<第五十四話・立ち上がる者達>
世界が優しくないことなど、わかりきっていた。
自分達の運命は、あまりにも呪われている。クシルは必ず惨たらしい最期を迎え、カレンは必ずクシルを奪われる。たった一度も覆すことができなかった、絶対の現実。繰り返し繰り返し繰り返すばかりの、救いようのない閉じた運命。
今回もそうなるのは確定的なのかもしれない。カレンは、カサンドラはわかっていた。自分が何かをしても、何もしなくても、きっとあの人は殺される。自分はそれをまた目撃するのだろう、と。
わかっていた。わかっていても抗わずにいられなかったのは、あまりにも単純な理由だ。
「クオリア!クオリアーッ!!」
聲の限り叫んだ。結界に弾かれ、魔力で焼かれる拳を何度も何度と叩きつけた。
――ごめんなさい。ごめんなさい、クオリア。わかっていたんです、本当は。答えなんてとっくに出ていたってことくらい。
クシルは自分の命の恩人であり、永遠に忠誠を誓うべき主。だから、その生まれ変わりであるクオリアを自分が守るのは当然のこと。それはけして、嘘ではない。でも。
それだけでは、ない。
それだけのはずが、ない。
絶対に許されないのに。あってはならないのに、自分は。
――貴方を、愛しています。前世も、その前も……ずっとずっと、遠い昔から、私は。貴方を、好きになってしまっていたのです。
助け出したかった。この永遠の地獄から、彼を。
その可能性がゼロではないことに賭け続けて此処まで来た。今度こそは、なんて。甘い考えにすがりながら、自分は。
――それなのに。また、なのですか?
「嫌だっ、こんなの嫌だっ!クオリア――!!!」
骨が砕ける音。肉を切り裂く音。飛び散る血飛沫、ぼたぼたと滴る音。慣れたくはなかった、鉄錆の臭い――死の気配。
泣き叫ぶことができたのさえ、カサンドラ一人だった。テリス達は悲鳴も上げられなかっただろう。それほどまでに惨たらしい光景だった。触手でクオリアを捕まえた“神”は、短剣で彼の胸を滅多刺しにした。そのたび痙攣するようにクオリアの手足が震え、浮き上がったその身体から信じられないほどの量の赤が滴った。
そして――そして。子供のような姿をした異形の神が、嬉しそうにがばりとその口を開き、鋭い歯を剥き出しにして、嗤って。骨さえ露出するような惨たらしいクオリアの胸元の傷に顔を埋めて、そこから肉塊を引きずり出した。
ぶちぶちと筋が千切れるような音とおもに咀嚼されるのは、クオリアの心臓。それはクリスタルを宿し、淡く青い光を放っていた。顔を真っ赤に染めて、醜悪な笑みを浮かべて神という名の獣は青年の命を喰らっていく。そして用済みとばかりに触手を緩め、その身体を魔方陣の上に投げ落としていた。
「クオリアっ!!」
魔方陣の光が薄れていく。結界が消えた瞬間、カサンドラは血の海に横たわる彼の元に駆け寄っていた。もう遅いよ、と自分の中でもう一人の自分が言う。見ればわかるだろう、と。
心臓を喰われて、生きていられる人間などいるはずがないではないか――と。
「クオリア!嫌です、こんなの嫌だ!絶対に嫌だ!!お願いです、起きてください、ねえっ!!」
何をやっているんだろう、自分は。
胸に大穴を空けて、彼の細い身体から流れ出したとは考えられぬほどの血の海に溺れて、なにが“起きて”なものか。生きているはずがないのは明白だ。近づく前から明白だろうに。
何で自分は、当たり前のように目覚めない彼に向かって泣きながら叫んでいるのだろう。服にも、髪にも、身動きするたび飛び散る赤に悲鳴をあげながら、しかしそれに構うこともできずに何を喚いているのか。
「クオリアさん!クオリアさん!!駄目です、こんなところで死んじゃ駄目です、ねえっ!!」
そして冷静でないのはショーンも同じなようだった。ひとしきり泣き叫んだ後、慌てたようにポーチから回復薬を探そうと躍起になっている。バラバラと、今まで彼が集めてきた貴重な薬や素材が散らばった。散らばって、みんな血まみれになっていった。
「テリス!蘇生魔法を……!今なら、今ならまだ間に合うでしょう!?」
そんな、ショーンとカサンドラを。呆然と見つめる、テリスは。
「……無理、だ」
ガサガサに乾いた声で、絶望的な呻きを漏らした。
「蘇生魔法、が……死んですぐじゃないと、間に合わないのは。肉体が腐るからと同時に……死んだ人間の魂が、留まっている間じゃねえと、効かないからだ……」
「ならっ……」
