<第三十二話・闇の中の制裁>
耐えられぬ、と思った瞬間なら何度でもあった。
そもそも自分達もまた、生きる場所が違えば神と呼ばれた存在。このような扱いを受けることそのものが――あまりにも不条理であり、屈辱に他ならなかったからだ。
『主よ。……我らが神、ガーネットよ』
深い深い、全てが奈落の底へと沈むような地下。目の前の玉座に向けて、ばさり、と焔の守護竜――ファイア・マスター・ドラゴンは翼を広げた。
赤く輝く翼は、あらゆるものを統べる強大な力の証。焔を司るファイア・マスター・ドラゴンは、すべての守護竜の中であってもより強い力を象徴する存在と言えた。多くの世界において、人類が進化するに至ったのは神が火の扱いを教えたからとされている。火を扱える知識を得た人間は他の生物と一線を画し、頭ひとつ飛び抜けた存在へと進化を遂げたのだ。焔とは、全ての力の象徴。同時に人の、知識の証明でもある。
この世界に召喚されるまで、気紛れに次元の狭間を漂い、時折世界に降りたって力と知恵を貸し、また次元の狭間で航海者達にほんのすこしちょっかいをかける、そんな存在であった自分達。気紛れに人の声を聞き、気紛れに人に罰を下す――その自由奔放さこそ、自分達が神たる存在である意義に他ならなかった。それなのにだ。
このガーネット神は、そんな自分達をちっぽけな世界の内側から強引に呼び出し――枷をつけて、自らの配下に置いたのである。守護竜、なんて言葉で呼ばれてはいるが、結局自分達はこの神に隷属させられたも同然の身であった。あまりにも口惜しく、虚しいことである。狭い世界の、さらに狭い島に閉じ込められた自分達。何度自らの故郷を恋しく思い、狭苦しい空を見上げることになったであろうか。
――それでも従うしかなかったのは……神の圧倒的な力を思い知らされたがため。
誰も知らないことではあるが。自分達は本来なら九体のドラゴンであったのだ。同じ時に大いなる意思により生まれ落ち、まるで兄弟のような関係でさえあった自分達。仲が良いかというと必ずしもそうではなかったが、お互いに認めあい、さながら一種の好敵手のような存在であったことは間違いないことだろう。
そんな自分達の実質リーダーであり、長兄のような立ち位置にいた存在。それが、無の力の守護竜、ノーバディ・マスター・ドラゴンだった。
自分達の中でも最も強い力を持っていた彼は、ガーネット神のあまりに無礼なやり方と態度に怒り狂った。そして、勝負を挑んだのである。自分達九体の契約と未来を賭けて。
――そして。負けるはずのない勝負に、負けた。無の守護竜が勝てぬ相手に、我らが挑んで勝てるはずがない。それを否が応でも悟らざるをえなかったためだ。
諦めて従属するしかない。この箱庭のように狭い世界を守る仕事を粛々とこなしていくしかない。自分達は皆そう思った――思おうとしたのである。それほどまでに、ガーネット神の力は強大で、抗いようのないものであったからだ。
だが。
そうやって耐え続けた日々は報われるどころか、最悪の形でアダとして返されようとしているのである。
ゆえに、ファイア・マスター・ドラゴンは此処にいるのだ。配下も連れず、未だかつてまともな姿を見たことさえない――ガーネット神の御前に。
闇の向こうに、ぼんやりと玉座が浮かび上がっている。そこに何かが悠然と佇み、存在していることだけはわかる。わかるというのに。何故かその姿は霧雨のような闇に包まれ、足の先さえも見えてはこないのである。まるで、かの者がいるその場所だけ空間ごと噛みつかれ、食いちぎられていってしまったかのように。
『先程、我らのところに報告が届きました。アイス・マスター・ドラゴン。そしてアクア・マスター・ドラゴン。二体の、我らが兄弟が……町を襲い、甚大な被害を齎した、と』
冷静でなければならない、とわかっている。いくらファイア・マスター・ドラゴンの気性が本来、その名前に由来するがごとく燃え上がりやすい質であったとしても、だ。
『人間が、我らが守る聖域を穢すような真似をしたというのであれば。それは制裁を行うに十分たる理由となりましょう。実際それで、かつて存在したトリフェーン工業地帯を壊滅させ、更地にしたガイア・マスター・ドラゴンの件もある。あの断罪は極めて真っ当なものであったと我らは今でも思っております。秩序を守るための必罰には意味がある。それを疑うつもりはございませぬ』
『そうです。しかし……この度はさすがに様子が違いすぎる』
す、とファイア・マスター・ドラゴンの隣に進み出た存在。金色の輝く鬣を、怒りでバチバチと帯電させた彼は雷の守護竜である。元々一人で神に直談判するもりでかったファイア・マスター・ドラゴンは、道中で同じことを考えていたサンダー・マスター・ドラゴンに遭遇し合流したのだった。
どちらも考えていることは同じである。一人で立ち向かうなど無謀とわかっていた上での挑戦だった。それが二人になるならば、状況は大きく好転するに違いない。
『このたび災厄を巻き起こした二体は、極めて気性が大人しい存在でもあった。特に、アクア・マスター・ドラゴンは我らの中で最も平和主義であり、人間達の行いに対しても寛容でございました。聖域に侵入した人間は殺しても構わぬというのが我らの共通認識だというのに……アクア・マスター・ドラゴンだけは、今まで一度たりとも人間を殺したことがなかったのです。聖域を侵した人間を、少しばかり痛め付けて放り出す程度で』
だからこそ、とファイア・マスター・ドラゴンは呻く。
