<第四十三話・亡き人を想うが故に>
それはクオリアがとっさに魔法を使ったことと、落ちた場所が幸運だったがゆえの結果だったのだろう。木がクッションになったことで、彼が受けた傷はさほど大きなものではなかったようだった。ローブがあちこち破れ、体中に傷を作ったようだが――それでも、骨が折れていたり、大きな出血をしている様子はない。
――落ちた瞬間に重力魔法を使うとか、本当にこいつはすごいな……。
クライクスは純粋に感心させられた。それなりの高さからの落下。正直、覚悟するしかないかとも思ったほどだったのだが。
「クオリア!」
しかし、倒れたまま意識を失い、眼を覚まさないクオリアを見てカサンドラは動揺している。思わず青年の肩を掴んで揺さぶろうとする彼女を、ショーンがとっさに止めていた。
「だ、ダメですよカサンドラさん!頭を打ってるかもしれないのに、揺さぶったりしたら……!」
「でも、でも!!」
「落ち着けカッシー、今回復魔法かけるから!」
ショーンの腕力では、カサンドラを止めることはできない。振りほどかれそうになっているのをテリスが補助に入る。いつも冷静で、どこか冷徹にさえ見えるカサンドラがここまで取り乱すとは。それだけで、彼女にとってクオリアがどれほどの存在か知るには充分だった。
「私がちゃんとしていれば!もっと早く手を伸ばしえいれば、クオリアは落ちないで済んだんです!私のせいで……どうしよう、どうしよう……!!」
そこまで酷い傷には見えない。でも、頭を打っていたら最悪の事態は充分有り得る。ただでさえこの場所では医療機関が遠いし、というよりこの世界の医療技術そのものが相当遅れている。他の世界なら助かる患者がこの世界では助からないことが充分有り得ることをクライクスは知っていた。恐らくそれは、カサンドラも同じだろう。
『なあ……嘘だよな?嘘だと言ってくれよ、キーシクス』
クライクスは、目を閉じる。兄と、親友が同じ場所で死んだ。殺された。それを聞いた時自分は――いつもおちゃらけていた友人を問い詰めていた。キーシクス。後に、自分達の組織『ラスト・エデン』のリーダーとなる彼女は――完全に表情をなくして、告げたのだ。
『あいつに、殺された。……それがクソッタレな……俺達の、現実だ』
大切な存在を持たない人間が、この世にどれだけ存在することだろう。
それは友人であったり、家族であったり、恋人であったりする。時にその存在は生きる理由であり、生きる目的であり、生きる意味になることもあるだろう。
クライクスにとって兄と仲間達は生きる理由であり、意味だった。お前は存在してはいけない、一刻も早く世界の為に滅びなければならない存在だと“勇者達”から追われた時。それでも絶望せずにいられたのは、独りではなかったからである。同じ痛みを分け合える仲間達は、仲間というよりも家族に近い存在であったかもしれない。彼らがいれば、どんな理不尽であっても立ち向かえると思っていた。どんな馬鹿げた運命も打ち壊せると信じてやまなかった。
それでもやがて、思い知ることになるのである。
世界は優しくなどない。願えば叶えてくれるようなそんな都合の良い神様なんて、この世界には何処にも存在しないということを。
――なあカサンドラ。酷いと思うか。お前が残酷な運命の中にいるのがわかっているのに……お前がどれだけ苦しんでいるか、知っているのに。
嫌になる。自分は此処で見ているだけなのだ。カサンドラが取り乱して叫ぶのも、テリスとショーンが必死でカサンドラを落ち着かせようと慌てているのも。
――何処かで、嫉妬してるんだ。お前は、愛する人の為に悲しむことができる。それは……愛する人が生きてそこにいるからだ。喩え死んでも、何度でも巡り会えることを知っているからだ。いつか必ず来る別れでも、それがどれほど惨たらしくても……また何度でも会える。会って、暫くの間は同じ時間を共有できる。何度でも……何度でも繰り返し……。
