<第五十六話・レジスタンス>
あれほど絶え間無く襲ってきていた激痛が、いつの間にか溶けるように消えている。クオリアが目を開いた時そこは真っ白な、何もない空間だった。
――此処が、ガーネット神の深層心理というわけか?もっと複雑なのかと思ったら……。
白、というのは通常純粋さや、清らかさを象徴する色のはずである。しかし今クオリアは、その色には全く眼が向かないでいた。それよりも“何もない”という“事実”が心に引っ掛かって離れない。
印象としてはそう、強すぎる寂寥感。あまりにも淋しく、空虚。
引っ越してすぐの何もない部屋というより、ついさっきまでいた住人達が引っ越してしまって“何もなくなってしまった”部屋、の印象の方が強かった。あったはずのものが、全てなくなってしまっている。そして、これから新しく増える気配もない。
なんと空しい場所だろう。これが、自分達を苦しめ、世界を力で支配する神の魂の中だとでもいうのか。
『……読めておったわ、貴様らの考えなど』
やがて、少年の声が響き渡る。
『なんせ、歴代の英雄どもは皆、懲りもせず同じ真似ばかりをするからな。守護竜どもの考えも、貴様ら矮小な人間の考えも全て見透せるわ。何代にも渡り繰り返し、そのたび失敗して絶望に沈んでもまだ懲りぬか。実に滑稽であるぞ、人間』
「分かっていたなら、何故みすみす私を喰い、自らの中に招き入れたのだ」
『そのようなことが不思議か?決まっておる』
白い霧が晴れるように、彼は姿を現した。その身の丈にあわぬ紅蓮の長いローブを着込んだ、黒髪に赤目の少年。それだけなら、人間として彼を見ることも出来ただろう。
その口が耳まで裂けていなければ。
その背中から、ドス黒い触手が大量に生えて、うねうねと蠢いていなければ。
『守護竜どもの魂胆がなんであれ、奴等の眼は確かなものであった。選ばれる英雄は皆勇敢で、清らかで、力強い魂を持ち合わせていた。我の腹を充分満たしてくれるほどには濃厚なエナジーの塊よ……魂胆がわかっていようと、馳走を前にしてそれを食さぬのは勿体無いであろう?クオリア・スカーレット。貴様の心臓と魂も、なかなかの美味であったぞ。クリスタルのよく馴染む、素晴らしい味であった』
「……っ!」
つい先程までの、すぐに死ねたらどれほどマシかと思うほどの激痛を思い出した。そんなに丈夫な身体でもないくせに、こんな時ばかりショック死を許してくれないのだから、呪いというものは実に忌々しいものである。
『そして、貴様らがいかに強く、エナジーに満ちた魂の持ち主であっても……我に敵うはずもないのは明白よ。今までの英雄達も幾度となく此の場所で我に立ち向かい、使命を成さんとしてきたが……それが一度も成功したことがないのは言うまでもないな?我がこうして、何の咎もなく生きているのだから』
それに見よ、とガーネットが腕を振ると。
真っ白な空間が四角く切り取られ、そこに映像が投影された。薄青く光る洞窟。アナスタシア、リカルドと戦うカサンドラ達の姿が映し出される。
『貴様がどれほど頑張ったところで、貴様一人では我に傷を負わすことなどできぬ。外側の者達と力を合わせなければどうにもならない。が、我の外側は我の優秀な僕が護ってくれている。歴代の王どもは皆、同じように英雄候補どもと戦い、我の身をしっかりと守り抜いてくれた。貴様らでは、我が僕の女王と騎士を倒すことも叶わぬであろうよ』
「確かに、アナスタシアとリカルドは強敵のようだな……」
カサンドラの実力は“最初の世界から”ずっと見てきた自分が一番よく知っている。彼女の最大の強みは、その長年積み重ねてきた経験値だ。特にこの世界は、カレンとして戦った技術がフルに生かせる世界でもある。並大抵の、それも人間を相手に苦戦することなどそうそうないはずだったのだが――その彼女が、どうやら彼らを相手にはかなり攻めあぐねているようだった。
