<第五十七話・ピース・メイカー>
神という存在に、正義も悪もない。
ただそれは、人々を導き、守るためには絶対的に必要な存在であり――良かれど悪かれど機嫌を損ねれば祟るのは当然だと、アナスタシアは物心ついた時からそう思っていた。
気に入らない相手がいれば排除しようとするのは、人間だってすることだ。それを、神がしてはならない道理はないだろう。ガーネットという神は、その機嫌を上手に取り、ルールさえ守り続ければけして“祟る”ことのない神だ。ならばそれで充分ではないか。何故、ほんのささやかな犠牲が受け入れられないと彼らは嘆くのだろうか。
痛みのない教訓に意味はなく、対価を支払わずして得られる進化は何もない。
なら、これは人々が平和を保ち、これからも進化していくために必要な犠牲であるはずである。神が、その犠牲を決め、最小限に抑えてくれるというのだ。それのどこが不満なのか。アナスタシアにとってそれは、常識と呼んでも差し支えない、当たり前の考え方である。
『アナスタシア。これは、我が一族が未来永劫成し遂げなければならぬ使命なのだ』
厳格な父は、幼い頃からアナスタシアに何度もそれを言い聞かせてきた。幼くして王位に着き、その聡明さで人々を引っ張り続けてきた名君――アストレア・リ・カナシダ。老いてからようやく生まれた跡継ぎの娘を、父は溺愛しつつも厳しく、強かに育ててくれた。彼の願いは、アナスタシアの願いであり、同時にカナシダ一族の悲願でもある。
『悲劇を繰り返すようなことは、けしてあってはならぬ。人が人を傷つけ、欲望のまま争うことほど悲劇はない。我々だけが、戦争という最大の悲劇を防ぐことができる。その力を神が我々に託してくれた意味を忘れてはならぬぞ。神と、王家の力の元……この国をより良く発展させ、未来永劫の平和を約束すること。お前が成すべき使命に終わりはないのだ。アナスタシアよ、必ずこの国を……平和を護ってくれ。他ならぬ民のために……!』
何故、ガーネット王国が人々が島から出ることを禁止しているか。
それは、カナシダ一族の始祖が大陸から逃げ延びてきたことに起因している。一族はかつて、サファリン帝国という巨大な帝国の地方貴族であったそうだ。田舎の、小さな子爵の一族。貴族としては恵まれた生活ではなかったが、それでものんびりと辺境の土地で暮らしていた一族が、大陸を離れることになったのは。帝国が、他の国へと侵略を始めたからである。
資源が乏しく、土壌汚染が深刻だった大陸は、より豊かで綺麗な土地と空気、資源を求めて他の国への侵略を繰り返していたのだった。彼らは他国に一切の情け容赦がなかった。他国が、サファリン帝国とはまるで違う宗教を信仰し、自分達の神を否定する忌々しい存在であったからというのもあるだろう。
カナシダ一族もそれは知っていたが、大半の戦争は軍がよその国に侵入しての他国を舞台にした争いである。はっきり言って、他人事のように思っていたのだそうだ。ついに怒り狂った他国の連合軍が反撃に出て、帝国そのものが戦火に晒されるようになるまでは。
カナシダ一族が暮らしていた小さな町にも戦争の火は忍び寄った。焼き付くされ、強奪される町。生き残った僅かな人々でさえも僅かな食料や医療品を奪い合い、誰もが自分が生き残るためだけに骨肉の醜い争いを繰り広げる日々。
もはや耐えられぬ――そう思った一族は“方舟”を作り、命懸けで海を渡ったのだそうだ。そして島に辿り着き、ガーネット神に出会うことになるのである。
ガーネット神と、一族の長は契約を交わしたのだそうだ。一定周期ごとに生け贄を捧げ続ける代わりに、自分達にどうか、平和な世界を実現させるための力を与えてほしい、と。