『このたびのアクアの所業!普段の兄弟からは断じて考えられぬ暴虐……!!単刀直入に申しましょう、これらは全て……ガーネット神、貴方のご意志ではありませぬのか!!』
怒りのまま、焔の守護竜が吠えると。びりびりと空間が震え、地下室が悲鳴を上げるように鳴動した。自分の怒りは、目の前の存在にも充分伝わっているはずである。それなのに、ガーネット神は特に動じる様子もない。それどころか。
『焔の』
まるで、楽しんでさえいるかのよう。
『世界の危機であるぞ。わかっているであろう?』
まるでノイズをかけたようにひび割れ、息が苦しくなりそうなほど低く聞き取りづらい声が空間を統べる。
『我の力は刻一刻と弱まっている。それゆえ、島を支え皆を守ってやることができなくなっているのだ。力を取り戻さねば、この国に未来はない。クリスタルが必要なのだ。真の力を手に入れ、真の姿へと覚醒したクリスタルを、一刻も早く……』
『それは人間どもに教えている、さながら教科書通りの教えよ……!忘れたか神よ、我らは守護竜……この世界の真実を知る守護竜であるぞ!!』
ここにきてまだしらばっくれる気なのか。焔の守護竜は全身を激情で震わせた。
『神の力が弱まることでこの世界に異変が起きる……万歩譲って仮にそれが本当だとしても!この世界を守る守護竜までもが錯乱し、罪なき者達を葬り去るなど考えられぬ……!ましてや、意思をなくして全てを破壊するだけのバケモノに成り下がるなどと!!我等にそのような真似が出来る者などただ一人……ガーネット神、貴方様以外には考えられぬ!!』
ただ漫然と、隷属の日々を過ごしてきた。
それもやむなしと諦めようとした。いくらこの島に監禁されたも同然の身であるとしても、人間達に敬われ、愚かな者には自由に制裁を下してよしというのであれば。今まで自分達が気紛れにしてきたこととさほど変わりはない。なら、この世界で緩やかに、怠慢に朽ちていくもやむなしかと、そう思おうとしていたのである。
だから、見過ごしてきたのだ。
クリスタルの件も――英雄の件も、全て。でも。
『今回ばかりは許すことなどできぬ……!心優しき二人の意思を奪い、最悪の災いへと変えさせた!その理由が、意義がどこにあっても関係がない……貴様が我等を最も最低の形で愚弄し侮辱した、それ以上の真実は無い!!』
『我に楯突くというのか』
『我等兄弟は最初から間違っていたのだ……!!』
焔の守護竜の言葉を引き継ぎ、雷の守護竜も憎悪の言葉を吐き出した。
『無の兄弟が、貴様の手でミンチにされた時に……するべきことは諦めではなく、兄弟の仇を取ることであったのだ。我らが皆で結束して立ち向かえば、このような屈辱の日を迎えることもなかったというのに……!!ガーネット、貴様の蛮行……凶行!!今此処で終わらせてくれようぞ!!』
一体では、けして神なる存在に勝利することはできない。
それでも二体なら――焔と雷という、力と知恵の象徴たる自分達が協力し合えば、充分に可能性はあるはずである。
ガーネット神は何も言わなかった。ただ闇の向こうで、嘲るような笑みを浮かべた気配だけが、したものだから。
自分達の最後の引き金になるには、充分だったのである。
『“地獄の焔”!!』
『“裁きの雷”!!』
焔の守護竜は紅蓮の焔を、雷の守護竜は金色の雷を。それぞれ大きく開いた口から吐き出し、情け容赦なく神の玉座に向けて浴びせていた。
怒りに任せた一撃。手加減などあろうはずもない。ましてや二体の同時攻撃なのだ。技の威力は、さらに相乗的に上がっていたはずである。
そう、そのはずだった――それなのに。
『我は悲しい。嗚呼、悲しいとも』
馬鹿な、と。言葉にすることも叶わなかった。自分達の力がまるで通じない。確かに圧倒的な力で、技で、神さえも粉々にできる一撃を放ったはずだったというのに――神どころか、玉座にさえ傷ひとつついていないのはどういうことか。
『これだけ長い時、共にこの地を守り続けてきたというのに……貴様等がこれほどまでに愚かしく、無礼を働くとは思っていなかった。嗚呼悲しい。悲しいとも。我が子のように貴様等を愛で、守ってきた結末がよもやこれであろうとはなぁ……』
ふざけるな、と焔の守護竜は思った。思いながら――視界がふらつき、突如ひっくり返って落下する様を見た。
激痛を、感じることさえあったがどうか。
どう、と一瞬遅れて大きなものが倒れる音と、その視界にばさりと落下したものを見て、ファイア・マスター・ドラゴンは悟った。自分はたった今、なんらかの手段によってこの神に、首を切り落とされたのだ、と。
――ふざけたことを抜かすな、ガーネット……!何が力が弱まっているだ!何が愛でてきた、だ!貴様にとって我等など最初から体のいい玩具に過ぎなかったくせに……この世界も、この島も、全て貴様にとって都合のいい、人形遊びの庭に過ぎないくせに……!
ドラゴンの強靭な生命力ゆえ、首を切り落とされても暫くは意識が残る。しかし意識が残るというだけで、死なないわけではないのである。生命活動を維持出来なくなった体は、脳に酸素が行き届かなくなったことで、緩やかに死を迎えようとしていた。
――嗚呼なんと、無様であることか。結局我らは何も……何も成し遂げることができずに……!
思い浮かんだのは――残る兄弟の姿である。
――後は……お前だけが頼りだ……ガイア。
そして。
大いなる焔の守護竜と雷の守護竜は、その意識を永遠の闇に沈めたのだ。




