51. 魔珠
「すげーな、これ、どうなってんだ?」
円筒状に高くそびえる塔は高さが五十メートルほどあり、村をぐるりと囲う岩壁の一部になっていた。見上げると塔の上の方から止めどなく水が流れ落ちてきているようで、塔全体が薄い水の膜に覆われている。
「魔珠が生み出した水です。ここから出た水を村全体に水路を使って行きわたらせているんですよ」
塔に手を伸ばして水を触るシオンに向かって、ユスティーナがにっこりと笑う。
「魔珠は塔の中だ。入ってみようかね」
ヨーセフが懐から鍵を取り出して塔に近づく。丁度地面から二メートルほどの場所に縁のついた屋根のようなものがついており、その下に扉があった。ヨーセフが鍵を扉に差し込んで回すと、カチャリと小さな音がして鍵が開いた。
「部屋は一番上だ。足元に気をつけての」
そういうと、ヨーセフは扉を開けて中に入っていった。ヨーセフの後に入ったシオンに続いて、ノイも塔に足を踏み入れる。扉を入ると、向かいにも同じような扉があった。外壁の外からも入れるようになっているのだろう。外からは分かりにくかったが、塔は石で作られており、上へ上へと続くらせん状に階段があった。階段の真ん中あたりから、所々に小さな灯りがあり辛うじて視野は確保されているが、窓もない空間に浮かび上がる階段は何とも言えない雰囲気だった。
ノイはしばらくあっけにとられて上を眺めていたが、どんどん登っていくヨーセフとシオンに気付いて慌てて後を追った。
「この塔は当時のまま、保存されているんですよ」
後ろからユスティーナの声がする。
「かつて、ギライスキが紫のドラゴンを消滅させるまで、この場所に人が立ちいったことはなかったんです。というよりも、この辺りに近づく人は誰もいませんでした。封印後、ドラゴンを消滅させたギライスキが初めてこの中に入ったそうです」
かなり登っているが、ユスティーナは息を切らすこともなく話し続けている。
「その時、ギライスキはこの塔を改装して滅紫教の拠点となる教会をつくろうとしました。でも、人々は強く反発したんです」
「どうしてですか?」
「この大陸には、こんな伝承があります」
そういうと、ユスティーナは小さく息を吸い、伝承を唱える。
神が与えし試練の紫龍 漆黒の硝子に封じらる
勇気の英雄 命を賭して 紫龍の脅威を知らしめる
魔法の英雄 力を失い 儚い正義を手に入れる
智恵と技術の英雄は 己の真実を問い続ける
善悪を求めて 正誤を求めて 生涯をかけ 問い続ける
ついぞ答えを得られずに 英雄は紫龍の塔に全てを託す
紫龍の塔が守るのは 色のつかない真実のみ
「それは、滅紫教に伝わるものですか?」
ノイが訝しげに聞くと、ユスティーナはいいえ、と答えた。
「英雄を称える伝承とは少し違いますから、滅紫教、というよりもギライスキは史実だと認めていません。人々を混乱させるための、でたらめで悪質ななぞかけだとしています」
「……でも、そうじゃないと思っている人もいる……」
「はい。いた、と表現する方が正確かもしれません。今は滅紫教の影響が大きく伝承を知る人もほとんどいないからです。でも、ギライスキが紫色のドラゴンを消滅させた千五百年前は、伝承を信じる人がこの大陸にはとてもたくさんいました。この辺の話は、国教が滅紫教に統一される前に信仰されていた宗教の考え方に関連していて、」
「えっと、その伝承を信じる人が多かったから、この塔がそのまま保存された、ってことですよね」
話が長くなりそうな気配を察知し、ノイはユスティーナの言葉を遮って尋ねる。
「ええ、そうです。それでギライスキはノーズルモルク大陸に拠点をつくることにしたと言われています」
ユスティーナは何事もなかったかのように返事をする。話を遮られるのは慣れているようだ。
「それで、ペトロは何を残していたんですか?」
