◆1 断罪イベント発動! ーー私は濡れ衣を着せられた!
それは、学園の卒業式直後に開かれた舞踏会での出来事だった。
舞踏会も終盤に差し掛かった頃ーー。
男女ペアのダンスが終わると、あとは卒業生同士の歓談が始まる。
立食パーティーだ。
語り合う人々の中心にいるのは、オネスト・ランブルト ーー我がランブルト王国の王太子だった。
彼、オネスト王太子殿下は、私、チチェローネ公爵令嬢の婚約者である。
実際、私の彼氏ーーオネスト王太子は、次期国王という我が国最高の地位にあるだけでなく、その振る舞いは堂々としていて、カッコ良い。
輝くばかりの金髪に碧眼ーー容姿端麗な美男子は、ほんとにお得だ。
何を口にしようと、いちいちサマになる。
でも、そんなカッコ良い、将来のダンナ様が、なぜか私をキッと睨みつける。
「卒業生のみんな、聞いてくれ。
俺は人間の価値を決めるのは学業成績なんかじゃない。
暖かい心ーー人を思いやる心、悪に立ち向かう勇敢な心だと思う。
だから、聞いて欲しい」
何を言い出すかと耳を澄ましていれば、私の婚約者は、とんでもないことを口走り始めた。
「首席卒業生、チチェローネ・サットヴァ公爵令嬢!
俺、オネスト・ランブルトは、おまえとの婚約を破棄する。
これ以上、おまえの悪事に目を瞑るわけにはいかない!」
「はい?」
ちなみに「公爵令嬢チチェローネ・サットヴァ」とは、私のことだ。
数時間前に開かれた卒業式での主役は、私、チチェローネ公爵令嬢だった。
首席卒業生として壇上に登り、居並ぶ先生方や親御さん、そして同じ学園の生徒のみなに注目されながら、答辞を述べたのだから。
でも、卒業式を終えたら、主役の座は一気に変わってしまう。
パーティー慣れをした者が場を仕切り始める。
そして、オネスト王太子殿下は仕切り魔だった。
そんな仕切りたがりの彼、オネスト王太子が、私との婚約を破棄するのみならず、私の行なった「悪事」を、これから断罪するという。
そう、公衆の面前で宣言されてしまった。
考えてみれば、今夜の舞踏会はおかしなことだらけだった。
その日、本来なら私をエスコートして舞踏会に誘ってくれるはずの王太子が、誘ってくれなかった。
仕方なく、私は地味なドレスで舞踏会をボッチでやり過ごし、ひたすら食事に勤しんでいた。フライドチキンやケーキを口一杯に頬張っていた。
そんなとき、王太子の手によって、私に対する〈断罪イベント〉が始まったのだ。
私は銀髪をなびかせて振り向いた。
「『悪事』ってーーワタシ、何かいたしました?」
「自分の胸に手を当てて、考えてみろ!
