<第六十話・転生者の力>
『何時まで一人、粘り続ける気なのか……クオリア・スカーレットよ』
真っ白な空間で、戦いは続いていた。ついに膝をついたクオリアに、ガーネット神は無情な言葉を投げつける。
『確かに貴様は強い。人間にしておくには惜しいほどその魂も、魔力も申し分ないものであろう。だからこそわからぬ。それほどまでに天才的な才を持つ貴様が、何故これほどまでに勝率の低い賭けに乗ったのか?そこまでして生き延びたかったとでも?』
いいや違うな、とガーネットは首を振った。
『自分だけが助かりたいのなら、英雄の座を他の者に押し付ければ充分であったはずよな。確かに、雷のと焔のは貴様を英雄の筆頭候補としていたし、我もそれには異論がなかった。が、他にも英雄として充分な力を持つ、相応しき者はいたはず。お前達全員が等しく“候補”であるのは確かなことだったのだからな。例えば……あのカサンドラという娘も、なかなかの魂の持ち主であったはず。あの娘ならば、喜んで貴様の代わりに英雄を引き受けたのではないか?』
「だろうな」
『ならば、何故そうしなかった?貴様は死にたかったわけではあるまい。そして自らが犠牲となって世界を救おうとしたわけでもないことは明らかよ。貴様はまだまだ生きることへの未練がある。それがわかる。よもやその未練より、仲間への情の方が遥かに大切だとでも言うつもりか?』
確かに、それも否定はできないな、とクオリアは思う。
カサンドラや、他の仲間にこの役目を背負わせるくらいなら自分がやるべきだ。そう思ったのは事実だ。最終的に助かったところで、凄まじい苦痛に耐えなければならないのは間違いのないことなのだから。
そして、最終的に確実に助かる保証も何処にもない。自分がガーネット神の意思に抗えずすぐに魂を溶かされてしまったら。あるいはカサンドラ達がアナスタシア達の妨害を突破し神に一撃を加えることができなければ。全ての苦労が徒労になり、蘇生魔法の使用も不可能になる。つまり、クオリアの死が完全に確定するのは間違いないことだろう。
それでもだ。
自分が今此処に居るのは。一番危険な役目を担うことを選んだのは。
そもそもその、最悪の結末を回避するために、全力を尽くしたいと願ったからに他ならない。
「仲間を守りたかったのもあるが……それだけじゃない。他にも理由なら色々あるさ」
大技を連発しすぎたせいで、全身に疲労が溜まっている。おまけにカウンターの多くを受け止めきれず、あちこち傷だらけになっていた。
それでも、クオリアは笑うのである。
「クリスタルの力は、魔法攻撃と非常に相性がいい。私が最も効率的に扱えると判断した。まあ、私には魔女の呪いがかかっているから……他の誰かに英雄を押し付けることそのものがかなり難しそうだと思ったのもあるんだがな」
肩で息をして、ふらつきながらも立ち上がるのだ。
「つまり、私が英雄になり、ガーネット神の中に取り込まれるのが……一番、勝率が高いと判断したまで。つまり……全員で生き残るために、最も可能性の高い選択をしたのさ。それだけのことだ」
『その、全員で生き残ることに固執する意味がわからぬ。貴様らは精々一ヶ月程度共に旅をしただけの間柄。確かにあのカサンドラとは少々深い縁があったのだろうが、それ以外の三人はそうではなかったはずであろう。一人を切り捨て、残り四人が確実に生き残る道を選ぶのは実に合理的であるはずよな。アナスタシアが、王族が、この国で民に対してしてきたことと同じことよ』
実に的を射た喩えだろう。
五人の英雄候補の中から一人の英雄という名の生け贄を選び、大人しく差し出せば。他の者達は皆命を救われることになる。同時に、世界を救った英雄として多額の褒賞金を得て、未来永劫人々に讃えられる存在になれるのかもしれない。それも、確かにハッピーエンドではあるのだろう。彼らが、罪悪感に押し潰されることがないのであれば。
そしてそれは、英雄候補に限った話でもない。アナスタシアは、カナシダ王家は、長年神に生贄を与えて、神の起こす数多くの異変を許容することで“被害に遭わない大多数の人間”の平穏を約束してきたに違いない。大多数の平和のためなら、幸福のためなら。少人数の犠牲と不幸は仕方のないことと冷徹に割りきることのできる彼ら。きっと、それも正義ではあるのだろう。カナシダ王家の全てを否定するつもりはないのだ。彼らが守り、救ってきた人々もきっと数多く存在するのだろうから。
