旅立ち
サナエ叔母が、自分の想いを寄せていた晶さんと私との結婚をないものにする為、姪である私のスキャンダルをでっち上げ、晶さんをも苦しめた罪は許せるものではない。
しかし、叔母の好きな人を想う切ない心情も理解できる。
今、真実が分かった以上、叔母を責めても仕方のないこと。
この件については、私とてもっと晶さんと話す時間を持ち、真意を追求するべきだったかも知れないし、晶さんとて私へのやさしさから真実を確かめる勇気を持たなかった。
その彼の思いやりはうれしいけれど。
とにかく三人が三人とも、どこか至らない部分を抱えていたのは事実。
完璧な人間などいないのだから、当然のことだけれどお互いにその欠けた部分に気付き改めようと思いが及ぶには、八年という時間が必要だったと思いたい。
叔母はそのあと、病室から携帯電話を使って私にすべてを話し謝った。
晶さんと私が大阪で再会し、私の主治医であること、時々休日に会っていることを話すと、とても喜んでくれる。
「もう一度、晶さんとやり直せるならそうしてほしい。瞳子にも晶さんにも幸福になってほしいから」と涙声がきこえる。
晶さんの所にも「瞳子には何の罪もない。悪いのはすべて私だから、あの子をしあわせにしてやって下さい」と電話してきたという。
しばらくして私の眼科の診察日。
久し振りに同室で仲良くして下さったAさんと会う。
診察が終わったあと、喫茶店で私と晶さんのことを話す。
Aさんは驚いていたが、「とてもお似合いのカップル」
そして、最後に置かれた携帯電話を見ながら言う。
「瞳子さん。八年前にこの携帯電話があったら、すべては違っていたかもしれないね」と。
確かに一九九四年に携帯電話はなかった。
あったかもしれないが、多くの人が持っていない時代だった。
「もし」とか「れば」は使いたくない言葉だが、もしあのとき携帯電話があれば、もっと晶さんと話せたし、誤解を生むこともなかったかもしれない。
携帯がなければないで生活出来ていたのだから、その所為にはしたくないけれど、あった方が良かったとは心から思う。
好きな相手から電話がかかってきても、家族を気にすることもないし、長く話せるし。
いつでも、どこからでも手軽に人に連絡できるなんて、とてもすばらしいことだ。
今日も、晶さんとは携帯電話を使って、何でもないことをおしゃべりしたり、私の身体と眼の具合を報告したり、次に会う場所と日時を決めたりと、大いに活躍してくれている。
ふたりで決めた日曜日の午後。
私と晶さんは長い空白の八年の月日をのりこえて、もう一度やり直そうと話し合う。
晶さんのお父さんが地元から嫁をもらうように言っていたことは本当だったけど、一回り下の妹さんも今は二十一歳になり、近く結婚するという。
政治に携わるお父さんの跡は、娘さんのご主人が継ぐことになっているそうだ。
何の障害もなく私たちはやり直せる。
関西で五指に入る程の名医の下で勉強したくて、大阪に来た晶さんも、今は心機一転して眼科医としても初心に戻りたいという。
私の原田病という眼病の治療薬であるステロイド剤の服用は数は減ったが、まだ終わらない。
それが終了して、私の体調が完全に戻るまで、このまま無理せず会える時に会い その間、私の両親ともいろいろ話がしたいとも。
原田病になったことは、私にとって苦しい経験であったけれど、そのお陰で晶さんと再会しやり直せることになった。
人生何が良くて何が悪いか分からない。
だから、面白いのかもしれないと思う。
年が明けて三月。
半年間に及んだ原田病の治療は終了した。
しかし、この病に完治はなく、寛解期に入ったというだけで、最初に名医に言われたように再発するおそれはつきまとう。
晶さんは眼科医として「再発する可能性は百%ないとは言えない。でも早目にステロイドパルス療法で対処したので、確率は低い。そのことは余り気にしないで。万にひとつそうなっても僕が側に居るからね」と言ってくれる。
本当に有難い。
二人で話し合った結果、まだ足を踏み入れたことのない札幌で一から始めよう。
私の体調を見て、向こうの教会で結婚式を挙げようと。
桜便りが届く季節。
大阪でも桜が短い花時を惜しむように、力の根り咲き誇っている。桜前線の北上と共に私たちも北の大地に向かう。
大阪空港から母に携帯電話で、もうすぐ千歳空港行きに搭乗することを知らせる。
つい先まで激しく降っていた雨はすっかり止み、遠く東の空に虹が架かっている。
私の癒えた両の眼にもはっきりと映る。
ロビーに居るほとんどの人が、携帯で虹を撮っている。
近い内に携帯電話のなかった時代も笑い話になるだろう。
そして、そのとき私たちの身に起こった悲劇もきっと喜劇に形を変えることだろう。
私は今日、ひと月程前に晶さんからプレゼントされた誕生石である橙色のオパールの指輪をはめている。
橙色は折しも、今 天を彩っている虹の七色の内のひと色。
そのひと色を左手の薬指に輝かせて私と晶さんは旅立つ。
私たちを乗せたジェット機は、ゆっくり滑走路に出て離陸してゆく。
真青な美しい大空に姿を見せる虹の橋を越えて飛び立ってゆく。
二人の新しく始まる、明日という未来に向かって。




