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苦手な方はご注意ください。

99万9999回死んだ勇者

作者: 春季休暇

某有名絵本のオマージュ作品です。

ストーリーは全く違いますが、あえて似た表現を使っています。

 


 99万9999回、俺は死んだ。

 99万9999回死んで、99万9999回生き返った。



 俺は勇者だった。

 勇者は魔王を倒すものと。

 この世界ではそのように決まっていた。

【勇者】の称号を持って生まれた俺は、生まれながらにしてその宿命を背負った。


 この世界には魔王という存在がいた。

 人類を脅かさんとする、悪の化身だ。

 魔王はたった一つの例外を除いて、決して死ぬことはなかった。

 伝説の剣で切り刻まれようが、幾万もの矢に貫かれようが、最強の魔法で焼き焦がされようが、その体には一切の傷も付かなかった。

 しかしただ唯一、なぜか【勇者】の称号を持つ者だけが、魔王に傷を付け、殺すことができた。


 魔王はその強大な力で、人類に様々な災いをもたらした。


 ある時、凶暴な魔獣の群れが街を襲った。

 俺は勇者だから、襲われている街に駆けつけて、波のように迫り来る魔獣の群れと戦った。

 ゴブリンを殺し、コボルトを殺し、ウルフを殺し、オークを殺し、ハーピーを殺し、オーガを殺し、ミノタウロスを殺し、ドラゴンを殺し、それでも、襲いくる魔獣は一向に減らなかった。

 やがて武器もなくなり、拳も砕け、足も折れ、動くこともできなくなって、俺は死んだ。

 魔獣の餌になって、俺は死んだ。

 勇者が死んだことで、魔獣の群れから街を守る者はいなくなり、その街は滅んだ。

 俺は魔獣にすら食い殺される脆弱な勇者と言われた。


 ある時、原因不明の病が国を襲った。

 俺は勇者だから、病の原因を突き止めるために、国中を奔走した。

 瘴気に包まれた森を進み、瘴気が吹き荒れる砂漠を抜け、瘴気に侵された海を渡り、瘴気が降りしきる雪山を越え、瘴気を吐き出す魔獣を倒し、それでも、病の原因は見つからなかった。

 やがて俺自身も病に冒され、丈夫だった身体は日に日に弱り、口からは血を吐き、肛門からは汚物を垂れ流し、最期は呼吸も苦しくなって、俺は死んだ。

 誰にも看取られることなく、俺は死んだ。

 勇者が死んだことで、病の原因を探る者はいなくなり、その国は滅んだ。

 俺は病にも勝てない虚弱な勇者と言われた。


 ある時、魔王の策略が勇者の一行を襲った。

 俺は勇者だから、魔王の策略からも決して逃げることはなかった。

 どれだけ凶暴な魔獣にも、どれだけ難解な迷宮にも、どれだけ卑劣な罠にも、どれだけ暴悪な刺客にも、絶対に背を向けることなく挑み続け、それでも、百戦百勝というわけにはいかなかった。

