<第六十三話・未来を導くこと>
クオリアはベッドで、静かに眠っている。
「流石に、すぐには目覚めませんよね……」
カサンドラはその身体に布団をかけ直して呟いた。
あれなら、三日。ガーネットを倒した後――クオリアの魂が戻ってきたことで、蘇生魔法をかけることに成功。テリスのお陰で、クオリアは息を吹き返したのだが。
残念ながら、意識を取り戻すには至らなかった。ちゃんと息はしているし、修復された心臓は規則正しく鼓動を刻んでいる。まだ完治したわけではたいので暫く安静ではあるのだが、その上でクオリアが眠ったままであるのは別の理由があった。
つまり、魂が消耗したせい、である。
クオリアは魂だけの状態でガーネットと戦い、ダメージを受け、魔力を大量に消費した。また、救出まで多少の時間があった関係で力の一部はガーネットに奪われてしまい、戻ってこなかったという。魔力というより、体力と精神力に今後影響が出るのではないか、という懸念はあった。そのあたりは、彼が目覚めてみないことには何とも言えないのだろうが。
「仕方ないさ。それでも生きている。それだけは間違いないことだ」
壁に寄りかかって立つクライクスが言った。此処はダイヤモンドシティの病院であり、病室である。クライクスもその入院患者の一人のはずなのだが――相変わらず、無理をするというかなんというか。彼だって致命傷に近い傷を受けていたはずなのに、何故平然と出歩いて此処にいるのやら。
「暫くは寝かせておいてやれ。面倒見たくなるのはわかるが、ほどほどにな。あとさすがに身体を拭いてやったりとかは他の奴を頼れよ」
「うっ……」
「おい、さらっとやろうとしてたな?相手が一応男だってこと忘れてないよな?」
思いきり眼をそらしたのはすぐにバレた。いやだって、とカサンドラは思う。こんな時でもなければ合法的にクオリアの裸なんて拝めないではないか。自分に疚しい気持ちは――結構あるけど、だからって変なことをしようだなんてそんなことは――ちょっとしか思っていないというのに!そこまで止めなくてもいいではないか!
「い、いいじゃないですか!私はこれでも前世は男でしたし!ていうか多分精神的にも半分は男性じゃないかなーって気がしてますから!!」
これは、実のところクライクスにもテリスにも明かしていなかったことだ。
元々の世界で女性だったため、カサンドラの精神はやや女性よりではある。また、その時の身体的性別に大きく影響を受けるのも間違いない。が。
転生を繰り返して男性と女性をいったり来たりしているうちに、自分の中の性別がかなり迷子になっているのも事実なのである。口調が、男言葉にも女言葉にも寄らないのはそのためだった。一番迷子になっているのが実のところ恋愛対象で。いくつか前の世界から、カサンドラの恋愛対象には“ 自分の性別がどっちであれ”、同性が含まれるようになってきている。
まあ、それは“好きになるのはクシル”なのでそのクシルの性別がどっちであっても好きなものは好き、だからあまり意味のないことではあるのだが。
そして――恐らく、それはクオリアも同じなのではないか、と思うのだ。
確かに始まりの世界でも、彼は中性的な口調と一人称を好む傾向にはあったが。今から思うと近年の世界では“戦時中の日本”の世界であってさえ一人称が幼少時から“私”であった気がするのである。彼は何も記憶しないで転生を繰り返していたはずなのだが、それでもやはり魂になんらかの意識が残っているのは確かなことなのだろう。自分が女性であった時の記憶がどこかに残っているからこそ、完全に心身が男性に依らなかったのではないか、と思われる。
そして。
「……その、クオリアなんですけど。過去の世界も、全部思い出してるっていうのは、本当なんですか…?」
本当は可能な限り早く話を切り上げて、クライクスにも寝ていてもらった方がいいはずなのだが。
どうしても、彼には聴きたいことが多すぎる。クオリアがクライクスにだけは自分の計画を話して、協力させていたふしがあるから尚更に。
「本当だ、と思う」
クライクスは――少々苦い顔で頷いた。
「俺には想像もつかない。何十、何百と嬲り殺しにされてきたんだろう、こいつは。その経験を全て思い出したとして、果たして心が耐えきれるものなのかどうか」
「でも、クオリアは耐えて……英雄になり、この世界でも惨たらしく殺される経験をすることを選んだ」
「そうだな」
「……どうしてでしょう。どうしてそこまで……頑張ることができたんでしょう。確かに、一番最初の世界から、とても優しい人ではありましたけど……」
心底不思議に思って、それを口にすると。何故だかクライクスには、盛大に溜め息をつかれることになづた。
「お前な、実は結構馬鹿なんじゃないのか」
その言葉が唐突で、本気で呆れ果てたというような声だったものだから。カサンドラはあっけに取られて、はい?とひっくり返った声を出してしまった。
「ちょ、今なんて……!」
