◆11 犯罪のでっち上げには、相応の報いを!
騎士団長の子息ロレンツォ・ベルールは、いつもいたぶっている犯罪者の息子を学校裏に呼び出した。
騎士団絡みの仲間とともに、ひとりを取り囲む。
細面の男、ハンスだ。
彼の父親は民家に押し込み強盗をやらかしていた。
抵抗することなく、ロレンツォたちから殴り、蹴られる。
ハンスにとっては、いつもの日常的光景だった。
ロレンツォは利き腕の手首を振りながら、言った。
「ハンス。おまえが暴行犯役になれ。
おまえがリリアーナ嬢を襲ったんだ。
もちろん、チチェローネ公爵令嬢の命令によって、な。
なに、心配するな。
実行されていないから、罪は軽い。
一生遊べるだけの金をやる」
貴族子女を暴行しようとした、と虚偽の告白をしろ、というのだ。
ハンスは、さすがに抗弁した。
普通に考えても、将来を失うことは目に見えている。
「でも、そんなこと、無理だよ。
ロ、ロレンツォ様が陥れようとしてる相手は、筆頭公爵家のご令嬢なんだぞ。
バレたら、どうなるかわからない。
実際、僕個人には恨みもないんだ」
ハンスにとってみれば、高嶺の花ながら、普段から遠目で眺めつつ、チチェローネ様を美しいと思っていたのだ。
吐き捨てるようにロレンツォは言う。
「ああいう女は、取り澄ました態度で、じつは俺たちのような騎士を見下してるんだよ。
お前も噂を聞いてるだろう。チチェローネのやつが差別を作ろうとしてるのは」
「その噂は、おまえらが作った怪文書のせいだろ。
おまえたちがやってることなんか、俺の方がよくわかっている。
おまえら騎士団のお偉方はすぐ罪をでっちあげる。
だいたい俺の親父が民間人相手に強盗を働いたっていうのは、そのときに班長だったやつに押し付けられた冤罪だ。
俺は親父がそんなことするとは思えない。
親父はつい最近まで平民だったんだ。
腕が立つからって騎士団に所属させられたら、途端にこれだよ。
騎士団長って言うお前の父親こそ、管理がなってねんじゃねーか?」
「おい! 誰に向かって、もの言ってんだよ!?」
「あぁ!? 身分差別に反対してる、おまえに向かって、だよ。
身分差別をどうこう言いながら、おまえも身分から後ろ盾を得て、俺をいじめてるんだ。みんなそうだ。
大体この学園にいるやつはみな、身分の高いヤツばかりのくせに、なにを自己矛盾なこと言ってるんだよ」
「なんだ、ハンス。
平民に毛が生えた程度のくせに思想を語るってのか?
俺は、そんな身分がどうだ、平等がどうだってのはどうでも良い。
あの、お高く止まったチチェローネを俺たちが生きてる地表にまで引きずり降ろせりゃ、それで良いんだ。
どうだったら、おまえは俺の言うこと聞いてくれる?」
思いの外、手間取る。
面倒臭くなったロレンツォは、ハンスに交渉を持ちかけた。
ハンスは、このタイミングを待っていた。
願いが果たされたら、連日、いじめられてきたのにも甲斐があったってもんだ。
「犯罪者の息子」呼ばわりされてから半年、ハンスは強かになっていた。
「父親を無罪放免ってことにして、今すぐ解放してやってくれ。
母親を慰めてやりてえんだ。
我が家の者はみな、周りからいじめられるようになった。
俺の弟や妹まで、いじめられてるんだ。
親父が解放された上に、俺が
『チチェローネ様にいやいや悪いことをさせられた』
ということになったら、少なくとも、俺たち家族をいじめることの口実はなくなるだろう。
そうしてくれ。あんたにはそれができるはずだ」
「いいだろう。そのかわりきっちり監獄塔に入ってくれよ」
ロレンツォはハンスに手を伸ばして、地面から引き上げる。
かくして、卒業式後の舞踏会において、チチェローネ公爵令嬢を確実に犯罪者に仕立て上げる企てが完成したのであったーー。
「やはり、そういった事情でしたか」
長い回想を終えたばかりのロレンツォは、横合いからフイに声をかけられた。
明らかに女性の声だ。
いつの間に近づかれていたのか、まるで気づかなかった。
ロレンツォは慌てて振り向く。
そこには、この練兵場で展開するむさ苦しい男どもの世界にはまったく似つかわしくない、ひらひらのスカートをまとって、日傘をさした女性が立っていた。
「チ、チチェローネ!?