最低だ。喜びが大きいからこそ、失う痛みが大きくなることも知っているのに。
カサンドラのことも、クオリアのことも仲間だと思っているのに。死んで欲しいなんて嘘でも思わないのに――何でこんな時に、醜いことばかり考えているのだろうか。
――愛する人が生きて、傍にいる。それがどんな形だったとしても、傍にいられる。俺達は……そうじゃないのに。
それは多分、何処かでカサンドラの姿が自分と重なるからだろう。あの日の自分を、彼女の姿に見てしまうからだろう。
全く意味のない行為ではないか。自分の悲しみと、彼女の悲しみは。その境遇と、状況は。何一つとっても同じことなど無いというのに。
「う……」
やがて、クオリアが身をよじり、ゆっくりとその眼を開いた。それを見てカサンドラははっとして動きを止め――やがて顔をくしゃくしゃにして、青年に抱きつく。
「クオリア!良かった……良かった、生きていて……!!」
「カ、サンドラ……?」
「ごめんなさい!私がきちんと貴方を支えていなかったばかりに……!もっとちゃんと手を握らなかったばかりに、こんなことに……!!」
抱きつくカサンドラを、クオリアは驚いたように見つめて――一瞬。ほんの一瞬、泣き出しそうな顔になった。
――……え?
その顔が。今まで見てきた彼の、どの表情とも違う気がして、クライクスは目を見開く。違和感は一瞬で消えてしまった。クオリアは優しくカサンドラの肩を掴んで引き離すと、少しだけ疲れたように笑ってみせる。
「……いや、すまない。謝るのは私の方だ。完全に不注意だった。空でモンスターに襲われない保証など何処にもなかったし、その場合迎撃するのは魔導士の私の仕事だったというのに……完全に警戒を怠っていたようだ。心配かけて申し訳なかった。大した怪我じゃない、大丈夫だ」
「クオリア、でも」
「大丈夫だ」
カサンドラを安心させるように、クオリアはもう一度繰り返した。
「どのみち、距離を考えるなら……一日で古城に辿り着くのは厳しいだろう。どこかで野営する必要がある。日が落ちてくるまでにもう少し歩いて、そうしたら休憩することにしないか?……その時、いろいろ皆に話したいこともあるしな」
どこか、覚悟を決めたようなクオリアの顔。彼は気を失っていただけのはずだが、一体何があったのだろう。まさか、意識を失っている間に誰かと交信でもしたというのだろうか。
そしてクライクスはその夜、その“まさか”であった事実を知ることになるのである。
***
恐らく、その場所にはかつて小さな集落があったのだろう。
湖近く、開けたその場所には誰も住んでいない小さな小屋がいくつも点在していた。ボロボロで、手入れも何もされてはいないが、少くとも今晩の雨風を凌ぐことはできそうである。クライクスは簡単に埃を払いつつ“これでテントを張らずにすむな”と安堵していた。
一応、野宿することも考えてテントの類は用意しているのである。女性であるカサンドラも一緒に寝るしかないのは問題といえば問題だが、冒険者で同じパーティになった以上贅沢は言っていられない。それよりも問題は、資金面の問題で高いテントが購入できなかったことである。
つまり、安物であるため非常に脆い。楔がすぐグラつく。骨組みが相当ヤワ。ボロい木造小屋であろうと、それに比べたら断然マシな寝床であるのは間違いのないことだった。
「何とか、日が完全に落ちる前に此処まで来ることができて良かったな」
クオリアはほっとしたように、夕焼けに染まった空を見上げた。クンツァイトの洞窟を出た時点で正午。ドラゴンに乗り、クオリアの落下事故があり――彼の強い意向で古城を目指して歩き続けて数時間。この場所にかつて集落があり、なんとか野営できそうな場所があることをクオリアは知っていたらしい。かなり強行軍で進んだ結果、明日の昼には古城に辿りつけそうである。なるほど、少し無理をしてでも歩き続ける選択は間違いではなかったらしい。
