◆10 渦巻く逆恨みと、妬みの暴走ーー腐りまくってない? その騎士道!?
日が傾きかけた頃ーー。
ランブルト王国の王都には、かなり大規模な練兵場が、平民街と貴族街の間にある。
そこは騎士団用の訓練場でもあった。
三階分の客席が設けられた壁面の真ん中に、総勢で五千人は入れる円の広場がある。そこが練兵場だ。
一階部分、直接、練兵場に入れる大きな門の傍らに、日除のテントが休憩所代わりに設られている。
そのテントの下で、渋面で座る、赤髪、金眼の若者がいた。
騎士団長の息子ロレンツォ・ベルールである。
彼の周りには、いつも通り、何人もの取り巻きがいる。
今日は騎士団ゆかりの者たちの本場ゆえ、十二人も同世代の騎士仲間が、銀色甲冑をまとってたむろしていた。
みな、訓練で一汗掻いた後で、雑談しながら休憩をしていた。
彼らの目の前では、自分たちより年輩の先輩たちーー正規の騎士団員たちが剣を振ったり、組手をしている。
そのさまをボンヤリ眺めながら、ロレンツォは回想する。
このランブルト王国の大騎士団を率いる騎士団長職を受け継ぐのは、代々、ベルール伯爵家の長男ということになっていた。
それゆえ、ロレンツォは幼い頃から騎士団員の子息たちと遊び、男だけの世界で生きてきた。
だから、学園に入ったとき、一目、令嬢方を見たとき、びっくりした。
母親以外の女性を見たのが、初めてだったのだ。
同じ年頃の娘たちが、ひらひらのついた衣服をまとい、扇子を手にして笑い合ってるのを見ると、異様な物体にすら思え、同じ人間種とは思えなかったほどだった。
ただその中でひときわ美しく、一目見ただけで、心臓が射抜かれたような気がした女性がいた。
それがチチェローネ公爵令嬢だった。
学園の一年生のとき、ロレンツォは今よりずっと軽薄だった。
女をエスコートするときは、こうするものとばかりに、物語の中で見た、騎士が姫に忠誠を誓うかの如く、いきなり求婚してみた。
胸に手を当て、片膝立ちとなり、
「お嬢様、私と付き合ってください。あなたの美しさに魅かれました」
と、いささか気取った声をあげて、頭を下げた。
つるんでいる騎士団仲間たちの前で、いつも通り堂々と振る舞ったつもりだった。
が、初めての恋の告白は、彼女にあっさり断られた。
「ごめんなさいね。私には許婚がいるの。
あなたもご存知でしょうけど」
そう言って、優しく手で触れて、チチェローネはロレンツォを立ち上がらせてくれた。
そのままクルリと背を向け、彼女は立ち去った。
彼女の立ち振る舞いは今考えれば、完璧に礼に適った態度だった。
しかも、当時のロレンツォは知らなかった。
彼女が筆頭公爵家の娘であり、しかも許婚者が王太子であることを。
ロレンツォは騎士団界隈という狭い世界でしか生きてきいなかった。
いつも練兵場で大勢と戯れていたので、自分が見聞きする世界が狭いというイメージが、彼には持てていなかったのだ。
でも、現実はシビアだ。
学園にいる人たちの背景は、みな、それぞれに違っていて、それなりに広い社会がある。
自分たちの遊んでいる騎士団連中だけの世界とは違うということを、いきなり知らされたようなものだった。
チチェローネにフラれて以降、クラスメイトなどに話しかけてみたが、どうしてもうまくコミュニケーションが取れない。
自然いつものように、ロレンツォは騎士団の仲間とつるんでしまう。
この学園は平民が少なく、生徒のほとんどが貴族の子息子女で構成されている。
が、その中で家の爵位が一番多いのはもっとも爵位が低い騎士爵だから、結果として騎士団員の家の子供がもっとも多い。
騎士団長子息のロレンツォは、自然、大勢の「仲間」を持つ格好になり、しかも、同学年や先輩であっても、騎士団内における父親の地位のおかげで、手下のように従えることができた。
その結果、ロレンツォは学年を跨ぐ学園の番長のような立場になってしまっていた。
だが、そんな番長である彼にも、当然、手が出せない存在がいる。
それが高位貴族家の子息子女である。
オネスト王太子は言うまでもなく、公爵令嬢チチェローネ、さらには辺境伯令嬢カスティリオーネなどに対しても、ロレンツォは一歩も二歩も退かねばならない。
それを学園生活によって学んだ。
だが、数の上では、圧倒的な支持層を築けるのはロレンツォだった。
そんな彼が、プロポーズしたらいきなりフラれてしまった。
仲間たちも歓呼の声を挙げて褒め囃すつもりだったのに、そうもいかなくなって、どうしたものかとウロウロしている。
自分の恥ずかしさを隠すためもあって、ロレンツォは、自分にこのような恥をかかせたチチェローネが悪い、と腹を立ててしまった。
(お高くとまりやがって!)