リカルドの物理攻撃。彼の槍は非常に素早い上、威力も申し分ない。竜騎士というジョブの特性として、ジャンプ攻撃に移ってから落下するまでにタイムラグがあるのは難点だが、それを補ってあまりあるほどのパワーと攻撃範囲を誇っている。直撃を免れても、衝撃波でダメージを受けかねないのだまた厄介だ。
そして、リカルドにばかり気を取られているとアナスタシアの魔法が飛んでくる。発動こそ速くはないが、発動してしまえば彼女の魔法はけして無視できない威力だ。メテオレインが操れるレベルとなれば、恐らく全属性の最強クラスの魔法が全て使えることだろう。ゆえに、できることなら彼女の動きを先に封じてしまいたいところだろうが、それを許さないのがリカルドだ。アナスタシアへの攻撃は全て彼が優秀な防御技で防いでくるのは間違いない。
そしてそのリカルドは素早く、攻撃を当てるのがなかなか困難である模様。なるほど、あのコンビを打ち崩すのは並大抵のことではあるまい。この日のために、いったいどれほどの鍛練を積んできたのだろうか。
――それほどの力があるのに、彼らは神を討伐するどころか……神の機嫌を取り、かりそめの平和を守ることを選んだというのか。
彼らにも覚悟があり、努力があったはずだ。
それでも思わずにはいられない――臆病者め、と。
『残念だったな。貴様の仲間は全て奴等が始末をつけてくれよう。そして魂だけとなった貴様も……此の場所で、やがて意思をも失い溶けていく定めなのだ。無惨よな。半ば強い意思など、余計な望みなど持たなければ……英雄に選ばれることもなければ、二度目の死を味わうこともなかったろうに』
心底憐れむように言うガーネットに――クオリアは。
「憐れなのはお前の方だ、ガーネット」
笑って見せた。
それこそ、憐憫に満ちた目で。
「忘れたか。私はクリスタルをこの身に宿した。クリスタルとは、お前の力の欠片。魂の一部。より相応しい生け贄を選び出し、お前の力に還元させるためのお前自身といっていい。だから、私は分かる。知っている。この空間がまっさらで何もない意味も」
『……なんだと?』
「復讐なんか良くない。そんなものじゃ誰も救われない。……そんな言葉は綺麗事だ。いざ、目の前で愛するものを理不尽に奪われた時……奪った相手を憎まずにいられる聖人君主など殆どいない。誰だって相手を憎み、復讐を望む。復讐する以外に思いの行き場など何処にもないからそうするんだ。死んだ人間はそんなこと望まない?死んだ人間は還ってこない?そんなこと、誰だってわかってるさ。綺麗な言葉なんか欲しくない。そんなもので救われるモノなんて何もない、そうだろう?」
クオリアは、知っていた。
ガーネットが何故、このような行いを始めたのか。彼が元々は“何”であったのかを。
「だから、私はけしてお前の“復讐”を否定しないさ。……否定したいと願っているのはもはや、お前自身だろう?」
きっとこの、ガーネット神の心の場所は。もっとたくさんのモノで溢れていたはずである。
それが友なのか、宝石なのか、ナイフなのか、賽子なのか、玩具なのかはわからない。それでも確かなのは、そこにあったはずものもが今は全てなくなってしまったということ。
全て忘れてしまうほど――長い月日が過ぎてしまったということ。
『……くだらぬ。知ったようなクチを利くでないわ、たかが人間の分際で!』
ぶわり、と威圧感が膨れ上がった。その深紅の目を見開き、怒りを露にするガーネット。
『我は神……!絶対の力を持つ神、ガーネットであるぞ……!我の心を貴様程度が推し量れると思うな!我は全てを支配し、全て壊し、思いのままに世界を作り続ける存在!!誰も逆らうことなど許さぬわ!!』
「こんな小さな島をひとつ支配しただけで大きく出たものだな」
『黙れ小童!我は……っ!』
「お前が満たされることなど絶対にない。自分自身の本当の願いを、思い出さない限りはな……!!」