ノイがさらに聞くと、ユスティーナがんー、と珍しく言葉に詰まる。
「それが、それらしい本はあるのですが、誰も読めないんです」
「読めない?」
「普通の本のように、文字のようなものがびっしりと書かれているんですが、私たちが使う文字とは違う用なんです。言語らしい法則も見つからず、何も手掛かりがないんです。それを専門に研究する者もいるのですが……」
「全然読めないんですか?」
「いえ、数ページだけ、読める部分があります。と言っても、挿絵とその絵の説明の部分だけなのですが。それが魔珠の作り方を書いているページのようなんです。挿絵と説明から、魔珠の作り方だけは解明されています。と言っても、要となる材料のドラゴンの鱗が手に入らないので、本当に魔珠を再現できたことはないのですが」
ノイは先ほどの伝承を思い出す。
智恵と技術の英雄は 己の真実を問い続ける
善悪を求めて 正誤を求めて 生涯をかけ 問い続ける
ついぞ答えを得られずに 英雄は紫龍の塔に全てを託す
あの伝承が本当だとすると、知恵と技術の英雄はペトラのことだろう。ペトラは何かを悩んでいて、その答えを見つけることができなくて、後世へと託すために、この塔に何かを残した。それが、ユスティーナが言う本だとすれば、何故、読めないものをわざわざ残したりしたんだろうか。思いを巡らしているノイの腕を不意にユスティーナが引いた。
「わっ、あぶな」
「ほら、これが魔珠です! シオンもちゃんと見ましたか? 暖かく淡い光が火の魔珠、白く鋭い光は電気の魔珠です。あっ、シオン触らないで、痛いですよ」
目を輝かせるユスティーナが指さす先には、淡い光を放つ火の玉があった。普通の燭台かと思っていたが、よく目を凝らすと直径三センチメートルほどの丸い球が中央に見えた。
「ずっと燃え続けているんですか?」
「触れねーの?」
ノイはゆっくりと手を近づけてみる。普通の火と同じように暖かなぬくもりが伝わってきた。シオンは出そうとした手を引っ込めて、いろんな角度から鋭い光の玉をしげしげと眺めている。
「消えているのは見たことがないですね。水の魔珠には触れますよ。さあ、行きましょう」
ユスティーナはノイの背中を両手で軽くトントンと押した。
その後も、火の魔珠と電気の魔珠は全部で十個ほど交代で階段の壁に設置されていた。下から見えた光は、どうやらこの二種類の魔珠だったようだ。確かによく考えれば、ずっと塔の中に灯りがともっているというのは不思議な話だった。それにしても、便利な珠だ。
そうこうしているうちに、ヨーセフとシオンが一番上に到達していた。扉には厳重に鍵がかけられているようで、ヨーセフは五つのカギを順番に扉のあちこちに差し込んでいく。ノイが一番上に到着したと同時に、扉があいた。
部屋の中は、とても幻想的だった。
部屋の真ん中には天井まで届く程のガラスの柱のようなものがあり、光を浴びてキラキラと輝いている。その先端には、大きくて平べったい、透明な壺のようなものがついている。柱の周りには、細長い金属が模様のように張り巡らされ、その先端にある壺のようなものを支えていた。そしてその壺の中には、様々な大きさの青い魔珠がぎっしりと浮いていた。魔珠は微かに振動しながら、壺の中に入ったたっぷりの水の表面で周囲の魔珠と軽くぶつかり合いながら、少し沈んだりまた浮いたりと、ユラユラと揺らめいている。
中央のガラスの柱は、床に届いた後、十六の細い管に分かれて、それぞれ放射状に壁に向かって伸びていた。ノイの身長ほどのガラスの壁がぐるりと壁に沿って立っており、壁とガラスの間の十センチメートルほどの間には、部屋の中心から伸びる細い管が繋がっており、水が溜まっている。その水が、壁にぐるりと空いている窓から外に流れ出ているようだ。塔全体を覆っていた水の膜は、ここから出た水なのだろう。水を外に出す窓から、水を透過した日の光が入ってきており、ユラユラとした光が部屋を照らしていた。