 やがて戦士が倒れ、魔法使いが倒れ、僧侶が倒れ、一人になって、俺は死んだ。

 決して蘇ることはない仲間と共に、俺は死んだ。

 勇者が死んだことで、世界はさらに深い闇へと沈んだ。

 俺は共に戦う仲間さえ守れない無能な勇者と言われた。


 ある時、勇者に不満を抱く人間が俺の家族を襲った。

 俺は勇者だから、より多くの人を守るべく、故郷には帰らなかった。

 父の正しさが蘇り、母の優しさが蘇り、兄の頼もしさが蘇り、妹の幼さが蘇り、それでも、感情を押し殺して、勇者に課せられた責務を果たした。

 やがて戦いが落ち着き故郷に向かうと、そこには生まれた家も、育った村も、送り出してくれた家族も、何もかもが無くなっていた。

 俺は泣いた。

 泣き叫んだ。

 夜になって、朝になって、また夜になって、朝になって、ある日の昼に、泣き止んだ。

 家があった場所で、家族がいた場所で、俺は死んだ。

 大事な人たちが殺されたのと同じ場所で、俺は死んだ。

 勇者が死んだことで――特に何も起こらなかった。

 なぜなら勇者は何度でも蘇ると、皆知っていたから。

 そしてまた、俺は生き返った。




 生き返って、俺は勇者を辞めた。

【勇者】の称号は絶対に消えないから、勇者をすることを辞めた。


 それから。


 俺は家族を殺した罪人を恨んだ。

 何の罪もない家族を殺した、罪人を恨んだ。


 しかしそれより魔王を恨んだ。

 この世界を脅かさんとする、魔王を恨んだ。


 しかしそれより人類を恨んだ。

 救われて当然だと思っている、傲慢な人類を恨んだ。


 しかしそれより世界を恨んだ。

 どれだけ救おうと俺だけが救われない、世界を恨んだ。


 しかしそれより――勇者を恨んだ。

 罪人より、魔王より、人類より、世界より、何も守れない自分自身を、最も恨んだ。


 ――プツンと、張り詰めていた何かが切れる音がした。



 復讐なんて考えは浮かばなかった。

 一番憎いのは自分だから。

 その代わり、全てを投げ出した。

 世界なんてどうでも良い。

 人類なんて滅びてしまえ。

 もう何もしない。

 もう、俺のことは放っておいてくれ。

【勇者】の力で姿を消して、誰にも見つからないようにした。

 死ぬまでそこにいて、死んだらまた生き返って、それを繰り返して。

 そうやって、ただひたすらに何もしないことを俺は選んだ。


 それから何回、何百回、何千回、もしかすると何万回も死んだかもしれない――ある時。

 ふと、お腹が鳴った。

 ぐるるるる……と、聞いたこともないような大きな音で鳴った。

 久しくなかった生理現象。

 いや、俺が見て見ぬふりをしていただけで。

 俺の身体はいつの時も生きたがっていた。

 何回死んでも強制的に生き返らされるのに、俺の身体はどうしようもなく生きたがっていて――


「いや……死にたくないだけか……」


 たったそれだけ。

 たったそれだけの出来事に、俺はまたもう少しだけ生きろと言われた。

 情けないというか、こんな事で立ち直ってしまったら自分の中で、家族の死がとても軽い出来事になってしまいそうで、数万回分の死が全くの無駄になってしまいそうで。

 ここでいう無駄が何に対する無駄かは自分でも分からなかったが、そういった謎の意地みたいな感情もあって、しばらくはじっとし続けてみたが、やはり限界で。

 結局、俺は何万回か振りに立ち上がり、近くの川で砂埃まみれになった体と服とを丸洗いにして、街に繋がる道を歩き始めた。

 道中に気付いたが、ずっと動いていなかったにも関わらず、俺の体は全くといって良いほど衰えていなかった。

 憎たらしいことに。

 それも【勇者】の力だった。


 数日が経って街に辿り着いた俺はまず、路傍で売っていた何の肉かも分からない串焼きを大量に買って、口いっぱいに頬張り、すっからかんだった胃の中にこれでもかと詰め込んだ。

 脂でギトギトの安くて不味い肉だったのに、何故だか涙が止まらなかった。


 それから俺はその街で冒険者を始めた。

 なぜ冒険者かと問われれば、まあ戦うことが嫌という訳ではなかったし、身分を隠しながらでも働けるから――という、その程度最低限の理由だったが。

 しかし思いのほか、冒険者というものは良かった。

 世間の冒険者に対する認識は「馬鹿で他に稼ぎの当てもない荒くれ者の集まり」という何とも散々なものだったが。

 勇者と違って、何の使命もなく、責任もなく、そんな自由が【勇者】の称号に縛られ続けていた俺にとっては何よりも心地よく感じた。


 しばらくすると、俺はその街で有名になっていた。

 勇者としてではなく、一人の冒険者として――だ。

 ただ、理由は対照的で。

 なにしろ【勇者】の力があったから、どんな依頼でも必ず成功した。

 素性がバレないようにと被っていた白仮面も思いのほか個性的だったらしく、その謎に包まれた風貌も相まって、俺の名は簡単に広まった。

 尤も、広まったのは冒険者用の偽名であるが。

 生まれてからずっと、家族以外からの呼ばれ方は「勇者様」一択で、たとえ偽名であれ、誰かに名前を呼んでもらえることは、気休め程度ではあるが、俺を【勇者】の呪縛から解放してくれた気がした。