監獄塔から逃げたって噂は、本当だったのか!?」
革鎧の従者を二名ほど従えているとはいえ、屈強な騎士団員ばかりが何十人も集まっている練兵場に、自ら乗り込んでくるとは。
アングリと口を開けるロレンツォに、チチェローネ嬢は扇子で口許を覆いながらささやいた。
「監獄塔の下層に、貴方のお友達がいらしたの。
お友達は大事にしなきゃ。同じ騎士団絡みのお仲間さんでしょ?」
彼女の背後にいた従者が、細身の男を連れ出す。
犯罪者の息子ハンスだった。
「チチェローネの命を受けて、リリアーナを襲った」と証言した男だ。
チチェローネは扇子をパチンと閉じて断言した。
「この男、ハンスは、貴方の命令で嘘の告発した、と言ってくれたわ。
命じた方が罪が重いんだから、貴方も相応の罰を受けるべきよね?」
「罰ーー罰だと!? ハハハ!」
ロレンツォは肩を揺らせて笑った。
この女は騎士の習性ってのをわかっていない。
決闘の現場に立ったときも、もちろんないだろう。
男たちの肉体による言語ってのをわかっていないのだ。
ロレンツォとともにいた騎士爵家の取り巻きも、苦笑いをしている。
「おい、急いで門を閉じろ。外からの出入りができないようにな」
薄笑いを浮かべるロレンツォの指示に、仲間たちが従う。
手を挙げて、門番に門を閉じさせる。
「さて、お嬢様を荒くれ男どもの腕の中にご招待しようじゃないか!」
ロレンツォは立ち上がり、大声を上げた。
今現在、練兵場では、自分たちの父親や兄貴ともいえる年齢の騎士たちが、剣をふるったり、組み手をしたりしている。
その人たちに向かって大声で呼びかけた。
「おおい! みんな!
ここに死刑囚の犯罪者がーー監獄塔からの脱走者がいるぞ。
それも、とびっきりのオンナだ。
筆頭公爵令嬢のチチェローネ様だ。
彼女を捕らえた者には、王太子殿下が必ず褒賞をくださるだろう!」
おおおおお!
怒涛のような雄叫びが上がる。
騎士たちがいっせいにロレンツォの許に駆け寄せてくる。
「ロレンツォの坊ちゃん! その後ろにいる女ですか!?」
「そのお嬢ちゃんを倒しさえすれば?」
「いや、捕まえるんだろうが!」
「こんなフワフワした格好でも、死刑囚なんだろ?
身動きさえできなくすればーー」
次から次へと、何本もの太い腕が、チチェローネの許に集まってくる。
中には目を血走らせている男もいた。
『監獄塔から、死刑囚の元公爵令嬢が逃げ出した』という大事件は、誰もが知っていた。
しかも、彼女は美しいと言うことも。
今なら、捕まえることを口実に、公然と抱きつくこともできる。
彼らには一生、触れることもできない高位貴族の女性だ。
わああああ、と汗まみれの男どもが集まったところで、チチェローネ公爵令嬢はバッと扇子を広げ、高らかに宣言した。
「私に触れようなぞ、貴様らには百年早いわ!」
チチェローネが扇子を振った途端、バッと辺り一面に、黒い靄が立ち昇る。
靄が晴れると、騎士たちの周囲を黒い羽根が舞い散っていた。
「なんだ。これは?」
「黒い……羽?」
チチェローネに近づいた者たちから、順に羽根に触れていく。
すると、彼らの動きはいっせいに止まってしまった。
「何が起こった!?」
ロレンツォは座席から転げ落ち、腰を抜かす。
地べたに尻餅をつきながら、みなの変化を見る。
気づいたら、いつも連れ回してる仲間たちもみな、両目を赤く輝かせながら、棒立ちになっている。
「知らなかった? これは俗にいう悪魔の羽。
これに触れたものはみな、私の眷属になるのよ」
チチェローネは、ロレンツォを背後から見下ろす。
「騎士団長子息のロレンツォ・ベルール。
あなたには羽に触れることがないよう気遣ってあげたのよ。
ハンスも一緒にね。
だって、特等席で見せてあげたいから。
ーーそう、この男どもは、これから、あなたに罪をなすりつけられて、罰せられる格好になるわね。
見てなさい」
パチンと扇子を閉じて、眼前に居並ぶ何十人もの男たちに命じた。
「さあ、お互いに、気に入った者ーー親友だと思う者から順に、力一杯、殴りなさい。
殴り疲れたら、首を絞めてでも、剣で刺してでも構わない。
手段は問わないから、自慢の技で殺しておしまい!」
おおおおおーーっ!!
