僕が手にしたのはパンドラの本でした
「おまたせ、玲央。」
自動販売機で買った飲み物をベンチに座っている玲央に渡す。
僕の飲み物はココアで、玲央のはアイスティーだ。
「サンキュー、晋平。」
そう答える彼の表情は至って平常のものであり、息づかいも乱れていなかった。
(やっぱり気のせいだったのかな。)
荷物をベンチの真ん中に置いてそれを二人で挟むような形で座り、手元のお茶を口に運ぶ。
そこらで買うことのできるお茶とは何も変わらない味ではあるが、こうして学校内で買って飲むのは初めてのことなので、新鮮な感じがする。
ベンチの立て付けが悪いというのが難点だが、放課後だと人通りが少なく、かなり落ち着けそうな場所だ。
「そういえば晋平、お前はどこの中学だったんだ?」
アイスティーを一口運び終えた玲央が尋ねてくる。
「諸富中学校って所なんだけど、分かるかな?」
「マジか、遠くね!?あそこって確か電車で少なくとも2時間はかかるところだよな。」
まさか諸富中学校のことを知っているなんて、と僕は驚く。
僕の地元はいわゆる田舎と言うやつで、子供の数もそこまで多くはない。
そのため近場の中学校は諸富中学校のみであり、他の中学校へ行くならば山を越えなければならなかったほどだ。
地元の高校も一つだけなので大体の人はそこへ進学する。
僕みたいに地元から離れた高校に進学する人は少数であり、現に中学校の時の進路指導の先生からも「桜坂城南学園に進学したのは校内で佐藤だけ」であるということを聞いていた。
だから諸富中学校のことを知っている生徒などいないのではと思っていたのだが、もしかして以外と知名度が高かったりするのだろうか?
「意外だね、まさか諸富中学校のことを知っているなんて。」
玲央に尋ねて、その真相を図ることにする。
「あぁ、実は俺の中学校の同級生がそこに転校することになってさ。そいつと接点は無かったし名前も忘れたけど、諸富中学校なんて聞いたことなかったから『県外に転校するのか?』と思って調べてみたんだよね。」
県内の中学校だって知って驚いたよ、と言って笑う玲央。
やっぱり知名度は相当低いらしい。他の生徒達はまず知らないだろう。悲しいなぁ。
「あ、待てよ。ってことはお前そろそろ帰らないとまずいんじゃないか?電車の本数とか多くないだろ。」
現在の時間は17時。バスのことも考慮しての発言だろう。
「いや、自分は今寮に住んでるんだ。」
「あ、寮ってあの坂道下りたところにあるやつ?」
「そうそう、それ。一応門限は19時だからまだ時間も大丈夫だよ。」
今朝歩いて来た坂道を下りたすぐ先の所にあるのが僕の住んでいる寮だ。
「朝と夜にご飯を作ってくれる上に風呂付きの個室が与えられるというのに何故か格安で利用できるらしいからとても助かったよ。」
「それ絶対何か裏があるだろ……。」
怪しい物を見るような目つきで玲央が言い放つ。
確かにサービスに対して値段が安すぎるんだよぁ。
でもまぁ安いにこしたことはないし?
設備も何不自由ないわけで?
