<第四十九話・祈りを届けるために>
「……!?これは、一体……」
そして、ドアを力技で壊し――見えた光景に。カサンドラは眼を剥くことになるのである。
そこは塔の最上階。しかし石の積まれた壁に囲まれた、窓が一つもない奇妙な部屋である。その丸い部屋で、クオリアは一人立っていた。流石にあれだけ派手にドアを壊せば気がついただろう。少しだけ乱れたローブを直しながら、彼はこちらを振り返っている。
「終わったよ。英雄を選ぶ試練も……この竜の苦しみも」
この、竜。
そう、クオリアの前には、ぐったりと地面にうずくまっている純白のドラゴンの姿があった。折りたたまれ、血の滲んだ八枚の羽根。それらは白く、きらきらと輝きながらもどこか痛々しい。その美しさ、力の強さが本能的に悟らせる。この竜が、守護竜の一角であるということを。
「光の守護竜、ですか!?しかし、どうしてこんなに小さく……しかも……」
「そうだ。彼の命は……もうすぐ尽きるだろう」
クオリアは静かに、淡々と告げた。
「私がトドメを刺した。だから、これで全てが終わりだ」
一体何があったというのだろう。死にかけているライト・マスター・ドラゴンは殆ど動く気配がない。カサンドラは必死で頭を回す。クリスタルの英雄を選ぶ、最後の試練。仮にそれが一人で臨むことが前提であるとして、その試練としてクオリアが何らかの敵を倒す必要があるとして。その対象に、光の守護竜が選ばれたと、そういうことなのだろうか?
合理的ではあるが、もしそうならいくらなんでもハードルが高すぎる。
自分達がマカライトタウンで氷の守護竜と水の守護竜に遭遇した時、カサンドラが二体を相打ちして倒すことを提案したのは。実力的に、自分達の独力で二体を相手にすることは難しいと知っていたからである。それどころか、一体ずつだとしても倒すことができたかどうか。
人が絶対的に叶わぬ力を持つからこそ、守護竜という存在は実質神と等しく信仰され、恐れ敬われるのである。少しでも討伐できる可能性などがあるのなら、天罰によってトリフェーン工業地帯が更地にされる前に人が手を打つことも不可能ではなかっただろうから。
五人揃っていても、一体を倒すことができたかというと、殆ど望みは薄かったことだろう。それを、たった一人で倒すともなれば――はっきり言って、無謀を通り越して馬鹿げているとしか言い様がない。そんなもの、試練でもなんでもない、ただの自殺行為である。
が、実際クオリアは光の守護竜を倒したと言っている。そして、この守護竜の酷い有様を鑑みるに。
「ライト・マスター・ドラゴンは……相当弱った状態で、此処にいたということなのでしょうか?」
カサンドラの問いに、クオリアは頷いた。
「そうだ。鎖に繋がれ、殆ど身動きできない状態で……アクアやアイスのように、正気を失っていた。そして、問答無用で私に襲いかかってきたのだ。力を封じられ、傷つけられ、酷く弱っているがゆえに身体がこれほどのサイズにまで縮んでしまっていたのだろう」
「そんな、何のために……」
自分で言っておきながら、何を馬鹿なことを、と思った。
何のために?愚問だ。答えなど一つしかないではないか。
「クリスタルの門番をし、英雄たる存在を最後の最後で試すため。……ガーネット神が最後にこのドラゴンを配置した。そう考えるのが、妥当だ」
普段さほど激情を露わにしないクオリアの眼に――強い怒りの火が灯った。
「全ては最初から、ガーネット神の手の上……シナリオの中。……八体の守護竜達は全て、神の被害者に過ぎない。強引に従えられ、少しでも翻意ありと判断されれば封印されるか意思を奪われるか……。恐らく最後の一体、闇の守護竜も既にガーネット神の手に落ちていることだろう。私は全てが神の望む結果であると知った上で試練に挑み、光の守護竜を倒した。そうすることでしか……ライト・マスター・ドラゴンを苦しみから開放する方法がないと知っていたからだ」
「その理屈でいくと、どうしてカサンドラに加護を与えているガイア・マスター・ドラゴンは無事なんだ?実質、それ以外のドラゴンは全滅してる可能性が高いってことなんだろ?」
