<第五十三話・英雄の魂>
誰もが茫然と――悄然とそこに立ち尽くしている。アナスタシアとリカルドだけが顔色ひとつ変えていない。その全ての反応は当然であり、予定調和であると言わんばかりに。
「生贄って、そん、な……」
カサンドラが、やっとといった様子で言葉を絞り出す。
「最初から、なんですか?最初から女王陛下は……私達の中から生贄を出すつもりで?そのために、私達を旅立たせた……?そん、な……」
「その通りだ。クリスタルを宿し、生贄になれる人間なら誰でも良かったのだろう。それでも、幾つか条件はあったはず。だから、ガイア・ベビー・ドラゴンを使って試練を行ったんだ。英雄に選ばれる人間は……異変を目の前で見ても逃げ出さない、勇敢な人間でなければならない。同時に、古城まで辿り着き、クリスタルを自力で持って帰る技量が必須になってくる。だから私達が選ばれた。ガイア・ベビー・ドラゴンに対して臆せず立ち向かい、そればかりか策を弄して倒すだけの技量を示して見せた……私達をな」
「クリスタル、というのは……」
「神の力の一部か、あるいは守護竜の力の一部か。自ら宿してわかった。この水晶は、人間と同化して初めて真価を発揮するもの。ゆえに、クリスタル“だけ”では供物に値しなかったのだろう。クリスタルを宿した人間の魂と心臓を喰らって、初めてガーネット神は満たされるというわけだ。……それが、この世界で何百年と繰り返されてきた真実」
ああ、と。クオリアは唇を噛み締める。血の気の失せたカサンドラの顔。言葉をなくしたテリス達の顔。
優しい者達ばかりだった。
愛しい者達ばかりだった。
出来ることなら――そんな顔など、させたくはなかったのに。
「そして、お前達もさっき聞いただろう。この、ガーネット神による厄災が繰り返される世界こそ、真の平和だとアナスタシア女王陛下は……カナシダ王家は考えている。ガーネット神の力で天災を抑え込み、ガーネット神から王が代々受け継いできた力があれば……人々の心を操れる。人々の心から争いを起こす意思、他の神を信じる意思を奪えば大きな戦争は起こらない。そうやってカナシダ王家が国を導き続けることでしか、この国の平和を保つことができないと、陛下は信じておられるからだ。そうでしょう?」
アナスタシアは何も答えない。ただ静かに微笑み続けるのみ。自分が言いたいことはもう全て語り尽くしたからと、そう言わんばかりに。
「平和……こんなの……こんな世界が平和だってのか?ふざけたことぬかすんじゃねぇよ!!」
テリスが吠える。そして魔方陣の中に立つクオリアに近付こうとして、見えない力に弾き飛ばされた。
「うわっ!?」
「テリス!!」
「な、何ですかこれ!?近付けない……!!」
魔方陣の外縁を取り囲む見えない壁に気付き、ショーンが戸惑いながらぺたぺたと壁を触った。段々と青い光を増していく魔方陣。もうこの中には、選ばれた英雄という名の生贄しか入ることは許されない。
「くそ……っ納得できるか!おい、クオリア!!テメェこれでいいのかよ!本当にいいと思ってんのかよ、おいっ!!」
尻餅をついた体制のまま、テリスは叫んだ。
「お前いつからわかってた!?英雄が生贄を指すっていつから知ってたんだよ……!!それがわかってたから、お前自分が英雄になるために、古城で真っ先に突っ走っていったんだろ!?他の誰かを犠牲にしないために……俺達を、カサンドラを護るためにっ!!お前、自分一人が犠牲になればみんな救われるとか、マジでそんなこと考えてるならぶっ殺すぞ!!」
「ひとつの事実としては間違っていない。少なくとも、私が此処で神に喰われれば……おおよそ向こう五十年は神の怒りは収まる。異変は終わり、この国に平和が戻ってくるのは間違いないことだ」
「そんなこと聞いてねぇよ!そんな話してんじゃねーんだよ、ボケてんのもいい加減にしやがれ!!」
いつもそうだな、とクオリアは思った。自分達の中でいつも一番最初に感情を露にするのはテリスだった。彼はいつも自分の、そして誰かのために泣いて、笑って、怒ることを惜しまない。今だってそう。
殺すぞ、なんて。本気で彼がそんなことを思っていないことくらい、クオリアにだってわかる。それどころか。
「俺、テメェに訊いたよな? “お前に何かがあったら、カサンドラやショーンがどれだけ悲しむことになるか、わかってて自分が英雄になること選んだのか”って!!”お前、結局どうなんだよ。お前がそうやって犠牲になって世界が平和になったって……それで、俺らが幸せになれると思ってんのか!その後の人生笑って過ごせるとでも思ってんのかよ!!どこまで俺達の気持ちを踏みにじれば気が済むんだこのクソ野郎っ!! 」
テリスは、優しい。
彼が怒っているのは、こんな自分が死んでも――悲しんでくれる彼自身がいるからであり。同時に、クオリアが死んで悲しむだろうカサンドラ達の気持ちが想像できるからでもある。彼はいつも、誰かのためにばかり本気で怒るのだ。誰よりも人の痛みがわかるから。誰よりも人の心を重んじるから。
「……君は、優しいな。本当に、優しい。君が怒るのも当然だ。今に始まったことじゃない。私は一番最初から……君達全員の気持ちを蔑ろにしてばかりだった。私が名にも気づかないせいで、何も知らないせいで……どれほど君達を傷つけ、苦しめ…、り返しのつかない過ちを犯してきたことか」
カサンドラがどんな気持ちで自分を探し、側にいてくれていたか。それも知らずに“妹のように微笑ましい”だなんて言って、彼女の好意を無下にばかりしてきた。
ショーンにも同じことが言える。あんなにも慕ってくれていたのに、何故自分は彼の好意にも気がつかずにいたのか。それがわかっていながら、自分はカサンドラへの気持ちを優先して、まるで見せつけるように彼女を抱き締めてしまった。傷つけたのは間違いないことだろう。
クライクスもそう。彼にだけ本当のことを話して、彼にばかり重荷を背負わせた。クオリアが英雄になるための片棒を担がせてしまった。航海者だから、なんて。だから思い詰めずにいてくれるはずだ、なんて。自分は今まで一体彼の何を見てきたというのだろう?
