<第四十八話・不要な最下位>
何で、どうして。そんな想いがぐるぐるとカサンドラの中では巡っていた。
――貴方が何を考えてるのか……私には全然わからない……!
『私達が、此処まで来られたのは……君のおかげだ。君の勇気があったからだ。本当に、感謝している』
元々、ぼんやりした人ではあったし――人の好意に極端に鈍い人であることは知っている。なんせ、クシルの時代からそうなのだ。彼は人に嫌われたことには割りとすぐ気付くくせに、人に好かれることにはとんと慣れていないというか、大抵気がつかないのである。そしていつの間にかファンを増やしていくし、男女問わずやたらと慕われるようになるのである。
クシルが王になってから、やたらめったら騎士団の入団希望者が増えたのもつまりはそういうことだった。ただ彼が、暴君を打ち倒してくれた英雄だからというだけではない。いつも民に寄り添い、民の生活を間近で見て意見を聞き、寝る間も惜しんで国を良くするために尽力してくれていることを――誰もがその眼ではっきりと見ていたからである。
そして王宮の内部であってもそう。身分の低い侍女や商人のこともけして彼は見下したりしなかった。いつも対等な目線で彼らを見て、労いの言葉を欠かすことはなかったのである。
そう、カサンドラは知っている。クシルは、クオリアは。誰に対しても別け隔てなく、惜しみ無い愛情を注いでくれる人だということが。
それはけして、一人の人間だけに与えられていいものではないということが。
『本当に、ありがとう。あと少しだ。最後まで、付き合って欲しい。この先に、一体どんな未来が待っていたとしても』
――わかっているんです。知ってるんです。私が貴方の“一番の一人”になることはあっても……唯一になることは絶対にないということくらい。そして、それがけして許さないことも知っているのです。私は貴方の従者。貴方を傍でお守りする騎士。貴方の恋人であってはならない……けして。
『共に往こう、最後の最期まで』
――それなのに、どうして。ねえどうして。あんな優しい言葉で、声で、腕で……私を抱き締めるような真似をしたのですか。
多分あれは、ほんの少し彼の役に立てたから、それだけの報酬に過ぎない。あるいは、自分がこのパーティの唯一の女であったから、どこかで庇護するべき対象のように思われたのだろうか。
いずれにせよ他に功労者がいたら、きっとカサンドラでなくてもそうしたはずなのである。わかっている。あれは、仲間への労いであって、“カサンドラだったから”抱き締められたわけではないということくらいは。
そう、理性では、わかっているのに。
――貴方は、残酷だ。
わかっているのに。一体自分は何を勘違いしそうになっているのだろう。
今までのクオリアの自分への態度で明白ではないか。クオリアが自分に向けている感情はあくまで“仲間への友愛”でしかないことは。それだけでも、どれほど幸せなことか、自分は身をもって知っているはずなのである。そう、隣にいるだけでいい。彼が生きていて、その傍に自分が居られるだけで十分。ずっとそう言い聞かせてきて――それは紛れもなく自分の真実だったはずだというのに。
――何で、そんな風に酷い勘違いばかりさせる?……私は、貴方に今度こそ幸せに生きてほしいのに。その時隣にいるのは……私以外の誰かであるべきなのに。
だってそうだろう。
自分はいつだって、クオリアを不幸にしかしない。
救おうとどれほど躍起になっても空回るばかり、むしろ不幸な結果しか呼び込んでこなかったではないか。
無力などころか、自分の存在そのものがこの人を悲劇に突き落としてきたも同然。だからこそその償いが出来るように、この人の陰であり従者に徹し、いつかこの人を幸せにしてくれる“誰か”を見つけられる日までお供をするべきだとそう思っていたのに。
――何故、あんな風に微笑ったのですか。そして何故……それなのに、何故。私を置いて、一人で先に向かったのですか。貴方には一体……何が見えているというのですか。
分からない。傍にいたはずなのに、クオリアが何を考えているのか全然分からない。
もしかしたら、彼はクリスタルに呼ばれてしまったのか。独断専行はクオリアの意思ではなく、クリスタルの意思だったとでも言うのか。