さすがに、思い当たることがあるだろう!?」
「まったく、ございません」
「ぬう、シラを切るか。やむを得ん」
王太子は胸に手を当て、もう片方の手を広げた。
「リリアーナ、さあ、勇気を出して」
ひとりの少女がこっくりと頷いて、王太子の胸元にやってくる。
ピンクのドレスを身にまとい、茶髪に赤い目をクルクルさせた女の子。
彼女はオネスト王太子にしなだれかかりながら、舌足らずな声をあげた。
「チチェローネ様。
貴女はすでに悪に染まっておられます。
今こそ悔い改めてください。
これから、みなさんから発せられる声に耳を傾けてーー」
私はボンヤリと思っていた。
(ああ、この娘、ほんと、殿方の胸を借りるのが上手よね……)と。
王太子殿下の胸にしなだれかかってる、この茶髪の女の子はリリアーナ・ブリタニカ。
ブリタニカ子爵家の養子になっただけの平民女だ。
このランブルト王国の成り立ちも、貴族社会のイロハも知らない女が、綺麗事を並べてオネスト王太子を誑かしている。
いや、王太子殿下だけじゃない。
リリアーナの素朴を装った美辞麗句に魅了された殿方は、数知れない。
この舞踏会に参加している貴族子弟の大半が、彼女に惚れ込んでいた。
現に、今もオトコどもが騒いでいる。
「そうだ、そうだ」
「もう、騙されないぞ!」
「俺もいじめの現場を見たぞ」
「俺もだ」
「みんな、チチェローネ様が悪いんだ」
「誰から告発する?」
ざわざわと、舞踏会の会場が物々しい雰囲気になった。
煌びやかな服装の王太子殿下が、男どもの中心になって胸を張る。
「問題ない。
もう、すっかり準備している。
リリアーナ嬢のおかげでな!」
ざわめくオトコどもの中心で、今もリリアーナは縋るような目つきで王太子の胸にしがみついている。
彼女はオトコどもの前では、いつもこうして弱者・被害者であることを演出する。
彼女の思わせぶりな言動に、男どもはすっかり魅了されてしまっていた。
その結果、どれだけ多くの令嬢方が、涙で枕を濡らしたか知れない。
彼女たちは、婚約者なのに、恋仲だったのに、彼氏から相手にされずに無視され、寂しい思いをしてきた。
私は今まで彼女たちの代弁者になって、複数の殿方と同時に付き合おうとするリリアーナ嬢を窘め、フラれ続きの令嬢方を励まし続けた。
そのつもりだった。
それなのに、私、チチェローネが、いきなり貴族令嬢たちから告発されたのだ。
カスティリオーネ辺境伯令嬢が、緑の髪をなびかせながら前に進み出て、パチンと扇子を閉じ、声を上げた。
「チチェローネ様はリリアーナ様に数々の嫌がらせをしておりました!」
カスティリオーネ嬢の発言を皮切りに、取り巻きがお追唱する。
「リリアーナ様の教科書をゴミ箱に捨てました」
「試験前に、リリアーナ様の筆記用具をトイレに捨てました」
「半年前、夏の舞踏会直前に、リリアーナ様のドレスをズタズタに引き裂くよう、チチェローネ様がお命じになられました」
「仕方なく、われわれは行なったのです」
「それら、非道な振る舞いをお命じなったのは、公爵令嬢チチェローネ様、貴女です。
もう耐えられません。
私たちの明るい学園生活を返してください!」
シーーン。
女性による悲鳴にも似た訴えに、舞踏会の会場は瞬く間に静寂に包まれた。
みな、どういう反応をしたら良いのか、まだ決めかねている様子だ。
私は彼女たちの前に進み出て、扇子を向ける。
「それは、おかしいわ。
私がいつ、そのような命令を?
第一、貴女方はいつも私ではなく、カスティリオーネ様とお付き合いなさっていましたわよね?」
私に詰め寄られて、令嬢方はビクッとする。
カスティリオーネ辺境伯令嬢も顔を背ける。
すると、彼女たちを庇うように、オネスト王太子殿下が、ズイッと私の前に出てきた。
「やめろ。令嬢方が怯えているではないか。
みなの告発が終わるまで、チチェローネの発言は許さん!」
オネスト王太子殿下の発言を受ける形で、スラッとした黒髪の男性が進み出る。
「では、次は私が」
振り向けば、我がサットヴァ公爵家の執事ヴァサーリが挙手していた。