「わかってるだろ、全部言わせてんじゃねえ!!クオリアは……クオリアは心臓と一緒に、魂を喰われたんだ……もう魂が、此処にないのに……どうやって生き返らせればいいんだよ!やり方があるってなら誰か教えてくれよ、なあっ!!」
その絶叫にカサンドラはやっと、頭の隅が冷えていくのを感じた。わかりきっていた筈のことを、やっと心が理解しようとしていた。それでも。理解できることと、受け止めることは、全くもって、別物なのだ。
「……また………」
膝をつき、身動きひとつしない彼の身体を――そっと抱き寄せた。
「また、私の手は……届かなかった、のですか……?」
平和に見える世界でも。平和に見えない世界でも。
どうして、クオリアの末路だけが変わらないのだろうか。
ふわふわの動物の国のような場所に生まれた時もあった。争いなんて起きるはずもない、みんなが仲良しで生きている絵本の中のような世界だったというのに――ウサギだった彼はその世界でも、殺された。突如侵入してきた人間の狩人に襲われ、罠にかかって皮を剥がされた挙げ句肉を喰われるという散々な末路だった。
世界が平和かどうかなど、彼の呪いにはまるで関係がない。だからむしろ、今回のような世界だからこそ、共に生きていく未来も掴めるの手はないかとさえ思ったのだ。同時にそれは、願望でもあった。未来を夢見て、明日を願う彼の祈りをどうか叶えてやりたい、と。
「……貴方は、酷い。自分が、どういう意味で愛されてるかはわからなくても……それでも。私達が…貴方を大好きだってことくらい、わかっていたはずですよね……?」
英雄とは、苦痛に満ちた死を強いられる生贄。
それを知っていて、彼は自分が生贄になることを選んだのだろう。カサンドラ達を、他の誰かを犠牲にしない、そのために。
それが彼の愛で、優しさだったのかもしれない。カサンドラだって、他の誰かが犠牲になればいいなんて全く思えないことだ。けれど。
「それなら何故、こんな結果しか選べなかったのですか…?貴方がこんな風に死んだ世界で……私達が本当に幸せになれるとでも思ったのですか…?ねえ、教えてくださいよ、クオリア……!!」
返事はない。
返ってくるはずなど、ない。
――そうだ、分かってるじゃないか。全部全部……自分のせいだってことくらいは。
この結果は、クオリアのせい?いいや、違う。
彼の性格をわかっていたくせに、少し考えればこの世界の真実にカサンドラとて辿り着くことができたはずなのに。それを怠り、未来を望んでいたはずの彼に死を選ばせ、それを止めることが出来なかったのは、誰だ。
――全部、全部、全部……私のせいだ。
自分は、また――救えなかった。
――私が無力なせいで。私の側にいたせいで。
そうだ。
私がまた、彼を、不幸に――。
『これにて儀式は終了であるぞ、女王、アナスタシアよ』
カサンドラの沈む思考の外で、声がする。ゆるゆると顔を上げれば、心臓を食べ尽くした子供の姿。顔を血で真っ赤に染めたガーネット神が、背中からだらりと何本もの触手を揺らめかせて、アナスタシアを労っていた。
『このたびの英雄も、見事な美味であった。力が満ち溢れてくるのを感じるぞ。そなたの眼は父と同じく確かなものであったようだ……誉めて遣わそう』
「有り難き幸せにございますわ、ガーネット様」
『うむ。我はしばし休眠に入ろう。異変も全て直に収まる……安心するといい。後片付けは任せたぞ』
「仰せのままに……」
アナスタシアも、リカルドも。この有り様を見て何も思わないというのか。惨たらしいクオリアの最期を見ても、その死に涙を流す自分達を見ても。
まるで何事もないように、それこそ子供が散らかした玩具を片付けるだけのように、全て流してしまえるのか。何も感じないのか。自分達の痛みも、苦しみも、何もかも――。
――ふざけるな……!
こんな世界を。自分達は受け入れて生きていかなければならないというのか。先代の英雄候補達が何故チームを解散したのか今ならわかる。リーダーがこんな殺され方をして、それを間近で見て。心に傷を負わないはずがないではないか。それが人間なら当然。敬愛し、慕ってきた大切な友なら尚更そうだろう。現実はどれほど彼らの心を粉々に砕いたことか。そう、今の自分達と同じように。しかも。
――クオリアが殺された真実も語ることがもできず……!事故死ということきされ、クオリア命で辛うじて食い繋いだだけの醜い世界で……!これからも神に怯え、愛する人の死を悔やみ、苦しみながら生きるのが当然だと!お前達はそう言うのか!!そんなものっ!
