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人生の小説家  作者: 林ゴロー
ささやかな風
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ささやかな風 part3

やがて彼は小学校へ入学した。

家が近いためもちろん彼女も同じ学校に入った。

後々わかったことだが、もし彼女が引越しをしなかったら別々の学校になっていたらしい。

その真実を知らない彼を差し置いて彼女は先を見つめていた。

彼は相変わらずそんな彼女は目に入れず、自分の顔をじっくりと眺めていた。

登下校は班で行動するのだが彼らは一歩引いて隣を歩くなど、小学校に入ってもふたりの関係は変わること無く続いていた。

変わったことといえば彼は彼女の顔を凝視することが時折あるぐらいだろうか。

少々見つめたあとに何かを隠すかのように髪が乱れてるよと言って、整然とした髪をつむじから一度撫で下ろす。

彼と長いあいだ付き添った彼女でもこの行動の意味はわからなかった。

でも彼女は髪が乱れてるから見ているわけではないと思っていた。

彼は照れを隠すとき唇をしまう癖があることを彼女は知っていた。

彼女は自分の中でいくつか仮説を立てたのだがその中には真実は含まれてはいなかった。

初めて彼女の直感が外れたのである。


彼女と知り合ってから5年ほど立ったとき家に来ないかと誘われた。

彼の母が時々遊びに行っているが彼自身は一度も言ったことはない。

彼は突然のできごとに思わず手を開いてしまった。

急いで指を折り曲げ時計が二度音を立ててから「行くよ...行くよ。」となぜか二回言った。

「すぐに来てね。」唇を弾ませながらそう言うと彼女は軽くスキップをしながら去っていった。

彼女が立ち去って後彼は少しばかり硬直していた。

それなのに指先は正直なもので折り曲げたはずなのにいつの間にか伸びていた。

その指で8回机を叩いた後正気に戻ったのか重そうな首を傾け壁掛時計をパッと見た。

意味もなく机の中にある教科書を一冊取り出し開いた。

彼は目の前に広がる文字の配列を読むわけでもなく、無心でぼーっと鐘が鳴るのをただただ待っていた。

以降の授業は彼にとってあっという間に過ぎたように思えた。

鉛筆を持つ手が急に止まったり、ときどき二つ前の席にいる彼女をチラっと見たりする。

そういう時はだいたい彼女は真剣に授業を聞いている。

その背中を見ると彼は寂しさを覚える。

でも授業が終わった後、いつもと変わらず話しかけてくる彼女を見るとすべてが吹っ切れる気がする。

瞬く間に相変わらずの授業が終わると彼女と競うように誰よりも早く門を飛び出した。

彼の歩き方は忍者のように静かなのだが走る時のような早さがあった。

歩いているとき数分に一度後ろを振り向く。

後ろを見ても別の生徒や時には車があるだけだ。

角を曲がるときは優秀な軍隊のようにかかとを軸にして回る。

いつもなら横に彼女がいて歩くだけでも飽きないのだが、今日は彼女がいないから意味もなく横の表札を読んでいた。

やっとマンションを越えた先にある彼の家に付くと、貴族の付き添いの気分で両手でようやく重いドアを開けた。

玄関で靴を片足ずつ取り出しきれいに揃えた。

家に足を踏み出すと「おかえり」という母の言葉を遮りトイレへ直行した。

20秒も立たぬ間に用を済ますと洗面所へ向かい手を無駄に丹念に洗った。

手の甲、指や爪の間を重ね重ねこすった。

自分でももう洗い終わったことはわかりきっているのだが何かが洗いきれていない気がしたからだと時間を稼いでいた。

次第に飽きてくると蛇口を上にあげこちらもゆっくりと泡一つ残さずに洗った。

蛇口を閉めると思い出したかのようにまた蛇口を開けた。

彼は顔をそっと前へ差し出し手で受け皿を作り水を溜める。

溢れんばかりの水が溜まるとそれを顔にびちゃっとかける。

すっきりしたのか手を拭くタオルで顔を拭き鏡を薄目で見る。

そこに映るのはどこかパッとしない自分だった。

何を思ったか横に彼女を立ち姿を置いてみる。

次第に自分の表情が明るくなり鏡に映っていたのは理想の二人だった。

顔の前で手を横に振り洗面所を出た。

空き巣のように腰を低くして自分の部屋に入った。

作業のような振る舞いでランドセルをドアの横に開けるとき邪魔にならないようにそっと置き、忍び足で部屋を出た。

そのままの足取りで母の前まで行く。

「おかえり」と母が5回目を言う。

なんと言っていいか分からず言いたいことだけが口からこぼれた。

「今から咲ちゃんの家に遊びに行く。」

母は特に驚くことなく「気をつけてね」とだけ言ってキッチンの戸棚から二人で食べるにはちょうどいいサイズのお菓子を取り出した。

それを彼に手渡した。

彼は手に持つお菓子が落ちそうなくらいの握力で二度その場で歩いてから、靴を履き外に出た。

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