 そうして、冒険者としての生活を送る中で、俺は一人の女性と出会った。

 雪のように真っ白な肌をした、美しい女性だった。

 名をノアといった。

 彼女は宿屋の娘だった。

 彼女を初めて見た時から、その宿は俺の定宿になった。

 稼ぎと照らし合わせればもっと上等な宿はいくつもあったが、彼女の近くにいたいがためだけに、俺はその宿に居座り続けた。

 完全に一目惚れだった。

 彼女とはしばらく客と従業員の関係が続いたが、一向に縮まらない距離にいよいよ辛抱できなくなった俺は、ある日彼女のそばに行って、


「俺は何千もの魔獣に一人で立ち向かったことがあるんだぜ」


 と、言った。


 彼女は、


「そう」


 と、言ったきりだった。


 俺はかなり戸惑った。

 なにしろ、それまで出会ってきた女性は皆、勇者の武勇伝が大好きで、「そう」とだけしか返されなかったのは、それが初めてだったから。

 もしかするともっと凄い話を期待していたのだろうか。

 そう思った俺は、次の日も、その次の日も、彼女のところへ行って、話し続けた。


「俺は病に苦しむ人たちを救うために、国中の危険な場所を旅したことがあるんだぜ?」


 彼女はまた、


「そう」


 と、言ったきりだった。


「俺は仲間を守るために、どんなに酷い状況でも決して逃げなかったんだぜ?」


 彼女はやはり、


「そう」


 と、言ったきりだった。



 それから幾日か経って、ある日、


「俺は大勢を助けるために、家族を――」


 と、言いかけて、俺は、


「家族を……見捨てたんだ」


 と、本音を――いや、心の奥底に無理やり押し固めていた後悔を、ふと、溢してしまった。

 あの時、どうして帰らなかった。

 目の前のことを全て投げ出してでも、どうして一番大切なものを守ろうとしなかった。

 どうやっても、その後悔だけは言い繕うことができなくて。

 勢いのままに、俺は全てを吐き出した。

 吐き出してしまった。

 みっともなく、誰にぶつけていいのか分からない怒りを、悔しさを、もどかしさを、ずっと後悔していたことを、全て。


「街が魔獣に襲われた時だってそうだ。本当は何も守れなかった。病の時だって、仲間だって、俺は何も守れない、守ってやれない。俺は、どうしたら良かったんだよ……」


 頭ではダメだと分かっているはずなのに、一度決壊してしまった感情が次から次に溢れ出して、言葉となって、口から、もう止まらなくなっていた。


 そんな俺を見て、彼女は、


「そう」


 と、言った。それから、




「――とても、頑張ったんですね」




 そう、耳元で囁いた。


 耳元で。

 さらりとした髪が頬に触れた。

 いつのまにか、俺は彼女に抱きしめられていた。

 気づいて、咄嗟に押し退けようとするが、その細い腕にぎゅっと体を縛り付けられる。


 ――頑張った。


 彼女の言葉が頭の中で反芻された。


「……そうだ、頑張った……頑張ったんだ。使命がどうとかじゃなくて、ただそこにいた人を、みんなを、助けたかったから、俺は……っ」


 溢れるものが抑えきれなくなって。

 そのまま俺は彼女の胸の中でわんわんと泣いた。

 まるで赤ん坊のように。

 きっと情けない姿だっただろう。

 けれど、彼女は何も言わずにただひたすら、そんな俺を抱きしめ続けてくれた。

 許された気がした。

 認められた気がした。

 何も救えなかったという事実は何一つ変わらないのに、心にかかっていた靄がすーっと晴れていくのを感じた。

 好きな人に抱きしめられることが、こんなにも心を穏やかにしてくれるのだと、その時初めて知った。


 それから俺は全てを話した。

 過去に何があったのかも、後悔の理由も、この街に来た経緯も、そして――自分が本当は【勇者】であることも。

 それでも彼女はいつものように「そう」と言ったきり、それ以上は何も言わなかった。

 もう、何も隠す必要はなかった。

 この気持ちも、全て彼女に知ってほしかった。


 俺は、


「好きだ、ずっとそばにいてもいいか?」


 と、彼女に尋ねた。


 彼女は、


「ええ」


 と、言った。



 俺は彼女のそばにいつまでもいた。

 俺は冒険者を辞めて、その宿で働いた。