では。平和な世界を築くため。最も障害になるものがあるとしたら、それは何か?言うまでもない。人が人を殺し、欲望に走り、それぞれか身勝手な思想と考えでバラバラの神を信じ、個性を持つこと。人々が集団ではなく個を重んじたはかりに戦争が起き、罪なき人々が山のように殺されていったのだ。戦争がけして起こらない世の中にしたい。そのための力が欲しい。始祖は、ガーネット神にそう願ったのである。
『カナシダ王家はこの国の始祖の一族……あらゆる才知に優れ、武芸に優れた絶対的な指導者の一族だ。そして、王だけが代々この力を引き継ぐことができる。人々が争いを起こさぬよう抑制する力。ガーネット神以外の神を信じる気持ちを抑え込む力。人々が平和で、戦争を起こさぬ世の中であるためには。我々がこの力をもってして、未来永劫人々を導き続けねばならぬのだ……!!』
カナシダ王家は、選ばれた存在だった。
確かにこの島にたどり着いたことは偶然だったのかもしれない。もし、自分達以外の人間が大陸から渡ってきたのなら、王となっていたのは他の人間達であったのかもしれない。
それでも神に見初められ、神と契約を交わし、王国を率いる立場になったのは自分達である。カナシダ王家は、人々に多くの制約を貸した。特に厳密に定めたことが、ガーネット神以外の神を信仰しないことと、絶対に島の外に出てはならないということである。
王家が大陸を離れて早数百年。現在の大陸がどのような状況になっているのかは自分達にもわからない。だが、もしも今でも同じような戦争が繰り返されていたとしたら。島を離れて大陸に渡ることで、この平和な国にその火種を持ち込むようなことがあれば。それだけは絶対に阻止しなければならないことだった。戦争だけは、何がなんでも繰り返してはならない。自分達は先祖代々、親からそう厳しく教え込まれて育ってきたのである。
――人々の心に欲があり、争う心があるからこそ戦争が起きる。そして、個を強く持ち、自由な宗教を許すからこそ認めあうことができなくなる!ならば、それぞれが共有した認識を持ち、争う心を起こさないように我らがコントロールすれば……この国で、大陸で起きたような惨劇は繰り返されずに済むはず……!
アナスタシアは確信していた。
そのために自分達には神が、神から与えられた力が必要なのだと。
神がいなくなり、王家が人々の心を抑える力を失えば。間違いなく悲劇が繰り返され、何百年も先祖が守り続けてきた平和の網が破かれてしまうことになるのだと。
――そう、だから……!神にこれからも、わたくし達の世界を守る力を頂くため、カナシダ王家がこれからも人々を正しく導くためには!ガーネット神の力は必要不可欠なのですわ……!!
目の前でこちらを睨む少年少女達を見、そして血の海の中で事切れている美しい青年を見る。
クオリア・スカーレットは、とても皆から慕われていたのだろう。彼の死は、仲間達にとってはきっと耐えがたいものだあったことだろう。いつもそうなのだ。英雄に選ばれるような人間の大半は、仲間達に愛され、求心力とカリスマ性を誇るリーダーなのである。アナスタシアが儀式を実際に見るのは今回が初めてだが、記録映像ならば過去のものを全て見てきているのだ。
だから、知っている。過去の英雄達がどれほど苦しんで死んできたのかも、その死に悲しみ嘆く者達の姿も、全て。自分はけして、彼らに“悲しむな”などとは言えない。いくら世界を守るためとはいえ、愛しいものが死んで悲しむのは当然のこと。恨まれて仕方ないことをしている、それだけの自覚は、アナスタシアにもあるのである。
――それでも!大局を見なければならないのです。神を失い、この国が乱れれば……失われる命の数はこの程度では済まない!人が人を屠り、犯し、壊し、殺す……この世の地獄が必ずや繰り返されることになる!!貴女がたは知らないのです、戦争というものがどれほど恐ろしく、人の尊厳全てを踏みにじる悪夢であるのかということを……!!
