9. 隣の夫婦
(遅いな……)
朝と同じように、ヨシスケはベイリットの家の屋根に寝転んでいた。
(せっかく一番大きなタラも持ってきたのに)
タラはこの辺りでよく食べられている魚だが、今日はひときわ大きいのが釣れたのだ。明日結婚するベイリットに対する、ささやかなお祝いである。
---少し前---
釣りの帰りに、魚のおすそ分けでリーズの家に寄った時、既にリーズの父親は帰ってきていた。リーズの父親は、身長165cmくらいの少し小柄だが、よく日に焼けた肌にベイリットよりもさらに逞しい筋肉の持ち主である。心配していたが、やはり二人にとって永劫の災いの再来はあまり問題にならなかったようだ。
今日の狩りではウミスズメはもちろん、なんと冬の間に氷河を渡ってきていたシロクマも仕留めたらしい。シロクマは海鳥とはまた違う良質な肉である。仕留めたシロクマはかなり痩せていたそうだが、貴重で珍しい食料だ。ただしとても狂暴なので、リーズの父親とベイリットが見つけてくれて本当によかった。
あまりに自慢げに長々と話をするので、ちょっと困っていたところ、村長が出てきて助け船を出してくれた。村長はリーズの祖父にあたり、体形はリーズの父親とそっくりだ。髪の毛は今は白くなっているが、昔は今の父親と同じように、つやのある栗色だったそうだ。あまりに今の髪が真っ白なので疑ってしまいそうだが、二人の瞳が全く同じ栗色をしているので、きっと嘘ではないのだろう。
ちなみにリーズとリーズの母親は、明日の準備とやらで忙しいのか、出てこなかった。ただ、とても楽しそうな声が奥の部屋から聞こえてきた。リーズも二人が無事に帰って来て安心し、いつもの元気を取り戻したのだろう。ヨシスケは二人の声を聞いて、明日がたまらなく楽しみになった。
当然ベイリットも既に帰っているだろうと、ヨシスケは急いで自分の家に帰った。ヨシスケの家はベイリットの家とほとんど同じ作りである。
「ただいま! 父さん! 母さん!」
ヨシスケは扉の横に並んだたった二つのネックレスに声をかけ、台所に魚の入った籠を置いた。ネックレスは父親と母親の名前だけが彫られており、村の人たちと同じ黒い火山岩でできていた。
二人の本当のネックレスは、ヨシスケのネックレスと同じ淡い緑や紫の混じった石だったそうなのだが、あの事件の日に消えてしまったらしい。不憫に思った村人が、代わりのネックレスを作ってくれたのだ。
小さい頃は、なぜ自分のネックレスだけ石が違うのか、なぜ両親のネックレスには名前しか彫られていないのかとしきりに質問したもとだった。質問のたびに、村人が困ったようにはぐらかすので、ヨシスケもなんとなく聞くのをやめていたが、その疑問も村長からの告白で合点がいった。今ではこのネックレスを見るたびに、村人からの優しさを感じる気がして、ヨシスケは暖かい気持ちになっていた。
籠の中の魚全てから内臓を器用に取り出し、一番大きなタラを袋に入れた。屋根の修理の合間に、アーミィさんから包丁を研いでもらったのだが、素晴らしい切れ味だった。その他の魚を籠に戻して、籠と袋の両方をもって家をでた。
隣の家について、そっとドアを開ける。最近、おばさんは元々耳が少し遠いので、ノックしても聞こえないのだ。
「こんばんは。アンマさん。魚のおすそ分けにきました」
「あらあら、ヨシスケ、午前中は屋根の修理ありがとねぇ。お魚も嬉しいわ」
台所に向かっていた女性がこちらに向き直る。身長は150cmもないくらいの小柄だが、ふっくらとした体形のかわいらしい。髪は灰色がかったブロンドで、頭の上にお団子でまとめている。いつも笑ったような目をしているため、瞳の色は見たことがない。
「晩御飯に間に合いますかね?」
ヨシスケは大小の魚が入った籠を差し出した。
「ええ。ちょうどお肉もお魚も切らしていたの。助かるわ」
「おお、ヨシスケ、魚持ってきてくれたのか」
扉からおじさんも入ってきて、ヨシスケに笑いかける。身長はヨシスケと同じくらいで、きっと体重も同じくらいだろう。髪の毛はほとんど生えていないので、ほぼ一年中毛糸の帽子を被っている。少し薄い青の瞳は、とても優しそうだ。
「こんばんは、アーミィさん」
「お前も一緒に晩御飯を食べて行かんか? アンマはいつも作りすぎるんだ」
「あらあら。でも本当にそうなの。年を取るとどうも加減がわからないわ」
アンマは少しむくれてアーミィを軽くたたくが、顔は相変わらず優しくほほ笑んでいる。
「ありがとう! でも今日はベイリットと食べます。すごく大きなタラも釣れたんです。明日のお祝いとして二人で食べようと思って」
ヨシスケは袋を少し開けて、中身を老夫婦に見せた。
「おおー、これは立派だ。ベイリットも喜ぶよ」
「明日は楽しみねぇ。小さいころから、何をするにも一緒だったものねぇ。花嫁のリーズも加えて、三人で楽しそうに走っている姿が、昨日のように思い出せるわ……」
アンマは手をゆっくりと目元にもっていく。気が付かなかったけれど、泣いているようだ。
