かなことをしてしまった。
焦ってきてしょうがなかった。
泣きたい気分だった。
すると、え〜〜ん、え〜〜ん、と誰かが泣く声が聞こえてきた。
頭を上げ、現在は人払いされた、出入口の扉を見渡す。
扉の向こうから泣き声が鳴り響いてきたのだ。
ひとりではない。複数の泣き声が幾重にも重なっている。
子供のように大泣きする声でありながら、閉じられた扉の向こうから聞こえるくらいには、大きな、野太い声で泣いている。
なんだろう、と思って、扉を凝視する。
その瞬間、バタンと扉が開いた。
そこには、見慣れた顔が並んでいた。
生徒会の後輩役員の面々であった。
〈チチェローネ公爵令嬢に対する断罪イベント〉の際には、自分の策に踊らされた格好で、証言をしてくれた人たちだ。
そんな彼らが、いきなり不夜城の二階奥の自室に闖入してきた。
あり得ない。瞬時に、そう思った。
人払いはしているが、玄関からここまで、門番、衛兵、執事、侍女の誰にも見咎められることなく、侵入できるはずがない。
思わず席を立って、後輩たちのもとに駆け寄せた。
「ど、どうしたんだ?」
と、うわずった声をあげながら。
ところが、七名もの若い男女が押し寄せて来ながら、誰ひとり、まっとうに返答してくれる者がいなかった。
「あははは」
「ひひひ」
生徒会役員たちが、笑いながらハイデンライヒに抱きついてくる。
こんなに馴れ馴れしくされた経験はない。
激しく動揺するハイデンライヒの目の前で、彼らは自由勝手に振る舞い始めた。
ゴロゴロと床を転げ回る者もいれば、ところ構わず失禁する者までいた。
異様な光景が展開した。
ハイデンライヒは、見慣れた顔の者たちが迫ってくるのを、手で払いのけた。
見慣れた顔ではあったが、表情が見慣れたものではなかったからだ。
気持ち悪くて仕方がなかった。
すると開いた扉の向こうから、場違いなほど鮮やかな色をしたドレスをまとった、ひとりの女性が現われた。
「この者たちには罰を受けてもらったわ。
私を不当に断罪したのだからね。
ダメじゃないの。生徒会なら、ちゃんと経緯ぐらい調べないと」
「あ、貴女はチチェローネ!?」
突然だった。
悪魔と契約を結んだといわれるチチェローネ嬢が、復讐をしにやって来たのだ。
濡れ衣を着せた僕を狙って。
ハイデンライヒは身を屈めて警戒した。
武術の心得はまるでないが、あたかも喧嘩慣れしているようなフリをする。
「ば、罰とはどういうもので……」
「あら心配いらないわ。あなたも体感させてあげる」
チチェローネの言葉を耳にした途端、視界がぼやける。
「ううっ。ぼ、ぼくをどーするつもりだ!」
「貴方の脳を少しいじってやっただけよ。
そうね。元の知能の半分以下にしてあげたわ。
もう文字も満足に読めないでしょ?」
チチェローネは生徒会役員たちから手に入れた怪文書を、ハイデンライヒに手渡す。
ハイデンライヒはチラシを手に、一生懸命、凝視する。
が、しばらくすると、ポタポタと涙をこぼすばかりとなった。
チチェローネはツカツカと足音高くハイデンライヒに近づくと、彼の耳を引っ張って椅子から立たせ、代わりに自分が腰掛けた。
ハイデンライヒは二十歳近くの男性にしては小柄だ。チチェローネと背丈もほとんど変わらない。
チチェローネはハイデンライヒを招き寄せて、膝の上に頭を乗せた。
「いずれ開かれる〈逆断罪イベント〉で、貴方は証言なさい。
『不当に私、チチェローネを断罪した』と。
正直に話すと、知能を元に戻してあげるわ。
それまではーーそうね。寡黙で通しなさい。
ああ、今の頭じゃ、『寡黙』という言葉がわからないかしら?
