キリコ馴染む
クライがため息をつきながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。その表情には明らかに面倒くさそうな色が漂っていて、片手で髪をかきながら、ぼそりと一言。
クライ:「おい、やめろ!こんな店先で喧嘩すんなって。お前らお客さんの前で何やってんだよ、まったく……」
キリコは鋭いツノを誇示するように立ち上がり、クライをにらみつける。だが、クライはその視線にまったくひるむことなく、さらにぼやきながら言葉を続ける。
クライ:「そこの女、あんたお客さんだろ?いい歳して喧嘩ふっかけて、なぁにやってんだ?あと泣いてんの?」
キリコはその言葉にイラっとし、拳を握りしめて今にも怒鳴りそうな顔になる。しかし、クライの面倒くさそうな態度と平然とした口調に、気勢を削がれたように口を噤んでしまった。
キリコ:「私はただ……いや、あと泣いてなどない!」
そう言って、ぷいっとそっぽを向くが、クライはまたため息をついて肩をすくめるだけ。
クライ:「ふーん。まぁいいけどさ、うちの宿で何か用なら中で話してくれよ、他のお客さんが見てるからさ。」
レオンは横でそのやり取りを眺め、思わずニヤリと笑ってしまう。キリコの強がりも、クライのぶっきらぼうな態度も、なんだかおかしくてたまらないのだ。
レオン:「ほら、キリコ、ぶふ、泣いてないでさ、ぶふ、メイラもお前のこと待ってるかもよ?」
その言葉にキリコは再びむっとした顔になるが、クライの目が鋭く光り、「入るなら入れ」と促され、しぶしぶ中へ入っていく。
クライ:「ったく、めんどくせぇよ、まったく……」
キリコが重い足取りで宿の中に入ると、待っていたメイラが嬉しそうに目を輝かせ、叫びながら駆け寄ってくる。
メイラ:「キリコねーちゃーん!」
次の瞬間、メイラは勢いよくキリコに飛びつき、しがみつくように抱きついた。その小さな体から伝わる温もりに、キリコの胸がじんわりと満たされる。ずっと探し求めていた大切な存在が今、ここにいるのだ。
キリコは驚きと感動でしばらく動けずにいたが、そっとメイラを抱きしめ返し、涙が止まらなくなってしまった。彼女の強がりもプライドも、一瞬にして溶けていく。
キリコ:「あぁ、メイラちゃん……お姉ちゃんだよ。会いたかった……本当に会いたかったんだよ……」
キリコは泣き声を抑えながら、メイラの小さな頭をそっと撫でた。その頬を涙が伝い、静かに流れていく。幼いメイラは、キリコの涙に驚いて小さな手で顔を見上げ、心配そうに覗き込む。
メイラ:「キリコねーちゃん、泣いてるの?どうしたのだ?どこか痛いの?」
キリコは涙を拭いながら、笑顔で首を振った。
キリコ:「ううん、違うの。泣いてないよ……ただ、あまりにも嬉しくて……ねーちゃんは、メイラちゃんがここにいてくれるだけで、もう十分なんだよ……」
メイラはキリコの涙に触れ、「嬉し泣き」というものを初めて知ったかのように、ふんわりと微笑んだ。
メイラ:「ふーん。じゃあ、今日は一緒にご飯食べようのだ!メイラがキリコねーちゃんにごちそうするのだ!」
その言葉にキリコは少しだけ笑い、そっとメイラの小さな手を握り返した。
レオン:まさか、あのキリコが泣くなんてな、コイツもなんだかんだ、心は優しいのかもしれないな
メイラがキラキラした目で、隣にいるキリコを見上げながら、元気いっぱいに声を上げた。
「キリコ姉ちゃん、今日は泊まりに来たのだ?」
キリコは少し照れくさそうに頷きながら、「う、うん、そうなの」と答えた。彼女はなんだか、慣れない場所に来た子どものように、そわそわと視線を彷徨わせている。
「美味しいご飯が食べられるって、メイラから聞いたから…ね?」
メイラはさらに嬉しそうに顔を輝かせ、まるで自分がこの宿の案内役だと言わんばかりに、得意げにザグスさんの方向を指さした。
「そうなのだ!ザグスが作るご飯は、ほんっとーにぜっぴんなのだ!お腹いっぱい食べられるのだよ!」
キリコはそんなメイラの勢いに押されて、くすっと微笑むと、少しほっとしたように「そっか…それなら、楽しみだな」と答えた。
メイラはザグスさんの作る料理を思い出したのか、両手を口元に当て、目を輝かせながら「肉がほろほろで、スープがとろとろで、それでね、最後に甘いお菓子もあるのだ!」と力説した。
レオンが首を傾げながら、キリコに少し不思議そうに問いかけた。
「お前さ、確か“なんとかの七柱”とか呼ばれてたよな?こんなところでのんびりしてて大丈夫なのか?」