「あなたのご両親とベイリットのお父様が亡くなって……あなたたちはまだこの村に来て1年も経ってなくて親戚もいなくて……あなたはまだ3歳だった……」
「……アンマ、お祝いの前なんだ、あまり暗い気持にはさせるなよ」
アーミィがアンマの方にそっと手を置く。
「ええ、ええ、ごめんなさい。でも、私、とても嬉しくて嬉しくて……」
アンマはエプロンのポケットからハンカチを取り出し、なおも涙をぬぐった。
「小さな子がこんなに立派になって……」
「ああ、そうだな」
アーミィはヨシスケに向き直り、快活にニコッと笑う。
「泣き虫でいたずらっこで、でも少し内気で兄貴と姉貴の後をくっついていた小僧が、わしらに魚をおすそ分けだと! しかも、兄貴のお祝いにこんなに立派なタラも準備してな!」
アーミィはヨシスケの肩を強くバシバシとたたいた。
「次はお前の番だな! 母親同然に育ててくれた、ベイリットの母親もあの世で心配しているさ。早めに安心させてやれよ。もちろんわしらもな」
「ありがとう、でもまだそういう人はいなくて……」
「村の娘たちでは不満か?みなお前に懐いているではないか」
アーミィはヨシスケの肩をがっつりとつかんで離さない。
(いや、えっと、どうしよう……)
「まあまあアーミィったら、ヨシスケが困っているじゃありませんか」
アーミィの迫力にたじたじしていると、アンマが助け舟を出してくれた。
「今からベイリットのところに行くんでしょう。あまり引き止めたら悪いわよ」
「おお、そうだったな、すまんすまん」
アーミィの手が肩から外れると、ついついホッとため息が出てしまった。目ざとく見つけたアンマがくすりと笑う。
「ヨシスケは面倒見がいいから、きっと引く手あまたよ。今までリーズといることが多かったから皆遠慮してたみたいだけど。明日の結婚式を違う意味で楽しみにしている娘が、きっとたくさんいるわ。まぁ女性はこの村だけではないわね。最近は大きな町からお嫁さんを貰う人も多いからね」
「アンマさんまで……」
ようやく解放されたと思ったのにと、ヨシスケが口をとがらせる。
確かにリーズと一緒にいることが多かったし、リーズのことは大好きだった。でもベイリットとも一緒のことがほとんどだし、第一リーズへの好きは、恋愛としての好きではなかった。恋愛感情は全くなかったかといわれると、言葉を濁してしまうが、そんな昔の淡い恋心はいつの間にか消化され、今は完全に姉のように感じていた。
「うふふ、年寄りはね、若い人たちのそういうお話が大好きなのよ」
「そうそう! まあヨシスケはうちの愚息どもと違って、まだ成人したばかりだしな。ゆっくり待つさ」
二人の息子は3人いて、皆隣の大きな町で働いている。そのうちの長男がゲスタで、大衆食堂を営みつつ村の子供達の行商時の宿泊場所を提供してくれている。
ゲスタは結婚しているのだが、次男と三男はまだまだ仕事が楽しいらしく、なかなか結婚しないとよく二人は嘆いている。ただ、二人の結婚記念日には必ず3人揃って帰ってくる、とても優しいお兄さんたちなのだ。
「さあじゃあ、わしたちも貰った魚を頂くとしよう」
「あ、そういえばベイリットがシロクマを獲ってきたそうです! 僕の魚を食べ過ぎて、明日食べられないなんてことにならないようにしてくださいね」
ヨシスケの言葉に、アンマは目を丸くし、体を強ばらせた。
「まあ、シロクマがいたの? さすがベイリットね、捕まえてくれてよかったわ」
アンマの肩をアーミィが優しくなでると、アンマは小さく息をはき、にっこりと笑った。
「でも、捕まえてくれたならもう安心ね。そして、明日がいっそう楽しみになったわ。シロクマなんて、何年ぶりかしら。少しお料理を持っていってくれる? 二人分にしては少し多くできちゃったの。今お皿に移すから少し待って」
「ああそれがいい。ベイリットと一緒に食べなさい。しかしシロクマか!リーズの父親メーズルがいっしょだったとしても、やっぱりさすがベイリットだな」
アーミィは感心したように腰に手を当てた。
「はい、ベイリットは本当にすごいです。お料理ありがとう! ではまた明日。おやすみなさい!」
「こちらこそ、お魚をありがとう」
「今日ははしゃぎすぎずに早く寝ろよ。また明日」
「そうそう、いただいたお魚日持ちするように調理しとくから、式が終わった後によりなさいな」
「やったぁ、ありがとうございます!」
ヨシスケは二人に手をふると、温かいお皿を抱え、ベイリットの家に急いだ。
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二人の家を出た時は、まだ太陽はかろうじて沈んでいなかった。でも、今はもう真っ暗だ。
ヨシスケは貰った料理にそっと触れてみる。すっかり冷えてしまっている。
(まあ、すぐ温められるからいいんだけど……)
ヨシスケは小さくため息をついて、空を見上げた。よく晴れていて星がたくさん見えるけれど、今日は月が出ていない。
「暗いな……」
そうつぶやいて、そっと目を閉じた。