そりゃそうね。今じゃ、三歳児並みの頭ですからね。
ではーー」
頭を撫で撫でする。
「お口にチャックですよ、坊や。
さもないと、お姉さんがメッ! ってするからね」
面白がって、幼児化したハイデンライヒの顔を上向きにして、睨みつける。
そして、頬をパシンと平手打ちした。
「あああん!」
ハイデンライヒは子供のように大泣きする。
釣られて、生徒会の仲間たちも泣き始めた。
彼らがいかに幼児化していたとしても、身体は青少年である。
泣き声もうるさい。
しかも、ハイデンライヒは何が何だかわからなくなったみたいで、チチェローネのスカートの裾にしがみついて離そうとしない。
うっとうしいったらない。
チチェローネは彼の手をバッと払って、椅子から立ち上がる。
泣きじゃくる宰相子息と、生徒会役員たちを残して、部屋から立ち去った。
「ふぅ。こんな小物に、これ以上、時間を割く必要はないわ」
チチェローネは、新たに得た護衛騎士のひとりに命じて、門の前に立たせる。
乾いた血糊が付着した鎧をまとう、巨漢の騎士だ。
「私がこの館から出るまで、この者たちをこの部屋から出さないように」
そう命じてから、チチェローネはそのまま廊下を進み、階段を上っていく。
不夜城と称される宰相邸は三階建てだ。
チチェローネは、王国の政治を担う宰相閣下の執務室室へと向かったのだった。
◇◇◇
「なにやら、下の方が騒がしくないか?」
男爵の身分ながら、才覚ひとつで宰相にまで上り詰めたガッブルリは、気配の変化に敏感だ。
いつもの心配性が出たとばかりに、老執事は笑みを浮かべる。
「いずれは収まりましょう。
不夜城に仕える者どもの力量をご存知でしょう?」
主人に応じて、完全な実力主義で、執事も護衛も雇っている。
防備の堅さは王宮をも凌ぐとすら噂されていた。
「わかった。では、話を戻そう。
今日、王宮に来た者は?」
じつは、宰相ガッブルリは、オネスト王太子を監視対象に指定していた。
国王夫妻が昏倒したままの現状にあって、王権代理たる王太子に勝手に振る舞われたら困るからだ。
かといって、オネストが、自分の制止など気にも留めない性分なのを承知していた。
「サットヴァ公爵家子息のメルク様をお招きして、なにやら話し込んでおりました。
おそらく、国王夫妻がお倒れなのも口外したかと」
執事からの報告を受け、宰相は嘆息する。
「やはり、王権代理としての自覚がない。
それに、何度、禁を破ったら気が済むのか。
内廷に王家の者以外を招くとは」
ランブルト王国の王宮は、王城の内部にある。
その王宮の奥の院に当たるのが内廷で、本来、王家一族のプライベート空間だ。
時代によってはハーレムが置かれたこともあるが、基本的に、国王の家族しか入れない空間になっており、宰相であるガッブルリですら立ち入ることはできない。
だから、内廷に仕える侍従や侍女に、密かに自分の手の者を潜り込ませて、内情を監視していた。
かといって、ガッブルリに悪意はまったくない。
王家の動向を監視することは、重要な政治案件と理解しているだけのことだった。
嘆く主人に、老執事は皮肉を言う。
「と申されましても、筆頭公爵家のサットヴァ家は、王弟を始祖とするお家柄。そのご子息をお招きしただけですからな。
まだ、口実も立とうというもの。
この前のように、某子爵令嬢を招き入れて一夜を過ごそうとしたことに比べれば……」
「ああ、あのリリアーナか。
あれは平民女と呼びなさい。ここに他人の目はないのだから」
執事は苦笑いを浮かべながら、一通の書状を主人に差し出す。
「とかく王太子殿下は、勝手気ままに振る舞われる。
その影響か、婚約者も独自に振る舞うようで」
宰相ガッブルリのもとに、チチェローネ公爵令嬢からの手紙がもたらされたのだ。
ほんの一時間ほど前に投函されたもので、「今宵のうちに、宰相閣下と面会を望む」としたためられていた。
「ふむ。父親のサットヴァ公爵閣下に無断で、ご令嬢が個人的に面会を所望とはな……」
チチェローネには、すでに死刑判決が出ていた。
が、宰相ガッブルリの計らいで、本日付けで彼女の処刑を保留とし、脱走中なのを承知の上で審査の再開を司法省に要請していた。
ガッブルリは、彼女が収監されたのは、冤罪によるものと知っている。
大悪魔が召喚される場合の条件を、ガッブルリは知っていたのだ。
(まずは、儂はこれから、〈謂れなき濡れ衣を着せられたご令嬢〉と面会するのだ、と思っておかねば……)