『人と人との絆ほど脆く、無意味なものはない。人間は醜く、自分勝手で、助かるためならば平気で他者を犠牲にできる存在。自らの正しさを証明するため、自らが安全圏にいるためならば平気で生贄を差出し集団で少数を悪魔に仕立て、そうでもしなければ結束できぬのが人間よ。それは我とカナシダ王家が長年証明してきたこと。ならば貴様も同じようにすればよかったではないか。我には理解できぬ。何故、たかが一ヶ月ばかり共に過ごしただけの仲間をそこまで慮るのだ?』
ああ、わかった気がする。クオリアは、ひとつ深く息を吐いた。
この空間が真っ白で、もはや何も存在していない理由。誰も、何も、この場所に残っておらず――ひたすら空虚である理由。
「……ガーネット。お前はどこまでも……孤独で、空虚だ。誰のことも信じてはいない。愛してはいない。本当は、自分自身のことですらな」
この存在の正体が、薄々分かったような気がする。
この神も結局のところ――心まで神になることはできなかった。つまりは、そういうことなのだろう。
過去に何かがあって、いつの間にか歯車は狂い、狂ったまま戻らなくなってしまって今に至るのか。自分には、わからない。目の前の存在が救済に値するのか、そうでないのかさえ。
何故なら自分はあまりにも、ガーネットというこの神について何も知らなすぎるのだから。
「仲間が大切で、だから犠牲にしたくなかったのは当然あるとも。一ヶ月の付き合いでも、私にとっては生まれて初めて出来た……冒険者としての、かけがえのない仲間達だ。誰もが優しく、聡明で、何事にも勇敢に立ち向かうことができる。困っている人をけして見捨てることをしない。こんなに素晴らしい仲間は何処を探してもいないと、私はそう確信している。……でも、理由はそれだけじゃない」
『ほう?』
「簡単なことさ。……ムカついたからだ。誰かを当然のように犠牲にする世界に。それが当たり前だと、仕方ないと、他人に押し付けることを強制する世界に。誰かがいなくてもいい世界なんてものに甘んじて、満足してやるほど私はお人好しじゃなかった。ただそれだけのことだ」
貴族と、庶民の間には明確な壁があるのだ――かつて、父がそう言っていた。それは、法律だけの問題ではない。むしろ、深刻なのは人の心なのだと。
貴族達の多くが、貴族以外の存在を“人間”だとは認めていないのだという。貴族だけが人間であり、貴族をやめることは即ち人間をやめて家畜に落ちるようなもの。庶民を、特にアンダークラスの人間達を奴隷か家畜としか見ていない者が、悲しいほどにこの国には多いのだそうだ。
彼らは思っている。この国に、世界に、真に必要なのは王族と貴族だけなのだと。王族と貴族、あとは少し優秀な冒険者あたりがいればそれで充分。あとの連中は“いなくてもいい、必要のない人間だ”と。そう考える親に、そう教えられるこどもがまだまだ少なくないのだという。
それを聞いてクオリアは憤ったものである。貴族も、庶民も、みんな同じように生きて意思を持っている人間だというのに、どうして必要な人間と必要ではない人間なんて、そんな風に分ける意味があるのだろう。
綺麗事かもしれない、それでも。
クオリアはその時思ったのだ。誰かがいなくていい世界なんて、それこそ要らないものではないか、と。
「私は誰のことも切り捨てない……!私自身も、切り捨てたつもりはない!私はカサンドラを、私の愛する仲間達を信じる!それまで必ず此処で生き延びて……お前を倒し、全ての悪夢を終わらせてみせよう!!」
『出来もしないことを吼えるでないわ、人間』
ガーネットの顔が、不愉快そうに歪んだ。
『ならばそのくだらない希望を、我が手で断ち切ってくれようぞ……!』
そして、再び少年の姿をした神の全身に魔力が漲る。彼の背後にいくつもの光の珠が浮かび上がるのを見た時、クオリアはこれから降るであろう攻撃が何であるのかを察した。
『これで仕舞いだ… “断罪の閃光!!”』
光の守護竜の魔法。距離が近すぎる――回避できない。間に合わない。ならば防御するしかないが、自分は黒魔導士。防御したところで対してダメージ軽減にはならないだろう。
――ならばどうする?諦めるのか?