「お前は結構頭からっぽでしょうもないおバカだったんだなあ、全然知らなかったぞー……と言った」
「明らかに最初のより悪化しましたよね喧嘩売ってます!?」
いつもテリスを相手にするノリで声をあげかけ、慌ててフェードアウトした。振り返る先、クオリアが起きた様子はない。ついでに言うならここは病院なわけで、配慮しなければならない相手はクオリア一人ではないわけで。
「売ってるぞ、高値で買い取れ。そもそも俺はずっと苛ついていた。お前はクオリアに関して特に、ネガティブが過ぎる。見ていて本当に腹が立つんだよ」
物静かな彼らしからぬ強い口調で言われてしまう。
「どうにもお前は、自分がずっとクオリアを不幸にしてきたとか、役目を果たせなかったとか、自分のせいでクオリアを死なせ続けてきたんじゃないとか、今までの世界でもずっとこいつは幸せじゃなかったはずだとか……とにかくそんなことばかり考えているみたいだけどな。それ、クオリアが一度でもお前にそんなことを言ったのか?」
「えっ……」
「俺の言葉では説得力がないかもしれないがな。きっと、記憶を取り戻す前から本能的にこいつは気付いていたんだと思うぞ。いつも自分を必死で追いかけて、いつも守ろうとしてくれる誰かがすぐ近くにいたってこと。ストーカーまでいくのは論外だけどな。基本的に誰だって、人に好かれて嫌だってことはないんどよ。お前みたいに……いつも一生懸命で、クオリア以外のことだって絶対見捨てるような真似しなくて、顔をも知らない他人のためにだって全力で戦えるような奴に好かれて、一体誰が不愉快になると思うんだ」
ぽかん、とカサンドラは口を開けたまま固まった。今のはひょっとして――自分、クライクスに滅茶苦茶誉められてやしないだろうか?
「あ、あの……その」
何て返せばいいのかわからない。
そもそも今回の世界において、滅茶苦茶人に冷遇されたこともないが、そこまで人に誉められまくった経験もないカサンドラある(なお、誉められていてもろくに気がつかないだけ、ということに、カサンドラは気付いていなかっただけだったりする。当然本人は知る由もないことだが)。
「もう少し自信を持て。謙虚さも行きすぎれば嫌味なだけだと言ってるんだ」
段々、言ってる本人も恥ずかしくなってきたらしい。ほんの少し頬を染めて視線を逸らす様は、同年代の女子たちが見れば騒ぎだしそうなくらいには可愛らしい。
クオリアが飛び抜けて美形であるため忘れられがちだが。うちのチームの男性陣はさりげなく顔面偏差値が高いのである。特に、クライクスは普通に美少年と読んで差し支えない見目だ。全体的に線が細くてクールな印象なので余計絵になるのだろう。
「少なくとも。俺が見ている前で、クオリアが心底不幸そうに見えたことは一度もない。記憶を取り戻した時でさえだ。むしろ、幸せだったからこそ、この世界を命懸けで救いたいと思ったんじゃないのか。そしてクオリアに、そんな幸せを与えた奴がいるとしたらそれは……お前だろう」
「私、が……」
「不安なら、クオリアが目を覚ましたあとで幾らでも聞け」
クライクスはそう言って――ほんの少し、照れたように笑った。
「魔女の呪いが完全に解けたわけじゃないかもしれない。それでも……ひとまず危機は去って、今のお前達にはこれから時間はいくらでもある。そうだろう?」
ああ、そうだ。やっと沸いてきた実感を胸に、カサンドラはそっと、眠るクオリアの手を握った。
「ええ。そうですね……その通りです」
初めて手にした、囚われない時間。
どれほどこの時が許されるかはまだわからない。それでも確かなこと。
今、クオリアは生きている。
自分達は生きていて、今此処にいる。
***
「これから大変かねえ……」
アナスタシアに宛がわれた王宮の一室。ベランダから、夕焼けに染まる町を見つめながらテリスは呟いた。
「とりあえず、機嫌直せよショーン。世の中には成り行きってもんがあるんだよ、成り行きってもんが」
「うう、わかってますけどー…」
手摺に寄りかかり、ムクれているショーン。
「だからって、カサンドラさんとクオリアさんの事情……僕だけ知らなかったなんてあんまりです。除け者なんて酷いです。僕だって、僕だって仲間なのに……うう」
結局、ずるずると話さないままになってしまっていたカサンドラとクオリアの事情。ようやくそれをテリスから聞くことになったショーンは、さっきからずっとこの調子だった。
申し訳ない、という気持ちはテリスにもある。でも、テリスだって知ったのは成り行きだ。たまたまカサンドラがクライクスに襲われた場面に出くわしたせいで、余計なことを知る羽目になってしまったという、ただそれだけのことなのである。ショーンに話さなかったのだって、秘密にしていたというよりも話すタイミングを逃していたという方が大きい。気持ちはわかるが、それはもう仕方がなかったんだと言うしかない。