ああ、どちらだとしても確かなことは一つ。一番守るべき時に自分は彼の傍にいない、その事実だけだ。
「クオリア!クオリア!!お願いです、ドアを開けて下さいっ!!」
「おいカサンドラ、落ち着け!見れば分かるだろ、結界だ!闇雲にドア殴ったって意味ねぇよ、手が血だらけになってるだろうが!!」
「でも……でも!!」
わかっている、テリスの言うことは正しい。これだけ近付けば結界の有無くらいカサンドラにも感じ取れること。これを破るにはそれを上回る大きな力をぶつけて結界を破壊するか、術者が倒れるか、術者が自らそれを解除するのを待つしかないのである。
クリスタルの安置場所がこの先にあるのなら、これくらいの仕掛けがあることくらい予想できたはずなのに。どうして自分はむざむざ彼を行かせたのだ。確かにクオリアは強いが、黒魔導士一人で戦わせるなんて本末転倒だ。強い回復魔法もなく、物理攻撃には弱いはずの彼。一人でもし、強大な敵に待ち伏せでもされたら――。
「クオリアは、強い」
そのカサンドラに、かけられる声があった。
「何故ならあいつは、この中で誰より覚悟を決めて先に向かったからだ。一人で行くことのリスクを、あのクオリアが分かっていなかったと思うのか?」
クライクスだ。彼は冷静にドアの向こうを見つめている。まるで、その先に何があるのかわかっているかのように。
「この先にクリスタルがある、と言っていた。その気配がすると。それを感じ取れたのはクオリアだけ。その時点で、クオリアがクリスタルに呼ばれていた可能性は高いと思わないか。いや、それ以前に……クオリアの夢に雷と焔の守護竜が現れたことそのものが天啓であるとしたら……」
「天啓って……」
「クリスタルが、選んだということ。クオリアを英雄の筆頭候補に。その基準が何なのかまではわからないが。もしもその先にあるのが英雄として選ばれるための最後の試練だとしたら……一人で向かうことはむしろ非常に大きな意味を持つのかもしれない」
まさか、とカサンドラはドアから手を離し、その向こうを見た。まさか、クオリアは全てわかっていて、自ら英雄に選抜されに行ったとでもいうのか?
「……クライクスさんは、もしかして気がついていたんじゃないですか。……いえ、知ってたんですよね?クオリアさんが何を考えているのか」
やがて、ショーンが呻くように告げる。
「英雄の選抜基準も……もしかしてあるかもしれない、名目よりもずっと大きな役割も……僕には何もわかりません。でも、英雄の第一候補であるならつまり……それはまだ、英雄として完全に選ばれたわけではなかったということ」
「そうだな」
「なら、クオリアさんでなくても良かったじゃないですか。試練が待っているのなら……それがもし、一人きりでの強敵との戦いであったとしたなら。それがどれほど危険なことか、言うまでもなくクライクスさんにはわかってたはずですよね?それこそもしかしたら……命を落とすかもしれないことくらいは!」
カサンドラはぎょっとした。ショーンが、クライクスの胸倉を掴んだからだ。あの小さくて、子供のように愛らしく、誰を相手にしても礼儀正しいショーンがである。
「全部知ってたんでしょう!だから……さっき然り気無く、入ってきたドアが開かなくなったことを指摘して、僕たちの気を逸らした!クオリアさんを一人で行かせるために!!」
初めてだった。あのショーンが―、ここまで激情を露にしたのは。こんな声で誰かに怒鳴ったのは。
「クオリアさんじゃなくても良かった……!なんなら、それは……僕だって良かったはずじゃないかっ!!」
それは、クオリアを心配して半ばパニックになりかけていたカサンドラでさえ冷静さを取り戻すほどの、悲痛な叫び声だった。
心からクオリアを心配していることが、わかる。でもそれだけでは、ない。それだけの感情で彼は怒鳴っていない。何故なら。
「そうですよ。万が一のことを考えるなら……一番役立たずの奴が先に行くべきだった。そうしたら上手くいかなくても……次に挑戦する人の勝率は上げられたかもしれない。僕が、僕が行けば……っ」
「ショーン、お前……」
「ええ、わかってますよ。わかってるんです、こんなところで劣等感爆発させてる場合じゃないってことくらい。でも……でも。やっぱり思うんです。このパーティで一番役立たずなのはやっぱり僕で……一番いなくてもいいのもやっぱり僕で……何より……」