チチェローネの命を受け、騎士たちは叫び合いながら、お気に入りの弟子、お気に入りの先輩を相手に襲いかかる。
隣や、後ろにいる者に殴りかかったのだ。
ガン、ガン!
何十人もの男どもによる殴り合いが、練兵場の広場一面で展開する。
ある者は血反吐を吐いて、ある者は両目を潰されて倒れていく。
地面に倒れても終わらない。
さらに身体を踏みつける。
殺せと命ぜられたのだ。
攻撃はとどまるところを知らない。
中には、一人殺して、また一人、と何人も殴ったり刺したりして殺す猛者もいた。
「お、おいおい、なんだよ、これは!?」
ロレンツォは青褪め、慌てた。
「チ、チチェローネ!
おまえは王国の騎士団をなんだと思っているんだ!?
ランブルト王国の武力と権威の象徴だぞ。失ったらーー」
「あら、知らないわよ、そんなったこと。勝手に潰れるが良いわ」
「……」
ロレンツォは絶句した。
今になって、ようやく自分は恐るべき存在を敵に回してしまった、と悟ったのだ。
チチェローネが悪魔と契約したという噂は耳にしていた。
だが、悪魔の存在自体をロレンツォは信じていなかったのだ。
これまではーー。
今現在、練兵場にいる騎士団員は全体の十分の一ほどだが、それでも精強な部隊だった。
蛮国との戦闘や盗賊との抗争で戦果を挙げてきた部隊だ。
それがーー王国に身命を捧げた騎士団員が、チチェローネのお声かけひとつで、互いに殺し合って潰れていく。
ロレンツォにしてみれば、自分を背後から支えてくれる「信頼」があっさり壊れていくかのようだった。
あまりの惨状に、ロレンツォは尻餅をついたまま失禁する。
両眼には涙が溢れていた。
そんなロレンツォの姿を見て、チチェローネは口許を綻ばせた。
「あらあら、お可哀想に。
お山の大将を気取るのも、今日で終わりよ。
良い加減、自分は非力で、卑怯なオトコなだけだった、と悟ったらどう?
ーーまぁ、それにしても、貴方も哀れなものね。
好きな者から順に殴りかかりなさいと命じたのに、誰も貴方に殴りかからない。
坊ちゃん、坊ちゃんと囃し立てらられながらも、内心では、誰も貴方を好いていなかった。裸の王様ってことが良くわかったわ。
おほほほほ!」
黒い羽が宙空を舞い踊る中、土埃をあげ、屈強な男どもが、剣や拳を使って、互いに殺し合う。
甲冑をまとう騎士もいたが、脇の下や股間などの急所に向けて、蹴りを入れたり、剣を刺し合ったりしている。
そして得意技を使って、殺し合っていく。
誰もが彼もが地に倒れ伏していく。
七、八十名ほどの騎士がいたが、次第に動ける者がいなくなった。
動ける者も、ヨロヨロになっていた。
倒れている者どもを見れば、腕や足があらぬ方向へ折れ曲がったり、喉を潰されたり、両眼を抉られたりしている。
この練兵場で殺し合った者の中で、今現在でも五体満足なのは、十名にも満たなかった。
チチェローネは嫣然と微笑み、扇子をパチンと閉じる。
そして、いまだに亡霊のように戦場に立っている血塗れの男たちに向かって言った。
「良いでしょう。
貴方たちの技と肉体を讃えます。
私の護衛役となることを認めます。
以降、私に従うように」
殺し合いを生き延びた騎士たちは、片膝をついて頭を垂れる。
こうしてチチェローネは新たに七名の護衛騎士を手に入れた。
ロレンツォは腰が抜けて、立つこともできない。
そのさまを見下ろしながら、チチェローネは笑う。
「貴方ひとりになったんじゃ、お寂しいでしょうから、いつも率いているお仲間さんたちは適当なところで殺し合いをやめさせてるわ。ほら」
彼女の扇子の動きに釣られて視線を移すと、いつもの仲間が呻き声をあげながらも十二人とも、まだ生きている。
でも、眼が赤く光ったままだ。
正常な意識があるかどうかもわからない状態だった。
ロレンツォの耳元で、チチェローネはささやいた。
「じゃあ最後に仕上げといきましょう。
あなたを明確に罰してあげます」
チチェローネがパチンと指を鳴らす。
「えっ!?」
と声を上げると、ロレンツの視界がいきなり変わった。
今まで傍らでしゃがんでいたチチェローネが、いつの間にか、お尻を向けている。
自分が背後に回った格好だ。
そして、チチェローネがサッと立ち上がって、横合いに身を退く。
するとーー。
「ああ!?」
ロレンツォは思わず声をあげた。
目の前を見ると、自分の姿があった。
鍛えあげられた肉体を持つ、赤髪に黄色眼の男が、驚いた顔をして振り向いている。
まるで鏡を見ているようだった。
「お気づきかしら?
