<第四十一話・何処かの世界の聲>
普通の人間が、ドラゴンの背に乗る機会などあるはずもない。
正直なところ、年甲斐もなくクオリアははしゃいでいた。冒険者といえど、自分は黒魔導士だ。ドラゴンを扱うことを許されているのは竜騎士のみ――完全に竜騎士の特権と言っていい。そして、竜騎士は他のジョブよりも人数が少ない。加護を与えてくれるドラゴンがそれはもう気難しいものだから、当然と言えば当然である。
「ガイア・マスター・ドラゴン様。助力に感謝いたします」
これも礼儀と、クオリアは戻ってきた守護竜に頭を下げた。そしてカサンドラにも。
「礼を言うカサンドラ。お前のおかげで貴重な体験ができる」
「楽しそうですね、クオリア。空を飛ぶことにそんなに興味があるとは知りませんでした」
「それはもう、ロマンってやつだ。スカーレット伯爵家はかなり古い家柄だし、王家とも繋がりがあるが……それでも規則は規則。空を飛ぶ乗り物なんて持てるはずがなかったからな。こんなことを言うと叱られそうだが……私は一度ちゃんと、この世界を空から見てみたかったんだ。私達が生まれた場所、これからもずっと生きていく場所なのだから」
「……そう、ですね」
少し、不思議には思っていた。何でカサンドラはそんな――声を詰まらせるような、どこか哀しそうな眼で自分を見るのだろう。
最近はより顕著だが、その傾向はどうにも出会った頃からあったように思う。残念ながらクオリアの方は、カサンドラのことなどガイア・ベビー・ドラゴン襲来の一件まで名前でしか知らなかったのだ。中等部に、高等部顔負けの槍の名手がいるらしいという話は聞いたことがあったが、それだけである。そしてカサンドラの方の認識も似たり寄ったりであったはずだ。何故なら彼女は初見で自分の名前を訊いている。クオリアも、自分がそこまで有名人だったとは思っていない。
その時初めて会ったはず、それなのに。その時のカサンドラの驚きぶりと、その後の対応にはどうにも違和感があるのだ。まるでずっと昔の知り合いに再会して、それとかなり親しい間柄であったかのような。だって、そうでもなければこんなに自分が彼女に信頼される理由が全く見えないのである。
出会って短い期間しか過ぎていない。残念ながら自分は今までの戦いで、さほど活躍できたとは思っていない。ベビー・ドラゴンの時も、水と氷の守護竜の時も、作戦を立てて見事に勝利を導いたのはカサンドラである。そして、特に後者でそれを実行に移した立役者はテリスであるし、クライクスやショーンだって被害を広めないため十分な働きを見せている。
はっきり言って、一番役に立てていないのは自分だ。アカデミアで黒魔法のトップだったと言われていても結局その程度なのである。足手まといにだけはなりたくないのに――そう悩んでいるのは、実はクオリアも同じなのだった。
だからこそ。自分がカサンドラに感謝したり好意的に思う理由はあっても、逆の理由は一切見えないと、そう思うのだけれど。
――しかも、ただ慕われているだけではないような……なんだろう……。
何か悩みがあるのなら相談して欲しい。しかし、自分絡みの問題なら迂闊にそうも言えない。むしろ下手にこちらから持ちかけると“空気を読め!”といったかんじで傷つけてしまうかもしれない。残念なことに、自分が空気を読めないこともクオリアはきっちり自覚しているのである。
『お前たち、乗るなら早くしろ。カサンドラの魔力が尽きたら大変なことになるぞ』
「あ」
「そうでした、すみません。乗ります」
地の守護竜の言葉に、カサンドラはひょいっと慣れた様子で先にドラゴンに飛び乗ってしまった。クオリアは驚く。まだ一度もドラゴンに乗って空を飛んだことはない、とさっきカサンドラは言っていたばかりだったというのに。
「クオリア、捕まってください」
そして当たり前のように手を差し出される。まるで自分がお姫様か何かになったような気分で変だな、と思いつつ――クオリアは少女の手を握った。その刹那。
『ほら、捕まってください。足下、気を付けてくださいね』
――え?
その声と映像が脳裏を過ったのは、ほんの一瞬のことだった。金髪の長い髪を結い上げた少女が、ドラゴンに跨がり、こちらに手を差し出している。声も、顔も、カサンドラによく似ていた。けれど――あれは、カサンドラではない、誰かだ。確信に近くそう思う。そもそも、自分はあの英雄選抜試験の時までカサンドラとは話をしたこともなかったわけで――。
「クオリア?どうしました?」
「あ……いや」
よそう、と思った。今のはきっと、白昼夢か何かだろう。どこかで似たような小説でも読んだのかもしれない。あるいは映画がそうだったのかも。考えるだけ無駄なことだ、と切り捨てることにする。そもそも、いつまでもぼんやりしている時間などないことは事実だ。
差し出されるまま彼女の手を握り、ドラゴンの背に飛び乗った。カサンドラと横に並ぶ形で座ると、安定したところでバサリとドラゴンが翼を広げた。
「わっ……!」
強い風に煽られそうになったのを、カサンドラに支えられる。
「ほら、捕まってください。落ちないように、気を付けてくださいね」
先程の――白昼夢と重なるような、台詞。頭の奥が鈍く軋んだ気がしたが、すぐにそれは全身を包み込む浮遊感と、眼に映る壮大な景色に掻き消された。
「わあ……!」
ぐんぐん地面が遠ざかっていく。洞窟の入り口がもうあんなに小さい。自分達が歩いてきたスフェーン砂漠が見える。そして、ごつごつとした岩場で覆われたクンツァイト山脈。山を越え、ドラゴンが飛んでいく先は一面が青々と繁る木々で覆われたヒデナイトの森だ。
「凄い…!」
ヒデナイトの森は、広大である。地平線の向こうまでずっと森が続いている。その途中に見える湖が、キラキラと太陽の光を反射して輝いているのがわかった。さらにその湖の向こうには、自分達が目的とするクリスタルの古城が見える。尖った藍色の屋根と外壁に蔦が大量に絡んだ城は、想像していた以上にずっと古びて壊れそうで、それでも今はそのボロボロぶりさえも輝かしく鮮やかな景色の一部に思えてしまう。
何もかもが初めて見る光景だった。想像していたよりもずっと世界は広い。自分の存在はそれと比べてなんとちっぽけなものであることか!
