46. 落ち着く香り
強い紫色の光がクリスタの全身を包み、そして消えた。
ノイは、そっと顔の包帯をずらしてみる。先ほどまで膿んでくっ付いていたのか、少しぺりっとした感覚がありどきりとする。だが、ちゃんときれいな肌がでてきてホッとした。そのまま、顔の部分の包帯を外す。
そこには、十五、六歳くらいのまだ少し幼い感じの女性の顔があった。小さめの鼻と形のいい唇が、リーズと少し重なる。頬と唇はほんのり赤くなり、落ち着いた吐息が聞こえてほっとする。
「へー、こんな風に治んだな」
シオンがしげしげと眺めている。身体の傷も治っていると思うが、勝手に見るのは悪い気がして、ノイはシオンの腕を取ってドアに向かう。
「おい、なんだよ、治ってるか見ねーの?」
「女の人の身体だし、俺らは見ない方が……」
「女だと、見ちゃいけねーの?」
「普通、女の人は男の人に見られるの、嫌がるから」
「また、普通、か。まあでも、ノイがそういうなら……」
ドアを開けると、すぐ近くにユスティーナがいて急いで立ち止まる。後ろからシオンがノイの背中にぶつかった。ユスティーナは少しだけ赤くなった目でノイを見てから、クリスタの方へ視線を移す。クリスタを捉えたユスティーナの目が、見る見るうちに大きく見開かれた。
「クリスタ!」
ユスティーナがクリスタに駆け寄る。ノイに少しぶつかったが、気付いていないようだ。確かめるように、クリスタの頭を撫で、頬を触っている。
「これは……」
部屋に入ってきたヨーセフはそう呟くと、信じられないといった表情でその光景を見ていた。ユスティーナは顔を確かめ終わったのか、今度はシーツを剥ぎ取り、体の包帯を外し始めた。ヨーセフも急ぎ足で駆け寄る。ノイはなんとなく居たたまれなくなり、クリスタの肌が露出する前にドアから出た。ドアの外には、アルベルトもおり、同じように目を見開いている。ノイとシオンが出ると、しばらく呆然としていたアルベルトがはっとして、ゆっくりとドアを閉めた。
「ヨーセフはいいのか?」
「ヨーセフは、お医者さんだから……」
そんなどうでもいい会話をしている間、アルベルトはまだじっとドアを見つめていた。その後はシオンもだまり、ドアの前で、三人、何も言わずに暫くたたずんでいた。
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静かに開いたドアから現れたのはヨーセフだった。所々が汚れた包帯とシーツを持っている。ドアの前に立ち尽くす三人を見て、頭を下げる。
「これは申し訳ないことをした、待たせてしまって。アルベルト、二人を先ほどの部屋にお連れしてもらえないだろうか。クリスタの着替えを準備したら、私もすぐにいく」
隙間から、ユスティーナがクリスタのベッドに突っ伏しているのが見えた。小刻みに震えながら、時折しゃくりあげている。クリスタには、新しいシーツがかけられていた。心配そうに見るノイに、ヨーセフは優しく話しかける。
「ずっと、気を張っていたのでな。しばらくそっとしてやってほしい。アルベルト、頼んだよ」
アルベルトは小さく頷き、こっちだと行って歩き始めた。
廊下を通る間も、階段を降りるときも、部屋に戻ってからも、三人は始終無言だった。ノイとシオンは元の場所に座ったが、アルベルトは入り口の近くに立ったまま、ドアの方を見つめていた。
十分ほどたった頃、小さなノックのあとにヨーセフが入ってきた。アルベルトがヨーセフに近づくと、ヨーセフがポンポンと肩を叩く。
「外傷は全て、跡形もなく治っているようだ。呼吸も脈も落ち着いている。数日ろくに飲み食いできなかったから多少栄養状態はよくないが、一週間もすれば元通りになるだろう」
アルベルトはそうかと呟き、息を吐いた。
「アルベルト、エルメルの家に行ってみてくれぬか。リータが落ち着いていれば、マルガレータに一旦戻ってくるように伝えてくれ」
こくりと頷くと、アルベルトはノイとシオンに向き直り、とても綺麗に頭を深々と下げる。たっぷりと十秒ほど下げてから、アルベルトはさっと頭を上げた。ノイがペコリと会釈をすると、アルベルトはそのまま足早に部屋を出ていった。
ヨーセフはゆっくりとドアを閉めると、先ほどのアルベルトに負けないほど深く頭を下げる。
「しがない老人の願いに耳を傾けてくれて、本当に、本当に感謝する。どう御礼をしたらいいのか……ありがとう、本当にありがとう」
「あの、頭をあげてください」
ノイが少しうろたえながらそう言うと、ヨーセフはやっとゆっくりと頭を上げた。そして、これまたゆっくりとノイとシオンを交互に見ながら、口を開いた。
「しかし、一体どうやって……」
ヨーセフは驚きと疑問を浮かべた顔でノイとシオンを見ていた。その表情からは、嫌悪や拒絶といった負の感情は読み取れない。だが、ノイはやはり言うのを躊躇していた。と言うよりも、なんと言っていいのか、どこまで話すべきなのかがわからずに悶々と考え込み、目をそらして黙り込んでしまった。
「飲み物がすっかり冷えてしまったね。……ふむ、魔法で温め直すのも味気ないな。入れ直してこよう」
穏やかなヨーセフの声で、はっと現実に引き戻される。
「同じので、いいかな?」
「……はい」
「オレは苦くねーのがいい」
