新世界
狼型の魔物たちは、なぜかやたらと好戦的だ。目の前で牙を剥いている3匹の狼が、一斉に飛びかかってくる。俺を見ているんじゃない……ん?いや、俺じゃなくて……俺の頭を見ている?
あ! そうか、俺のかぶっている狼の毛皮の帽子か。こいつら、仲間だと思ってんのか?それとも……ただのエサ?
「ちょ、ちょっと待て!これは俺の……」
俺が言い終わるより早く、1匹目がガバっと飛びかかってくる。俺は反射的にその狼を蹴り上げて、そのまま突っ込んでくる2匹目をほうきで叩く。すると驚いた、ホウキの先から冷気が出て、狼が凍りつく、「これは?」まるで魔剣だ、
だが、3匹目が俺の横から一瞬の隙をついて、鋭い爪を帽子に立ててきた。
「あっ、こらっ!やめろ!ハゲがバレるだろ!」
間一髪で避けたものの、狼の爪が帽子に引っかかり、そのまま俺の頭から帽子がズルっと引き抜かれる。そして、その帽子を咥えたまま、残りの狼は大事そうにそれを持って、あっという間に森の奥へと走り去って行く。
「ちょ、待て!返せ!……あー、もう!」
俺は手を伸ばしたが、遠目で見ていた狼たちは一目散に姿を消してしまった。あぁ、せっかく高かったのに……!頭に触れてみると、何もない。冷たい風が、頭皮にスースーと心地よく感じる。
「はぁ……なんか逆に清々しい気分だな。ハゲがどうした、俺は俺だ!」
あきらめの境地に達した俺は、爽快な気分とともに再びほうきを構え、魔物たちが立ち去った森の奥へと歩を進めた。
俺は走り出した。風が頭皮をなでるたびに、これまで感じたことのない爽快感が広がっていく。まるで裸で広い草原を駆け抜けるような、自由そのものの感覚だ。身軽になったせいか、風の抵抗すら少なく感じる。このスースー感、悪くない……いや、むしろたまらないぞ。
頭を撫でる風が冷たくて、まるで風呂上がりに裸で布団に飛び込む瞬間のようだ。頭皮が直に風と触れ合うこの解放感が心地よくてたまらない。毛皮の帽子を失ったことが、逆に俺に新しい自由をくれたように感じる。
「なんだか、これが本当の俺の姿なんじゃないかって気さえしてくるな。」
そんなことをつぶやきながら、俺はますますペースを上げ、まるで子どもの頃に戻ったかのように駆け抜ける。
俺は走りながら、胸の中に広がるノーストレスの解放感を噛みしめた。幼い頃から、親には「強くなれ」と重圧をかけられ、勇者になってからは今度は王に、バモスには任務ごとに叱責を浴びせられてきた。あの日々は、朝が来るたびに胃がキリキリと痛むような生活だった。
どんなに成果を上げても、彼らの目はいつも冷たかった。やりがいなんて感じたこともなかった。強いはずの自分が、どこか怯えて生きていたんだと今になって気づく。王都で失敗を笑われた後も、俺は帽子で頭を隠し、脂汗をかきながら耐えてきた。でも、どこかで「こんな自分は勇者じゃない」と感じていた。
そんな中で、このクライヤードにいる連中はどうだ?彼らは俺を見て笑っていたけど、それは見下した冷たいものじゃない。メイラは帽子を引っ張って遊ぶし、クライやハナも、何かと俺の世話を焼いて受け入れてくれる。彼らの笑いには暖かさがあって、そこには純粋に俺の存在を楽しむ姿があったかも
「……俺、初めて誰かの笑顔のためにここにいる気がするな。」
そう思うと、今までずっと張り詰めていた心がふっと軽くなった気がした。自分を隠してきた疲れや、ずっと耐えてきたストレスが、今ここでようやく吹き飛んだように感じる。
「これが……本当の自由ってやつか。」
俺は走り続けながら、風の中で微かに笑っていた
ふと気づいた。自分がどれだけ狭い世界に閉じこもっていたかを。勇者という称号に縛られて、ただひたすら強くあろうとすることばかりに必死で、自分の肩に自分で重圧をかけ続けていた。気づけば、隠す必要のないハゲすら、俺の小さなプライドが邪魔をして、必死に隠そうとしていた。
「なんて馬鹿なことしてたんだ、俺は……」
王に認められ、称号をもらったあの時から、自分はずっと誰かの評価や期待に応えようと無理をしていた。けれど、このクライヤードの人たちは、俺の称号なんて関係なく、ただそこにいる俺を見て笑ってくれている。それがこんなにも心地いいなんて。
「ただ強くあれ、なんだそれ、価値あるのか?。」