ぱたり、と石畳に雫が落ちた。
「何より……クオリアさんにとっても、一番要らないのはきっと僕だから……。クオリアさんは、生きてないと、駄目なんです。生きて……カサンドラさんといつか、幸せにならなきゃ……。僕じゃ、僕じゃ駄目だから。クオリアさんの一番は、絶対に僕にはならないから……」
そこで初めて、カサンドラは気付いた。気付いて、今まで何も知らずにいた己に対し、激しい自己嫌悪に襲われることになる。
知らなかったのだ。
自分は全然何一つ知りもせず、ただただクオリアの傍にいられることに舞い上がっていただけなのである。
自分がクオリアに抱き締められているのを見て、ショーンは一体何を思っただろうか。自分はどれほど、この少年を傷つけてしまったのだろうか。
「ごめん、なさい……ショーン、私は……」
言いかけて、瞬間怒りに満ちたショーンの視線に射抜かれた。
「謝らないで下さい。貴女が謝る理由なんて何処にもないでしょう。これは僕が勝手に……勝手にあの人を好きで、劣等感でぐちゃぐちゃになって……クライクスさんに八つ当たりしてるだけなんですから。むしろ余計惨めになるだけです。そんなこともわからないんですか」
「しょ、ショーン……」
「僕はなんで、クオリアさんが貴女の手を取るのかわかりません。貴女が勇敢で、貴女の冷静さがいつも僕達を救ってきたからなのかもしれないし、それだけじゃないのかもしれない。だからきっと……僕が女の子だったら良かったのになんて、そんなこと考えるだけ野暮なんです。こんなの醜い嫉妬なんです。わかってるだけなんです。だからこそ……無理にでも、納得したいんです。クオリアさんとカサンドラさんは運命で結ばれてるって……そうであるべきなんだって。だから……っ」
「ショーン」
言いかけたショーンを制したのは、未だに彼に服を掴まれたままのクライクスだった。
「クオリアは、自分が此処で死ぬかもしれないなんて思って先に向かったわけじゃない。俺だって、あいつがこんなところでむざむざ死ぬと思ってたら……一人で送り出すような真似なんてしていない」
その言葉で、どうやら本当にクライクスは意図的にクオリアが一人で進むように仕向けたらしいと悟る。同時にそれは、死ぬ危険があるから、なんて理由ではないことも。
「あいつは必ず試練をクリアするだろう。そして、世界を救うために戦う。その為に動いている。無駄死になんて絶対にしない。ショーンも……カサンドラも。クオリアを信じてないのか。あいつのことが好きだとかなんだとか言うなら、何故信じてやらない」
「あ……」
「クライクス……さ……」
「それにな、ショーン」
そっと、ショーンの手を自分の服から外して――クライクスはしゃがんだ。小柄なショーンに視線を合わせ、その手をしっかりと握って。
「お前が死んで、クオリアは本当に悲しまないのか。誰が一番大切か、なんて問題じゃない。あいつは、“誰が一番大切じゃないか”なんてことを考えられるような人間か?一番が仮にあったとして、ならば必ず最下位があるのか?」
そうだ、とカサンドラは思った。
――だから、私は。あの人の一番になれないと思った。あの人は皆を平等に愛するから……そこに絶対に順位などつけないと知っていたから。そして……。
クオリアは――クシルは。
誰かを“最下位”などに出来なかったから。誰かを“切り捨ててもいい存在”だなんてけして考えることが出来なかったから。
自分がその、“一番下”になることを選んだ。
自分が犠牲になることで、誰のことも“不必要”にしない選択をしたのだ。そうだ、彼は昔からそういう人だった。そんな人が五人のパーティの中で、誰が一番要らないか、なんて。そんな事を考えたりなどするものだろうか。
答えは――否、だ。
「!……おい、お前らっ」
その時、テリスが声を上げていた。はっとしてカサンドラは顔を上げる。さっきまで感じていた、どこか神聖で、それでいて強固な魔力の気配が消えている。
――結界が、消えた……?これなら……!!
これなら、ドアを力技で壊すことも可能かもしれない。カサンドラは感傷を振り払って、自らのソウルウェポンを顕現させた。槍を構えて、そして。
「テリス、どいてください!壊します!!」
道を開くため、必殺技をブチかましたのである。