そうつまり何も気にすることはないのだ。
「曰く付きの物件だったりして。」
「怖いのが苦手で必死に考えないようにしていたのにやめてよ……。」
実際のところ自分もそうじゃないかなと思っていただけに、玲央の言葉は僕の恐怖心を煽った。
そんなこと言われると夜中に壁が軋んだ時とか心臓が止まりそうになるんだ、止めてくれよ……。
「怖がってる晋平も可愛いなぁ……」
「ん?」
何か玲央が呟いていたみたいだが、寮のことを考えていて聞き逃してしまった。
まぁいいか。そんなことよりこちらから聞きたいことだって山ほどあるし。
それからお互いの趣味や中学生の頃のことなど、沢山のことを話し合った。(さすがに高校デビューのことは話してはいないが。)
意外なことに玲央は部活動などで運動をしたことがないらしい。
これだけ高身長で顔もスタイルも良いのに、なんだかとても意外である。ちなみに高校でも運動部に所属するつもりはないらしい。
趣味はのんびり読書をすることだとか。どのようなジャンルの本を主に読むのかと聞くと「恋愛小説」と返事をしたのでますます驚いた。
『彼女いない歴=年齢』とは言っていたが、恋愛自体に興味が全く無いという訳ではないらしい。
「じゃあ今小説は持ってるの?」
「え。あ、あぁ。いや、今日は家に置いてきてるわ。」
歯切れの悪い返事だが、とにかく今日は持ってきていないらしい。
「そっか。じゃあいつか読んでる本とか紹介してほしいな。僕小説とかあまり読んだことなくてさ。どんな本が面白いかとか参考にしたいかも。」
「おう、分かった。またいつかの機会にな。」
「ありがとう。ってもうこんな時間か。」
時計を見るともう18時になろうとしていた。そろそろ帰らないと門限に間に合わないかもしれない。
「そろそろ帰らないと。」
「そうか。すまん、ちょっと俺トイレ行ってくるわ。」
そう言って玲央は鞄をベンチに置いたまま立ち上がり、アイスティーの入っていた容器を捨ててトイレの方へと歩いて行った。
「僕も今のうちに容器を捨てておくか。」
ベンチから立ち上がり、ペットボトルをゴミ箱に捨てる。
そしてベンチに座り直そうとしたときに、玲央の鞄をベンチから落としてしまっていたことに気がついた。どうやら僕が立ち上がった時に結構ベンチが揺れてしまったらしい。
「やっぱ立て付けが悪いな……このベンチ。」
よく見るとこのベンチ、左右で脚の長さがだいぶ違っている。
さらによく見るとペンキの塗られ方にムラがある。もしかするとこのベンチは用品店などで購入したものではなく個人で作ったものを利用しているのかもしれない。
「ってそんなこと考えてる場合じゃないよね。」
鞄が開いたまま落ちてしまっていた為、いくつかのファイルやプリントが鞄の外に出てしまっていた。
その片付けをしようと身を屈める。
「ん?」
床に落ちたファイルを拾い上げると、その下に小説があるのを見つける。
小説にはカバーが掛けられており、厚さもそこまでないのでおそらくライトノベルだろうか。
それにしても小説は持ってきてないと玲央は言っていたが、鞄の中で隠れていたのを見落としていたのだろうか?
「…………」
そういえば彼は恋愛小説をよく読むと言っていた。
今ここにある本はどんな本なのだろうか。
僕、とても気になります。
「ちょっとタイトル見るだけだし、バレなければ怒られないでしょ。」
罪悪感に苛まれつつも、意を決してカバーをめくりそのタイトルを見る。
「どれどれ……『ショタっ子メイドとドS男爵のB♂yslove』……」
……え?
ん?
んんんんん?
んんんんんんんんんん!?
えーとあれだよな、ショタってのは小さい男の子を指す言葉って聞いたことがあるような。
そのメイドさんと男爵がボーイズラブって……
しかもこの表紙、ショタっ子が男爵と思わしき人物に後ろから抱きつかれながら耳を甘噛みされて顔を赤くしている絵図となっている。てか両方とも裸だし? タイトルの下に小さく『R18』って書いちゃってるし!?
つまるところ、この本がR18のBL本であるということは弁解の余地がない。
僕の目がおかしくなって見間違えてるのでは、と思い何度も何度も見直すが、何回見直してもタイトルは変わらない。この本はR18のBL本であり、そしてこの本が玲央の鞄から出たという事実をただひたすら認識するだけであった。
「……っ!」
そして同時に今自分は取り返しの付かない状況を作り出してしまったということに気がつく。
頭の中を駆け巡るのはこの一連の自らの行動に対する後悔。
なぜ鞄をベンチから落としてしまったのか。
なぜ本を見つけてしまったのか。
なぜ本の内容を見てしまったのか。
なぜ……本の内容を理解した上ですぐに本を鞄に直さなかったのか。
どうして…………「こう」なってしまったのか。
「……晋平」
表紙が露わになった本を手にする僕を、少し離れたところから見つめる玲央。
お互いに、言い逃れなどできようもない状況。
お互いに引きつった笑顔を浮かべるしかない。
そしてお互いとも滝のような冷や汗をかいているのであった。