読書のススメ あなたは『走れメロス』をどう読んだ?
多分にネタバレが含まれております。『走れメロス』を一度でも読んだことのある方は、うろ覚えでも特に問題はありませんが、一度も読んだことがないという方は、必ず『走れメロス』を一読してからこのエッセイをお読みください。
※『走れメロス』については著作権が既に切れておりますので、書籍を購入しなくても閲覧することが可能です。
※小説の本文は、ちくま文庫『太宰治全集3』より引用しました。なお、各社の教科書の文言は若干修正されている部分があるようです。引用した部分と教科書の文言は、漢字表記等が異なることもあるかと思いますが、誤字ではありません。また、底本とした『ちくま文庫版』では、歴史的仮名遣いは使用されておりませんので、その点はご指摘くださらないよう、お願いします。
いきなりですが、『走れメロス』って、日本人にとって、すっごく身近な文学作品だと思うんですよ。
例えば、ながいけん閣下の『走れセリヌンティウス』とか、さくらももこ・吉田戦車両先生合作の『走れ×○ス』とか、パロディーだったりスピンオフだったりする作品は、マンガとかでもたくさんあります。
この『小説家になろう』だって『メロス』って検索したら154件ヒットしました。※本作が追加されるので、みなさんが検索したら、きっと増えてますw
他にも、ラーメンズ(小林賢太郎・片桐仁)さんの名作コントに『読書対決』っていうのがあるんですが、そこでもメロスが出てきます(※コントは著作権が生きてるんで、一部伏せ字にしました)。その遣り取りが、これです。
「メロスは激怒した」
「○ョ○○○も激怒した」
これでみんな爆笑ですよ!
でも、考えてみてください。なんで、これで笑えるんでしょうか?
答えは、多くの人が「メロスは激怒した」っていう、もとの文章を知っているからです。
そして、『○ョ○○○』(※『銀河鉄道の夜』の主人公)について知っていれば、なお面白いんです。だって、そんなセリフがないのがわかってるから。
でも、元ネタを知らなかったとしても、『○ョ○○○』なる人物が、メロスと同じように『激怒』はしないだろうと想像できるから笑えるんです。
じゃあ、なぜ「メロスは激怒した」ってセリフを、みんな知っているんでしょうか?
ヒントです。
Q1:以下は日本の文学作品の冒頭部です。これら3つに共通するものは何でしょうか?
「春はあけぼの」(枕草子)
「祇園精舎の鐘の声」(平家物語)
「メロスは激怒した」(走れメロス)
A1:中学校2年生の国語の教科書に掲載されている。
現在中学校の国語の教科書を刊行している会社は4社だそうですが、これらは、その4社全ての教科書に掲載されています。
教科書に採用されているということは、日本で中学校に通った経験さえあれば、目を通していることになります(※最初の掲載は1955年だそうです)。
もっとも、全ての教科書に載るようになったのがいつからかは、よくわかりませんでしたので、年代や使用していた教科書会社によっては、未読の方もいらっしゃるかもしれません。
それでも、多くの方が目を通している作品であることは、ご理解いただけたのではないでしょうか。
ここからが本題です。これから先は、一度は『走れメロス』を読んでいるということを前提に、話を進めていきますので、未読の方は『走れメロス』本文を一読されてから、当エッセイ読むようになさってください。
※『走れメロス』自体が短編小説ですから、それほど読むのに時間はかからないと思います。また、ネット上の『青空文庫』等でも、無料で閲覧が可能です。
みなさん。読み終わりましたね。
では、まず、みなさんに質問します。
Q2:『走れメロス』は『○○』の物語である。
『○○』には何が当てはまりますか?(漢字2字で)
これに対する答えは最後のお楽しみに(オイ!)。
実は、私、中学時代に国語の授業で読んで、大学に入学するまで、ずっと『△△』だと思っていたんです。
ところが、大学の国文学のN教授が、大の太宰好きでして、国文学概論の授業で取り上げていたんですね。
そこで、教授は憤りながらこうおっしゃっていました。
「こんなに誤読されている小説は珍しい! 太宰が気の毒だ!」って。
その後、N教授の話を聞いていると、まさに目から鱗が落ちるようで、自分が、いかに薄っぺらい読みしかできていなかったのかを、見せつけられることになりました。
最初から、それを全部語ってしまっても良いんですが、それでは面白くないので、ここも問いかけを。
Q3:『走れメロス』には主要な登場人物が3人出てきます(※メロス、セリヌンティウス、王【ディオニス】)。このうちで1人だけ、私が友達になりたくない人がいます。誰でしょう?