そんな平和など、糞喰らえだ。
泣き濡れた瞳を強引に拭い、カサンドラが叫ぼうとした、その時だった。
「“沈黙の鳥籠”……発動」
広い洞窟全域に――魔力の檻が張り巡らされていた。
此処から立ち去ろうとしていたガーネット神の動きが止まる。そして、緩慢に振り返った。
「……何のつもりですか、クライクス・フォーティーン」
神に代わり、疑念を口にしたのはアナスタシアだった。その隣で、リカルドが無言で剣を構える。
「……カサンドラ」
アナスタシアに答えることなく、クライクスが告げた。自分達の中でただ一人、クオリアの亡骸に駆け寄る気配を見せなかった彼。
「まだ何も、終わっていない」
「……え?」
「クオリアが言っていた言葉を思い出せ。あいつは言ったはずだ。何も成し遂げられないまま、むざむざ死んでやる気はない、とな。あいつの成し遂げたいこととはなんだ?自ら生贄になって、神の望むまま魂を差し出して……この狂った世界の偽りの平和を繋ぐことが、本当にあいつの望みだとでも?」
カサンドラは気付く。その眼が強い怒りと、同じだけの強い使命感に染まっていることを。
自分達の中でただ一人、彼だけが世界を、未来を、諦めてなどいないということを。
「英雄の候補を選ぶのは、歴代のガーネット王国の王達だ。しかし、その候補の中からただ一人の英雄を選ぶのは実のところ神でも王でもなく守護竜達。今回クオリアが自ら英雄になったのも、クオリアを選んだ守護竜達がそう手引きしたからに他ならない。では、何故雷の守護竜と焔の守護竜は……クオリアを選んだ?お前達、思い出せ。守護竜達が真に望んでいることを」
「守護竜達の、望み?……あ!」
ショーンが声を上げた。
「ガーネット神を倒し、自由になること……!まさか、守護竜達はずっとそのために影で動いてきたっていうんですか?クオリアさんを選んだのも、ガーネット神を倒すために必要だったってこと……!?」
そうだ、とクライクスは頷く。
「一番最初の異変から、初代の英雄が選ばれる時から彼らはずっと同じことを願い、画策し続けてきたんだ。普通に戦っても神を倒すことなど不可能。なんせ守護竜達が束になっても叶わない相手だ。だが……その神を、内側と外側の両方から攻撃することができたなら?もし……神に魂を喰われた者が。それが抗う意思の強い者であるとしたら。神の中で暫くの間、存在を保つことができるのだとしたら……?」
それは、つまり。
カサンドラははっとして、クオリアを見る。どんどん冷たくなっていく身体。此処にいる彼は誰がどう見ても死んでいる。しかし、蘇生魔法をかけられないのは心臓を欠損しているからではない。魂がこの身体から離れてしまっているからだ。
そう。魂は、ガーネット神の“内側”にいる。
――まさか、まだ……神の体内で、クオリアは生きているということ……!? その魂を取り戻すことが、まだできるということ……!?
「今までの英雄と、その仲間達はうまくいかなかったんだろう。でも……俺は。俺達なら成し遂げられる、そうは思わないか、みんな!」
クライクスの言葉に、カサンドラを含め全員が立ち上がっていた。
クオリアは――彼はただ、神のいいなりになって殺されたわけではない。自分が犠牲になって仮初めの平和を守ろうとしたわけでもなかった。
希望を捨てていなかったからこそ、英雄になる道を選んだというのか。
それが針の先ほどの可能性だとしても。今度こそ全てを終わらせ、全員で生き延びる未来を繋ぐために。
「そんなこと、させませんわ」
アナスタシアとリカルドが、神を守るように立ち塞がった。
「わたくし達の世界を守り、平和を繋ぐためには……神の力が必要不可欠ですの。貴方がたも、歴代の英雄候補の方々も何故それがわからないのかしら……!わたくし達は神を守り、この国を護る!それが、女王たるわたくしの勤めなのだから!!」
「神には触れさせんぞ、お前達!神がクオリア・スカーレットの魂を完全に飲み込むまで時間を稼げば我々の勝利。例え英雄候補といえど、この世界を乱そうとするなら容赦はしない!!」
神を盲信し、神による平和を絶対と信じる使徒。その前に、カサンドラは涙を拭い、出現させたペルソナ・ランスを突きつけていた。
「クライクス……感謝します。もう少しで私は……クオリアの意思を、覚悟を無駄にしてしまうところでした」
迷う必要はない。
自分の願いは変わらない。クオリアを救い――神を倒し、この悪夢を終わらせる。
「女王陛下。貴女の眼……我々が必ず醒まさせてみせる!」