公爵令嬢から、騎士階級と勘違いされて舐められた、と決めつけた。
騎士団長は代々、ベルール家が担う。階級は伯爵だ。
でも、普段から騎士爵の者どもとつるんでるから、普通の領地所有の伯爵家より格が落ちると見做されることが不快でならなかった。
そのせいでフラれたと、ロレンツォは逆恨みを始めた。
しかも、さらに半年くらいした頃、チチェローネに、今度は弱みを握られてしまった。
いつも通り、騎士団員連中を引き連れて、弱い立場の者たちからカツアゲをしていたのだが、その現場を見咎められてしまったのだ。
学園中、生徒の過半数を占める騎士爵家の子息子女は、平民に毛が生えた程度の存在だ。
中には文字書きすらできない人もいた。
ところが、そんな彼らも、騎士家の慣例で学園に入り、文字や数学など、基礎学力を教わると同時に、魔法訓練も受ける。
当然、馴染めない者も多く、学園内での身分も低いわけだから不満も溜まり、結果、学園に遊びに来るだけのようになる連中もいた。
いわゆる「不良」生徒の発生である。
そういう連中も束ねるのが、結果的に自分のーー騎士団長子息の務めなのだ、とロレンツォは考えていた。
実際に、そうした不良を束ねる役割を、教師だけでなく、生徒会の会長であるオネスト王太子からも期待されるようになっていた。
だから、彼ら不良連中の不満を吐け口として、結果的に緩やかなレベルのカツアゲや、不良同士の抗争の仲裁をするような、文字通り「番長」のような仕事をすることになっていた。
その日も、さして大きな意味合いもなく、カツアゲをしていた。
カツアゲされる対象はたいてい決まっていた。
騎士団の中で、隊則を破ったものーーたとえば、民間人の女性をレイプしたり、民間人の家に押し入ったりするなどの犯罪を行なった者を、騎士団から追放することになっている。
が、その犯罪者の息子や娘も騎士爵を失うわけでなく、大抵はその犯罪を犯した父親が引退と言う形になり、子供に爵位が移るという措置が取られていた。
平民から騎士爵に挙げる手続きの方が面倒だし、騎士団の隊員数を減らすわけにはいかないからだ。
彼ら、犯罪者の子息子女も、学園を卒業したら正式に騎士となるわけだから、学園にいる間は騎士家の子供として学園に在籍している格好になる。
そういった人たちは、立場の弱さもあって、自然にひとかたまりになっていた。
そして、問題がない騎士家の子息子女が、その者たちを何かと理由を設けては、使い走りにしたり、カツアゲの対象にしたりするのである。
「騎士の面汚し」相手にいじめたりカツアゲするのも、騎士団の風紀を守るため、民間人に向けての犯罪を軽減させるための一環として、暗黙のうちに奨励されていた。
だから不満があると、騎士爵家の子供たちは、犯罪者の子供たちをいたぶる。
その日も、最近、開催された舞踏会に参加できず、外で警備ばかりをさせられていた騎士家の子息が多かった。
そうした者たちが、気軽に犯罪者の子息たちをいじめていた。
騎士団界隈では、よく見かける風景であった。
が、高位貴族の子女たちにとっては、見慣れた日常の光景ではなかったのだろう。
その日もロレンツォが騎士仲間と、犯罪者の子息どもからカツアゲをしていたら「やめなさい」とお嬢さんに止められた。
チチェローネ公爵令嬢だった。
彼女は扇子を閉じた状態で、こっちへ向け叱責した。
「今回は不問とします。お気をつけあそばせ」
そう言われたのが、不愉快でならなかった。
慣習的に行なっていることを、いきなり犯罪扱いにされたことが恥ずかしくてならなかった。
「何様のつもりだよ!」と声をあげた者もいた。
騎士団に属する仲間たちは、口々に言い募る。
「俺たちは舞踏会の会場にも入れなかった!」
「いつも舞踏会の中心にいるのは、彼女たちのような高位貴族家の令嬢どもだ」
「苦労知らずのお嬢様だから、仕方ないのさ」
そんなふうに声をあげて、憤る。
そのくせ、ほんとうは彼ら彼女らが舞踏会に出たところで、壁の花になるのがオチで、高位貴族からエスコートされることもなければ、互いの騎士爵家の者同士で踊ることもできない。