こんなの1人しかいませんよね。みなさんもおそらく同じ意見だと思います。
A3:メロス
当然ですよね! こんな奴と友達になりたいなんて気が知れません。
え? ちがう? 「王【ディオニス】だ?」
何をおっしゃいますか! 王様と友達になれるなんて、すごいことじゃないですか!
え? 「殺されたくない?」 ははぁ。何か勘違いしていらっしゃいますね!
王様が殺したとされる人物を、順番に思い出してみてください。
①妹婿
②世嗣(※息子?)
③妹
④妹の子
⑤皇后
⑥賢臣のアレキス(※大臣?)
⑦派手な暮らしをしていて人質を出さない者
これを見て、何か気付きません?
まず①~⑤って何ですか? 平たく言うと家族と親戚ですよね。
普通の『暴君』っていきなり家族から殺し始めます? だいたいは関係ない奴とかから殺し始めません?
しかも、「2年前はそうじゃなかった」って趣旨のことを、メロス自身が言ってます。
おそらく、この2年の間に、なんかあったんじゃないかって、想像できませんか?
例えば簒奪計画があったとか……。
それから、⑥はともかく、⑦だって、いきなり殺されるわけじゃないんですよ。
人質を出せば良いんです。
人質について、誤解があるかもしれませんので、ちょっと触れますが、徳川家康は、幼少期、織田家と今川家の人質になっていました。特に織田家については、誘拐されて人質になったわけですが、無事に生き延びてますよね。
人質って言うのは「私はあなたを裏切りませんよ。だから自分の代わりに大切な人を置いていきます。自分が裏切ったら煮るなり焼くなり好きにしてください」っていう信頼の証なんです。
だから、受け取る側も人質を大事にします。だって、人質に何かあったとしたら「裏切ってかまいません」もしくは「あなたを大切にする気はありません」って態度で示しているようなものじゃないですか。
逆に人質を出さないって言うことは、「いつ裏切るかわかりませんよ」って示しているようなもんなんです。
しかも、王様は最後に『改心』してますよね。
確かにラストのシーンは感動的ではありますが、それにしたって結構チョロくないですか?
本当の悪人だったら、こんなに簡単に『改心』します?
それを考えると、私は、王様って基本、人は悪くないんじゃないかって思うんですよ。
セリヌンティウスは言わずもがなですよね! だって、あのメロスの友人をやっているんですよ! いい人でないわけがありません。
さて、おまちかね。問題のメロスです。
それでは、メロスの行動とその人間性について、順を追って見ていきます。
まず、メロスは人を殺す王に怒って、王城に乗り込むんですが、何のために行ったんだと思います?
メロスは自分で語っております。
「呆れた王だ。生かして置けぬ。」
「市を暴君の手から救うのだ。」
このように、実は、人を殺す王を殺すために、白昼堂々、王城に正面から侵入したのです。
なお、このシーンですが、メロスの性格を正確に表す、いくつかの要素が出てきています。
最初に、メロスは、王様が人を殺すのは許せなくても、自分が王様を殺すのはOKと考えています。
これは、相当なダブルスタンダードです。こういう人を何と言うでしょうか?
そうです『自己中』です!
次に、メロスが試みたのは、個人が権力者を不当な暴力で排除することです。こんなことをする人を、一般的に何と呼ぶでしょうか?
そうです『テロリスト』です!
そして、王を暗殺?するためにメロスは何をしたか。
なんと、短刀を持って、白昼堂々、正面から、一人で、王城に侵入したのです。
あまりに浮き世離れした行動なので、この行動をもって「メロスには王を暗殺する意思はなかった」と論ずる人がいますが、私はそうは思いません。
なぜなら、物語中でも語られているとおり『メロスは単純な男』だからです。
さて、みなさん本気で、こんなことをする人間がいたら、どう思いますか?