だから。アナスタシアはけして、ガーネット神を彼らに討たせるわけにはいかないのである。
例え涙に暮れる彼らをこの場で殺し、あるいは一生残る傷を負わせることになったとしても。
「闇の守護竜……!」
リカルドが召喚したダークネス・マスター・ドラゴン。それを見て、テリスがひきつった顔で笑った。
「すげぇな、これで全種類揃っちまったぜ……!」
「やはり、無事ではなかったか。いや、それとも“そちら側”にいるのなら、意思を奪われているわけではない、ということか?」
「その通りですわ。カサンドラ、貴女に加護を与えている地の守護竜と同じなのです」
冥土の土産だ、これくらい教えてやってもいいだろう。クライクスの質問に答えるアナスタシア。
「貴方がたは、全ての守護竜の行く末を見てきたはず。ならばわかりますわね?今回のガーネット神はいつも以上に本気で“異変”を起こしたということ。少しでも自分に叛意があり、それを実行しようと動いた守護竜は全て粛清されたということを。ある竜は意思を奪われて異変を演出するための駒とされ、ある竜は首を切り落とされ、ある竜は試練の為に拘束されて配置されるに至った。地の守護竜と闇の守護竜だけが、懸命な判断をして生き延びるに至ったのですわ」
地の守護竜は、英雄をクリスタルに導くサポートをし。
闇の守護竜は神を護衛するリカルドに力を貸すことでガーネット神の粛清を逃れた。
守護竜とはいえ、なんと愚かなことか。絶対に叶わない神に挑み、みすみす封じられた者がよもや六体もいようとは。
「六体の守護竜が敵わない神ですのよ。人間ごときが刃向かえると思う方が間違ってますわ。今なら間に合います。これが最後の警告……。わたくし達に協力して、共に神の下平和を守っていく気は、本当にないのかしら?チーム“ファイナルヘブン”」
脅しでないことは、彼らも充分にわかっているはずだ。既にリカルドは闇の守護竜を召喚して構えている。彼らがここで否といえば、即座にドラゴンの強烈な召喚魔法が解き放たれ、彼らを吹き飛ばすことだろう。
闇の守護竜そのものではなく、分霊だとしても。人間が食らえばひとたまりもないはずだ。それほどまでに竜騎士が扱う守護竜の召喚魔法は、恐ろしい威力を誇るのである。向こうには竜騎士のカサンドラもいる。想像がつかないはずがない。
「それは、私に……私達にクオリアの命を諦めろと仰ってるのですか?」
ギッ、と強くカサンドラがこちらを睨み付けてくる。
「クオリアが命懸けで、苦しみ抜いて掴んだ神を倒すチャンスを……努力を全て無駄にしろと?」
「無駄などではありませんわ。この経験は必ずや貴方がたの未来を強く導く糧となりましょう。守護竜を相手にしても勇敢に立ち向かい、クリスタルを手にして世界を救った貴方がたはとはや生きる伝説。そのための経験も、栄誉も、栄光も、けしてなかったことになどなりませんのよ……!」
「栄光なんてない!クオリアを犠牲にして、これならも邪神に好き勝手食われるばかりの世界で!生贄を捧げて機嫌を取るだけの世界で!どうしてのうのうと幸せに生きていくことができるでしょうか!私には出来ない……絶対に、出来ない!!」
強く、勇ましい少女は吼える。
けして自分達の心を曲げない、折れないと訴えかけるように、
「クオリアだけじゃない……貴女が望み、導く世界で、本当に救われることなんて何もありません!私達には意思がある。好きなものを信じ、自分のために戦いを選ぶのも私たちの意思……それを、誰かに当然のように奪われて、表向きだけの平和を与えられて満足するなんて私達には無理だ!何故なら平和な世界も、本当に幸せな国も……誰かに押し付けられるんじゃなく、私達が全員で、自分の努力で築き上げていくものだからです。違いますかっ!?」
強い娘だ、とアナスタシアは思う。まだ十五歳。カサンドラなど、中等部の学生であったはずである。ろくなジョブ訓練もせず、半ば強制的にいきなり冒険者として選抜され、追いたてられるように旅立ったはずだというのに、どうして今の今まで立ち上がり続けることができたのだろうか。
恐ろしいものなど山ほど見てきたはずだろうに。
絶望など、いくらでもその眼に映りこんで来ただろうに。
「……ならば、仕方ありませんわね」
その強さがあればいつか――自分達の国を守るための、勇敢な戦士になることもできたかもしれないのに。
あまりにも眩しく、勿体無いことだと思う。そんな彼女を、彼女らを此処で終わらせなければならないというのは。
「リカルド」
「御意に」
アナスタシアが命じると、リカルドは頷いて――その手を高々と掲げた。
目の前の少年少女達を、一撃必殺のドラゴンによる召喚魔法でまとめて吹き飛ばし、粉々に粉砕するために。
「さようなら。これで、トドメですわ」
闇の守護竜が、がばりと口を開いてカサンドラ達の方向を向き、吼えた。
これで全てが終わることだろう。神に捧げる神聖な儀式も、貴い少女達の祈りも、何もかも全てが。




