<第四十五話・抱き締めた腕の中に>
呼ばれている気がする。クオリアはじっと視線の先に立つ崩れ落ちそうな建造物――クリスタルの古城を見つめた。
「……なんていうか、すげぇなクオリア。お前が言う方向に行ったら本当に古城まで一直線だったんだけど」
テリスが驚いたようにクオリアと城を交互に見つめる。古城の建物は森の中でも目立つ。方向を間違えなければたどり着けない事はないが――それは、森の木々が視界と方向感覚を遮らなければの話である。
方位磁石は持っているし、テリスの地図魔法もあるが、それでも道に迷う時は迷うのがヒデナイトの森だ。いかんせん、モンスターと戦いながら進まなければならないのである。戦っていたらパーティが散り散りになっていました、なんてこともけして珍しい話ではない。
「クリスタルの魔力は独特だからな。森に入ってからは大凡の方向が分かるようになっていた、それだけのことだ」
「そうなのか?俺には全然わからんわ」
「私もなんとなく、程度の感覚だけれど。それに……何故だか、朝出発してから殆どモンスターに遭遇していない。まるで導かれているみたいだと思わないか」
そう、クオリアの感覚だけで、此処までたどり着いた訳ではない。何故か、無人集落で一晩明かして出発してから、モンスターの出現率が恐ろしく下がったのである。まるで、モンスターの方が自分達を避けて歩いているようでさえあった。作為を感じるのは当然だろう。クオリアには、その理由もなんとなく分かってはいたのだけれど。
――クライクス……。
朝出発してから、クライクスは殆ど無言だった。元々多くない口数がさらに減っている。テリス達はそれが怪我が治っていないせいではないかと心配しているが、本当の原因はそれではない。
――すまない。……お前に、余計なものを背負わせて。
クオリアは、話していた。自分がアルルネシアの呪いにかかっていること。もうすぐ死ぬであろうこと。そして、この世界の恐るべきカラクリを。
前者の話をクライクスにしたのは必然だったが、後者の話は――彼にしかできないと思った、というのが正しい。何故ならクライクスは航海者。完全に、彼だけがこの世界の外側の住人である。当然、自分達の中で一番この世界に対する思い入れは少ないし、真実を知って感じる負担も軽いはずである。
ゆえに、話すなら彼しかないと思ったのだ。それほどまでに、自分が推理し――雷と焔の守護竜から聞かされた“真実”は、重く、残酷なものであったのだから。
――それでも、協力者が必要だった。そうでなければこの世界を本当の意味で救うことなど……不可能だったのだから。
自分とて、死にたいわけではない。この世界の全てを知っているわけではないし、自分が知るのはこの世界の表の表、ほんの一部分だけでしかないとわかっている。
この世界の全てが美しい、だなんて。そんなことを言うつもりは全くない。きっと、物心ついてからは貴族として生きてきた自分がまるで想像もしないような恐ろしい現実が、少し暗い場所にはいくらでも転がっていることだろう。綺麗なだけのモノなど存在ない。光があれば闇は当然存在する。必ず、必ず両者は存在する。表だけ、裏だけで成り立たせようとすればコインは床に貼り付いたまま剥せなくなるだろう。それは誰も否定できない、絶対の歪み。自分はこの世界の、本当に怖いものなど何も知らないとわかっている。
それでもだ。守護竜に、モンスターに蹂躙される人々を見て、冒険者として旅をしてほんの少し現実を知って――そして、ドラゴンの背から、この狭い世界の一端を見て。それでも思う。嗚呼、この世界に生まれてこれて良かった、と。全てが美しいわけじゃない。それでも、美しいものがたくさんあった。得難い仲間に出会えた。人の優しさを、強さを、貴さを間近で知ることができた。
そして。再び、カサンドラにも巡り会えた。
それできっと、充分なのだ。自分は紛れもなく――幸せだった。
「カサンドラ」
「?なんですか、クオリア」
「こっちへ」
蔦が絡み、石畳も壁もボロボロに崩れそうな古城を見上げていたカサンドラが振り返る。
「え……っ!?」
恥も、外聞も、何も無かった。
てくてくとこちらに向かって歩いてきた彼女を――クオリアは精一杯、抱きしめる。
「な、な……ななな、何ですか!?どうしたんですか、クオリア」
腕の中でカサンドラが戸惑う気配。仲間達のあっけにとられた視線の中で、クライクスだけがこちらを見ていないことに気づいていた。理解しているのは彼だけだ。本当に申し訳なく思う。
自分の誤算だ。クオリアが思っていたよりずっと、クライクスはものを割り切れない人間だった。思っていたよりずっと、誰かにすぐ感情移入してしまう、優しい少年だったのだ。そんな彼にこれからの未来を、真実を背負わせてしまったことを――心から謝罪しなければならない、と思う。
多分それをきちんと口にできる機会は、もう訪れないのだろうけども。
「此処まで、来た」
すぐ此処に、彼女がいる。嗚呼、今。此処にいる自分はクオリア・スカーレットだろうか。クシル・フレイヤだろうか。それとも、絶望の中で死んだ繰那姫なのだろうか。
姫であった時のことを思い出していた。目の前のカサンドラは、あの時のような精悍な青年の姿はしていないけれど。それでも、魂が覚えている。叫んでいる。愛していた人がそこに居る、抱きしめることができると、確かにそう喜んでいる自分が間違いなく此処にいる。
――なあカサンドラ。君は、どんな気持ちだった?何度も何度も、悲しい想いをさせた。私は何も覚えてなくて、出会うたび私に忘れられて。新しい思い出を積み重ねても、すぐにまた、運命に全て奪い去られて。