キリコは、少しムッとした表情で腕を組み、「いいの!あのバカ魔王のそばにいても、イライラするだけだし!」とぷいっと横を向いた。その様子に、レオンは思わずクスクスと笑いをこぼす。
「へぇ、お偉い七柱様が魔王に“バカ”ねぇ…」
キリコは思わず顔を赤らめながら、「ち、ちがうのよ!別に嫌いってわけじゃないんだけど…毎日毎日“キリコ、あれをやれ”とか“キリコ、これを持て”とか、何でもかんでも命令ばっかりでさ!」と、一気に愚痴を吐き出した。
メイラがその話を聞いて、ぱっと顔を上げた。
「わかるのだ!お父さんってすぐ何でも言いつけるのだよね!私なんて、この間も“掃除しろ”って言われたのだ!」
レオンは、魔王の娘とその部下が並んで魔王の愚痴をこぼしている光景に、肩を揺らして笑いを堪える。
「なるほどなぁ、魔王様も大変だな…お前らがこんな調子で反乱企ててたら、確かに“バカ”扱いされても仕方ないかもな!」
するとキリコはぷいっと顔を背けながらも、「べ、別に反乱じゃないもん!たまにはこうして、自由に好きなことして、のんびりしたっていいでしょ!」と言いながら、少しだけ頬を染めていた。
ハナがにこやかに笑いながら、キリコに提案する。
「じゃあ、1泊していきますか?」
キリコは少し目を泳がせながら、遠慮がちな口調で答える。
「えーと、3泊で…」
ハナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて頷いた。「もちろん、大歓迎ですよ!」と答えながらも、心の中では「三泊か…意外とちゃっかりしてるのね」と思いつつ、何も言わずにいる。
一方、キリコはそわそわした様子で、「そ、そんなにびっくりしなくても…たまには贅沢してもいいでしょ?ここ、居心地いいし!」と言い訳じみた言葉をぽつぽつと付け足す。
メイラがすかさず「よーし、キリコ姉ちゃん、今日は私と一緒の部屋で寝るのだ!」と楽しそうに腕を組み、ぐいぐいと引っ張っていく。
レオンはその様子を見ながらクスクスと笑いをこぼし、ハナにひそひそと耳打ちした。
「魔王の側近って、もっと威厳あるかと思ったけど、あれでいいのか?」
ハナは肩をすくめ、少しおかしそうに笑いながら、「ここに来ると、皆さんちょっと無防備になるみたいですね」と返す。
クライヤードの宿は、魔王の側近たちですら、素の自分でいられる、そんな不思議な魅力を持っていた。
その夜、クライヤードの一室で、楽しげな女子会が繰り広げられた。メイラがいつもの得意げな表情で腕を組み、部屋に案内したのは、キリコの泊まる部屋だ。
「さあ、ここがキリコ姉ちゃんの部屋なのだ!今日は特別なのだ!」と宣言しながら、メイラはおもちゃ箱を開けるかのような顔で室内を見渡す。
その後ろから、ハナが「じゃあ、早速始めましょうか」とにっこり笑って入ってきて、メイラに「今日の主役はキリコ姉さんだもんね!」と、さらにテンションを上げさせる。そして、少し遅れてマリーが、手にお菓子の詰まった大きなトレイを抱えて、控えめに入ってきた。
マリーは小さな声で「お、お菓子を持ってきました…」と、少し照れた表情をしながら、テーブルの上にトレイを置く。その瞬間、メイラが目を輝かせて、お菓子を見つめる。
「うおー!マリーが作ったお菓子だ!ぜっぴん!」と大げさに歓声を上げて、さっそく一つ手に取ってかじり始めるメイラに、ハナとキリコもつられてお菓子を口に運ぶ。
キリコも食べてみて、驚いたように「これ、本当にマリーちゃんが作ったの?すごい…おいしい…」と、目を見開きながらパクパク食べていく。そんなキリコの様子に、マリーは嬉しそうに微笑み、少しだけ頬を赤らめる。
「お、お口に合ってよかったです…」
しばらくして、お菓子を片手にキリコがぽつりとつぶやいた。
「声ちっさ、こんなに楽しい女子会、魔王城にはなかったわね…はぁ…魔王のバカはいつも仕事ばっかりで…」
メイラが「だよね!お父さん、私とも遊んでくれないし!いつも偉そうな顔してるしさ!」と同意し、2人でしばし「魔王お説教タイム」に突入。
ハナはそれを聞きながらも、やさしく「じゃあ、今日はここで思いっきり羽を伸ばしましょう!」と、手元のお茶を勧める。
そして夜も更けて、いつの間にかキリコもすっかりリラックスし、4人の女子会は笑い声が絶えないまま、賑やかに続いていった。
クライヤードは、魔王の側近も、貴族出身の少女も、一緒に笑い合える場所。彼女たちの楽しげな声が、静かな夜に響き、宿の夜を彩っていた。