貴方の魂を別の肉体に入れ替えてあげたわ。
今やハンスの肉体にロレンツォの魂が、ロレンツォの肉体にハンスの魂が宿ってる。
そういうこと」
魂を入れ替えられたのだ。
結果、いまや騎士団長の子息は犯罪者の息子の姿に、そして犯罪者の息子は騎士団長の子息の姿になってしまっていた。
「やリィ!」
この奇蹟に歓声をあげたのは、今や騎士団長子息の肉体をまとう、犯罪者の息子ハンスだった。
チチェローネはニッコリと微笑む。
「ハンスさん。あとは、お好きにどうぞ。
今の貴方は、誰もが騎士団長の子息ロレンツォと思うわよ」
ハンスは居並ぶ「取り巻き」に向かって、大声をあげた。
「おおい!
ハンスのやつが、女のスカートの下に隠れて震えてやがるぜ。
監獄塔から出してもらって、自由になったと勘違いしているんだ。
今、このお嬢様から許可を得た。
こいつを痛めつけて、監獄塔に戻してやろうぜ。
そしたら脱獄囚を捕まえたって、俺たちが褒美をいただけるんだ!」
いまや正気を戻し、かつまた、尊敬する騎士団の先輩方が眼前で死屍累々となったさまを眺めた、ロレンツォの取り巻きたちは声を震わせる。
「で、でもーーあの女は良いのかよ?」
「このお嬢様こそが、死刑囚……」
つぶやく取り巻きの肩を、ハンスはバンバン叩く。
あたかも、ロレンツォなら、そう振る舞うかのように。
「なあ。さっきの大人たちのザマを見たろう?
屈強な騎士の先輩方が、みんなあのザマだ。
何がどうなってんのか知らないが、これほどの事態を起こせるお嬢様には手を出さないってのが賢明だ。
良いじゃねーか。
今日のところは、ハンスのやつを監獄塔に放り込むだけで」
十二人の仲間たちは互いに顔を見合わせて、オズオズと声をあげる。
「いつも通りの『可愛がり』さ」
「そうだな。可愛がってやろう。俺たちの訓練にもなるからな」
「そうだ。そうだ」
仲間からの声援を受け、ロレンツォの身体が、ハンスの細面の顔をグイと持ち上げる。
今や、ハンスとなったロレンツォが必死の形相になって悪態をつく。
「なんだ。貴様! 誰に手を挙げてんだ!
俺は騎士団長のーー」
「馬鹿だなぁ。寝ぼけてんのか?
騎士団長の息子ってのは、俺、ロレンツォのことだ。
そっちこそ、誰に向かって口を開いてやがるか、わかってねえみたいだな」
ガツッと殴りつける。
「おっ!?」と、ハンスは面白く思う。
いつもより身体が軽いことに気がついたのだ。
身体全体を筋肉が取り囲んでいることを実感する。
ちょっと力を込めただけで、全身に力が漲るように感じられる。
そして目の前にあるのは、自分の顔ーーいつもイジイジして、上の位の人たちを見上げる、ジメッとした顔……。
ハンスは自分の顔が気に入らなかった。
ロレンツォの赤髪や金眼のように派手な容姿になって、女をくどいたり、男同士でつるんで肩組み合い、方々を駆け回る方が、男らしい生き方ってもんだ、と常々、思っていた。
その願望が、突然、果たされた。
俺は、今、理想の容姿と立場を手に入れたんだ!
もう決して、あの身体になんか、戻ってやるもんか。
この肉体こそ、俺がようやく手に入れた〈俺のあるべき姿〉なんだ。
自然、拳に力が入る。
ガンガンガンガン!
