椿とお咲
椿は浅草で生まれた。父は船頭で母は呉服屋で針仕事をしていた。兄弟は5人いて弟と妹が2人ずつ。そして祖母と大家族の中で育った。
しかし父は船の事故で帰らぬ人となった。椿が15才の時だった。椿は家計を助けるために通っていた女学校を中退し今の旅館で働くことになった。
同時期に入ったのが一つ下のお咲。彼女も家が貧しく伊豆から奉公に来た。似た境遇の2人はすぐに仲よくなった。
「椿さん」
仕事が終わった夜椿はお咲に声かけられた。
「着物の裾」
椿は裾に目をやる。着物からは糸がほつれていた。
「生けないわ。私直しますよ。部屋によっていって下さい。」
旅館の従業員は住み込みの者と自宅から通っている者がいる。椿は家が同じ浅草で近いから歩いて通っているが伊豆から出てきたお咲は住み込みで働いている。住み込みの従業員には狭いが個室が与えられている。
お咲は解れた糸を切り縫い直してくれた。お咲の母は洋裁が得意で手縫いの着物を売りに出ていた。お咲も手伝っていたから多少の縫い物はできる。
「できましたよ。椿さん」
「ありがとうお咲ちゃん。」
仕事は朝が早く夜も遅い。椿とお咲はお客様の対応に加えお客様の部屋の掃除や皿洗い、買い出しとあらゆる雑務を任されていた。仕事に時間がかかっていると先輩の女中から嫌みを言われる。この前も椿がお客様に出す料理を間違えたとき、罰として全ての客室の掃除を1人でやるように言われた。
先輩達はそんな椿を見て「これもお願い」と言って別の仕事を押し付けてくる。そんな時文句を言わずに一緒にやってくれたのがお咲だった。
椿にとってお咲は唯一心を許せる存在だった。
「行ってらっしゃいませ。」
翌日椿が担当する客室のお客様が朝すぐに観光に出かけることになった。お客様は公爵家の夫妻。夫は千葉の房州で貿易会社を経営しているという。毎年年に2回は夫人を連れて宿泊される。海外に長く住むことも多く時折日本が恋しくなりこの旅館にやってくるのだ。
椿は客室に行き、まずは布団からシーツを外す。洗濯して新しい物と取りかえるのだ。シーツを外した敷き布団は押し入れの中にしまう。
机を端によせゴミ箱のゴミはゴミ袋に捨てる。
土間箒で畳を掃き、ふすまや掛上の飾られた床板は雑巾で水拭きする。それが一連の流れだ。
椿は床板に置かれた壺を拭きながらふと隅にあるクローゼットに目をやる。
椿は好奇心にかられ中を開ける。
「素敵だわ。」
中には今まで椿が着たことのないような西洋風のワンピースがあった。
椿はその中の一着を手に取り姿見の前に立つ。




