26. 名前
文章中では"ドラゴンは"と書いていますが、姿はずっとヨシスケのままです。
青年がゆっくりと瞬きをする。瞳の色は、濃い紫だ。目を開けるときりっとした顔立ちに、どこかあどけなさも感じた。年齢は20歳弱、といったくらいだろうか。
「なんだ? お前」
青年から発せられた声にはっとして、ドラゴンは立ち上がり2、3歩後ずさる。
そんなことなど気にしていないかのように、青年はゆっくりと上半身を起こして伸びをした。下に敷かれていた枯れ葉がカサカサと音を立てる。
身体中が心臓になったみたいだった。
「なぁ、ここどこ?」
青年がもう一度ドラゴンに声をかける。それがあまりに緊張感のないものだったので、ドラゴンも少しずつ冷静になってきた。だが油断はできない。
(……生きている……人間……?)
様子から時々起きていたとは考えにくいし、ずっとここで寝ていたのだろう。少なくともドラゴンが生まれてから十数年、場合によっては数十年?数百年……?いずれにしても、とりあえず現の人間ではないのだろう。じゃあ、妖の人間?それでも、何年も飲まず食わずで寝続けられるのだろうか?
青年がドラゴンに向かって手を伸ばす。ドラゴンは咄嗟に腰の短剣を抜き、身構えた。青年は動きを止めたが、怯む様子はない。
「なんだ、全然動かねーから、動けねー奴なのかと思った」
「あ……」
「おっ、喋れんの? 喋んねーから、喋れねー奴かと思った。あ、オレの声が聞こえねーとか?」
「いや……」
「なんだよ。じゃあ、話できるんじゃん。なぁ、お前が持ってるそれ、何? いい匂いすんね」
「え……」
「ちょびっとかじらせろよ。全部食ったりしねーからさ」
青年は落ち葉をカサカサいわせながら立ち上がり、ドラゴンに近づいてきた。目線はドラゴンの左手に注がれている。ノイチゴの入ったカゴだ。ずっと持っていたことをすっかり忘れていた。
「あ、えっと……はい」
完全に青年のペースに乗せられてしまった。混乱した頭では断る理由も見つからず、素直にカゴを差し出す。
青年はひょいとカゴを受けとると、そのままがぶりとかじりついた。
カゴに。
「あっ……」
「ん? んー……いい匂いなのに、味はしねーのな。かてーし……」
青年はしゅんと拗ねたような顔でカゴを返してきた。カゴには歯形がついている。
「……いい匂いはこれだよ」
ドラゴンはノイチゴを一つ摘まむと、青年に差し出した。青年はノイチゴを受けとる。強く摘まんだからか、受けとった瞬間に潰れていた。
(あ……)
青年は気にする様子もなく、口にノイチゴを放り込む。
途端に青年の目が輝いた。気に入ったのだろう、指についたノイチゴの汁を舐めている。その様子が子供のようで、ドラゴンはふっと笑いがこぼれた。
「まだあるから、食べていいよ」
「ほんとか!?」
青年はキラキラした顔でドラゴンを見つめる。
ドラゴンは笑みをこぼしながらカゴを差し出した。
「全部食べなよ」
「っ! お前いい奴だな!」
青年はにかっと笑うとカゴを受け取り、その場にあぐらをかいて座った。足にカゴを乗せると、両手でノイチゴを掴みながら食べ始めた。相変わらず力が強いのかノイチゴは潰れながら青年の口に運ばれていた。傷まないようにと凍らせていたので、多少はマシなようだが。
ドラゴンは短剣を鞘に戻すと、青年の向かいに少し離れて座った。
「ねぇ、ずっとここで寝てたの?」
ドラゴンは青年に尋ねてみた。
「ん?そうなんじゃね?」
「いつから?」
「さあ?」
「どうしてこんなところに?」
「さあ?」
「どこから来たの?」
「さあ?」
「ちょっと、真面目に答えてよ」
「しょうがねーじゃん、わかんねーんだもん」
青年はカゴの底の方のノイチゴを一生懸命とっている。
「じゃあ、名前は?」
「名前? 名前ってなんだ?」
「えっ、名前は……名前だろ? 人から呼ばれる時、何て呼ばれてた?」
「呼ばれるって?」
「えー……と、君に話しているんだってわかるように、君を表す特別な単語を君に発する……こと? そう、だから、名前って言うのは君を表す何か一つ、特別な単語のこと……だと思う」
「なんだかややこしいな。まあなんとなくわかった。でも、んー、さあ? お前は、名前持ってんの?」
「俺は……」
ヨシスケ、と答えようとして、ドラゴンは言葉につまった。確かに今はヨシスケの姿をしている。
だが、これはあくまでも前世の姿だ。現世では自分はドラゴンで……名前はない。ずっと一人で生きてきたから、必要なかったのだ。
「旨かったー。なあこれ、なんだ? これには名前、あんの?」
青年は特に気にする様子もなく、手についた汁をペロペロと舐めながら聞いてきた。
「あ……うん、ノイチゴって言うんだ」
「へぇー、お前が作ったの?」
「作ったっていうか、摘んできたんだ。ノイチゴのなる植物があるんだ」
「ほんとか!この近くになってんの? そこ行ったら、もっと食える?」
「近くじゃないけど、行ったらまだなってると思うよ」
「よし。じゃあ行こうぜ」
「えっ?今から?」
「おう。今から」
青年はすくっと立ち上がると、カゴをドラゴンに向けて差し出した。ドラゴンがカゴを受けとると、青年はぐいっとドラゴンの腕を引き、立たせた。
「わっ」
「なあ、早く行こうぜ。んー、出口はどこだ? 植物だから、外に生えてるんだろ?」
そう言いながら、青年はすたすたと歩いていく。
ドラゴンはしばらく佇んでいたが、青年が空間から出ると、はっとしたように動き出し、その後をついていった。