それを踏まえて、『単純』ってどんなことを示しているか、考えてみてください。
そうです。実はメロスは『バ○』だったんですw
まあ、『テロリスト』はこの場面限りですし、明らかに『単純』なシーンもあまり見られませんが、『自己中』は別です。
ぜひ、「メロスは『自己中』~。メロスは『自己中』~」と考えながら、王城のシーンを思い返して(※できることなら読み返して)ください。
さんざんタメ口で王を罵った後、掌を返したように敬語に変わるシーンとかも相当ウケますが、一番は、セリヌンティウスを人質に差し出すシーンでしょう。
このシーン。どこをどう読んだって、セリヌンティウスの許可を取っていません(※事後承諾)。
許可もなく友達を差し出しておいて、当然のことような顔をしているメロス。この精神性は、ある意味「すごい!」としか言いようがありません。
ちなみに、これ、セリヌンティウスの立場で考えたことありますか?
石工として、弟子も取って平和に暮らしていたら、深夜いきなり兵隊が乗り込んできて、城に連行されるわけです。連れて行かれた先にはメロスがいる。普通だったら「この野郎!」ってなりますよね。
ところがセリヌンティウスはちょっと説明されただけで許しちゃう。「どんだけ聖人だよ!!」って思いません?
もしかすると、「……またか」って感じだったのかもしれませんけどねw
話を戻します。実は、メロスの性格で、もう一つ重要なものがあります。
これは、妹の結婚式のシーンを読むとよくわかるんですが、メロスは、自分の妹とその婿に、こんなことを語っています。
「おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ」
「メロスの弟になったことを誇ってくれ」
これ、自分で言ってるんですよw
私は、こういう人のことを『ナルシスト』って言うんじゃないかと思うんですが、いかがでしょう?
自己中で、ナルシストで、テロリストで、単純。
これがメロスという男です。こんな男と友達になりたいと思いますか?
私は嫌です。
でも、みなさん。ちょっと思い返してみてください。
メロスがこんな酷い人間だって考えたことありました?
読んでみて、「最初からそう思ってた」という方。あなたは大変読みが深い方です。
「学校の先生から教わった」という方。あなたは良い先生と巡り会われました。
どちらも当てはまらなかった方。私の仲間ですw
私は、大学まで、すっかりだまされてました。
では、何でだまされてしまっていたのか。それは太宰の巧さのせいです。
この小説、実は、ほとんどメロスサイドからの視点で描かれているため、突っ込みどころ満載のメロスの行動も、油断していると、当たり前のことのように感じさせられてしまうのです。
そして、太宰は、メロス視点やら地の文やらを巧みに使って「メロスは正義」「王は悪」というイメージを、読者に植え付けよう植え付けようと、誘導してきます。
そして最後は「メロスは友人の危機を救うために頑張った。そのうえ、王も感動して改心し、民も喜んだ。めでたし、めでたし」みたいな感じになるので、みんな、「血を吐いてまで頑張ったメロスって立派だなあ! 友情って素晴らしいなあ!」って思ってしまうんです。『終わりよければ全てよし』って言葉がありますが、『走れメロス』はまさにそれを地で行く小説なんです。
さて、直前の段落で書いたことですが、みなさんは納得しましたか?
完全に納得してしまったとすれば、残念ながら、まだ騙されています。
『メロスは友人の危機を救うために頑張った。(以下略)』って書きましたけど、みなさんは、これに疑問をもちませんでしたか?
具体的に言うと「誰のせいだよ!」って思いませんでした?