窓は天井近くにもぐるりとあり、部屋の中は明るかった。ノイは入り口の前で呆然と部屋の中を見ていたが、そこから入ってきた心地よい風に頬をなでられ、はっとする。
「きれいでしょう」
ユスティーナがうっとりするように呟いた。ノイは返事をしようとしたが、シオンがスタスタと部屋に入り、金属の隙間からガラスの柱へ手を伸ばしたのを見て慌てて自分も部屋に入っていった。
「シ、シオン!」
「んー?」
「気をつけてね」
「何が?」
「ガラスに触ること。壊さないようにね」
「ガラスって、これ? これそんなに柔いのか?」
「柔らかいってわけじゃないんだけど……」
「はは、そっと触る分には大丈夫だよ。でもそれよりも、魔珠に触りたいんじゃないのかね」
ヨーセフが穏やかに答えながら、部屋の奥へと移動する。ユスティーナもそれに続いた。
「いいんですか?」
「触れんの?」
ノイとシオンが同時に聞くと、ヨーセフが長めの踏み台二つを両手に持ちながらにっこりと戻ってくるところだった。後ろにいるユスティーナも、一つもう少し長めの踏み台を持っている。
「こちらも、そっと触る分には問題ない。但し、あの器の上だけにしておくれ。辺りがびしょびしょになってしまうのでな」
そういうと、ヨーセフは柱から少し離して踏み台を並べて置いた。柱に向かって垂直に、そして少し離しておいた二つの踏み台の上に、ユスティーナがもう一つ踏み台を橋をかけるように置く。床から五十センチメートル程の高さになった踏み台を指さしながら、ヨーセフは二人に呼びかける。
「持ち手はないから、足元に気をつけてな」
少し長めの踏み台は、二人一緒に登れそうだ。ノイとシオンは一番下の踏み台に足をかけながら、階段の要領で両側から上がった。踏み台の両側をユスティーナとアルベルトがそっと支えてくれている。
「手前にあるものを一つ、持ってごらん」
ヨーセフに促され、二人はそれぞれ近くにあった魔珠を手に取った。壺のようなものの縁は二人の身長よりも少しだけ高いところにあるので、手を伸ばして目線よりも上の魔珠を掴み上げる。ノイは片手にギリギリ収まるくらい、シオンは両手で持ち上げられるくらいのものを手にした。
魔珠の表面はつるつるとしたガラス玉のようだった。重さはほとんど感じない。ただ、表面から次々と水がしみ出しているのか、穏やかな川の流れに手を浸しているくらいの緩い水圧を感じた。ひんやりしていて、とても気持ちがいい。
「どうかな」
「なんかフワフワしてて、冷てー」
「フワフワしているのは、魔珠から出る水のせいでしょう。染み出すというか、湧き出すように出てきているんです。魔珠の体積に対して表面積が大きいほど、単位時間単位面積あたりに湧き出す水の量が増えていきます」
「えっと、つまり、小さいものほどたくさん出てくるってことですか?」
「単位面積当たりだと、そうなりますね。大きいものほど表面積自体が大きくなるので、湧き出す水の総量はやはり大きいものの方が多かったりします。流速は大体……」
「んー……おー、小さいやつのほうが、手がくすぐってー」
ノイも近くにあった一番小さな魔珠を手に取る。確かに、先ほどよりも手のひらに感じる水圧が大きくなったような気がした。
ノイはその小さなものを持ち上げ、窓からの光にかざした。魔珠から湧き出す水が、透過してきた光をもてあそぶかのように、キラキラとしている。足元ではまだユスティーナが流速や水の成分について色々と話しているようだ。手を上に挙げているせいで、水滴が二つ三つ、ノイの腕を通って服の袖を濡らしたが、それも気にならない。
「ドラゴンの鱗でできた魔法の珠、か」
そんなことを呟きながら、ノイは魔珠に吸い込まれそうな気分になりながら、しばらくそれを眺めていた。