 俺は戦いにしか能がなかったから、初めは大変なこともたくさんあったが、彼女がそばにいてくれたから、どんなことも苦ではなかった。

 それから彼女と結婚して、子供が産まれて、やがてその子供たちも大きくなって、それぞれの人生を歩んでいった。


「まさか自分の子を見送る日が来るなんて。あの頃の俺からは考えられないな」


 と、俺は満足して言った。


「ええ」


 と、彼女はいつものように言った。

 そして、そっと俺の肩に寄りかかった。

 彼女は少しおばあさんになっていた。

 俺は彼女の肩を抱き寄せて、そのままぎゅっと抱きしめた。

 俺は彼女と一緒に、いつまでも生きていたいと思った。


 ある日、彼女はベッドの上で静かに息を引き取った。

 俺は彼女のシワだらけになった手を握りしめて、最期の時まで優しく笑って、彼女を看取ってから、一人で静かに泣いた。

 夜になって、朝になって、また夜になって、朝になって、それでも涙が枯れないくらいに悲しかったが、しかし不思議と心は穏やかだった。

 俺は満足していた。

 絶望だらけのこの世界で彼女と出会えて、天寿を全うするその時まで、ずっとそばにいれたから。

 彼女と過ごせたその時間は、俺の人生の中で、間違いなく最も幸せな時間だったから。


 だから、




「なぁ、俺も一緒に死なせてくれよ……」





 誰に向けたわけでもない願いが、空に消えた。

 勇者には、老いることも許されなかった。

 彼女が幸せに歳を重ねていく隣で、俺はやはり永遠の命から逃げることができなかった。


 どうすれば死ねるのか。

 長い時間を生きる中でその答えは既に、何となく分かっていた。


 ――勇者は魔王を倒すもの。


 その宿命が全てだった。

 魔王を倒すその時まで、この呪いからは逃れられないのだと。

 逆に言えば、魔王を倒すことさえできれば、あるいはこの命も――。



 その日を境に、俺は勇者に戻った。

 しかしもう「勇者だから」と、誰かのために戦うことは辞めた。

 利己主義的に、ただひたすら自分の目的を達するがためだけに、俺は剣を振るって戦った。

 数十年も剣を握っていなかったのに、不思議と体は軽かった。

 やはりそれは【勇者】の力によるものもあっただろうが、それよりも、俺の中で「勇者であることの意義」がはっきりと定まったことが大きかったと思う。

 俺は昔よりも強くなっていた。

 それから俺は一度たりとも死ななかった。

 一度たりとも【勇者】の呪いに頼ることなく、俺は戦い続けて――。



 ある時、俺は魔王の城に乗り込んだ。

 俺は勇者だったが、誰かを守るためではなく、自分のためだけに戦った。

 ところが、肝心の魔王城は不気味なほどに静かだった。

 その場所こそ巧妙に隠蔽されてはいたものの、城内に敵の影は少なく、本当にここが魔王の城なのかと疑わしくなるほどだった。

 広間を抜けると、いよいよ敵の姿がなくなった。

 初めは何かの罠かと思ったが、いつまで経っても仕掛けてくる気配はなく、それならそれで都合が良いと、俺はぐんぐん進んでいき、やがて厳めしい扉の前に突き当たった。

 この向こうに魔王(やつ)がいると、直感的に分かった。

 扉を一枚隔てて、禍々しい雰囲気が伝わってきた。

 剣を握る手に力が入る。

 俺は息を吸って、吐いて、一呼吸おいてから、その扉をゆっくりと押し開けた。


 広い部屋だった。

 面積もそうだが、家具や装飾品といった物が何一つ置かれていなかったため、余計に広く感じた。

 部屋の奥には男がいた。

 薄暗い空間に一人ぽつんと、片膝を立てて座っていた。

 長い髪は床まで垂れ下がり、顔を伏せている。

 俺が入ってきたことに気付いていないのだろうか。

 警戒しつつ、しばらく様子を見ていると、



「――ああ、ようやくか」


 男は気怠そうに顔を上げ、俺の方をちらりと見て、小さな声でそう呟いた。


「お前が魔王か」


 俺が尋ねると、


「ああ、その通り。私が魔王だ」


 と、男は答えた。


 魔王の姿は何というか、想像よりもずっと普通だった。

 上下共に真っ黒の質素な装い。

 最強とは程遠い細身の体格。

 凶悪さが微塵も感じられない少年のような容姿。

 その身から放つ凄まじい瘴気を除けば、どれを取っても普通の人間にしか見えなかった。


「そういう貴様は勇者で間違いないのだろう?」