メロスが途中の自分語りのところで、『身代りの友を救う為に走るのだ。』な~んて言っちゃってますから、勘違いされがちなんですが、
「Q:なんでセリヌンティウスは処刑されそうなの?」って言われたら、
「A:メロスが人質として差し出したから!」って答えしか、返ってこないわけです。
危機を自分から創出しておいて、自分で解決する。これって『マッチポンプ』の典型ですよね。
まあ、メロスの性格を考えると、本気で「友情のためだ!」なんて思ってたかもしれませんが、『友情』とか『救う』とか語ること自体、倫理的に間違ってるんです。
だって、メロスが考え無しに行動しなかったら、セリヌンティウスが捕まる必要ってありませんよね。
メロスが刑場に行くのは、あくまで『義務』で、本来かっこいいことなんか言ってちゃ駄目なんです。
そして、もし、これで終わってたとしたら、『近視眼的で自己中なバ○が、自分から危機を作り出し、上手いこと解決してめでたしめでたし』っていう相当酷い話です。
流石に、そこまでやっちゃったら、いくら太宰が上手くても、相当数の読者が気付くでしょう。「こいつ何なんだ!?」って。
ところが、最後まで結構な割合の人に、メロス本質を隠し通せちゃった。
それは、なぜかと言いますと、途中からメロスは、少しずつ真人間になっていくからです。
それは具体的にどこからかというと、走ってる途中で、ぶっ倒れた前後からです。
ちなみに、裏読みをしていると、川のシーンとか、山賊のシーンとかも面白いんですが、ぶっ倒れたところは相当素晴らしいシーンですw。裏読みという意味では、この物語の中で1・2を争う見所と言って良いでしょう(※もう1つは王城のシーン)。
この、ぶっ倒れたシーン。読んでみるとわかるのですが、メロスは、すごい勢いで、言い訳(※独り言)を始め、それどころか途中からは開き直ってしまいます。その量は合わせて1200字以上。原稿用紙にして3枚を超える大熱弁です(※独り言)。
挙げ句の果てに、最後は全てを放り出して寝てしまうという、とても素晴らしい人間性を我々に見せつけてくれるのですが、その熱弁の最中に、こんな言葉が出てきます。
「いや、それも私の、ひとりよがりか?」
ここでメロスは初めて気付くんです。自分が『自己中』だってw
え? 「アホか?」
いや、これ、すっごい成長ですよ。だって、みなさん。『自己中』の人って、なかなか自分自身が『自己中』だって気付けないですよ。なのにメロスは気付けたんです!
……その後、開き直って寝ちゃいましたけどw
茶化してしまいましたが、これがメロスが変わっていく発端です。
この後、寝て、水を飲んで復活するわけですが、復活後、いきなりこんなことを考え始めます。
『肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。』
すごくないですか? メロスくん、刑場に行くのは自分の『義務』だって理解しちゃったんですよ!
「あたりまえだろゴルァ!」なんて言わないでください。あのバ……単純なメロスくんが、自分で理解できたんです。これは、すばらしい成長でしょう。
そして、こんな表現もあります。
『風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。』
これも、すごい成長、というか変化ですよ!
最初の方で触れましたが、メロスくんは相当重度の『ナル』です。そんな彼が、格好を気にしないんです。
「でも、『みんな! この美しい私の、メロスの肉体を見てくれ!』とか思ってたんじゃない?」って考える人はいるかもしれません。ですが、おそらくそれは違います。
なぜなら、最後の一文『勇者は、ひどく赤面した。』があるからです。
この表現から、少なくてもメロスには『裸が恥ずかしいこと』であるという意識があったことがわかります。
自分が自己中であると自覚し、自分の責任を理解し、ナルシストな考えを捨てた。これがラストに向かって走って行くメロスの姿です。
こんな姿が見られたから、突っ込みどころ満載の、前半の印象が霞んでしまうんです。
そして、変化したのは、メロスだけではありません。わかりやすいところでは王様がそうですよね。
最初は『蒼白』な顔で「人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」なんて言っていたのに、最後は『顔をあからめて』「信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。」ですよ!
人を信じられなかった王様が、人を信じられるようになった。これは大きな変化です。
そして、詳しくは書かれてはいませんが、セリヌンティウスだってそうです。
セリヌンティウスはいい男です。しかし、端から見ると、どう考えても、ただのいい男ではありません。『底抜けに』いい男? いや、『都合の』いい男でしょう。
いくら親友の頼みとはいえ、命がかかるようなことを安請け合いするような人は、まともな人物でしょうか?
他に誰とも関わりがないならともかく、少なくてもセリヌンティウスには、フィロストラトスという弟子がいます。石工としての取引先だってあるでしょうし、家族がいないという記述もありません。
メロスの話だけを聞いて、即決で人質になることを決めてしまったのは、お人好しすぎるというか何というか……。
「もしかすると、実は、セリヌンティウスも相当『単純』なんじゃね?」って思いたくなりません?