「しかも、クライクスさんまで特別だったとか。航海者ってなんかもう響きが格好いいじゃないですか。……まあ納得はしましたけど。あの三人は、最初からこう、すごく場慣れしてた感ありましたし。クオリアさんは、途中まで何も覚えてなかったはずなのに」
「だな。無意識にいろいろ覚えてたってことなのかもなあ。凡人の俺らとは全然違いますわー。というかスペックが総じて高すぎて笑えねえ。クオリアが美形すぎて忘れられがちだけど、クライクスとカサンドラだって充分美男美女なんだぜ、羨ましいわ爆発しろー!」
「何言ってんですか、テリスさんだって地味にイケメンなのに」
「地味って!そりゃツッコミしか印象がねえキャラだと自分でも思ってたけど!」
「思ってたんだ……」
半分コントのようなやり取りを繰り広げながら、テリスはこれからのことを考える。
神がいなくなった、世界。じきに封印され、あるいは消されていた守護竜たちも戻ってくるだろうとされていた。だが、それまでは地の守護竜と闇の守護竜だけで世界を元に戻していかなければならない。何より全ての兄弟が戻ってきた時、彼らはもうこの地に留まる理由がなくなることだろう。
守護竜全てがいなくなってしまえばこの島がどうなるのか、それは実のところはっきりとはわかっていない。彼らがこのまま島にいてくれるのか、それとも離れていってしまうのかどうかさえ。
いずれにせよ、確かなことは。これからの世界は、神にも不思議な力にも頼ることなく、人間が自らの手で、力で、切り開いていかなけらばならないたいうことである。
『わたくしが間違っていたのか……貴女がたが本当は間違っているのか。正直それは、今でもわたくしにはわからないことですわ』
神が倒れたあの場所で、アナスタシアは自分達にそう言った。
『それでも。もしも神が導き、犠牲をもたらしてでも支配し続ける世界が正しいのなら。それが絶対なら。今日のこの日は訪れてはならなかったはずでしょう。……わたくしは貴女がたに敗れ、神は敗北した。ならばきっと、その結果には必ず意味があるはず。いいえ……わたくし達自身の手で、その意味を見出だして歩いていかなけらばならないはずなのですわ』
だから、と。
顔を上げた女王は――覚悟を決めた顔で、自分達に告げたのだった。
『差し出がましいのを承知で申し上げます。どうか……これからも。この世界をより良くするため、わたくし達に力を貸してほしいの。そしてまた、わたくしが道を誤りそうになった時は……勇敢な貴女がたの手で、わたくしを正して欲しい。きっと、この世界にも、わたくしにも。貴女がたのような存在が必要だったのですわ。本当は、ずっと前から』
世界をより良くする。
それが具体的にどうすることなのか、テリスにはまだ正直よくわかっていない。
そのために、ちっぽけな自分達に一体何ができるのか、ということも。
――正直、俺だってまだわかんないことだらけだ。ひょっとしたら俺達がやったことは、本当は全然正しくなんかなくて……これからはアナスタシア女王が言ってたみたいに、たくさん争いが起きたりして、えらい面倒なことになったりすんのかもしれねーけど……。
それでも、テリスは思うのである。
もしあの時、自分達がクオリアを犠牲にして生き延びることを選んでいたら。神に立ち向かう勇気を持てず、アナスタシア達の言う“かりそめの平和”を受け入れて生きていくことを選んだのなら。
“誰かがいなくていい世界”に、甘んじていたのなら。
――諦めなかったから……今の俺らが此処にいる。カッシーは笑えるし……俺も、ショーンも……からかいながら未来を話すことだって出来るんだ。
「なあショーン」
そう、だから。今の自分、だから。
「俺、もうちょい頑張ってみようかなとか、思ってるんだけど……お前はどーすんの?」
あの時。カサンドラの気持ちを尊重して、引き下がろうとしていた気持ちを。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ引っ張り出してみようだなんて、そんなことも思えるのだ。
「クオリア、多分あれ無意識のバイセクシャルだと思うんだよな。ていうかカッシーもそうなんだけど。……チャンスねーわけじゃねーんじゃね?俺らだってさ」
テリスがそう告げると、一瞬ショーンはきょとんとして――次に、悪戯っ子のような悪どい笑みを浮かべてみせたのだった。
「こっそり、手を組んじゃいますか?僕ら」
「いんじゃね?俺らだってさー、好きなように恋愛してみたいよなー。最終的にカッシーとクオリアがそれぞれ幸せになればそれでいいよなーって気もするしー?」
「あはは、嫌いじゃないですよお、その考え方も」
「だろー?」
鮮やかな空に、悪巧みの声が上がる。
誰かと笑える時間がある。くだらない話が出来る。みんなで――生きて幸せになれる、明日がそこにある。
まだ何も確定していないけれど、思いがけない苦難もあるかもしれないけれど、それでも。
自分達には、未来があるのだ。
これからいくらでも、積み上げていける未来が。