「決まっているさ」
テリスの疑問に答えたのは、クライクスだ。
「ガイア・マスター・ドラゴンは一度も神の意思に背くことはしていない。精々、カサンドラに警告しただけだ。英雄を選び、クリスタルを使って儀式を行うことこそ神の望み。その為の試練を行い、英雄候補のパーティがこの地に到達するまでのサポートをするのは……全て神の目的を補佐することに他ならない。ゆえに、地の守護竜だけは意思を奪われることも封じられることもなく無事だった。全て必要なことだったからだ。そうだろう?」
言われてみれば、その通りだ。カサンドラは気づく。自分達が安否を確認できていないドラゴンは闇の守護竜のみ。自分を加護してくれている地の守護竜を除けば、残る全てのドラゴンが意思を奪われるか討伐されるかしてしまっている。じゃあ何故地の守護竜は無事だったのか。
そもそも自分達の目的――英雄を選抜し、クリスタルを手にしてダイヤシティに帰還する――は。ダイヤシティで待つ女王、アナスタシア・リ・カナシダの依頼である。彼女は言った。世界は滅びに向かっている。各地で異変が起きている。全てはガーネット神の力が弱まっているせいであり、その力を補う為にクリスタルが必要なのだ、と。
「アナスタシア女王が言った言葉は、半分以上が嘘だった可能性が高い。あるいは、本人も半分以上真実を知らなかった可能性、か。何故なら、ガーネット神の力は衰えていないからだ。そして……異変と呼ばれるものの殆どは、どうやらガーネット神が自らの意思で引き起こしていると見てほぼ間違いない。……アナスタシア女王が、そのガーネット神からの依頼でクリスタルを俺達に求めさせたと考えると……“力を補う”以外の何らかの理由で、クリスタルが必要だったと考えるのが妥当だ」
「何らかの理由って?」
「それ以上はまだ憶測の域を出ないから、なんとも。ただ……クリスタルを手に入れて儀式を行えば、世界が安定するというのは間違いがないのだろう。事実、五十年前の英雄達はそれで世界に再び安寧を齎したようだからな」
混乱してくる。異変を、引き起こしたのがガーネット神。守護竜達を捕縛し、操ったのもガーネット神。では、何の為にそんなことをする?自分達を急がせるため?異変を演出するため?そこまでしてでもなお、神がクリスタルを求める理由は一体何だというのだろうか?
そして、神の弱まった力を補う為ではないのなら。クリスタルを供給すれば異変が収まる、つまりガーネット神が異変を起こさなくなるというのは、一体何故?
「答えは、クリスタルを手に入れ……ダイヤシティに帰還すれば、明らかになるだろう」
クオリアの言葉に呼応したように――虫の息だった光の守護竜の身体が光に包まれ、徐々に粒子に変わって消えていく。
『……恩に着ようぞ……若き、英雄よ』
やがて、正気を取り戻したと思しき光の守護竜の声が。
『おぬしらならば、終わらせられるかもしれぬ……。五十年前、百年前……いずれも英雄達に託し、しかし叶わなかった我らが夢……』
「ライト・マスター・ドラゴン」
クオリアが守護竜の前に跪き、そして宣言した。
「私達が、必ず叶えましょう。貴方と、貴方の兄弟に自由を。そして……終わらせます。全ての悲しい事を、悪い夢を。……ガーネット神を、倒して」
神を、倒す。
クオリアはその恐るべき言葉を、何の恐れもなく口にした。そうだ、カサンドラは知っている。彼が嘘が苦手なことを。そして――一番大切なことは、けして偽らないということを。
『そうか……期待している。新たなる、英雄……クオリア・スカーレット……』
ライト・マスター・ドラゴンはどこか満足げに喉を鳴らし、そのまま光の粒となって消えていった。すると、その光の中からさらに眩い青い光が弾け、飛び出してくることになる。
キラキラと輝く、菱形の宝石。カサンドラの拳程度の大きさのそれはくるくると回りながらクオリアの前まで降りてくる。それが何なのか、など口にするだけ野暮というものだろう。
「貴方の祈り……確かに、受け取りました」
魔力、生命力――そのどれとも違う、神聖で、それでいて力強い光の結晶。この世のどの宝石もこの輝きの前では霞んでしまうことだろう。