ダンスもできなければ、食事上のマナーもよく知らないからだ。
それでも、不愉快さが募るのだから仕方なかった。
身分社会にあって、憤懣が募るのは騎士爵家の子息だけではない。
子女も同じだ。
というか、彼女たちは男子以上に虐げられた立場にあるのが実情だった。
騎士爵家の子女たちは高位貴族家の令嬢方と違って、綺麗に飾りつけた衣服をまとっていないし、扇子すら持っていない。
だから、その質素な姿や振る舞いを見ただけで、「騎士爵家のオンナね」とわかる。
おかげで舞踏会の中央でダンスを踊ることができない。
結果、彼女たちは武芸に励んだり、勉強に励んだりして、下級官僚になるか、同じ騎士爵家の妻になるかしか道がない。
だから、彼女たち、最下級貴族の娘たちに、ロレンツォは声をかけてみた。
「なんとかして、鼻持ちならない高位貴族家の令嬢の鼻をあかすことはできないか」と。
そうしたら、彼女たちは思いもしないアイディアを出してきた。
「怪文書をバラ撒けばどうかしら?」と言うのだ。
女性社会は噂に弱い。
一度悪評を立てられると、そう立て直せるものではない、と彼女たちは言った。
だが、ロレンツォが標的としている相手がチチェローネ公爵令嬢だ。
悪評を立てること自体が難しかった。
実際、筆頭公爵家の令嬢を相手に喧嘩を仕掛けるとなると、怖気付き、たいがいの者が尻込みした。
他にも、高位貴族に反感はあるものの、チチェローネ公爵令嬢に個人的恩義があって、ロレンツォらの企みに加担したくない、という生徒も少なからずいた。
「私はチチェローネ様に優しくしてもらった」
「私はチチェローネ様から文具を貸してもらったし、成績が良かったときに褒められたわ」
「私なんか、お茶会に呼ばれたとき、直に参考書を貸してくださった」
「私が文官就職ができそうなのも、チチェローネ様のお力なの。
だから、こんなものに参加できない!」
などと称して、ロレンツォに誘われた際、憤慨して出て行く女性もいた。
が、成績があまり芳しくない女性ほど、ロレンツォとともにチチェローネ公爵令嬢を貶める計画に乗ってくれた。
彼女たちは成績も良くなかったので、文官などの官僚になれる見込みもなく、ほぼ騎士団の補助役か、騎士の妻になるくらいしか道がない。
だから、生まれながらにして将来が約束された高位貴族の令嬢に対して、一矢報いたい気持ちになっていたのだ。
不良騎士爵家令嬢が何人も額を寄せ合って、机の上に白紙のチラシを置いて討議した。
「チチェローネ様の個人的資質に問題はないのよ。
こう言っちゃなんだけど、ロレンツォたちだって逆恨みしてるだけよ」
「そんなこと、わかってる。
でも、そうやってチチェローネ様個人の特質にこだわってるから、返って怪文書なんか書けなくなるのよ。
高位貴族の令嬢方全体を叩くべきじゃないかしら」
「つまり、チチェローネ様個人ではなく、お高く止まってる、いけ好かない令嬢方が言いそうなことを書き連ねればいいんだわ」
「そうね。
それと、文句ばっかり言ってる無能な殿方が言いそうなことを書いてやれば良いのかも」
彼女たちが想定したのは、先輩文官たちからよく耳にする、いつも下級官僚を困らせ、いじめる、上級官僚に収まる男爵や子爵家のボンボンたちだ。
彼らが酒場あたりで、口にしているであろうセリフを書き連ねた。
いわくーー。
「身分秩序は必要だ。そうでないと国が収まらない」
「働く人、守る人、祈る人ーーこの区別は絶対だ。
そうした身分秩序を乱すのは国を乱す基となる」
ーーなどなど。
幾つか文章を書いてみて、彼女たちは思った。
「でも、これだけではインパクトが弱くない?」
「そうね。やっぱり、筆頭公爵家の令嬢が、自分より身分が低いものを蔑んでいるということにしないと」
「でも、チチェローネ様は虐げられたものにもお優しく、保護猫、保護犬の活動もしているのよ」
「だから、それが仮面だと暴いてやればいいのよ。
善人の顔の裏が、実は真っ黒だったということこそ、誰もが喜ぶネタだわ」
「そういえば、知ってる?
