終末(9)
長い廊下を通り抜けると、工事中で使えない玄関があった。
「あぁ、ここまた工事してるんだ」
「病室を増築するんですって」
「ここが使えれば、お見舞いの時近いのにな」
祐次は苦笑いして玄関を指差した。
「でも、ここの駐車場を病室にしちゃうから、駐車場は向こうよ」
春香は今通ってきた廊下の方を指差したが、祐次は関心無さそうに頷いた。それよりも目が行ったのは、別の方だったからだ。
緩和ケア病棟の半円状にあしらわれた受付カウンターには、綺麗な花が飾られてあった。そしてその横には、置き忘れた様に雪ダルマの人形が置いてある。
「雪ダルマだ」「え? どこ? あっ、ほんとだ」
そういう細かいことに気が付くのは祐次だ。年を取ったとは言え、まだボケた訳ではない。
「もう春なのにな」「そうね」
春香は笑った。
前の病室を出る時、桜の開花宣言を伝えるニュースが流れていた。それを見終わってテレビカードを抜いても、祐次は病室を出ようとはしない。
八階から近所の公園に咲く桜を、名残惜しそうに眺めていた。
「中島さんですね」
看護士の声がして祐次と春香は振り向いた。廊下の奥から小走りに来た女性が声を掛け、小さい秀樹には手を振る。
「一〇一号室です。ここの一番奥です」「判りました」
春香は車椅子の向きを変え、廊下の一番奥に向って歩き始めた。
廊下には空のタンカが一つ置かれている。祐次は目を逸らした。
先程と同じく、ドアが閉まるのを眺めていた秀樹は、一歩遅れて車椅子を追う。
しかし今度の廊下は狭いので、春香の後ろから前には出られない。
一方の祐次と春香は、病室の扉の横に張られた番号を追っていた。
人間とは面白いもので『一番奥』だと聞いているのに、何故か数字があるとそれを見てしまう。
「一〇九」
「一〇八」
「一〇七」
祐次は扉が開いていた『一〇七号室』の様子を、カーテンの隙間から覗き見たのだが、誰も居なくて頷いた。
その様子を見ていた秀樹も、真似をしてカーテンの下を覗き込む。
しかし『お菓子をくれそうな人』は、居ない様だ。
何か言いたそうにしていた祐次だが、春香は病室へと急ぐ。
一〇一号室まで来ると、祐次がポツリと呟いた。
「やっぱり一〇四は無いんだな」
「そうね」
春香も頷いた。
祐次が感じたことと、春香の考えたことは同じだった様だ。
「なんで?」
後ろにいた秀樹が質問をした。秀樹には良く判っていない様だ。
「秀樹、ほら、カーテン」
春香は一〇一号室の入り口に掛けられたカーテンを指差して、秀樹に言う。
「はーい」
秀樹は車椅子の横をすり抜けると、小さな手でカーテンの下を持ち、祐次が通れるように引っ張る。
役目があると、こうも可愛い笑顔を魅せるのが『孫』であろう。
二人は秀樹の質問に答えることもなく、病室に入った。