攻撃に貫かれるまでの、ほんの僅かな時間。クオリアが出した、答えは。
――否、カサンドラなら諦めない……最後の最後まで、考えることをやめはしない!!
その瞬間、クオリアの脳裏に甦った、ひとつの記憶。
前世の記憶を思い出し、クリスタルを得た後で確かにクオリアの中に甦った、いくつかの力。
使えないと思っていた。それは、クオリアが転生者でありながら、正しく航海者としてのルールも理解していたからに他ならない。だが。同時に航海者であるならば、世界を干渉する際その制限が外れる条件も存在しているのである。即ち。
他の航海者によって大きく歪められた運命や対象を相手にする時のみ――その存在をあるべき物語へと修正しようとする時のみ。他の世界の力を行使することが許される、というルールだ。
――できる……今の、私ならば!
『!!』
光の矢がクオリアに当たる瞬間、雷で出来た檻がクオリアを守っていた。断罪の光がそれにぶつかり、大きな爆発を引き起こす。
『……なんだ、その姿は……!』
初めて、神が驚愕の声を上げた。爆風が収まった時、そこに存在していたクオリアの姿に。
驚くのは当然だろう。さっきまで自分が痛め付けていた青年が、艶やかな着物姿の女性に変わっているとあっては。
「“結界符・雷陣”」
クオリアは着物の裾を翻し、微笑んでみせた。
「私の一つ前の世界の姿……繰那姫の家は。代々陰陽師の家系だった。あの世界では魔法は使えなかったがな。陰陽師としての呪符の力なら多少は引き継いでいる。他者を攻撃することは得意ではなかったが……結界を張り、護ることには非常に秀でていたのだよ」
此処では、神以外にこの姿を見られることはない。異世界の力を振るっても、それで何かに致命的な影響を与えることはない。
何よりもこの力が使えたことは即ち――この神そのものが、異世界の存在によって歪められた“本来ならば存在するはずがなかったもの”であることの証明でもある。恐らく、この神を邪神に貶めた最大の原因は、自分を転生者にし、呪いをかけたあの魔女と無関係ではあるまい。
「文字通り、これが最後の戦いだ……!私は、私が持てる全ての力を駆使して、お前を倒す!!今度こそ……愛する者との未来を勝ち取るために!!」
そしてクオリア――繰那姫が右手を掲げると。今度はその手に大剣が現れた。
再び、姿は女性から青年へ。ローブと鎧を合わせた、王の装束を纏った人間の姿へ。
「クシル・フレイヤは……クオリアとは違い剣技にも秀でていた。クオリアでは扱えぬ大剣もその技も、クシルならば使うことができる!“瞬撃・刹那”!!」
『がっ!!』
クシル・フレイヤの魔法を帯びた神速の剣は。どんなモンスターをも切り裂き、どれほどの剣士であっても見切ることが困難と言われていた。その一撃が、動揺し反応が遅れた神を袈裟掛けに切り裂くことになる。
『おのれ、舐めた真似を……っ!!』
ギリギリで後ろに跳ばれたせいで、かなり浅い攻撃になってしまった。
が、それでも――滴る血。初めて神に、ダメージを与えることに成功したらしい。
「舐めてなんかいないさ。だから全身全霊、持ってる武器を全部使って相手をしてやると言っている……!!」
折れない。折れたりなどしない。
生きている限り、信じてくれる者がいる限り、自分は最後の一秒まで抗い続けてみせよう。
『クオリア!!!』
そして、運命の時はやって来るのである。
愛しい者の声とともに、決着の瞬間が。