ハンスは自分の見慣れた顔を殴りつけた。
そして、頭突きをし、蹴りを入れる。
相手もやり返せば良いものを、ろくにやり返しもせず、殴られまくっていた。
ロレンツォの魂は意気消沈して、ハンスの肉体を動かす気力すら湧かなかったのだ。
ハンスの魂は快哉を叫んだ。
(なんだよ。
魂が状況を決めるんじゃねーんだ。
肉体が優劣を決めてるだけなんだ。
そしたら、今の俺は無敵だ。
騎士団長子息ロレンツォなんだ!)
いつもいじめられていたから、口真似は上手いものだった。
「おおい、おまえら!
俺ばっかに殴らせてんじゃねえ。
手が疲れちまうだろうが」
取り巻きどもがやってくる。
みんな満身創痍の身体で、フラフラしている。
にもかかわらず、いじめるときにだけは力が出るらしい。
「わりい、わりい」
「ちょっと、我を失ってたわ」
「犯罪者の子供ーー『騎士の面汚し』を血祭りにあげれば、元気が取り戻せるってもんだ」
取り巻き連中が、寄って集って蹴りを入れたり、拳で殴ったりして、生き生きと笑い始める。
通常、行われていたリンチが展開した。
「やめろ。俺だよ、俺がーー」
ハンスの顔が血に塗れながら、声を漏らす。
が、いじめっ子たちに聞く耳はない。
「助かりたい一心でおかしなことを!」
赤髪のリーダーがそう言うと、取り巻きも大いに足を動かして蹴りを入れ、腕を振り回して殴る。
「いたぶってやれ!」
ガツッ、ガツッ!
血飛沫が舞い上がる。
殴られたハンスの身体は、ズタズタになった。
肋骨も何本か折れているだろう。
足首もひん曲がっている。
治癒魔法を使ったところで、寛解を望めるかどうか怪しいほどの重体になっていた。
「あぁ、やだやだ。
下衆な男どものダンスは見てられないわ。
美しさがないもの」
チチェローネは扇子で顔を隠して、視界を塞ぐ。
そして、瞑目しながら考える。
(ハンスの魂だったら、これから先も、素直に私の言うことを聞いてくれるでしょうね。
つまり、騎士団長子息のロレンツォ・ベルールは、これからは私の下僕になってくれるってわけかぁ。
だったら、このままで良いわ)
チチェローネは、正直、騎士団長ーーつまりロレンツォの父親が、どのような人物なのかを知らない。
だが、サットヴァ公爵を介しての噂によれば、命令に忠実な男性のようだ。
だとしたら、ハンスの魂のままのロレンツォでいる方が、なにかと都合が良い。
チチェローネは、暴れ終わって一息入れているロレンツォーーつまりはハンスに向けて声をかける。
「ご覧なさい。練兵場に広がる騎士どもの死体の山を。
これは監獄塔から逃げ出したハンスによってもたらされた〈黒い羽根〉によるもの。
ハンスは、脱獄の罪を犯しただけでなく、〈悪魔の眷属〉になるという大罪を犯したのだと、そう父上の騎士団長に報告なさい」
「はい。私は貴女の命令に忠実に従います。
なんなりとご命令を」
「あら。頼もしいわね。
ハンスーーいえ、伯爵子息ロレンツォ様。
だったら、お願い。
私からの要請があれば、いつでも騎士団を動員できるようにしておきなさい。
私の冤罪を晴らしたあとにでも、なにかと便利に使うこともあるでしょう」
「は。お待ちしております」
片膝をつくロレンツォの周りには、取り巻きたちがフラフラになりながらも、同じ姿勢を取っていた。
彼らは自分たちのリーダーが従う相手が、自分たちのボスなのだと直感したのだ。
目の前にある威厳ある女性は、かつてのチチェローネではない。
何かもっと恐ろしいものに進化していることを肌で感じ取っていた。
チチェローネはスカートを翻す。
(男どもに傅かれるというのは、なかなか気持ちが良いものね。
ふふふ……)
チチェローネが立ち去ると、以前から付き従っていた革鎧の従者と侍女のほかに、この『練兵場の惨劇』から生き残った七名の屈強な血塗れの騎士たちも付き従っていた。
時刻は、夕暮れ刻になっていた。
チチェローネは歩きながら、扇子を手に、従う者どもに矢継ぎ早に命令を発した。
「方々に手分けする必要があるわね。
今から言う者どもを捕まえてきなさい。
そう、そのメンバーのうち何名かは学園からの下校中でしょう。
私の可愛い後輩たちもいます。
それでいながら、私の断罪に加担した者たちです。
取りこぼすわけにはいきません」
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