クオリアは戦禍の書を顕現させ、身構える。
「全てぶつけてやる!私自身の命も、歴史も……あらゆる記憶の全てを賭けて!!」
魔導書を開き、振り上げ、振りかざす。
全身に力が満ちてくる。それは守護竜達から託された願いであり、仲間達の信頼であり――そして、使命を果たせず散っていった歴代の英雄達の祈りでもある。
自分は負けない。必ずカサンドラ達がアナスタシア達を乗り越えて、神に一撃を加えてくれると信じて――それまで全力で、ただ一人でも神と戦って見せよう。
「“Thunder-Storm”!!」
神の周囲に黒い霧――否、黒雲が現れ、一気に取り囲んで激しく雷を降らせた。雷系魔法の応用技。ただ一直線に頭の上から落とすだけではなく、周囲を取り囲んで逃げ場を封じて一気に叩くのだ。
凄まじい電撃を浴びているはずの神の姿は、雲に隠れて一切見えない。これだけで決着できるとは思っていなかった。故にクオリアは、休むことなく次なる魔法を繰り出すのである。
「堕ちよ、流星……!“Stargazer”!!」
隕石を操る黒魔法はいくつか種類があるが、広範囲に火球を落とすメテオレインとは違い、こちらは鋭い光の球をレーザーのごとく一転集中で叩き込むという違いがある。範囲は狭いものの、相手がいる場所がはっきりしているのならこちらの方が高い効果が望めるだろう。流星が次々と黒雲が満ちた場所に突き刺さっては爆発していく。
「!?」
ちりぢりになって消えた雲の向こう。誰もいないことに気がついて、クオリアは目を見開いた。これで倒せると思っていたわけではないが――まさか全て回避されたとでもいうのか。
「!“Protect”!」
背後から殺気。とっさにクオリアは自らに物理防御魔法をかけた。これくらいの白魔法なら自分でも扱える。瞬間、ガキン!と何かが防御壁にぶつかって弾かれる音がした。
何が弾かれたのか?それは――水で出来た、大鎌だった。
「これは……!?」
いつの間に。クオリアの周辺を、水で出来た人形達が取り囲んでいる。その群れの向こうで、ガーネットがにやにやと嗤いながら立っていた。
『“水底の死者達”』
さも愉快そうに、少年の姿の邪神は告げる。
『忘れたか。我は全ての守護竜を従える、絶対の神であるぞ。守護竜の力など全て扱える。つまり貴様は……一人で全ての守護竜を相手にするも同然ということ。我が全く焦らぬ理由がわかったであろう?勝ち目など……最初から貴様にはないのだ。足掻けば足掻くだけ悪戯に苦痛を長引かせるばかりよ。さっさと諦めた方が憲明ということくらい、聡明な貴様ならわかるであろう?』
「………」
『まだ諦める気ないと?魔女の呪いは成就しておるぞ。貴様は充分苦しんで肉体の生を終えた。ならばもういいではないか。さっさと我に喰われて、次の世界へ向かうがいい。どうせまた転生して記憶を失うことがわかっているのに、何故そこまでこの世界と、クオリア・スカーレットとしての人生に固執するのか』
その言葉に、クオリアは怒りを通り越して、笑いだしたくなった。ああ、なんて愚問。そんなこともわからないのか、この神様とやらは。
そんなこともわからないほど――淋しい人生を送ってきたというのか、彼は。
「冗談を」
ゆえにクオリアは。不敵に笑いながら答えるのである。
「今の私はクオリア・スカーレット。それ以外の何者でもない。そしてその私が今、愛しているのは……今共にいるこの世界の仲間達だ。今私を待っていてくれるカサンドラだ。未来のことも来世のことも、今の私には全く関係がない!!」
襲いかかってくる水の人形達。上等だ。全て蹴散らしてくれよう。
カサンドラが諦めていないのに、自分が諦める理由が何処にあるというのか。
「私はお前を倒し、女王を正し……必ず未来を繋ぐ!この世界で、愛する者と生きる未来を!!」