そして――テリス。
親友として、カサンドラの側にいて。ずっと近くで見守ってきたはずの少女が、ぽっと出の別の男ばかり見ていると知った時、それがこんな鈍くて人の気持ちばかり軽んじる奴だと知った時。受けたショックは到底、図り知れるものではあるまい。
「本当は。君の方がずっと、カサンドラを幸せに出来るんだろう。私はカサンドラの幸せを願っている。彼女がそうなれるのなら……それ以上の願いなど、今の私にはない。そうさ、私は正直なところ……世界のことさえどうでもいいんだ」
世界が滅ぶかもしれない、と聞いても。だから、じゃあ自分が犠牲になります、なんてことが言えるほどクオリアは聖人ではないのである。
だからこれは、世界のための犠牲ではない。
「私が祈っているのはいつも……ほんの一握りの、大切な人達の幸せだけだ。多くの英雄達がきっとそう願って消えていったように」
「待って、待ってくださいクオリア……ねえ、待って…っ!」
カサンドラの悲痛な声が響く。
「また、また貴方は私の目の前で……?嫌です、こんなの嫌です!だって、私はまだ……貴方と何も見ていない!!広い世界をもっと見たいって…生きたいって言ったのは、貴方じゃないですかっ!!」
そうだ。自分はカサンドラにそう言った。
まだまだ自分達はこれからだと。何も知らない自分は、当たり前のように未来を思い描けた。夢想できた。
あの瞬間――自分は確かに、幸せだった。
「クオリア、さ……やめてください。お願いです、やめて……」
ぽろぽろと、涙を溢すショーン。クオリアはもう――カサンドラの名前も、ショーンの名前も呼ばなかった。代わりに。
「クライクス」
ショーンの身体を支えて、唇を噛み締めている少年の名前を呼んで。
「後は、任せた」
背後の玉座で、ドス黒い気配が膨れ上がったのがわかった。その瞬間、クオリアは持っていた王家の短剣を掲げ、魔法で強化すると同時に――自らの胸に、突き刺していた。
「ぐぅっ……!!」
ごり、と。刃が胸の骨を削るような嫌な音がした。魔法で強化したとはいえ、クオリアの腕力は大したものではない。そして、実のところ肋骨で守られた心臓を一撃で刺し貫くのは――素人では、相当難しいことである。
刃は骨に引っ掛かり、止まった。それでも激痛とともに血が溢れだし、クオリアの身体は崩れ落ちることになる。
――は、はは……。さすが、魔女の呪い……。即死なんて、そんな生易しくはない、か……。
このままでは死にきれない。しかし、短剣を自ら刺した時点で、どうやらもうその必要はなくなったらしかった。
霞む視界の端で、ぶわりと膨れ上がった闇が形を作り、やがてそれがあるモノへと変わっていく。ガーネット神だ。ついにガーネット神が、自分達の前に姿を現すのである。
クオリアの心臓を喰うために。
捧げられた生け贄で、自らの空腹を満たすために。
――そん、な……。
そして、現れた神の姿は――あまりにも予想外のものだった。
――こど、も……?
幼い子供が、浮かんでいる。真っ黒な髪に、深紅の瞳を持つ、五歳か六歳くらいの少年。人間によく似た、しかし人間でないことは明らかだった。浮かび上がる少年の背中からは、何本ものドス黒い触手が生えていて、うねうねと蠢いていたのだから。
『ああ、流石……。今代の英雄は、歴代で見ても随一の魂の輝きよ。なんと美味そうな光か……!!』
胸が、熱い。傷の痛みだけではなかった。心臓の中で、何かが激しく脈打ち、神の聲に答えようとしてきる。
触手がクオリアの手足に絡み付いた。ずるり、という壮絶な不快感とともに胸に刺さった短剣が抜き取られ、そして。
『喰ろうてやるぞ、英雄……!!』
熱が、走った。触手で操られた剣がクオリアの胸元をざくざくと斬りつけ、切り裂き、何度も突き刺した。
痛い。痛いどころではなく痛い。苦しい。こんなに血が噴き出している。切り開かれた胸元からは骨まで覗いている。なのにどうして、自分はまだ死ねないのだろう。意識があるのだろう。
苦しんで、苦しんで苦しんで――死ななければ終われない。魔女の呪いの、なんと浅ましく、おぞましいことか。
『はははっ……』
少年の顔が、目の前に迫り。かばり、とその口許が――耳まで裂けた。
そして露出し、辛うじて弱々しくも脈打ち、クリスタルを宿して光を灯すクオリアの心臓に――その鋭い牙を突き立てる。
――ああ、カサン、ドラ……。
胸元から心臓が食いちぎられる感覚を覚えたか、どうか。
恐ろしいほど緩慢に、それでいて漸く――クオリアの意識は、闇の中に沈んでいったのである。