「凄い……凄い凄い凄い!城が見えるぞカサンドラ!森が地面があんなに遠い!これが……私達の、世界か!」
思わず言葉にして叫んだ瞬間、ぎゅっとカサンドラに腕を捕まれた。え、と思って見れば――彼女は俯いている。
「クオリア」
どうしてだろう。捕まれた手が、微かに震えているように思えた。
「この世界が、貴方の生まれた故郷……。世界は広くて、でも本当の世界はまだまだ……こんな広さでは、ないんでしょう。もっと、見たいですか……世界を。いつか世界の外側まで……もっともっと、たくさんのものを……見に行ってみたいと、そう思いますか」
彼女がどんな意図をもってして、その問いをしたのかはわからない。ただクオリアは、高揚するまま、正直な気持ちを答えた。
「そうだな。もっともっと色んなことを知りたい。世界を見てみたい……!なあカサンドラ、私達は冒険者になったんだ。そして、旅は世界を救ったら終わりじゃないんだぞ。空を飛ぶ乗り物はないが、歩いて島を回ることはできる。私達はもっともっと遠くまで、私達の知らない場所まで旅をすることができるんだ……素晴らしいと思わないか」
「クオリア……」
「もっとたくさん、色んなものを見よう。私達はまだこれからだ。これからなんだ。君達と一緒ならきっと何だって出来る……何処にだって行けると、私はそう確信している。君は違うのか?」
その手から伝わるのは、不安。いつも強気な彼女らしからぬ心配そうな様子。何がそんなに恐ろしいのかと、クオリアは少女の背中に手を添えて撫でる。
いつも力強く真っ先に敵に立ち向かい、強敵あらば冷静に打開策を見つけ出してきた彼女。もっと自信を持っていいはずだ。自分達が今まで生き延びてこれたのは、紛れもなくカサンドラの功績なのだから。
「カサンドラ……」
どうしたんだ、と尋ねようとした――その時である。
「!!」
突然、突風が吹き荒れた。大きく揺れるドラゴンの背。あと少しで地面に着陸するところだったのに、何が起きたというのか。
「クオリア!あれっ……!」
いつの間にか、八羽くらいの灰色の鳥が自分達を取り囲んでいる。一匹のサイズはさほど大きくはない。しかし、どれも眼を血走らせており、鋭い嘴を揺らしてこちらを威嚇している。
ああ、しまった、忘れていた。モンスターは空にもいるのだ。クンツァイト山脈になら飛ぶようなモンスターは出てこないという話だが、ヒデナイトの森はそな限りではない。まさか、こんな時に襲われることになるとは。
「グレイ・ピジョンか……!風魔法を使ってくるモンスターだったな、こいつも」
さすがのカサンドラも、ドラゴンの背に乗っていては攻撃手段が限られる。ならば、自分が魔法で撃ち落とした方が早い。クオリアはそう思い、魔法の詠唱を始めた。
だが。
「うわっ!」
グレイ・ピジョンの嘴が思いきりドラゴンの尾を突いた途端、地の守護竜は驚いたように身体を大きく跳ねさせた。当然、上に乗っているクオリアとカサンドラも大きな衝撃を受けることになる。
まずい、と思った瞬間に、クオリアの脚はずるりと滑り落ちていた。
「クオリアッ!!」
カサンドラが助けようと手を伸ばしてくれる。クオリアも慌ててその手を掴もうとして――しかし、互いの手は指先を絡める程度に留まった。
駄目だ、と思う間もなくクオリアの身体は、森の中へと落下していく。
――まずいっ……なんとか、重力魔法でダメージを、軽減……っ!
うまく、魔法を唱えることは出来ただろうか。バチバチと頭の中で火花が散るような音がする。呆然と、真っ青な顔でこちらを見るカサンドラの顔が遠ざかる。伸ばされたままの手。伸ばしたままの手。どうしてだろう。同じ光景を――前にも、どこかで。
『これが、私に出来る最期の抵抗。私に残された最期の手札。許しておくれ、利明。……愛している』
これは、誰の記憶だ。
利明とは、誰のことだ。
――私は……私は、一体……!?
強い衝撃とともに――クオリアの意識は、叩きつけるようにブラックアウトしたのである。