王太子殿下が引き連れている女」
「あぁ、あのリリアーナ子爵令嬢?
遠目でしか見たことないけど、たしかに可愛いお方だわ」
「でも、知ってる? あの人、元平民なのよ」
「えっ!? ってことは、私たちより身分が低いの!?」
騎士爵家の子女たちは驚いた。
「どうやって子爵家に潜り込んだのかしら?」
「養女だそうだけど、どうやって血の繋がらない平民女が、子爵家の養女に収まることができたかは、わからない。
とにかく、いきなり現われたのよね」
「たしか、魔力の数値も凄く高かったと思う。
もちろん、高位貴族家の方々には及ばないけど、私たちとはレベルが違った」
「あれでどうして平民出身なのか、よくわからないほどだわ」
「その彼女に、今、王太子殿下がすっかり惚れ込んでるって?」
「ええ。それでチチェローネ様が悔しい思いをしているという噂よ」
「じゃあ、簡単じゃない?
筆頭公爵家のご令嬢が、嫉妬のあまり、平民出身のリリアーナ嬢を貶めてるって格好にすれば良いのよ。
例えば、身分差別発言なんかしまくって、『この学園から平民を追い出す』って言い出したっていうことにすれば良いのよ」
「なるほど。いかにも、ありそうな話ね」
「人格的には、あのチチェローネ様に、もっともふさわしくない嘘をつくことになるのは知ってるわ。でも、だからこそ、かえって利点もある」
「利点?」
「この怪文書を私たちが書いたとバレても、『これは単なる悪戯です』って開き直ることができるわ。
『チチェローネ公爵令嬢が、こんなお方じゃないのは、誰もがご存知ですよね!? だから、こんな怪文書の文言を信じる人がいるとは、思えなかった』
とシラを切るのよ」
「なるほど。軽い冗談って、言い訳するのね」
「じゃあ、言い訳できやすいように、いかにも嘘っぽく、それっぽい形で文章を書けばいいのよ」
ひとりの女性が怪文書の文言をサラサラと書いていく。
文面を覗き込んだお仲間が感心した。
「あら、貴女、お上手ね。
なに? この怪しげな言い回し」
「これ、売文屋の人たちがいつも使う文章に似せたのよ」
「公文書とかの文面とは大違いね」
「勝手に読み手に推測させるようなもの言いにすればいいのよ」
こうして怪文書作成が始まった。
はじめは、「高位貴族の令嬢方の噂によればーー」という書き方をしていた。
だが、何枚も書いているうちに、表現がエスカレートしていく。
結果、「公爵令嬢チチェローネは身分差別主義者で、平民を学校から追い出そうとしていた」という怪文書が学園内でバラ撒かれることになった。
チチェローネ公爵令嬢いわくーー
『〈博愛の精神に則るべし〉という学則の撤廃』
『身分によるクラス分けの実施』
『身分による点数の操作を奨励すべし』
『平民女を、高貴な学園から追い出すべし!』
などと主張していた、とでっちあげられていった。
その日も、いつも通りワイワイ集まって、騎士爵家子女たちが怪文書作成をしていた。
チチェローネ公爵令嬢は、平民嫌い。
王太子からの愛を奪われた嫉妬のあまり、リリアーナ嬢の学園追放を目論む。
いつも自分がトップの成績を収めるのも、身分による点数操作を当然視しているからで、じつは彼女はいつもカンニングをしているーー。
そういったおふざけ半分の悪口が、いずれ公爵家の執事ヴァサーリの耳に入り、利用されるようになるとは、彼女たちはこのとき、思いもしていなかった。
彼女たちは、純粋に悪戯を楽しんでいたのだ。
でも、嘘も百回吐くと、真実と思われしまう。
そのうち、下位貴族の女性たちの間で、
「リリアーナ嬢は可哀想。
本当にチチェローネ公爵令嬢からいじめられている」
と噂になっていく。
そうした風潮になったのは、教師たちから評判が高いチチェローネ公爵令嬢に対する嫉妬が、下層令嬢方にあったからだった。