パーティーの開催中、彼はずっと壁際にいた。
なんで彼が来てるのか、不思議に思っていた。
彼は執事にしては若い二十代ながらも、長年、黙々と私に仕えてきた真面目な執事だ。
その彼が挙手をして発言したのだ。
私、チチェローネに向かって指をさしながら。
「チチェローネ様がいつもトップ成績だったのは、カンニングによるもの。
私がいつもカンニングペーパーの作成に付き合わされました。
これが証拠です」
ヴァサーリは白手袋をした手を後ろに向ける。
壁際の机には、大量の書類が山積みされていた。
「これらがすべて、私がお嬢様のために作成したカンニングペーパーの山でございます」
「なにをーー!」
思わぬ執事の裏切りに、私は当惑し、喉を詰まらせる。
その隙に、言葉を被せるように、さらに告発された。
「他にもありますよ、お嬢様の悪事は。
チチェローネ様は生徒会で集めた募金を、自分のアクセを買うために使い込んでいました」
さすがに我慢ならない。
バッと扇子を広げて、私は執事を糾弾した。
「言いがかりにも程があるわ。
私にカンニングなど、必要ありません。
先生方が良くご存じのはずですわ。
それに、生徒会の募金なんて、私、触れたこともないんですよ。
アクセサリーに至っては、何が何やらーー」
しかし、今度は、執事ヴァサーリがいる方角とは反対方向から、別の声が響いてきた。
「いいえ。生徒会で集金したお金は、たしかにチチェローネ様のお宅にお預けしましたよ」
眼鏡を嵌め直しながら発言したのは、生徒会副会長ーー宰相の息子ハイデンライヒだ。
彼は淡々とした口調で、話を続けた。
「ーーですが、正確にいえば、募金を預けたのはチチェローネ様の弟メルク君ですが。
彼が言うには、『姉上にお渡しした』と」
彼が向けた視線の先には、弟メルク・サットヴァがいた。
弟メルクは、王太子のーーというよりはリリアーナの傍らにいた。
弟は一学年下なのに、なぜこの卒業生の舞踏会会場にいるのか。
今夜の舞踏会はおかしなことばかりだ。
私は胸に手を当てて宣言した。
「お言葉ですが、私は生徒会の役員ではありませんよ。
募金を預かる謂れがございません。
もっとも、弟と王太子殿下はそれぞれ、書記と会長ですけど」
宰相の息子は、私の発言をガン無視して、話を続ける。
「もっとも、そうした金銭トラブルは、たとえあったとしてもさしたる問題ではありません。
サットヴァ公爵家の財力をもってすれば。
ですが、恣意的に権力を行使するとなれば話は別です」
私に向け、指をさして断言した。
「チチェローネ様は、リリアーナ嬢を学園から追い出そうと画策していました。
『博愛の精神に則るべし』という学則に反して、差別主義を貫こうとしていたのです!」
副会長の告発を受ける格好で、生徒会の役員たちが、いっせいに前に進み出て告発する。
総勢七名の男女で、過半数の五名は、卒業生ではなく、一、二歳、年下の下級生たちであった。
「わ、私は、チチェローネ様がばら撒いた怪文書を見たことがあります」
「そうです、そうです。
『平民女を、高貴な学園から追い出すべし!』という言葉が記されてありました」
「『学園の秩序を乱す』とも、ありましたよ!」
「私も、お茶会で、チチェローネ様が、そうしたお言葉をおっしゃられるのを伺いましたわ」
彼ら生徒会役員たちの言葉を背に、再び王太子はキッと睨みつける。
「だから、令嬢方を扇動して、リリアーナ嬢に嫌がらせをーー」
なにを勝手に結論づけてんだか。
私は殿下に扇子を向けた。
「冗談ではありません。
私は決してそのようなことはーー」
そこで突然、うわずった声をあげたのは、弟のメルクだった。
「わが姉上がなした悪行は、そのような甘いレベルのものだけではありません!」
リリアーナの傍らにいるから不穏に思っていたら、案の定、馬鹿なことを口にし始めたのだ。
「私は姉上、チチェローネに頼まれて暴漢を雇って、リリアーナ嬢を襲わせました!」
寝耳に水のことだ。
あの、王太子殿下に縋りつくばかりの小娘を襲う?
私が?
暴漢を雇って?
何のために??