責任も、称号も、隠すことも、みんな手放してみたら、ようやく見えた。ありのままで生きられる場所が、こんなにも身近にあるなんて知らなかった。
「そうか……こんな俺でも、居場所はあるんだ。」
俺の心はますます軽くなっていった。
走りながら、ふと過去を振り返る。俺が「勇者」として生きていた時、果たして誰かを笑顔にできていたのか?いや、そんなことは一度もなかった。自分の戦いが平和のためだと信じ込んでいたけど、実際には王や王城のために働かされていただけだ。俺は彼らの権威を守るための道具で、民衆の笑顔なんて、自分の中には存在していなかった。
だが、今の俺は違う。俺がここで「掃除係」として生きる限り、何も背負わず、ただ人々の日常に溶け込むことができる。こんな俺でも、やり直せるんだ。それを教えてくれたのは、あの宿の奴ら——クライヤードの仲間たちだ。
「よし、ちょっとの間だけど、俺なりの恩返しをしてやるか。」
俺は軽く拳を握り、前を見据えた。新しい一歩を踏み出すたびに、肩に残っていたわずかな重圧が、風に溶けて消えていくのを感じた。
俺はハゲ頭をさらけ出したまま、勢いよく半径5キロを駆け抜け、クライヤードへの帰路についた。まさか、掃除係がこれほど爽快なものだとは思わなかった。だが、ふとクライの言葉を思い出す。
「ゴミは持ち帰れよ」
…そうだったな、と小さくため息をつく。そして、裏口付近で俺の帽子を引っさらっていった魔物、そのうち倒した2匹の狼の魔物が、倒れているのを見つけた。どうやら、こいつらが“ゴミ”らしい。
「ま、いいか。背負って帰るか。」
俺はその狼をひょいと肩に担ぎ上げる。魔物といえど、倒れてしまえばただの“荷物”だ。この俺にかかれば、重さなど問題じゃない。肩にずっしりと狼たちの体重がかかるが、それもまた一種の達成感に感じてしまうのが不思議だ。
「おし、これで宿まで帰ろうかね。」
そうつぶやきながら、俺はクライヤードに向けて歩き出した。
狼を担いで厨房のドアを開け、「ただいま〜」と元気よく声をかけた瞬間、俺の姿を見たマリーさんが驚愕し、その場に尻もちをついた。
「きゃあ〜っ!」
あ、そうか。帽子がないから、今の俺は頭がまる見えだ。帽子の代わりに狼を担いでるし、たしかにギョッとするよな。なんとか笑顔を作って挨拶しようとしたその瞬間、ハナさんが不安そうに駆け寄ってきた。
「どうしたの、マリーちゃん!……えっこのハゲ、誰?」
その「誰?」が妙にグサッと刺さる。いやいや、俺だよ、元勇者の俺!いちいちトゲのある事しか言えないのか、
すると、厨房の隅でじっとこっちを見ていたザグスさんが目を細め、ゆっくりと俺を指差しながら、考え込むように言った。
「お前……知ってるぞ……ゴブリンだな?」
「ぶふっ!」と、マリーさんが手で口を押さえながら笑いをこらえきれず、ハナさんも肩を震わせて声を出して笑い始めた。
「ぶふふ……ゴブリン、あははは!」
俺の顔が熱くなる。ゴブリンじゃなくて勇者だっての!と言いたいが、頭がピカピカ光ってるせいか、反論できずにいると、突然メイラが興奮気味に駆け寄ってきた。
「おおー!勇者!かっこいいのだ!ゴブリン勇者なのだ!タラリーン!」
両手を振り上げて嬉しそうに跳ねるメイラの姿に、思わず気が抜けてしまう。俺はなんとか冷静を保とうとするが、厨房の入り口でニヤニヤとこちらを見つめるクライが一言放った。
「はっはっは、やっぱハゲてんじゃん!」
俺の頭を指差し、遠慮なく笑い転げるクライを見て、さすがにムッとしながら一言反論しようと口を開くが、その瞬間、全員の笑いが爆発した。マリーさんも、あの小さな声で「あはは……ごめんなさい」とつぶやきながら、頬を赤らめて笑っている。
「……わかったよ、わかったよ!笑えよ、ちゃんと狼も持ってきたんだぞ、どうだ!」
少しでも威厳を保とうと、俺は肩に担いだ狼をズシッと見せつけるが、クライは肩を叩きながらさらに笑い声を上げた。
「ハゲたゴブリンが、狼担いで帰還かよ!シュールすぎんだろ!はははは!」
「やめろって、ぶは、あははは!」
だが、口を開くたびに、全員の笑い声が大きくなるばかり。俺も、怒るのをあきらめ、ついにはつられて笑い出してしまった。
俺が何かを背負い込んで生きてきた「元・勇者」としての姿は、今ここで全て吹き飛んでいった気がした。