ただ、どうやら、牢にいる間に、セリヌンティウスも、自分がお人好しすぎたんじゃないかってことに気付いたみたいです。それは、下記の最後に殴り合いのシーンでメロスに言ったセリフ(上)と、途中に出てくるフィロストラトスのセリフ(下)から伺うことができます。
「私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。」
「王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」
これは、『単純なお人好し』だったセリヌンティウスが、『約束したからには最後まで信じるという信念を持った存在』に進化したと言っても良いのではないでしょうか。
変わったのは、これだけではありません。
下記はメロスが刑場に突入し、磔柱につり上げられていくセリヌンティウスの脚にしがみついたシーンでの記述です。
『群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。』
このうち、「あっぱれ」はわかりますよね。半死半生でやってきたメロスの姿を見て「あっぱれ(立派だ)!」と言ったわけですから。
じゃあ何で「ゆるせ」なんでしょうか?
何を『許して』もらう必要があったんでしょうか?
それを理解するためには、この『群衆』たちは、何のために、ここにいたのか考えるとわかりやすいです。
彼らの目的は、『セリヌンティウスの処刑を見るため』です。
娯楽としての処刑見物。今回は、『友達と称する男に騙されて身代わりに処刑される間抜けで哀れな石工の最期』を見るために集まってきていたのです。
嘲笑してやろう。憐れんでやろう。そう思っていたところに、来るはずがないと思っていた男がやってきた。「ゆるせ(疑ってすみません。馬鹿にしてすみません)!」ってなりますよ。
そのうえ、待っているときのセリヌンティウスの態度は立派だったし、やってきたメロスはボロボロです。さらに、傍から見たら取るに足らないような小さなことで、「これじゃあ抱擁できない」とか言って、お互いに殴り合う。これは驚くでしょう!(注)
そうなんです。処刑を見に来ていた『群衆』の心も大いに変化したんです。
なお、私の受けた国文学概論の講義で、N教授は「それだけではない。これを読んだ読者の心も変化したはずだ!」とも語っていました。
これについては、他人の心の中のことなので、私には正しいと断言はできません。
ただ、もし、『走れメロス』を読んで、心を動かされた人がいたとしたら、その方にとって、N教授の言葉は正しかったと言えるでしょう。
と、まとまったところで、ここで答え合わせです。
Q2:『走れメロス』は『○○』の物語である。『○○』には何が当てはまりますか?
(漢字2字で)
A2:色々と考えられるw
すみません! 怒らないでください!!
小説なんて、人それぞれの読み方があるので、「一つに絞れ!」とはとても言えません。
今回私が示した読み方でも、『変化』『成長』『進化』これに類する言葉なら問題ないでしょうし、小説内で使われている言葉を用いるなら『信実』とか『信頼』とかでも良いと思います。
ただね、『友情』。これはどうかと思うんですよ。
今までの内容から、なんとなく想像はつくと思いますが、私も中・高時代は「熱い『友情』の物語」だって思ってました。が、表現の裏が理解できた今となっては、『友情』がメインテーマとはとても考えられません。
確かに『友情』も描かれてはいますよ。それに、小説をどう読もうが人それぞれなので、「駄目!」とは言えません。
ですが、それこそ、「メロスは老爺の体を揺すったり、犬を蹴飛ばしたりするから『虐待』がテーマだ!」っていうのと五十歩百歩なんじゃないかと……。
こんなふうに、文豪とか大家の書いた文学作品って、一筋縄ではいかないことも多いです。今回は、読んだことのある人が圧倒的に多いだろうってこともあって、『走れメロス』を取り上げました、しかし、メロスだけが特別な訳ではありません。当然、他の作家の作品にも精読すると印象が変わってくる作品は沢山あります。このエッセイを読んで何か感じることのあった方は、過去に読んだ『名作』を読み返してはみませんか? 何か面白い発見があるかもしれませんよ。
注:神の目があれば、最初のころのメロスのあんまりの有様に、どっちらけってなるかもしれませんし、実はメロスは『最後ですら速歩きレベルだったんじゃないか』って研究もあります。が、集まっている群衆にとっては、ちょっとしたいきさつと、刑場で見せたこの姿しかわかりません。だから、素直に感動できたと思われます。
私は『走れメロス』は相当罪深い作品だと思っています。だって、いたいけな中学生を感動させ、太宰治の作品への興味を持たせることで、『人間失格』に誘導しているんですよw
感受性の高い中学生が、あんなのを読んだら、おかしくなっても不思議じゃありません。
せめて、教科書に情報として載せる、太宰の『代表作』を『富嶽百景』とか『お伽草子』とか『津軽』ぐらいにしとけって思いますねw
このような長文を、最後までお読みいただき、ありがとうございました!