私は呆気に取られて言葉を失った。
すると、周囲の者たちは、あたかも私が図星を突かれて動揺していると見做したのだろう。ざわざわと騒ぎ声をあげた。
「酷い!」
女性陣は一斉に扇子を広げて口許を隠し、ささやきあう。
「嫌がらせとしても、度を過ぎてません?」
「そんなことまで……まさか」
「でも、実の弟御が、訴えておられるのですから……」
みなの憐れみの視線が、王太子に寄り添うリリアーナ嬢に集まる。
「ご安心ください!」
弟が灰色の髪を掻き分けながら、大声をあげる。
「結局、王太子殿下のお力によって失敗し、未遂に終わりました」
オネスト王太子は得意げに胸を張る。
そうした殿下の態度を目にして、弟は安堵し、再度、喉を震わせる。
「当時、僕は王太子殿下から厳しく叱責を受けました。
が、今では、本当に未遂に終わって良かった、と思っております。
目が覚めました。
いくら姉上の命令でも、犯罪に手を染めるわけにいきません。
リリアーナ嬢の許しを得たので、ここで証言いたします」
まさか、弟に言いがかりをつけられるとは。
私は扇子を閉じ、甲高い声を張り上げた。
「まったく根も葉もない言いがかりですわ!
私、決してそのようなーー」
ところが、またも、発言し切る前に、怒号で塞がれてしまった。
「嘘もたいがいにしろ、チチェローネ公爵令嬢!
動かぬ証拠を見せてやる」
出入口の扉がある方角に、銀甲冑をまとった男どもが居並ぶ。
騎士団長の息子ロレンツォが、いつもつるんでいる騎士の子息仲間とともに登場してきたのだ。
そして、両手を縛ったままの男を、後ろから引っぱり出す。
「こいつが、その暴漢だ!」
いかにも怪しげな、ボロをまとった細面の男が、つんのめりながら地面に転がる。
「貴様、どうだ!?」
騎士団長の息子に足蹴にされ、男は慌てて声をあげる。
「は、はい。こちらのお嬢さんから依頼を受けました。
頭巾をかぶっていて顔は良く見えませんでしたが、紋章はしっかりと覚えています。
この紋章でした」
見たこともない怪しい男が、私の衣服の胸にあるサットヴァ公爵家の紋章を指さす。
会場のざわめきが、一段と高くなった。
なにがなんだかわからない。
初めは、なにかの誤解が誤解を生んで、話が大きくなってるだけ、と思っていた。
だが、違う。
これは明らかに意図的に謀られた〈断罪イベント〉だ。
私は反射的にオネスト王太子をキッと睨みつける。
これほどの大仕掛けとなれば、準備が必要なはず。
最大の権力者で、私との婚約破棄を狙う彼が、陰謀の中心にいるに決まっている。
が、オネスト王太子は睨み返してくるだけ。
その視線は、いつもの単純明快な色合いーー今は怒りの感情ーーしかなかった。
私は、改めて周囲を見回した。
ぐるりと取り囲む、敵意の視線ーー。
(まさか、王太子も乗せられてるだけ!?
とすれば、いったい誰が、何のために?)
私の疑問を他所に、さらに〈断罪イベント〉が進行していく。
執事ヴァサーリに招かれた格好で、長年私に仕えてきた侍女ドルチェまでが姿を現わした。
「チチェローネお嬢様の、リリアーナ様への嫌がらせは、その程度ではありません。
リリアーナ様をお茶に招いたことが何度かありましたが、その際に毒を盛るように指示されました。
『毎回、少しずつ盛るのがコツよ』
と微笑みながらおっしゃったチチェローネお嬢様のお顔が、今でも忘れられません。
ワタシが断ったら、
『主人のために犠牲になるのは、侍女ならば当然の務めでしょう?』
とおっしゃられました」
ワザとらしいほどか細い声で、顔馴染みの侍女ドルチェが、身体を震わせながら語る。
傍目では、どう見ても嘘をついていない様子で、私の顔色をチラチラ窺いながら、怯えているようにしかみえない仕草をしている。
とうとう、出てきた。
毒殺! の嫌疑である。
しかも身内ともいえる、身の周りを世話してきた、侍女からの告発である。
ざわめきが、ますます大きくなっていく。
男女の区別なく、みなが近くにいる者同士で額を寄せ合って、語り合う。
もはや、事実かどうかを、私に確かめようとする者すら現われない。
王太子殿下による、突然の婚約破棄宣言による驚きが霞むほどの衝撃であった。
このまま舞踏会での出来事として処理できる域を超えていないか?