クシルであった時にした選択を、後悔するつもりはない。自分が生贄にならなければ、魔女は国の民に、カサンドラに何をしたかわからないからだ。きっと最低最悪の悲劇が待っていた。なら自分一人の犠牲で国を守れたのなら、その選択はけして間違ったものではなかったはずである。
それでもだ。どんな理由があったとしても。自分が彼女を悲しませ、今尚苦しめ続けている現実に何も変わりはない。死んでも終わることができず、愛しても報われず、そのたびクオリアはいつだって彼女の目の前で死ななければならなかった。
ああ、繰那姫の時。自死したのは本当に正しかったのか。いくら穢されても、孕まされても、呪わしい遺伝子を産み落とす羽目になったとしても――生きてさえいれば、愛する人と幸せになれる可能性は、ゼロにならなかったかもしれないというのに。
――わかってるんだ。わかっているのに、私はまた、同じことを繰り返そうとしている。君を苦しめるのがわかっていながら、死を享受しようとしている。
本当は。
死にたくなんてないのに。
クオリアだって本当は――本当の、気持ちは。
「私達が、此処まで来られたのは……君のおかげだ。君の勇気があったからだ。本当に、感謝している」
記憶を取り戻したことを、カサンドラに告げるわけにはいかない。知ってしまった全てを話したら、彼女は間違いなくクオリアを止めるだろう。古城にも、何処にも行くなと全力で泣すがって来るだろう。それは紛れもなく愛だ。どんな種類のものだとしても、彼女は最初の世界からずっと、クオリアへの愛を貫き続けてくれた。いつだってクオリアのことを一番に考え、仕え、守り続けてくれたのだ。
感謝している。こんなに苦しんでなお、自分をいつも見つけてくれて、愛し続けてくれたことに――どんな言葉で礼を言えばいいかわからない。本当は、少ないボキャブラリ全て駆使して伝えたい言葉全てをぶつけたい。でも。
それはけして、今の自分には許されないから。
「本当に、ありがとう。あと少しだ。最後まで……付き合って欲しい。この先に、一体どんな未来が待っていたとしても」
今の自分は、どうなのだろう。
この気持ちは誰のものなのかもよく分からない。カサンドラを愛している、それは事実だ。ただそれが仲間への友愛か、部下への親愛か、あるいは一人の女性への恋愛なのかがわからない。
ただ、それでも確かなことがある。どんな色の、どんな意味の愛でも関係ない。最初の世界から、本当の自分は何も変わっていない。
「共に往こう、最後の最期まで」
愛している。
自分は彼女を、愛している。
「く、クオ、リア……」
カサンドラの性格はわかっている。余計なことを考えてはならない、余計な期待はしてはいけない――そんなことばかり考えて困惑し、自制しようと必死になっているのだろう。昔からそうだった。クシルの頃は気づいていなかったが、今ならわかる。あの、一番最初の世界から彼女が自分を愛し続けてくれているということを。
その上で。一線だけはけして踏み越えまいと考えているのだ。だから自分が繰那姫で、彼女が利明だった時もそう。はしたないことを承知で、自分なりにアピールしたというのに。恋人同士ならそれもアリだったはずなのに、結局利明は一度も自分を抱いてはくれなかった。
真面目で。それがクオリアの為だと思うのなら、身を引くことさえ厭わぬ彼女。何も変わっていない。遥か昔から、彼女は何も、変わっていない。
「……すまない、急に慣れないことをしてしまった」
だから、クオリアは。何も知らぬフリをして、彼女の身体をそっと離すのである。涙が滲みそうになったのを誤魔化せただろうか。自分はいつもと同じように微笑うことができているだろうか。彼女に、このどうしようもない感情を、悟られずに済んだだろうか。
「ラストダンジョン直前でイチャつくんじゃない、そこのバカップル」
心底呆れた、という風に声を出したのはクライクスだった。彼が必死に自分の心をコントロールして、クオリアの違和感をかき消そうとしていることは明白で。
本当に、自分はいつも、誰かに助けられてばかりだなと思うのである。アカデミアでもそう。冒険者として旅立ってからもそう。本当に、こんなにいつも人に、出会いに恵まれ過ぎていていいのかと思うほどに。
「イチャついているつもりはなかった。すまない」
「謝る相手が違うだろう。カサンドラが完全に固まっているぞ。セクハラか」
「!?い、いやそんなつもりではなくてだな……!!」
「……セクハラ?ってことはカサンドラお前…ちゃんと女扱いされてたのか!そういやお前女だったな、すっかり忘れてたけど!!」
「ちょっ、今なんて言いましたテリス!?ぶっ殺されたいんですか!?」
「そういう事言うからお前は女扱いされねーんだよバーカ!!」
「あああもうテリスさんもそんなに煽らないでくださいよおおお!」
微妙な空気は、きっと全員がわかっていた。テリスとショーンの、どこか傷ついたような気配も伝わってきていたから。
それでも、何もかも今まで通りにしようとして、クライクスの慣れないジョークに乗ってくれたテリス。本当ならきっと。カサンドラを一番幸せにしてくれるのは、彼だったのだろうに。
――すまない。……本当に、すまない。一番カサンドラを呪って、縛り付けて、皆を不幸にしているのは……この私だ。
涙が溢れることのないように――決意が揺らぐことのないように。クオリアは城を見上げて、そして行った。
「さあ、行くぞ。クリスタルの元へ」
終末の時まで、あと少し。