しかも、下位貴族の女性で、チチェローネに個人的に優しくされた経験があるのは、成績優秀者が多く、怪文書を喜んで作成した女性たちには、今まで接触の機会すら得られていないのだから、妬みによる妄想が膨らむ一方だった。
それが楽しくて、チチェローネ公爵令嬢に対するありもしない噂や罵倒を書き連ねることに、背徳感を感じてそそられる者も出てきた。
結果、そうした運動が、リリアーナにも知るところとなり、ある日、怪文書を作成している部屋にリリアーナ嬢、本人が登場した。
彼女は興味深げに怪文書を手に取り、文面を覗き込む。
騎士爵家の子女たちは、悪戯がバレたような思いで、息を飲む。
彼女、リリアーナは平民出身だという噂はあるが、この学園に所属する身分においては、子爵家のご令嬢であり、本来なら対等に口を聞くことも憚れる存在だ。
それだけではない。
あの雲の上の頂点である生徒会長のオネスト王太子殿下から、熱く言い寄られているお相手なのだ。
街中で、王太子と手をつないで歩いている姿を目撃した者も多い。
いってみれば、彼女、リリアーナはチチェローネ同様、彼女のたちにとっては、遙か雲の上の存在だった。
彼女たち騎士爵家子女たちが雑誌の読者とするなら、チチェローネもリリアーナもともに雑誌が取材する対象者であって、自分たちの仲間ではない、主役級の登場人物であることに間違いなく、チチェローネとリリアーナのどちらが悪で善なのかが、わからないだけだった。
身を硬くする騎士爵家子女のみなに、リリアーナは微笑んだ。
そして怪文書を手にしながら、言った。
「あら、いやだわ。
チチェローネ様はほんとうに、こんなことをおっしゃられたの?」
怪文書を実際に書いていた彼女たちが口を開くより前に、珍しく、男性の声がした。
「ああ。これは、事実かどうかは、どうでも良い。
チチェローネの悪評を立てるためにやってるんだ」
騎士団長子息のロレンツォが、騎士団仲間を引き連れて、部屋の中にズカズカと入り込んできた。
ロレンツォは、怪文書作戦がすでに自分の構想よりはるかに大きい渦になっているのに戸惑いながらも、今日も怪文書の回収にやってきていたのだ。
これから、このチラシをバラ撒くことになっている。
「そうなの。
あなたたちは、みなで身分差別撤廃、民主平等の運動に邁進してるのね。偉いわ」
屈強な身体付きの男どもが突然、入り込んできても、リリアーナは悠然としている。
男に囲まれながらも、自由に振る舞うのが、リリアーナ嬢だ。
ほんと、よくそんなに平然とした態度が取れるものだと思いながらも、騎士爵家の子女たちはリリアーナをボーッと見とれている。
たしかに大勢の男どもに囲まれながらも、彼女は絵になるのだ。
ロレンツォはリリアーナ相手に肩を組み、耳元でささやく。
「良いだろ?
アンタにとっても、チチェローネ嬢は目障りな存在のはずだ」
「ええ。
ーーそういえば、ワタシ、この前、襲われたのですよ。サットヴァ公爵家の方に。ほんとうに怖かったわ」
敢えて、弟のメルクによって襲われた、とは言わない。
当然のように、ロレンツォはチチェローネによるものと誤解した。
ロレンツォはリリアーナに、目を丸くして問い返す。
「ほんとうか!?」
「残念ながら、実行犯を捕らえることはできませんでしたが」
ロレンツォはニタリと笑う。
「だったら、この俺が用意いたしましょう。『暴行犯』を」
嫌がらせだけでは、筆頭公爵家の令嬢を学園から追い出すことなどできない。
手詰まりを感じていたところに、突然の着想だった。
リリアーナはロレンツォの頬にチュッとキスした。
公衆の面前での接吻に、居並ぶ誰もが驚き、顔を赤くした。
そのときのリリアーナ嬢の笑顔は花のように美しかったという。