誰か、責任ある大人を呼ぶべきではないのか?
いじめの摘発の域ではなく、暴行未遂、毒殺未遂といった重大事件の容疑を、私はかけられたのである。
これでも、お腹いっぱい。
それでも、告発は終わらなかった。
サットヴァ公爵家に仕える者たちだけではなく、遂に大人たちまでが告発者として登場してきたのである。
学園の新任女性教師フランーー私のクラス担任の先生が声を上げたのだ。
「私も見ました。
チチェローネ様は捨て猫、捨て犬を拾っては虐待していました。
最後には、その捨て猫、捨て犬を焼却炉で、生きながら焼いていたのです!」
ええええーー!?
甲高い悲鳴が上がる。
令嬢方が総出で嘆き始めたのだ。
捨て猫、捨て犬の保護活動は、昨今、王国貴族の間で流行していた。
その〈生命尊重〉の流れに完全に逆行する、鬼畜の振る舞い。
そのまま失神する令嬢までがいるほどだった。
でも、この告発には異論があった。
「さすがに嘘だろう?」
「どうして公爵令嬢ともあろうお方が、そんなことまでする必要が?」
「しかも、チチェローネ嬢は動物愛護に熱心だとの評判だったがーー?」
そうしたささやき声も聞こえてくる。
訝る人々の視線を感じ、慌ててフランは証拠を掲げた。
「これは、焼却炉から拾ってきた、犬猫の骨です。
そして、これが虐待の際に抜かれた毛と血のついた皮ーー」
教師フランが掲げた白いスカーフには、ジットリと血が滲んでいた。
そのスカーフに挟まれていた中身を、ポトポトと床に落とす。
動物の毛と、肉片、骨と思しきものが散乱する。
そして、赤黒く染まったスカーフを広げた。
「この、捨て犬を包んでいたスカーフの紋章を見てください。
サットヴァ公爵家の紋章です。
これが動かぬ証拠です!」
そのスカーフには、青い羽に蔦が絡まる、サットヴァ公爵家の紋章が、たしかに刺繍されていた。
私だけではない。
居並ぶ卒業生のみなが身体を硬直させ、呆然としていた。
やがて、ざわめきが収まり、緊張が場を支配する。
そんな中、今度は、卒業生には耳慣れた、嗄れ声が響いてきた。
「やはり、彼女は悪魔に魂を売っていたのですね」
次いで告発者となったのは、年配の女性だった。
声を上げたのは、学園附属教会で奉仕する修道女ローレであった。
彼女は皺だらけの手を合わせて、往時を思い出すかのごとく、目を閉じる。
「チチェローネ様は夜中に教会にこっそり忍び込み、鳩の血を祭壇に捧げていました。
祭壇には、血塗れの犬や猫の首もありました。
それを扉の陰から見ていた私は、悲鳴を押し殺すのに必死でした」
老修道女ローレは、身にまとう修道服をバサッと広げる。
内側から、鳩の血を浸したとされる髑髏を取り出した。
本物の人間の頭蓋骨に、乾いた血がこびりついている。
あまりの不気味さに、うわっと声をあげる者もいた。
「これは悪霊を呼び込む髑髏です。
これを掲げて神様に怨み言を述べるーーこうした儀式を黒ミサといいます。
悪魔を崇拝する所業です。
そう、チチェローネ公爵令嬢は、悪魔教崇拝者なのです。
でも表向きは善を行ない、敬虔な信徒として振る舞っておられたので、今まで口にすることはできませんでした。
ですが、これほど裏の顔が暴かれた今ならばと決心し、オネスト王太子殿下の勧めに従って、この場にやってきたのです」
この老修道女の「証言」について、内容までは知らなかったようで、王太子はドン引きしながら声を震わせた。
「修道女ローレ……それは、ほ、本当のことなのか?」
「それは神に誓って真実です」
老修道女が言うのだから、重みがある。
みなの視線が一斉に私、公爵令嬢チチェローネに集中する。
さすがに、耐えられない。
私は黒い扇子をバッと開いて、大声で笑ってしまった。
「あっははは。
カンニング?
