11. シロクマ
「……」
ヨシスケはハーブティーを一口飲む。少し冷えてはいるが、たっぷり入れた蜂蜜がいい香りをだしている。子供の頃から大好きだった飲み方だ。最近は少し恥ずかしくて人前では飲んでいないが、ベイリットは別である。
一方のベイリットは、ノイチゴ酒をぐいぐいと飲んでいる。酒に強いのでつぶれたりはしないだろうが、もう4杯目だ。最初こそ、なんやかんやと話していたが、次第にベイリットの言葉が少なくなり、5分ほど前からは全然話していない。
5杯目のノイチゴ酒を注いだベイリットに、見かねたヨシスケが話しかけた。
「……そんな飲んで明日大丈夫?」
ベイリットは一口ぐいっと飲んだところだったが、ヨシスケと目が合うと、ばつの悪そうに笑った。
「あー、確かにちょっと飲み過ぎたかな」
「まあベイリットだから大丈夫とは思うけどさ、さすがに早すぎだよ。俺、もう一杯ハーブティー飲むから、一緒にどう?」
「そだな、悪い、入れてくれるか?」
「蜂蜜は?」
「……いいや」
ヨシスケは立ち上がり、ハーブティの準備をする。大きなポットに水を入れ手をかざし、温める。もう一つのポットに2杯分のハーブを入れて、ぼこぼこと沸騰したお湯を入れた。少し蒸らしてからカップに注ぎ、そのうち一つにだけ蜂蜜をたっぷりと入れた。
全部で5分ほどかかったのだが、その間ベイリットは一言も話さなかった。カップを二つもってテーブルに戻ると、ベイリットは5杯目のノイチゴ酒を飲み干していた。ヨシスケは何も言わずにカップをベイリットの前に置いて椅子に座った。
「……俺さ……」
ヨシスケがカップに口をつけたタイミングで、ベイリットが口を開いた。ヨシスケはちょっと驚き、その拍子に舌を火傷した。
「……どうしたの?」
舌はヒリヒリしたが、それよりもベイリットが気になる。黙ってしまったベイリットを気遣いつつ、声をかける。
「結婚式のこと?」
「あー、いや、そうじゃなくて……」
ベイリットは歯切れ悪く返事をして、ふいにポケットをごそごそとしだした。取り出したのは、茶色い毛皮でできた小さな袋だった。ベイリットご袋を逆さまにすると、コロリと何かが出てきた。血がついた石のネックレスと、拳大の妖の結晶だった。
「……腰くらいまでの背でさ、多分、女の子。キツネみたいな、白い耳と尻尾生えてた。……俺……殺しちまった……」
ベイリットはネックレスと結晶を袋にしまいながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
ーーーーー
ベイリットはリーズの父親であるメーズルと一緒に順調に狩をしていたらしい。2時間も経つ頃には、結婚式のおもてなしとしても十分な量のウミスズメがとれていた。永劫の災いの再来期間とはいえ、それほど妖の生物にも遭遇せず、会ってもうまく逃げることができていた。
「ちょっとはやいけど、そろそろ帰るかベイリット。十分獲れたし、ブリーズルも心配するだろうからな」
メーズルは肩をコキコキとならしながらベイリットへと話しかけた。ベイリットは、今仕留めたウミスズメの処理をしながら振り返る。
「そうですね、メーズルさん。この一匹を処理したら、帰りましょうか」
てきぱきと血抜きをして、袋に入れる。
「終わりましたメーズルさ……」
「しっ」
立ち上がろうとしたベイリットを押し留め、メーズルは腰を低くし、顎でくいくいと近くの大きな岩を指す。ベイリットはよくわからなかったが、とりあえず音をたてないように大きな岩まで移動した。
「……あれを見ろ」
あとから来たメーズルが小声で囁きながら、岩の端からあるものを指している。ベイリットは指す方を覗きこみ、息をのんだ。100メートル程向こうに、3メートルはある大きなシロクマがいたのだ。
シロクマは唸りながら岩の隙間にしきりに腕を出し入れしている。
「何か襲っているのでしょうか」
「多分な。腹がへっているのだろう。痩せているし、毛並みも悪い。このままだと危険だ。そのうち村まで来るかもしれん」
本来、シロクマはこの辺りにはいない。ただ、この時期は氷河に乗って別の大陸からやってくる場合があるのだ。氷河での長旅の間はほとんど食料にありつけないようで、ひどく腹をすかせて凶暴になっている。
「ベイリット、強いやつ撃てるか?」
この村での狩りは、一般的に弓矢で行う。小さな獲物や近距離の場合は普通に使うが、威力をあげるために魔法を使うこともある。矢の飛んでいく軌道上の空気を魔法で動かし薄くすると、空気抵抗が減り威力が増すのだ。ただ、矢の軌道をある程度正確に予測しなければいけないし、空気の密度を均等にしないと、矢の羽が影響を受けてぶれてしまう。かなり高度な方法だ。
「大丈夫です」
「威力はどのくらい出せそうだ」
「……貫通は難しいかもしれませんが、深くは刺さるかと」
「距離は」
「20くらいまで近づければ」
「わかった。よし、俺達でしとめるぞ」
メーズルは手袋を外して指をかるくなめ、風をよむ。
「俺は大きく右から回って左前、ヤツの風上に回り込む。お前は、左からあそこのでかい岩までゆっくりと移動しろ。それ以上は進むなよ、風上側になる」
ベイリットは小さくうなずいた。