途中モンスターにも何体か遭遇したが、幸いそこまで強いものではなかった。自分達の力量が上がっているせいなのかもしれないが。
「今日は夕食を食べたら早めに眠ることにしようか。念のため、交代で火の番をする必要はあるだろうが」
「そうだな。湖の近くだから体を洗うこともできるし……ただ問題はその夕食なんだが……」
「ああ……」
クライクスは、クオリアと共に同じ方向を見て、溜息をついた。
小屋に残っていた竈を使って火を起こすことができるようなので、簡単な料理なら作れそうだ、となったのはいい。旅の途中とはいえ、やはり缶詰や保存食ばかりでは味気ないからだ。まだまだ肌寒い時期である。温かいものが食べられるならそれに越したことはない、のだが――。
「私はキッチンに入っちゃダメって!何でですか!!というかさらっと魔力込めたガチの結界とか張らないで貰えます!?」
小屋の入口でカサンドラが怒っている。彼女は完全に締め出しを食らったらしかった――主に、炊事担当を買って出たショーンとテリスの手によって。
「クオリアも怪我してるし、クライクスの怪我もまだ治りきってないですし!温かいもの食べて元気になって欲しいんですよ、私だって料理したいと思って何がいけないんですか!!」
「いけないに決まってるだろ!!お前いい加減自分の芸術が爆発してること自覚しろよな!?こんなところでパーティ全員食中毒で死ぬとかしょうもなさすぎて笑えもしないからな!?」
「そんなこと起こしません!きちんと火は通します!!」
「お前の場合火を通しすぎるのが問題っつーか、消し炭食っても腹は壊すっていい加減学習しやがれ!!」
「あああすみませんすみませんカサンドラさん、今回ばかりは僕もテリスさんの味方なんですううう……!」
「何でっ!?」
会話だけで、なんとなく悟る。確かテリスは入学当初からカサンドラの友人で、クラスもずっと同じであったはずである。そして、カサンドラもテリスも寮生活だ。アカデミアの寮は全ての部屋に、それぞれ個別のキッチンがついている贅沢設計である。そして、男女の寮に別れていても、特に異性の寮に踏み入ってはいけないという規則はなかったはず。なら、テリスが何度もカサンドラの部屋に遊びに行ったりするのはなんらおかしなことではないだろう。逆も然り、である。
ならばつまり、一緒に御飯を食べる機会くらい、あってもおかしくないわけで。
その上でこの反応ともなれば――まあ、お察しください、なわけで。
「………カサンドラは、料理が下手なのか」
クオリアは少し不思議そうに首を傾げた。
「絵なら、あんなに才能があるのにな。世の中はわからないものだ」
「……カサンドラの絵が本物の芸術だと信じてるのはお前だけだぞ、クオリア」
「そんなことはないと思うが」
「そんなことはあるんだよ……」
やめておこう、この御人を説得するだけ無駄である。なんせネジが何本かすっぽ抜けてるのが確実なお人だ。クライクスは即座にツッコミを放り投げた。自分はテリスやショーンのポジションに着く気はさらさらないのである。
「……とにかくだ。クオリア」
三人はあの様子だ。当分キッチン騒動で忙しいだろう。なら、話をするのは今であるべきだ。
「俺に話したいことってなんだ。その様子だと、カサンドラ達には聞かれたくないことなんだろう?」
そう、クライクスは――クオリアに呼ばれて、今此処にいる。どうしても話しておきたいことがある、とクオリアに言われたからだ。
「……そうだな。少くとも……カサンドラに聞かれたくはない話で。同時に、お前だけには話しておかなければならない話だった」
そして、クライクスは。
「そう。……“航海者”である、お前には」
クオリアの言葉に――驚愕することになるのである。