生徒会のお金を着服?
怪文書をばら撒く?
暴漢を雇って襲わせた?
お茶会に誘って、毒を盛る?
捨て猫、捨て犬を虐待のうえ焼却?
挙句、黒ミサ??
ーーまったく身に覚えのないことばかり。
すべてが濡れ衣ーー言いがかりです。
私は絶対、そんなこと、してません。
どうして、あなたがたは気が狂ったように、私を悪女に仕立てあげようとしてるのかしら。
王太子殿下に媚びへつらうにも限度がありますわよ」
私の発言を威圧するかのごとく、オネスト王太子は、ダンと足を踏み鳴らす。
「ふん。周りを見るんだ、チチェローネ!
誰もが、おまえの言うことを信じられないんだよ。
女は嘘つきって言うからな。
おまえは平然と嘘をつく」
「じゃぁ、今、貴方の胸元でほくそ笑んでる女性は、嘘を一切言ってないとでも!?」
私の指摘を受けた途端、リリアーナは泣きそうな表情を作る。
まったく器用なことだ。
彼女が胸元で涙目になっているのを見下ろしてから、王太子は憎しみを込めた視線を私にぶつけてきた。
「もう黙れ。
裁きを下す!
チチェローネ公爵令嬢をどのように処断すべきだろうか!?」
王太子が大声で、周囲に居並ぶみなに問う。
緊張した雰囲気の中、声を上げたのはただひとり、宰相息子ハイデンライヒであった。
彼は「オネスト王太子の腰巾着」という仇名に恥じない働きを示した。
眼鏡を嵌め直して、背伸びをする。
「リリアーナ嬢に対する暴行未遂、毒殺未遂ーー加えて動物虐待、黒ミサ挙行の疑いーー罪状を数え上げればキリがないほどです。
たとえ公爵令嬢であっても、チチェローネ嬢の罪は免れません」
周囲を見回せば、みんなの冷たい目が光っている。
そこには同情する視線すら感じられない。
同じ学園の卒業生たちが、みな、私を犯罪者と見做していた。
「うむ!」
意を得たり、とばかりに、オネスト王太子はうなずく。
そして、今にも、私に罪を定めようと、王太子が腕を振り上げた、その瞬間ーー。
私は踵を返し、扉へ向けて駆け出した。
かくなるうえは、全力で逃げる一択だ。
スカートの裾をたくしあげ、私は走りまくった。
周囲に居並ぶ面々は、みな呆気に取られた様子だった。
でも、構うものか。
幸い今この場には、お父様やお義母様、王様や王妃様といった身分の高い大人がおられない。
大人が少数いるにしても、会場内にいるのは、すべて私より身分が低く、貴族家の子女に仕える侍女や執事レベルしかいない。
つまり、私と王太子の「婚約破棄」や数々の「悪事」を、それとして認定する者がいない。
私が逃げるのを止める権力を持つ者は、王太子殿下以外、誰もいないのだ。
(逃げさえすればーー!)
でも、扉まで辿り着けなかった。
いきなり、身体が動かなくなったのだ。
(なに!? 魔法!? 誰の!?)
全身に重い力が加えられて、動けない。
後ろを振り返れば、王太子の胸元で、リリアーナの両眼が赤く光っている。
魔力を宿した光だ。
(嘘でしょ!?)
あの娘に、そのような力があるとは、聞いていないーー。
「みんな、騙されないで!
怪しいのは、あの女ーーリリアーナよ!」
私は仰向けになりながら必死に叫んだが、無駄だった。
私は大勢の衛兵にのしかかられ、取り押さえられてしまった。
第一話の初出から2時間後、14:10に第二話が出ます。
読んでいただければ幸いです。