「おやおや、ではシオンには紅茶と、砂糖とミルクも持ってこよう。少し、待っていてくれ」
ヨーセフはそう言うと、部屋から出ていった。
「……どうしよう」
「なにが?」
しばらくの沈黙のあとにつぶやかれたノイの言葉に、シオンが聞き返す。
「どうやって治したかって聞かれたら、なんて説明しよう」
「魔法で治したで、いーんじゃねーの」
「いや、でも……こんな魔法……」
「なんだよ、まだ気にしてんのか?」
シオンの言葉に、ノイは考えながら答える。
「気にしてない……わけじゃないけど、君の言うとおり、ここの人たちには話してみようと思う」
「んー、じゃあ、いーじゃねーか」
「でも、なんて説明したらいいのか……こんな魔法、誰も知らな……」
ノイの言葉を遮るように、激しくノックがされたかと思うと、それが鳴りやまないうちにドアが勢い良く開けられた。ノイとシオンが入り口を見ると、目を赤くしたユスティーナが駆け込んできたところだった。
「ノイ! シオン!」
ユスティーナは駆け寄ると、二人にまとめてぎゅっと抱きついた。衝撃で、ノイとシオンの頭がぶつかったがユスティーナは全く意に介していないようだ。
「ありがとう! ありがとう! あの子を助けてくれて、本当に本当にありがとう!」
ユスティーナはそう言うと、そのままノイとシオンの肩におでこを乗せ、床に膝をついた格好のまま、さらに強く抱き締めた。
「オレは何もしてねーよ」
「ちょ、ユスティーナ……!」
居心地が悪そうにもぞもぞと抜け出そうとするシオンと、防具を外したユスティーナの柔らかい身体に慌てふためくノイに、がっちりと抱きついたまま、ユスティーナは動こうとしない。そうこうしているうちに、バタバタと慌ただしい足音が聞こえると、ユスティーナが開け放したドアからマルガレータが入ってきた。
「マ、マルガレータ! ユスティーナが……」
「ああ! ノイ! シオン!」
助けを求めるノイの声を聞いていないかのようにマルガレータはそう叫ぶと、ユスティーナの上から覆い被さるように三人をまとめて抱き締めた。
「リータだけじゃなく、クリスタまで! 本当に、本当に……ああ、ユスティーナ、よかった、よかったねぇ……ありがとう、ありがとう……よかった、よかった……」
ノイとシオンが身動きもとれなくなっていると、ドアの方から小さな笑い声が聞こえた。
「こらこら、二人とも、ノイとシオンが困っているよ。さあ、マルガレータ、立ちなさい。アルベルト、ユスティーナに手を」
柔らかな圧力がなくなりほっとして、ノイは改めて部屋を見渡す。ヨーセフといつの間にか戻ってきていたアルベルトにそれぞれ肩を抱えられた、マルガレータとユスティーナが立っていた。涙を拭うマルガレータに、ヨーセフがそっと話しかける。
「マルガレータ、リータの様子は」
「ええ、泣きつかれたのか、薄目のカモミールティーをコップ半分くらい飲んで、寝てしまったわ。あとは、エルメルがいれぱ大丈夫」
「そうか、また夕方に様子を見に行こう」
ヨーセフはにっこりと笑う。
「さあ、二人とも、顔を洗っておいで。マルガレータは、そのままクリスタに人肌くらいの温度の白湯を持っていってくれ。軽く口を湿らせて、問題なければ、我々に軽く昼食をつくってくれるかな。ユスティーナは、どうする、話に加わるかね?」
ユスティーナはこくりと頷く。
「よし、では、戻るまでに飲み物を準備しておこう。アルベルト、手伝ってくれ」
マルガレータとユスティーナが出ていく。アルベルトはヨーセフが持ってきたワゴンに古いカップを戻し、ヨーセフが新しいカップを五つテーブルに並べていく。ノイは手持ち無沙汰でなんとなくそわそわして、手伝いますと腰をあげかけるが、ヨーセフにやんわりと制された。
「いやいや、大丈夫。ゆっくりしておいてくれ」
「でも……」
「いいからいいから。シオン、紅茶だよ。今度は口に合うといいが。砂糖とミルクも、自由に入れてくれ」
ヨーセフはシオンの前のカップに紅茶を注ぐと、ほんのり茶色の角砂糖とミルクを前に置いた。シオンがしげしげとそれらを眺めているのを見て、ヨーセフは続けてシオンに話しかける。
「角砂糖を入れると、甘くなるのでな。好みの甘さになるまで、少しずつ入れてみるといい。ミルクも、入れるとまろやかになる」
そう言うと、ヨーセフはノイにティースプーンを渡し、にっこりと笑いかけた。
ノイはティースプーンを受け取り座り直すと、シオンにミルクの容器を手渡した。ほどよく温められたそれを持つと、なんとなくほっとする。シオンはミルクを受けとると、カップに注ぎ、色が変わっていくのを楽しんでいるようだ。そして角砂糖を一ついれる。ノイがシオンにティースプーンを渡してゆっくりとかき混ぜるように言うと、シオンはカチャカチャと混ぜて一口飲んだ。少し考えたあと、カップを置いてもう二つ角砂糖を入れる。ゆっくりと混ぜたあとにまた一口飲むと、目を輝かせていた。どうやら気に入ったようだ。
そうこうしているうちに、ノイの前のカップにもコーヒーが注がれ、ティースプーンが置かれる。ノイは角砂糖を一つだけ入れると、静かにかき混ぜる。隣ではシオンが紅茶のおかわりを注いでもらっていた。かき混ぜながらほんのりと香ってくるコーヒーと甘い紅茶の匂いが、ノイの心を優しく落ち着かせてくれた。