「俺が風上にいけば、ヤツは臭いで気づくだろう。俺の方に向かい始めたら、狙いを定めて、前足を出したときに脇あたりへぶちこめ。心臓に当たればこっちのもんだ」
「やってみます」
「撃ったら、もう一度撃てるようにすぐ準備しとけ。もし急所を外しても慌てずそのままいろ。俺が追撃する。別方向に逃げても俺が合図するまでは追うなよ。お前の方に向かった時は、剣で応戦しろ。すぐいく」
「はい」
「もう一度撃てそうなときは、首を狙え。撃ったらすぐにまた準備しておくんだぞ。ヤツが倒れたら、俺が死亡を確認するまで、いつでも撃てるようにしておけ」
「任せてください」
メーズルはベイリットを見て、ふっと笑った。
「安心しろ、娘の恋人を死なせたりしないさ。ただし、俺が指示できねぇ状態になったときは、お前の判断に任せる」
ベイリットも笑って見せた。
「俺も、お義父さんを死なせたりしませんよ」
メーズルははっと息を漏らすように笑うと、ベイリットのあたまをぐしゃりとする。
「まだ“お義父さん”は早ぇよ、バカ」
「しっかりやれよ」
メーズルはそう言って、剣と臭いで気を引くためにウミスズメを一羽もち、シロクマの風上へと向かった。ベイリットも大きな荷物をその場に置き、慎重に移動する。シロクマは目はそれほどよくないが、鼻と耳が敏感だ。音をたてないよう、気を付ける。
ベイリットはシロクマを狩ったことがあるが、その時は総勢10人だった。本当ならば一度村に戻り人数と体制を整えたいところだが、この距離であれば戻る途中で気付かれる可能性がある。また、村の近くまでついてこられたうえに見失ってしまうと厄介だ。幸い、メーズルとベイリットは村を代表する狩の腕で、戦力として申し分ない。
目標の大きな岩場に到着した。恐怖と興奮で胸がドキドキしている。油断は禁物だが大丈夫、できるはずだと、ベイリットは深呼吸する。
できるだけ体を隠しながら、ベイリットは矢をつがえた。今は丁度、シロクマのお尻が見えている状態である。シロクマは岩の隙間に腕を出し入れするのはやめているが、まだ隙間を睨み付けているのか動かない。
不意に、シロクマが辺りを見渡し始めた。メーズルが風上側に到着したのだろう。シロクマは用心深そうに正面から左側へと視線を動かす。そして、ゆっくりと左側へと歩きだした。
ベイリットは弓を引き、狙いを定める。意識を集中させ、素早く軌道上の空気を動かすと、一気に矢を放った。
その時
岩の隙間から何かが飛び出してきた。
「っ!?」
突然のことにベイリットは驚いたが、既に矢は真っ直ぐに放たれた後だった。矢はシロクマとベイリットの間にいる、飛び出してきた白い影目掛けて勢いよく飛んでいく。
「っこども……!? くっ!」
ベイリットは空気を動かし、矢の進行の邪魔をする。矢は煽られ軌道から大きく左にそれると、地面に当たり弾き返され、転がった。
飛び出してきた白い影は驚いたのか、矢の方向を凝視して止まった。白い耳と尻尾をぶわりと逆立ってている、小さな女の子だった。
「っにげろおおぉおおぉお!!!」
メーズルの怒号のような声が響いたが、それはベイリットに対して発せられた声ではなかった。ベイリットははっと我にかえり、女の子へ向けて手をかざす。
だが、間に合わなかった。 思わず振り返った女の子目掛けて、シロクマの鋭い爪が振り下ろされた。女の子は弾き飛ばされ、地面に大きく叩きつけられると、それきり動かなくなった。
「ッグ!」
すぐに女の子に追撃しようとしたシロクマは、一瞬遅れて現れた氷の盾に阻まれ、小さく唸り声をあげた。間髪いれずに、メーズルが飛び出しシロクマに剣を振り下ろす。
「こっちだ!」
鼻先に強烈な一撃を与えて、素早く左側へと飛び退く。シロクマは2、3度頭を振ると、唸り声をあげてメーズルへと飛びかかる。
「ガッ!」
シロクマは小さく鳴き声を漏らすと失速し、よろけた。矢が一本、左前足の付け根辺りへと刺さっている。ベイリットは素早く次の矢をつがえ、狙いを定める。
よろけた様子から急所の心臓まで刺さったようではあるが、まだ立っている。苦しそうに震えながら一歩踏み出したその時、左側からもう一本矢が飛んで来て、シロクマの耳の下をあたりに命中した。メーズルが放ったのだろう。
シロクマはがくりと後ろ足を折り、腰を落とした。ベイリットはすかさず2本目の矢を放つ。いつもよりも威力が増している矢は、シロクマの首を貫通し、奥の岩に深く刺さった。シロクマの毛がみるみるうちに赤く染まる。そして、痙攣するように震えると、ばたりとその場に倒れたのだった。
ベイリットはまた矢をつがえて待機していた。シロクマを警戒しながらも、左側からメーズルが走って出てきて女の子に駆け寄る。ベイリットはいつでも引き絞れるように構えたまま、シロクマに近づいていった。少し離れたところからトドメ矢を射つが、シロクマはピクリとも動かない。ベイリットは慎重に近づき、顔の周辺を注意深く観察し、ようやく息絶えていることが確認できた。
メーズルを見ると、抱き抱えていたものをゆっくり地面に下ろしているところだった。メーズルの様子と、広がりきった赤い液体から、あの女の子がどうなったのかはわかりきっている。しばらくの間ベイリットは呆然とメーズルの背中と、血に染まった白い耳と尻尾を眺めていた。




