時雨のキミへ
短い物語ですが、気持ちを込めて書きました。
想像を膨らませて、ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
秋の末。
ぼくはその日、人生の日課である朝のタマの散歩を、いつも通りの道、いつも通りの時間にしていた。
タマはこんな名前だけど、ふつうの柴犬だ。
ぼくはタマと、銀杏色に染められていく道を、足で踏みしめていく。
もうすっかり、空気は冬の香りに入れ換わっていた。
散歩コースの帰り道、ぼくは必ず、この近くの神社で参拝する。
ここで、お母さんの病気がよくなるように、毎日お願いするのだ。
今日も鳥居をタマとくぐり、境内を見渡す。
この時間はいつも誰もいない。ぼくとタマだけだ。
東の空が少しずつ暗くなってくる。
早めに済ませて、帰らなければ。
そう考え、本殿のほうを向いたときだった。
本殿の屋根の下に、女の子がひとり、立っていた。
ぼくは、しばらくその女の子を眺めていた。
タマが吠えるまで、ずっと。
腰までのびた黒髪と、紅白の巫女服が特徴的で、まぶたの裏にその容姿が強く焼きついた。
その娘がいる光景が、ため息が出るほど幻想的で、ぼくの頭は完全に機能を停止していた。
いつもは、そこにいないはずの女の子がいるという違和感は、ぼくの体から抜け落ちて、境内の石畳に吸い込まれていく。
その娘は顔をうつむかせ、目を閉じて、瞑想しているように見えた。
タマが吠えて、我に返る。
それが合図だったように、リードを持つ手に、透明な粒がひとつ落ちた。
それからポツポツと、少しずつ音を重ねながら、空は涙を流し始めた。
急いで、本殿のほうへ避難する。
巫女服を纏った女の子は、ぼくの存在に気付いていないのか、瞑想を続けていた。
ぼくは、タマと本殿に向き直り、目を閉じた。
そして、強く願う。
お母さんが早くよくなりますように。
空の泣き声を、耳で感じとりながら、強く、強く念じる。
それからしばらくして、ぼくは目を開いた。
あの娘のことが気になり、さっき立っていた場所に視線を移動させる。
あの娘は、いなかった。
不思議に思い、目で周りを探してみる。
足跡も、気配もなかった。
ぼくは首をひねり、女の子がいた場所をもう一度眺めた。
すると、そこになにか置いてあるように見えた。
近くに行って、それがなにか確かめる。
それは、紅と白の折りたたみ傘だった。
ぼくは、まばたきを繰り返し、目をこすった。
あの娘が、置いていってくれたのだろうか。
他人のモノを勝手に使うのは悪いことだ。
しかし、なんだか、この傘は大丈夫な気がした。
今日は、この紅白の傘を借りて帰ろう。
いつもなら、こんな派手な色の傘は使わない。
でも、今日だけは特別だ。
傘を開き、タマと一緒に入ってみる。
和のデザインが、紅と白にとても合っている。
色がおめでたいためか、気分も晴れやかになる。
鳥居をくぐり、振り返る。
境内は静寂に包まれ、落涙の音色だけが響いていた。
ぼくは、紅白の傘の下、タマと銀杏色の帰路を歩く。
家につく頃には、空も泣き止み、ぼくは傘を閉じた。
そして、神社の方角を見上げる。
時雨色のキャンバスに、七色に輝くキミがいた。
ありがとうございました。
ぜひ、感想を書いていただけると、とても嬉しいです。