 と、魔王が言ったので、


「そうだ。俺は勇者だ。お前を倒すために来た」


 と、俺は少し格好を付けて宣言した。


 過去を振り返れば、思い返すのも嫌なくらい色々なことがあったが、結局のところ、やはり俺は勇者だった。

 最期にこのような強者と戦えることに、どうしようもなく気持ちが昂っていた。


「さあ、武器を取れ。互いにこれが最期だ。思う存分戦おうじゃないか」


 剣の切っ先を魔王に向け、俺は高らかに決闘を申し込んだ。

 負ける気は全くしなかった。

 魔王が放つ威圧(プレッシャー)から推し量るに、俺と魔王との実力はかなり拮抗していたが、それでも、気持ちだけは確実に俺が勝っていると感じていた。


 しかし――




「いや、戦いはしない。殺したいならさっさと殺せ」


 と、魔王は言った。


「――は? お前は、何を……」


「言葉の通りだ。私に戦う意思はない。殺したいなら殺せばいいだろう」


「ほら」と、魔王は自身の胸の中心を親指でトントンと叩いて、挑発するように言う。


「お前は、死にたいのか……?」


「そうだ。貴様も知っての通り、私は無敵でな。勇者である貴様の攻撃以外では自死することも叶わんのだ」


 自分自身を嘲笑するように、魔王はハッと鼻を鳴らした。


 その姿は、決して嘘をついているようには見えなかった。

 気づけば俺は剣を下ろしていた。

 憎むべき相手であるはずの魔王に、いつのまにか同情してしまっていた。

 そう、気付いてしまったのだ。

 魔王は決して「死なない」のではなく「死ねなかった」のだと。

 勇者である俺と、同じだったのだと。


「……分かった。お前と戦えないのは少し残念だが、その気がないなら仕方ない。俺にも果たしたい願いがあるんでな。せめてもの情けだ。一撃で介錯してやる」


「それはありがたい話だが、首を落とすのはやめてくれよ? 胴と頭がバラバラなのは格好が悪い」


「ハ、俺は心臓を突くのも上手いんだ」


 と、言って、俺は抜き身の剣を握りしめたまま魔王の元へと近づき、その肩を強く押して床に突き倒した。


「随分と乱暴だな」


「多少はな。だって、お前は魔王で、俺は勇者なんだぜ?」


「ハ、違いない」


 俺は仰向けに転がる魔王の体を跨ぐように立ち、ちょうど心臓の真上の所で剣を構える。


「……最期に聞いてもいいか?」


「なんだ」


 と、魔王は言った。


「お前を殺したら、俺は死ねるのか?」


 何も知らない者からすれば、その質問は唐突で意味不明なものだったに違いない。

 しかし、俺には謎の確信があった。

 魔王は――目の前のコイツはきっと【勇者】の呪いのことも含め、全てを知っていると。

 それは根拠も何もない博打に近いものだったが、勇者の勘はやはりよく当たった。


「――ああ。私を殺せば、貴様の中にある【勇者】の称号も消えるからな」


「……そうか、それが聞ければ十分だ」


 顔には出さなかったが、俺は心の底からホッとしていた。


「次はお前の番だ。最期に言い残しておきたいことはないのか」


「そうだな。では私が死んだらこの部屋を出て、東の塔の三階へ行け。そこにある書庫の一番目立つところに、一冊の本を置いておいた。きっと良いことが書いてある」


「随分と含みのある言い方をするな」


「まあ行けば分かる。さて、私の遺言はそれだけだ。殺るならさっさと殺ってくれ。私は焦らされるのが嫌いなんだ」


 と、言って、魔王はニヤリと笑った。


「一方的な奴め」


「言い残しておきたいことは、と聞いたのは貴様だろう」


「ちっ、分かったよ。そんなに死にたきゃ一思いに殺してやる」


「ハ、……頼んだ」


 魔王は清々しい表情をしていた。

 きっとコイツにも色々あったのだろうと思う。

 鼻につく顔だったが、同時に少し羨ましくも感じてしまった。


「じゃあな」


 と、俺は言った。


「ああ」


 と、魔王は答えた。


 俺は自分の中に残る【勇者】の力を全て絞り出すつもりで、己が人生最高の一撃を、魔王の胸に突き立てた。

 剣と肉の境目から、どくどく、どくどく、どくどくと、血が溢れ出し、やがて魔王は静かに動かなくなった。

 その死に顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。