クリスタル。神の力の源にして、選ばれし者の前にのみ姿を現す水晶。
驚くべきことにその石は。立ち上がったクオリアが手を差し出すと同時に、その胸の中央に、吸い込まれるようにして消えてしまったのである。
「く、クオリアさん!?クリスタルが、クオリアさんの身体の中に……っ」
吸い込まれちゃった!?とショーンが慌てたように声を上げる。しかし、クオリアは特に何も異常はないようで、平然とこちらを振り返って告げたのである。
「問題ない。これで、私が“英雄”に確定した。……さあ、ダイヤモンドシティに帰ろうか」
***
脚が、震えそうになる。
アナスタシアは一人、暗い地下の一室で跪いていた。この空間を訪れるたび、全身に湧き上がるのは大いなる畏敬、恐怖、威圧感、信仰心。子供の頃には、ただ耳にするばかりだった“神”の存在が、今目の前に存在するのである。平然を装うなど、どうしてできようか。歴代の王の中でも肝が座っているとされるアナスタシアでさえ、神の御前に立つのはいつだって緊張するものである。
あらゆる感情がないまぜとなり、アナスタシアを襲っていた。神の前に立つことができる光栄。自分が、この国を――世界を守る礎にならねばならないという責任感。そして、この偉大なる神の力と、その罰への、強い恐怖心。
信仰し、敬愛するからこそ。同じだけその神に地獄に落とされることに恐怖する。宗教はそうして成り立つものなのである。それが現実に存在する、目に見える神であるのなら尚更そうだ。
『アナスタシア・リ・カナシダよ……』
目の前の玉座から、声がする。
ぼんやりとした闇しか見えぬ場所。儀式の時にしか明確な姿を現さぬ神が、それでも確かに存在するという証明。
『英雄が、決まった。クオリア・スカーレットだ。時期に彼はこの街に帰ってくるであろう。その身に、クリスタルを宿して』
「それでは……漸く、終わるのですね?この世界を襲う、恐るべき凶事は」
『その通り。……お前の願いは全て、我の手によって必ず叶えられよう…』
願い。アナスタシアの願い。
決まっている。この国が、世界が、いつまでも平和であること。
人々が平穏無事に、幸福に暮らせる世の中を、自分達の手で未来永劫守っていくこと。願っているのは、ただそれだけだ。喩えその為に、どれほどの犠牲を払う結果になるのだとしても。
「この度の異変では。守護竜の方々の多くを失う結果になったと聞き及んでおりますわ……」
だから、問わねばならない。
どれほど恐ろしくとも、恐れ多くとも、自分はこの国を統べる女王なのだから。
「クリスタルを手にし、無事儀式が終わり……貴方様の真の復活が叶えば。守護竜の皆様は全て、この地に帰ってくる。そう思っても、よろしいのですよね?」
『無論。焔のも、雷のも、八体の守護竜は全てこの地に帰還することになるであろう。以前のようにまた、この地を見守り、安寧を図る存在としてそなたを支えるであろうぞ。何も心配する事はない』
「……そうですか。お気遣い、感謝致しますわ」
守護竜達がいなくなれば、彼らが抑えてくれている多くの天災が無防備に島に襲いかかってくることになるとされている。
実のところ、この地を本当の意味で支えているのは神というより、神が従える守護竜達なのである。そこは、自分がわかっていて尚――カサンドラ達に嘘をついた点でもあった。
――わかっているわ。きっと貴方がたは憎むでしょう。恨むでしょう。全てを知りながら……真実を語らなかった、わたくしを。
アナスタシアは立ち上がり、神に深く礼をする。
「儀式の準備を、始めさせて頂きますわ」
――ええ。貴女達には……わたくしを恨む権利がある。それでも、わたくしにも譲れないものはあるのです。どれほどの犠牲を払ってでも、わたくしは……この国を守り抜かなければならないのですから。
祈りは、叶えられなければならない。そうでなければ、今まで犠牲になってきた者達に申し訳が立たないのだから。
アナスタシアは誰よりも理解していた。
自分は、ガーネット王国女王。この島を守る、女王なのだ、と。