現在の彼女には、かの伝説の〈漆黒の大悪魔〉が後見についているとみて間違いない。
〈漆黒の大悪魔〉は豊富な知性を有する〈神の眷属〉であって、本来は神様のものである〈魂に対する裁き〉の権能を司ると訊いている。
迂闊に対面するのは避けたいのが本音だが、向こうから来訪してくるのなら仕方ない。
冤罪をかけられたチチェローネ嬢を宥める必要もある。
言いがかりをつけて罪に陥れたのは、婚約者でもあり次期国王でもあるオネスト王太子殿下なのだ。
まずいことに、正式に死刑判決まで下してしまった。
国家を預かる者として、冤罪被害者を看過できない。
宰相は丸い片眼鏡を嵌め直し、顎髭を撫で付ける。
(問題は、チチェローネ嬢が、どうして濡れ衣を着せられたのか、だな。
まずは、殿下によって開かれた〈断罪イベント〉以前に立ち戻って考えねばなるまい。
どの程度、あの謎多き平民女が関わっているのか……)
ガッブルリは、老執事の隣に控える侍女に、チチェローネ嬢の評判を問う。
いまだ年若い身ながら、豊富な諜報経験をもつ侍女が淡々と語る。
「評価は真っ二つに分かれておりました。
当初は、聖女にもみまごう出来た女性だという評判がもっぱらでしたが、最近は逆に悪い噂ばかりになっておりました。
特に、例のリリアーナとかいう平民女をいじめている、学園から追放しようとしているなどと噂され、怪文書までが出回る始末でした。
その平民女に入れ込んでいる王太子殿下は、すっかりチチェローネ様に愛想を尽かしていたとか。
事実、学園卒業生による舞踏会において、オネスト王太子殿下が、卒業生たちの面前で、チチェローネ公爵令嬢に対して婚約破棄宣言なされました」
「むう。婚前の女性にとって、もっとも屈辱的な出来事だな。
しかも、それが冤罪によって、なされたーーと。
それでも、オネスト王太子殿下は目を覚まさず、『婚約を見直す』と言い出すありさま。
やはり、殿下の意中の女性は……」
「はい。例の平民女リリアーナです」
「むう。果たして、どれだけの者が祝福できるかな。
その舞踏会には、同級生の過半が集まっていたのだろう?
殿下がチチェローネ嬢からリリアーナに乗り換えるのを、すんなりと認めたのか?
近頃の若い者は、それほど身分に寛容になったのか?」
「それにつきましては、辺境伯令嬢カスティリオーネ様が、積極的に数多の令嬢方に働きかけておられるとか」
「あのバッファ辺境伯のご令嬢か。暗躍されると厄介だな」
「ちなみに、ご子息のハイデンライヒ様も、生徒会副会長という立場で、チチェローネ公爵令嬢を断罪する者に加担したとか」
宰相ガッブルリは、白髪を掻きむしった。
「ったく、いつまでも子供だな、あいつは。
殿下に媚びを売りすぎる。
殿下の短慮に苦言を呈するぐらいなら、良かったのだが。
目先の利点を気にして、他人の顔色を窺いすぎる。
そのくせ、令嬢方を女性と思って軽んじる傾向がある」
「それを、ご本人の前でおっしゃってくだされば」
仏頂面のままに侍女から苦言を呈される。
それでも、主人は苦虫を噛み潰すような顔をするだけだった。
「あれは、私が何か言えば言うほど、余計に拗らせるだけなんだよ。
思春期の息子とは、とかくやりにくいものでな」
「はあ」
「失礼な物言いながら、陛下におかれましては、まことに良い時機にお倒れになったと言うべきかな。
おかげで時間はある。時間だけはな」
ガッブルリが大きく息を吐く。
そのタイミングで、コンコンと扉を叩く音がした。
老執事と侍女がビクッと反応する。
老執事は喉を震わせる。
「この三階には、誰もいないはずなのですが……」
若い侍女がナイフを手に身構える。
が、宰相は即座に頭を横に振って、警戒を解かせた。
「どれほど護衛がいようと無駄だよ。
相手はヒトならざる身なのだ。
これから対面するのは、年若いご令嬢ではない。
大悪魔よりの使者と心得なさい」
宰相ガッブルリは顎をしゃくって、老執事に扉を開けるよう指示する。
扉の向こうにいたのは、想定通り、チチェローネ公爵令嬢であった。
「ご機嫌麗しゅう。夜分、遅くに失礼いたしますわ」
読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
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