 それはとても人類を滅ぼそうとしていた者にはできないような、とても柔らかい笑みで――。




 *



 勇者、貴様がこれを読んでいるということは、私は無事に死ねたということか。

 思えば長い人生だった。

 と、私のことをつらつらと書いて読ませてやるのも良いかもしれないが、貴様が知りたいことはそんなことではないのだろう。

 殺してくれた礼だ。

 今日は勘弁しておいてやる。


 さて、本題に入ろう。

 私を殺した瞬間、貴様もきっと気付いたことだろう。


 ――己の中にある【勇者】の称号が消え、新たに【魔王】の称号が付与されている、そのことが。


 それがこの世界の理だ。

 勇者が魔王を倒せるように、両者は常にこの世界に存在していなければならない。

【勇者】には「蘇り」の力が、【魔王】には「不死」の力が与えられているのはそのためだ。

 貴様が魔王に昇華したように、きっと今頃この世界のどこかでも、新たな勇者が生まれているはずだ。


 さて、これだけ言えばもう分かっているかもしれないが――私もかつては勇者だった。

 勇者は魔王を倒すものと。

 その決まりに従って、私も先代の魔王を殺した。

 そして、魔王に仕立て上げられた。

 つまるところ、貴様は私と同じというわけだ。

 どうして、と考えるのは止めておけ。

 考えるだけ無駄だ。

 この世界はそういうもので、私たちは定められた理に従って生きるしかないのだ。


 そういうわけで、魔王になった貴様が死ぬには、貴様と入れ替わりでこの世界のどこかに生まれた、新たな【勇者】に己を殺してもらうしかない。

 ああ、書き忘れていたが【魔王】の称号にはこの城から出ることができないという縛りもある。

 精々、座して待つことだ。

 まあ、永遠にも近しい数の死と生を繰り返し、私をここまで待たせた貴様にとっては、その時間もあっという間だろうがな。


 一つ、助言を残してやろう。

 貴様が本当に死を望むなら、人類を、勇者を、追い込むことだ。

 自ら戦場に出ることはできないが、魔王の従者は自由に動かせる。

 そいつらを上手く利用して勇者を急かせ。

「早く魔王を倒さなければ」と思わせられるように。

 ただしやり過ぎてはダメだ。己の首を絞めることになる。

 理由は、まあ言わずもがなだ。

 私と違って上手くいけば、貴様の死も多少は早まるだろう。


 最後に、ここまでの話は全て前任の魔王から聞かされた話であるがため、事実がどうなのかは私にも分からない。

 だが、貴様がこれを読んでいる以上、やはり魔王は死ねる。

 そのことだけは証明されているというわけだ。


 ハ、今の貴様にはその情報だけで十分だろう?



 *



 俺は静かに本を閉じた。

 魔王の遺言は一冊の英雄譚の最後のページに、その結末を上書きするように、殴り書きされていた。

 まるで物語のグッドエンドを妬むように。

 俺はその本を持って、城の一室にあった豪奢な棺桶の中に、魔王の遺体と共にそれを入れた。

 少しの嫌がらせと、来世では物語の中のような幸せな人生を送れるようにと、願いを込めて。


 それから俺は魔王と最期に話したあの部屋に戻って、あいつが座っていたのと同じ場所に腰を下ろした。

 魔王が残したものは、確かに俺が知りたかった内容ではあったが、その実、答え合わせをしているようで核心をついていない、全てをこの世界の理というだけで言い訳されてしまったような、そんな内容だった。


 しかしまあ、俺の願いは、すべきことは、愛する彼女と別れたあの日から何も変わらない。

 今度の【勇者】は何度の死を越えるだろうか。

 少なくとも俺より、ということはないだろう。

 俺は弱く、幸せで、随分と遠回りをしたらしいから。


 ならばすぐだ。

 彼女と過ごしたあの日の記憶でも思い起こしながら、ゆっくりと、その時を待つとしよう。



 ――100万回目の死を迎える、その時まで。





とても久しぶりに小説を書きました。

大筋を考えているうちは楽しいのに、書いてるうちに「これ面白いのか……?」と思えてくる現象は何なんでしょうか。

評価、感想から教えて頂けたら嬉しいです。


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